第参幕:吸血が鬼となる

【55滴】雨の日の訪問者

 尻餅をついた状態で踠くように足を動かしながら後ずさりする若い男。

 そして男の恐怖に染まった瞳に映る自分。その双眸は化物でも見るように怯えていた。


「や、やめてくれ! た、頼む……」


 若男は震えた声で訴えかけている。

 だが、じっと感情のない視線を向けたまま自分は一歩一歩と近づいていた。

 そして壁まで追い詰められた若男の前で足を止めると――心臓を手で一突き。最後の鼓動こえが直に伝わるが、優也自身は何も感じない。

 命が散りゆく中、彼は涙を流しながら胸を貫いている腕を力無く掴んでいた……。


 すると視界はチャンネルのように切り替わり、そこには荒れた部屋の中に立つ自分。手には赤と黒で彩られた鍔の無い太刀が握られていた。家具などを見る限りとても裕福な家らしい。

 そして目の前では壮年の仕事が出来そうな男が前腕を失った二の腕を右手で押さえながら棚で体を支え何とか立っている。辺りには血が飛び散った悲惨な光景が広がり、足元にはただの肉塊と化した前腕が落ちていた。


「何は目的だ? 金か?」


 それに反応して口が動くのを感じたが、優也には自分の声は聞こえない。

 だが、男はこの世の真理を聞いたかのような驚愕とした表情を浮かべた。


「たかがそれだけのことでか!?」


 その言葉に対し特に怒りを感じたわけではない。

 しかし、太刀を持った手が勝手に動き男の腿に突き立てた。痛みに上がった男の声が部屋中へ響き渡る。

 すると、右後ろから女性の叫び声が聞こえてきた。


「止めて! お願いだから……」


 男の腿から流れる鮮血のように泪を頬を滑らせながら隅で縮こまり、まだ幼い子どもを強く抱きしめている。その命乞いをするような瞳は弱々しい。それが何かを思い出させた。でもそれが何かは分からない。

 だが、何とも思わない。何も感じない。どうだっていい。

 そして刺した太刀を抜くと、それは途端に溶けるように消えた。男は助かったと思ったのか依然と顔を歪めながらもどこか安堵したような表情を浮かべた。

 でも僕は何も無くなった手で男の顔を鷲掴みにすると、見上げる高さまで持ち上げ徐々に力を入れていく。後方から聞こえる女の叫声。男は必死に抵抗しているが、その願いが叶うことはなかった。

 そのまま鷲掴みした手からは頭蓋骨が割れる生々しい音と感触が伝わり、頭からは血が噴き出す。頭から手へ、巻き付きく蛇のように腕を伝う血。

 そして男の全身から力が抜け抵抗を止めた。

 でも依然と何も感じない優也は手を離し男を落とすと踵を返して歩き出した。泣き叫びながら駆け寄る親子とすれ違いながら出口へ。


「この同族殺し! いつか殺してやる!」


 憎悪に満ちた声が背中に浴びせられるが、ただの音として自分の耳には入ってきた。

 そしてドアへ手を伸ばしたところでシャットダウンされたように視界は暗闇に包まれる。

 再び暗闇から解放された優也はベッドの上で天井を眺めていた。気分は最悪。その状態で起き上がると思わず顔を手で覆う。

 その所為か外から聞こえる雨音など気にならなかった。大きく息を吐くと顔から離した手を見つめる。そこに残るのは胸を突き刺し頭を潰した生々しく嫌な感覚。耳の奥に残り雨音を阻むのは、あの悲痛の叫び声に憎悪を纏った女性の声。

 ――全て現実で起こったと感じるほどリアルだった。

 だがベッドの上で目覚めたことがそうでないことを証明していた。


「夢か……。良かった……」


 現実ではない。当たり前だがその事実に安堵の溜息をついた。


「君は、雨は好きかい?」


 すると一人しかいないはずの部屋で突如、その爽やかな声は質問を投げかけてきた。

 優也は声のした窓の方へ聞き間違えかと思いながら緩慢と顔を向ける。

 だがそこには聞き違いなどではなく薄暗いが月明りに照らされた人が確かにいた。混じりけのない白色の髪は少し長く好青年な印象の髪型。真っ白なスーツにYシャツと白いベスト、白色のネクタイを締めた男が窓際に白の革靴を履いた片足を立てて座っていた。

 そして腕には縄のような何かが巻き付いている(何かは良く見えない)。

 すると男は窓際から降り、窓外を眺めながら一歩一歩と時間をかけて歩みを進め始めた。


「僕は雨が大好きなんだ。この音を聴いてると落ち着くんだよ」


 言い終わる頃にはベッド際まで来ていた。男は声に合った爽やかな微笑みを浮かべている。


「こんばんわ。六条優也君」


 言葉と共に右手を差し出す男。先ほど何かが巻き付いているように見えたが、差し出された腕にはそれらしきモノはない。


「え? どうして僕の名前を?」


 返事をしながらも心のどこかでこれも夢ではないかと疑っていた。

 でも一応差し出された手を握る。

 それと同時に男の腕から目が捉えられないほどの速さで何かが優也の腕へ移動してきた。突然のことに思わず手を離そうとするが強く握られた手はビクともしない。

 そして首元の神経から痛みの信号が伝わると、瞬く間に全身が痺れ無抵抗を強制されながら優也はベッドへと倒れた。そんな彼の胸の上に姿を現したのは、痺れさせた犯人であろう黒蛇。蜷局を巻き、舌をチョロチョロしている蛇のつぶらな瞳と目が合った。


「マリー」


 男に呼ばれた蛇は差し出された腕に巻き付きながら戻り肩から顔を出す。


「主人様。コイツよ。コイツ。を持ってるのは」

「そうだねホズキ」


 マリーが巻き付いている腕とは違うもう片方の腕にも別の蛇が巻き付いていると気が付いたのはその声のお陰だ。その蛇は口紅を塗っているように口が赤く体は白い。


「誰? ……ですか?」


 優也の体は痺れて動けなかったが口は動いた。男は優也へ視線を移す。


「自己紹介がまだだったね。僕の名前は……モーグ・グローリ」


 グローリは片手を軽く胸に当て少し頭を下げた。

 一方でその名前に優也は言葉を失う。


「君たちの目的であるこの僕が今――ここにいる。さぁーどうする? 六条優也君?」


 何もできないと知っていながら両手を広げたグローリは、挑発的な表情を浮かべていた。

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