第64話
「今日はおめかししとくんやで」
もうじきお庭に出る時間かなってときに、壁さんにそう言われた。
おめかしってなあに?泥浴びでもすればいい?
「それはやめとくやで。あんま体汚したらあかんやで」
言われなくてもわかってるよ。くぅちゃんと毛づくろいしておくから。
「それがええやで。今日はようけ人が来る日やからな」
あ、そっか。
それなら体汚したらダメだよね。
わかった。
お庭に出てのんびり過ごす。
娘を連れて青草を食べてると、柵の向こうにたくさんの人が見えた。
お兄さんが連れてきたみたい。
お兄さんが柵の中に入ってきたんで、びっくりして遠くに逃げてしまった。
しばらくすると、りくくんがこんなことを言い出した。
「お母様、なんだか面白そうですね。行ってもいいでしょうか?」
するとダヨーさんも「行って遊んできたらいいんダヨー」と答える。
そうして、りくくんはお兄さんたちがいる方へ歩いていった。
お兄さんと一緒にいるのは、わたしたちをずっと見守ってくれてた人たち。
部屋の「カメラ」を通して、ずっと見てくれてる。
こんなときでもないとお礼が言えないんだけど、りくくんがいるしどうしよう……。
そんなことを考えてたら、りくくんはたくさん遊んでもらって、楽しそうな顔をして返帰ってきた。
「お母様、人間がいっぱいいるとこんなに楽しいものなのですね。ボクはとても満足です」
「それは良かったんダヨー」と、ダヨーさんも笑顔だ。
人間がいっぱいいるといいこともあるからね。人参いっぱいもらえたりとか……。
「ねえねえお母さん、あれって桶だよね?何か入ってるかもよ?」
突然、娘がお兄さんたちの方を見ながら声をかけてきた。よく見れば、お兄さんの足元に桶がある。
よし、お母さんと確かめに行こっか。
そう言って、娘とお兄さんのところに歩いていく。
桶に人参、入ってないかな~……。
すると、頭絡をお兄さんに掴まれてしまう。
娘も同じように捕まってる。
ふたりして写真を撮られたり、撫でてもらったりでたくさん遊んでもらった。
そうこうしてるうちにお兄さんたちは1歳たちのいる方へ歩いていった。
それを見送って、わたしたちも青草を食べに戻った。
「おやつもらえなかったね」
娘は少しがっかりした顔で言う。
そうだねぇ……。
期待して見に行った桶の中身は空っぽだった。
後で何かもらえるかもしれないよ?
そう言ってはみたけど、わたしも少しがっかりしてた。
人参、期待してたのにな。
それから何日か経った。
お向かいの庭には1歳の仔たちがいつもいる。
最近は「おばさんこんにちはー」って挨拶してくれる。
お姉さんなんだけどねって返事はするんだけど、どの仔も聞いてくれない。
まったくもう……と思ってると、ダヨーさんがこんなことを言う。
「仕方ないんダヨー。あの仔たちから見ればうんと年上なんダヨー」
そりゃあそうだけどさ。
でも、まだ若いつもりでいるんだけどなあ。
「あの仔たちもわたしたちぐらいの年になればわかるんダヨー」
そうだよね。
それまでみんな元気でいてくれたらいいな。
そんなことを言いながら、競馬場で一緒に走ってた馬たちのことを思い出してた。
みんな、今頃どうしてるかな……。
部屋に戻ってご飯をもらう。
最近はわたしは部屋の中、娘は部屋の前に桶を置いてもらってる。
仕切りは棒が一本だけ。
わたしがきれいに食べた後で娘の桶を見ると、まだ少し残ってるみたい。
どんなご飯が中に入ってるんだろう……。
ずっと気になってたけど、なかなか確かめられずにいた。
今日もそうなんだろうなと思ってたら、仕切りの棒が外れた。
くぅちゃん、ちょっと味見させてね。
それだけ言って、娘の桶に顔を突っ込む。
「絶対いつかやると思うてたやで。大人にはそないおいしくないやで?」
壁さんが呆れながら言う。でも、これはこれでなかなかおいしいよ?
味わって食べてたらお姉ちゃんに見つかって桶から引き離されたけど、こんなのを食べてるんだなあってわかったから、それでいい。
「ホンマにそれだけかい?桶2つ行く気満々にしか見えてないやで」
壁さんが何か言ってるけど、聞こえないフリをした。
でも、次の日から仕切りが棒から扉になっちゃった。
絶対、壁さんが何かお兄さんたちに言ったに違いない。
後できっちり蹴り上げておかなきゃね。
わたし、サラブレッド。
名前はシュシュブリーズ。
人参、期待してたのになぁ……。
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