28杯目 ポーションと古酒

「ホントに昨日は散々だったぜ……」


 勇者見習いの家庭の愚痴を聞かされ続けた翌日。

 リンはぐったりしながら道具屋のカウンターに仰向けになってうだうだと転がっていた。


「見習いさん、今日から出発って言ってましたけど大丈夫でしょうか……?」

「あの千鳥足だぞ、剣も握れねえっての」


 よっ、と弾みをつけて起き上がる。


「そんなことよりイコイ、予定ぴったり、明日には元の世界へ帰してやれそうだ」

「ホントですか!」

 思わず声のトーンが上がる。



 この王国に転移して19日目。もともとリンから聞いていた通り、明日の20日目で元いた日本のあの酒場、あの時間に戻してもらえる。

 ようやく帰れるという安堵と、幾許かの名残惜しさが、彼女の胸に入り混じった。



「そんなわけで、飲めるポーションも限られてるからじっくり選――」

「はい、高いのもどんどん頼んじゃいます!」

「そんな話はしてねえよ!」


 体を丸めながら彼女に体当たりするリン。

 しかし伸ばし直す時間が足りなかったのか、丸まったまま彼女の体を沿うように滑り降り、道具屋の床をボールよろしく転がっていく。

 止まってからも「目が回った……」としばらく起き上がれなかった。



「おじさん、滅多に飲めないポーション、頂きたいんですけど……」

 言いながら彼女は冷蔵棚の中をじっくりと眺める。やがて、1つの瓶に目を留めた。


「あれ、見せてくれませんか」

 店主は口ひげを掻いた後、ニヤリと笑った。


「見つかっちゃったねえ」

 勢いよく扉を開けて、ピンク色の瓶を憩に渡す。


「……何年ですか?」

「30年ものだよ」

「すごい!」


 やりとりを聞いていたリンが、木の踏み台を蹴ってカウンターに登る。


「おい、30年ものって、まさかそんだけ寝かせたのか?」

「そうなんです。古酒こしゅと呼ばれる、長期熟成のお酒です。何回か熟酒ってタイプのポーションを飲みましたよね? 古酒は熟酒の王様です」

「熟酒か……ちょっとクセが強くて、俺ぁ苦手なんだよな……」


 独特の味を思い出したのか、リンは口を開いて苦い表情を見せる。



「まあ、せっかくだから飲んでいきなよ。うちにも2本しかなくてね。もう1本は買い付けが決まってるから、実質これが最後の1本なんだ」

「そうなんですか。これを買うなんて、きっとその方もポーションがお好き――」


 その時。憩の声を遮るしわがれた挨拶が店内に響いた。


「ごめんよ。頼んでた古酒、あるかい?」


「……おわっ! あのときのばあさん!」

「わあ! お久しぶりです!」


 憩が思わずパンッと手を合わせる。

 カウンターに向かってゆっくり歩いてきたのは、以前アッキシカの酒場で会った、ポーション仕入れを担当していた老婆。



「おや、久しぶりだねえ、アンタ達。古酒を飲みに来たのかい?」

「ええ、これから最後の1本を頂くところです」

「買ったの、ばあさんだったのか」


 老婆がにまぁと顔を歪ませる。少し不気味ですらあるが、彼女なりの喜びの表情らしい。


「これだけ上手に寝かせたポーションも珍しいからねえ。どれ、せっかくだからアタシも一口、ご一緒させてもらおうか」

「どうぞ! おじさん、グラスもう1つ下さい」

「あいよ。せっかくだから、俺も飲もうかな」

「はい、ぜひ飲みましょう!」


 カウンタ―に並べられたグラス4つに、コルクの開いた古酒が注がれる。

 透明なグラスを窓から漏れる陽光に翳すと、トパーズ色のポーションが飲みこんだ光が、咀嚼されているように揺らめいた。



「じゃあ、頂こうかね」

 老婆の掛け声で乾杯し、憩はポーションの色を楽しみながら飲み始める。  



 古酒らしい香りは、花や果実とはまったく違う濃さ。砂糖とみりんと醤油と料理酒、煮物で使うそれらの調味料を煮詰めたような、深みと甘みのある匂い。


 口当たりは柔らかく、だんだんと旨味と酸味が膨らんでくる。とろみがそこまで強くないせいか、飲み込むとスッと余韻がなくなるキレの良さ。


 30年、自分が生きた年齢よりも長い年数を過ごしたこのポーションの魅力と希少性。今から造ったら飲むころにはすっかりおばあさんね、などと考えながら、またゆっくりグラスを傾ける。



「へえ、思ったより飲みやすいな。寝かせまくってクセが逆に消えてるような感じだ」


 リンがコクコクと飲んでいると、向かいの店主が「だね。こいつは飲みやすい」と相槌を打った。

「ここまで綺麗に熟成できるなんてねえ。大したもんだよ」


「にしても濃い酒だぜ。こんなん飲むならつまみ買ってくりゃ良かった」

「ほお、アンタ、呑み助猫のクセに良いこと言うね」

「言ってくれんな、ばあさん! 俺は人間だぞ、モンスター討伐局のリンクウィンプスだ!」


 立ち上がって両手で威嚇するリンはお構いなしに、老婆はポケットから小袋を取り出した。


「ほれ、つまみのレーズンだ」

「いいですね! おばあさん、ありがとうございます!」


 訝しそうな目で見ながら「またなんか安っぽいものを……」と愚痴るリン。


「干しブドウ……こんなん合うのか……?」


 口にポンッと2粒放り、古酒を飲む。途端に、「ほおお!」と素っ頓狂な声をあげた。


「レーズンの、味が凝縮されてる感じが、古酒と合う! こりゃすげえ発見だ!」

「濃厚って意味じゃチーズと似たようなもんだからねえ、へへっ」


 老婆が笑いながら、店主と自分のグラスにお替りを注いだ。



「……ん? ちょっと待て。おい、お前らも飲んでるけど、当然割り勘だよな?」


 沈黙、後、顔を見合わせる2人。


「え? お姉ちゃんが『どうぞ』って言ってくれたんだよ?」

「アタシも、この嬢ちゃんが薦めてくれたねえ」

「ちょ……それとこれとは話が違うだろうが!」


 肉球でドンッとカウンターを叩くリンを、憩が宥める。


「まあまあリンさん、こんなに良いお酒を教えてもらったんですから、払いましょうよ」

「人の金だと思って!」


 カチカチと噛む仕草をするリンに、店主が値札を見せる。



「いやあ、すまないね。手間暇かかってるからちょっと値の張るお酒だけど、ご馳走になるよ!」

「…………はあああ! こんっ……こんなにっ……高……っ!」



 溶けるようにうつ伏せになるリン。「古酒より俺の方が寝こんじまう……」と、目を覆って大きなため息をついた。

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