【60滴】もうひとつの人格

 その日、ノアと優也の二人はマーリンに呼ばれ彼女の部屋に来ていた。


「玉藻前にも頼んでるんだけどアタシ達も敵の数を徐々に減らしていくわよ」


 そう言うとマーリンは手元の資料に目を落とした。


「えーっと――まずは、大嶽家の赤舌族・鬼族の温羅・ぬらり家の山地乳族・蛇人族を潰すわよ」

「僕らだけでやるんですか?」


 優也は自分とノアを交互に指差した。


「アタシは他にやることあるから二人でお願いね」

「レイはどうしたんだよ?」

「酒呑童子を探しに行ったわ。暫くは帰ってこられないでしょうね」

「僕らだけで大丈夫かな?」

「大丈夫だろ」


 不安そうな優也とは相反し、余裕だと言いたげなノア。


「確かに数ではあっちが有利だけど、この程度のやつらアンタら吸血鬼の敵じゃないわ」


 マーリンはそう言いながら手に持っていた資料を優也に渡すとドアへと足を進めた。


「来週までに済ませてちょうだい」


 二人の返事を聞く前にドアの閉じる音が部屋中へ響き渡った。

 それから優也とノアは早速、その数減らしに取り掛かる。一週間以内ということだったが、なんと彼らは僅か三日で全てを潰し終えてしまった。それはどれも吸血鬼という存在の強さを改めて見せ付けるかの如く圧倒的な戦い。

 そしてあっという間に終わらせたことで時間の出来たノアと優也の姿はこの日、訓練部屋にあった。訓練に一区切りつけ壁に凭れながら並んで座る二人。


「レイ、酒呑童子さん見つけられたかな?」

「さぁーな。そう簡単に見つけられねーらしいけど、別に逃げてるわけじゃねーんだ見つかるのも時間の問題だろ」

「ノアは会ったことあるの?」

「いや」


 言葉と共に緩慢と首を横に振る。


「ねーけど噂なら聞いたことあるぜ。三度の飯より酒と喧嘩好きだとか、命も喧嘩を楽しむ道具にしか過ぎないとか、首を刎ねても首だけで喉元に食らいついてくるだとかな」


 その説明で優也が脳内に思い浮かべていたは悪魔のような鬼だった。


「お、恐ろしいね」

「所詮ただの噂だからな。実際会ってみるまでどういうやつか分からねーよ」

「噂でつくイメージなんて当てにならない事もあるからね」

「そーゆことだ」

「そういえばレイにあの子が誰か訊くの忘れてたね」


 悪魔の鬼から変わり優也はあの日見たレイの隠し子疑惑の子どもを思い出していた。


「次会った時に訊けばいいだろ。――さて、そろそろ再開するぞ」


 そう言って立ち上がったノアは中央辺りまで歩き、少し遅れた優也と対峙。始めはターン制のようにゆっくりと攻守は切り替わっていった。そして次第にその攻防は激しさを見せ、いつの間にか多少の怪我は厭わない実践へと近づいていった。

 だがそれにつれ徐々に青みを帯び始める優也の瞳。しかし、ノアはそのことに気がついていない。

 そしてノアがそのことに気がついた時、事件は起こった。足元に潜り込んだノアは両手を地面に着け、体を支えながらゆうやの顔を蹴り上げる。一方ゆうやは足裏に顎を蹴り上げられ重力が反転したかのように天井へ落ちていった。

 だが、空中で体を回転させ天井を足場に着地すると、そのままノアへ向かって跳躍した。それをノアは後ろへ下がることで躱したが、眼前に降り立ったゆうやは次の行動に移る暇を与えず瞬時に後を追う。地面をひと蹴りし、一気に間合いを詰めるゆうやの瞳は青く、この時にようやく優也ではない気配を感とったノア。


「お前まさかっ!」


 そこに意識を取られ遅れてしまった一歩。再び後方に躱そうとしたが足が床から少し浮いた時点でゆうやは目前まで迫っていた。躱すことは出来ないと悟り防御へと思考を変えるノア。

 しかしこれが実践的な練習から実践へと変わったことまではまだ理解しきれていなった。

 ゆうやの手に握られていたのは朱殷色のシースナイフ。それは鋭く空を駆けるとノアの左腕を体から容易く切り離した。宙に放り出され後方に進む体を少し遅れながら追う左腕。一驚に喫しながら肉塊と化した左腕へ視線を結び付けていたものの、我に返るとすぐさまゆうやへと意識を戻す。

 だがその頃にはシーズナイフは再びノアに接近してきていた。彼女はその距離が数センチまで縮まったところで右手で宙を漂う左腕の手首を掴み振り上げる。左腕を下から叩きつけられたことで手から離れたシースナイフは上空へ舞い上がった。回転しながら天井へと向かうが、突き刺さる前に消滅。

