第38話
種付けの日。
わたしは朝から燃えていた。
前にいたところに戻るんだから、きっとわたしに意地悪をしてた馬もいるに違いない。
あの頃のわたしとはずいぶん変わったところを見せなくちゃ。
時と場合によっちゃ喧嘩したっていいんだし……。
「あー、燃えてるところ申し訳ないんやが」
壁さんが遠慮がちに声をかけてくる。なあに、わたしは忙しいの。
「種付けに行くんやから牝馬のおるとこには行かんのやで。種付け場にいじめっこがいるかも知れんが、人が一緒やし手出しは出来んのやで」
あれ、そうなの?
「まあ、あとはシュシュのことを覚えてる人がいるかどうかやで。そない長居も出来んし昔話もあんまり出来んやで」
そっかぁ……。
なんだか、拍子抜けした。
車に載せられて種付けに向かう。
去年とは違って、長い時間乗ることになる。
お兄さんがわたしの鼻先に牧草を置いてくれたけど、ギリギリで届かない。
まだお腹が空いてないからいいんだけれど。
窓の外に、去年見た並木道が見えた。
去年ここを通ったときは、不安でしかなかった。
自分にも自信はなかったし、新しいとこには慣れないんじゃないかと思ってた。
でも、お兄さんやお姉さん、エミちゃんやもちこちゃん、他のみんなも良くしてくれて。
おかげでわたしらしく過ごせてる。
あの頃のわたしにこの事を教えたら、きっとびっくりするだろうな。
なんて事を考えていたら、車が止まった。
前にいたとこに着いたみたい。
壁さんの言う通りだった。
前にいたときには入ったことのない建物に連れて行かれた。
馬は何頭かいたけど、知ってるのはいない。
牧場の人たちが準備をしてくれる。なんだかドキドキしてきた。
お兄さんとお兄さんによく似た人が応援してくれてる。
あの人達のためにもがんばらなくちゃだよね。
「せやで。みんなのためでもあるし、シュシュのためでもあるんやで」
壁さんの声が聞こえた気がした。
うん。がんばって来るからね。
種付けが終わって車に戻る。
今回は鎮静剤使わなかったから、いつもと変わらない感じ。
前にいたお姉さんはいなかったけど、見たことのある人はいたみたい。
できれば、お姉さんに今のわたしを見てもらいたかったな。
帰り道は暗くて周りがよく見えない。
車の前の方でお兄さん達の賑やかな声がする。
種付けはきっとうまく行ったんだと思う。
わたしはお腹が空いてしまって、部屋に戻ったら牧草に一直線。
お姉ちゃんがニンジンを持ってきてくれたけど、まずはお腹いっぱいになりたかった。
「まったく、シュシュは相変わらずやで……」
横で壁さんが苦笑いしてた。
わたし、サラブレッド。
名前はシュシュブリーズ。
種付け、うまく出来たよ。
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