ロスト・シャングリラ ~楽園崩壊~

吉田夢妙

0.プロローグ

0-0 ストランディング

 広大な湿原に散らばる人の屍。

 死にたてのそれらが点々としていた。


 そこを男はうつむき亡霊のように歩いている。

 ぬかるむ土の上。ただただ、つま先に視線を送り続けていたのだが、急に視界に入って来た小さな手に気付き、足を止めた。


 ここでようやく、男は顔を上げる。

 その顔には刻まれた裂傷の痕が走っており、獣のような形相をたたえていた。

 それもそのはず、男は戦士。日々戦いに明け暮れたその体は筋骨隆々とし、体の一部は機械で補てんされていた。


 自動小銃を手にするその男は下から上へ視線を変える。

 それにより、ここが湿原ではなく大河であることを認識した。目の前にあった小さな掌が息絶えている少女のものだということも。

 その少女は薄ら口を開け、開ききった瞳孔であらぬところを見つめていた。

 体には縫合の痕が残されており、何かの病気に犯され、その闘病の末に亡くなったのだろうと男は目くじらを立てる。

 癌か、はたまた難しい名前の内臓の疾患で。


 それから、男は気付く。

 ここで横たわっているものは少女だけではないことに。

 男がどこかで見た顔もちらほら見受けられた。どこで見たかは思い出せないが、忘れられない顔だった。

 それは戦いの最中に垣間見た人、最悪の出会い方をしてこの男が殺した――。


 開けた視界、そこは何とも形容しがたい世界。

 この血生臭い川底は朱殷(しゅあん)に染まっていた。さらされている泥に横たわる裸の人間たちの肌の色が浮かび上がっている。人種、問わず。様々な死に方をそこに明示しているのであった。


 男はしばし、それに見惚れていた。

 目の前にいる少女のように、体に縫い痕を残して死んだ者。弾丸で穿たれて顔の上半分がない者や、体をそれにほじくられて体に穴が開いてしまった者。爆発物で体の一部を吹き飛ばされた者……。


 数多の死であふれている。


 ――そう、ここは死の世界。


 どういう訳か、それを知っていた男は訳も分からず納得した。


 この凄惨たる俯瞰を見渡した後、男はこの大河の向こうに、大きな黒い焔の柱を見つけた。

 遠く、天にそびえる黒焔の柱。

 そこへ行こうと足を上げると、ぴちゃぴちゃという生々しい音が耳に、血生臭い匂いが鼻についた。

 焔の柱に向かうにつれて、川底はてらてら濡れている人の臓腑で埋め尽くされる。

 それでも男は歩みを止めることはなかった。

 自分が生きているのか? それとも死んでいるのかはわからない。

 それを確かめるために男は命の根源へ、黒焔の柱へ歩んでいく。

 自分が生きていることを証明するため。生きているという確証を得るために。

 何が待ち受けているのかはわからない。

 だが、それでも男は黒焔の柱を目指して進み続ける。


 そこに救いがあると信じて――。

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