 一方、そんなナイフには目もくれずゆうやは首に伸ばしそのままノアを押し倒した。

 彼女は持っていた左腕を手放すと首を絞める腕の肘を掴み力づくでへし折る。痛みに無関心なのか機能してないのか、彼は無表情のまま右手を構えた。一定の流れのまま突き出される右手。ノアもそれを目で捉える程に分かっていた。

 だが腕が一本足りない所為でその右手は何の妨害もないまま彼女の横腹へと突き刺さった。すぐに体内まで浸かった手首を引き抜くと心の臓に狙いを変え再び構える。

 だがノアもそのまま無抵抗でやられ続けるわけにはいかない。右手が動き出す直前に左足を肩まで伸ばした。そのお陰で突き出された右手は後一歩のところまでしか届かなかった。

 ノアは折った骨がすでに治っている左腕を掴んだまま左足の力を緩めないように意識を集中させ続ける。


「クッ……ソ。目ぇ覚ませよ!」


 すると、そんなノアの声に反応したのかゆうやの力が弱まり始めるのを感じた。更に瞳の色も段々と元に戻り始めている。

 そして完全に両腕の力が抜け瞳の色が戻って数秒間――優也は時が止まったかのようにノアを見つめていた。

 それから表情を変えぬまま彼女から離れると後ろに尻餅を着き地を蹴りながら退く。

 それを見て起き上がったノアの横腹にあった傷は塞がっていたものの血塗れで、左腕からは依然と血が滴っている。血の海で片腕を無くしたノア。

 悲惨、それはそう表現せざるを得ない状態だった。


「戻ったのか?」


 だが優也にその声は届いていない。放心状態のように口を半開きにしていた優也はノアのその姿を見てから自身の腕へ視線を下げる。彼の目には纏わるようにベッタリと付いた血が映し出された。


「そんな……うそ……」


 頭を抱え混乱した様子で呟くその声に力はない。

 一方、ノアは立ち上がるとそんな優也に近づこうとした。


「大丈夫か?」

「来ないで!」


 取り乱しながら叫ぶ声にノアはその場で立ち止まる。

 すると優也の耳元だけに囁声が聞こえてきた。


『忘れたのか? ……お前がやったことだ』


 更に優也の頭の中では勝手に先程の映像が再生される。


『思い出せ。腕を切り落とした感覚を……血の温かさを……臓の感触を……』

「やめろ――違う……」


 ノアは頭を抱え「違う」と何度も首を振る優也を見ることしかできなかった。

 そんな優也の双眸から溢れ出す泪は彼の限界を知らせるようだった。


『その手で殺そうとしたんだ』

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 その囁声を掻き消そうと喉が壊れてしまいそうな程に優也は叫び声を上げた。

 すると電池の切れた玩具のようにピタッと声は途切れ、優也はその場に倒れた。

 だがノアが近づくより先に少しして俯いたままゆっくりと起き上がり始める。不気味な雰囲気を纏いながら焦らす様に緩慢な動作で顔を上げ、同時に髪を掻き上げた。

 そして最後に開いてゆく瞼。そこにあったのは先程よりも濃い青となった瞳だった。

 その雰囲気、その感覚にノアは姑獲鳥との戦いで見たユウヤを思い出していた。


「ふぅ~。久々に表に出られたぜ」


 直後、ユウヤを鬼手が襲い壁に叩きつける。


「おいおい、いいのか? コイツの体でもあるんだぞ?」

「なんでお前が出てきてやがる?」

「はぁー、ったく。教えてやるから自由にしてくれよ? 俺は外の空気を吸いてーんだ」


 返答はなくノアの鋭い眼光がただ睨みつける。


「そう睨むんじゃねーよ。あー、簡単に言うとだな。お前を殺しかけたことを知って精神的に不安定になった隙を突いて俺が主導権を奪ったってことだ。まぁ、教えたのは俺だがな。さっ、早く解放しろ」

「ならその主導権ってやつを早く返し――」


 言葉を遮り部屋中に響いたのは乾いた銃声。直後ノアの胸に出来た銃創からは静かに鮮血が流れ出した。

 そして世界がスローになったかのように膝から崩れ落ちて倒れるノア。


「ったく。めんどくせーな」


 呟くユウヤの右手には煙を吐く朱殷色の拳銃が握られていたがすぐに消えた。

 一方、倒れたノアの胸から流れ出した血は床へ広がっていき押さえつけていた鬼手が溶けて消える。


「安心しろ俺はアイツと違って理由もなしに同族殺しはやらねーからな」


 そう言い残すとユウヤは書庫への階段を上り始める。

 微かに意識の残っていたノアだったが、今の彼女にはその後ろ姿を薄れゆく意識の中で見ることしかできなかった。

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