第弐幕:狐日和
【30滴】K
眠りから一気に覚醒した優也は勢い良く起き上がった。その途中でおでこに衝撃を感じたがそれが誰だか気にする余裕はない。
優也は一心不乱になりながら何よりも先に自分の胸を確認し始めた。胸からの出血はなく、肌や爪や犬歯もいつも通り。それが確認出来ると思わず安堵の溜息を零す。
だが依然と顔色は優れておらず少し息は荒れ、嫌な汗をかいていた。
「どうしたの? 随分とうなされてたけど?」
この心配そうな声でやっと先程の誰かがマーリンであることに気が付いた。しかし、ぶつかった事は依然と蚊帳の外。
「夢を……見てたんです」
マーリンの方は見ず片手で双眸を覆いながらゆっくりと答える優也。
「夢ねー。どんなの?」
「鏡の中の自分に撃たれて殺される夢でした」
「殺される夢ね……。殺される夢を見る時って、今が頑張り時だとか周囲に不満を持っている時だとか精神的に疲れてる状態って本で読んだことあるわよ。本当かは分からないけど」
それを聞きながら手を顔から離した優也は、思い出しながら話しをするマーリンへ視線を向けた。
「良く知ってますね」
「そういうの信じないから役に立たない知識なんだけどね」
「僕はいいことだけ信じるタイプですね」
そしてまだ疲れが見える笑みを浮かべると優也は大きな欠伸をした。
「まだ疲れてるの? 少年。大丈夫? おっぱい揉む?」
「疲れてないからだいじょ……ん?」
マーリンの言葉に違和感を感じもう一度彼女の方へ視線を向けてみると、そこには胸を突き出すマーリンがいた。
「何してるんですか?」
そう訊きながら眉間に皺を寄せふざける人を一歩引いて見る時のような表情を浮かべる優也。
「これが疲れている男の子へかける言葉の百点回答でしょ」
「どこでそんなの聞いたんですか?」
「少年のスマホにあったチャープってやつ」
そんなマーリンの顔横では手に握られた優也のスマホが強調されるように左右に振られていた。
「ちょっ! 返してくださいよ」
思わず取り戻そうと手を伸ばすが、スマホは嘲笑うようにギリギリで遠のく。それから少しの間、取り戻したい優也と面白がって返したくないマーリンの攻防は続いた。
だがその戦いもそこまで長くは続かず、高く掲げたられたスマホを後ろから取られ終止符が打たれた。手からスマホが消えマーリンが後ろを振り向くとそこに立っていたのは呆れた表情のアモ。
「全く、あなたは何をしているんですか」
表情同様に呆れた声でそう言いながらアモはスマホを優也へと手渡した。
「申し訳ありません」
「いえ」
「お水をお持ちしましたのでこちらに置いておきます」
そう言ってスマホを取った手とは別の手に持っていたトレイからガラス製のピッチャーとグラスをテーブルに置いた。
「お腹の方は空かれていますか?」
「いえ、今は大丈夫です」
言葉と共に優也は軽く手を振った。
「そうですか。御用の際はいつでもお声掛け下さい」
「ありがとうございます」
そして会釈から上がったアモの顔はそのままマーリンの方へ。
「あなたも行きますよ」
そう言うと返事は聞かずマーリンを脇に抱えドアへ向かって歩き出した。
「またねー」
一方マーリンは無抵抗で運ばれながら優也へ言葉と共に手を振った。
ドアの音を最後にすっかり静まり返った部屋。そこに残された優也はまだあった疲労に寝ようかとも思ったが、残念ながら眠気は無い。仕方なくベッドから降りアモが用意した水をコップに注ぎ一気に飲み干すと後を追うように部屋の外へ。廊下に出るといつも通り左右へと真っすぐ道が伸びている。あれが夢だと分かっていたが廊下が普通であることに優也は心の中で安堵した。
そして止めていた足を左へ。そのまま進み歩いていると向こうからレイの姿が。
「よう! ぐっすり眠れ……てはなさそうだな」
優也の疲労の取れ切ってない顔を目にし途中で言おうとしたことを変更したレイ。
「嫌な夢を見ちゃってね。まだ少し疲れてるかも」
「寝ても休めないなんて可哀想なやつだな」
哀れむような双眸が優也を見つめる。
「そうだ、お前吸血鬼なんだから血でも飲んだら体調も良くなんるんじゃねーか?」
「そうかもね。でも、今は大丈夫かな」
「そうか。なら、マリねぇの横の部屋で寝ているお姫様のところにでも行って来いよ」
その顔はニヤつき明らかにからかっている。
「お姫様って……」
それに対して優也は呆れるような笑みを浮かべた。
「王子様のキスで目覚めるかもしれないぜ。大丈夫覗いたりはしないからよ」
そしてレイは意地悪な笑みを浮かべながら優也の肩を軽く叩くと行ってしまった。
「なんで僕の周りには人をからうのが好きな人しかいないんだろう」
優也はレイの後ろ姿を見ながら一人愚痴るように呟く。
「でもそのピラミッドで考えたらマーリンさんが一番上? 僕は……一番下っぽいな」
そんな事を考えながらもその足はノアが寝ている部屋へと向かっていた。
中に入ってみるとそこにはベッドの上で点滴に繋がれるノア。点滴の先には赤い血が入った輸血パックがぶら下っている。
その光景を見ながら優也はベッド近づき傍の椅子に腰掛けた。
「久しぶりだね。前会った時とは僕も変わっちゃったよ。色々と」
眠ったままのノアの顔を眺めながら優也は一人静かに笑った。
「これは助けに行く前にマーリンさんに聞いたんだけど、君が捕まったのは僕の所為らしいね。ちょっと意外だったかな」
当然ながらノアからの返事は無く、優也の声の後には静寂が広がった。
「正直に言ってこれでよかったのかな? なんて考えちゃうけど、今更考えても仕方ないし。何より君を助けられたってことに関してだけで言えばこれでよかったって自信を持って言えるよ。でもやっぱり、本当にこれでよかったのかな……」
その声が静かに消えていくと部屋の中はあっという間に沈黙が充満した。
「まぁ、話とお礼は君が起きてからにした方がいいよね。これだとただの独り言だし」
優也はそう呟くと、それからもう少しだけノアの傍で静かに座ってから部屋を後にした。
* * * * *
そして優也がノアの所にいる間、マーリンは電話をしていた。
「話と違うわよ! あれはどういうこと!? ――だけど他に何か。――そうね。……まぁいい。今回は世話になったわ。――えぇ、分かってる。今回ので借りが一つ。――大丈夫。アタシは貸し借りはしっかりするタチだから。――それじゃあ」
まるでそのタイミングを伺っていたかのように電話を終えると部屋へレイが姿を現した。
「お邪魔だったか?」
「大丈夫よ」
そう言葉を交わしながらレイは椅子に腰掛け、その向かいにマーリンが腰掛ける。
二人が座るとドアが開きアモがスイーツと紅茶を持ってやってきた。アモはレイの姿を見るや否や笑みを零した。
「どうやらもう一人誰かいるのではないかという予想が当たったようですね。お召し上がりになられますか?」
「もらおうかな」
そして二人の目の前へはパイが一切れ乗ったお皿が並んだ。それは様々なフルーツが所狭しとと乗ったフルーツパイ。二切れ分が欠けた残りのパイは二人の真ん中へと置かれた。
二人は早速、目の前に並べられたパイを一口。サクサクとしたパイ生地と色んなフルーツの味が甘さと共に口に広がった。どちらも思わず唸ってしまう程にパイの味は完璧。それからも二人のフォークは止まることなく進んだ。
そしてそれは二人が大体半分程パイを食べた頃。
「なぁ、別に疑ってるわけじゃないんだが……今回のINC本部への侵入、簡単過ぎなかったか? 警備も対応も甘かった気がするしな」
言葉の後、レイはマーリンを真剣な眼差しで見つめた。
「運と協力のおかげでしょ。あと、実はINCは本部を移動させてる最中だったのよ。引越し中ってやつね。それで体勢が整ってないっていうのもあったんじゃない?」
「それならいいんだが、何かある時は一言ぐらいくれよな」
「覚えておくわ」
「そうしてもらえるとありがいたいね」
そしてマーリンとレイは同時にパイを口へ運んだ。
「それよりあなたはこれからどうするの? 今回ので昔の事はチャラってことでいいわよ」
「どうせそっちは貸しだなんて思っても無いんだろ?」
「良く分かったわね」
「それぐらい分かるさ。――まぁ、やることもないし、もうしばらく付き合うぜ」
「手伝ってくれるって言うならお願いするわ」
「分かってたクセに」
「なんのことやら」
マーリンはわざとらしくとぼけるような口調で答えると再びパイを口に運んだ。
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