第一話 刃と琴弾き ⑤

(私がなんとかしなければならない。この国を、陛下をお守りするために……)

 王室を後にし、大宰相は政務室で今後の対応を必死で考えていた。どうすればこの危機を乗り越えることが出来ようか。ただ勝つだけではない。我が国は完全でなければいけない。

 月の国が治める地、日出づる処アナトリアには、東西に長く伸びる商路が血管のように巡っている。それが産む財貨を求めて、古来より争いの絶えぬ場所である。雪の国を排除した今、我が国と剣を交えているのは死者の率いる奢の国のみ。だがいつどこから矢が飛ぶかは知れない。だからこそ、跛王はおうを倒せるとしても、刺し違えるようなことはあってはならないのだ。


(そして、たとえ計画が綿密めんみつに建てられたとしても、それが十全に機能するかはまた別の問題か……)

 提出された報告書を広げ、情報を照らし合わせて自軍の現況を確認する。戦術以下は将軍に任せることになっているが、その大本となる戦略の決定権は大宰相が君主から直々に下賜かしされている。つまり自身の言葉は吟王の言葉、ひいては神の言葉という訳だ。従わぬ者は国賊こくぞくである、ということは当然みな知るところのものである。しかし跛王はおう再起の報がもたらした混乱の前で、そのことを忘れずにいられる者がどれ程居ようか。

 実際の所、莫迦ばかげた偽報ぎほうであると言い聞かせたところで、馬はおびえ兵はすくみ、目立った勝利を上げられずにいた。都市は消耗しょうもうし、各地では治安悪化や反乱分子の活動等の報告が多数上がっている。認めたくはないが、八方ふさがり、打つ手無し。


「なーに難しい顔してんのっ!」

「ひゃっ!」

 大宰相の鉄の表情が驚き一色になる。後ろから肩を叩いて来たのは、同じく宮中に住まう占術師の女だった。

「悪い癖よ、全部自分が背負い込もうとするのは」

「けれど、私は強くなくては。なめられたらお仕舞いなのですから」

 固いねえ、と言わんばかりにかぶりを振って、占い師は札を一つ取り出して見せた。

「朗報が一つございます」

「ちょっと、それ私の真似のつもりじゃないでしょうね?」

 大宰相は呆れ顔で友人を見た。占術師は微笑むと、香の匂いがむせるほど鉄の女に顔を寄せ、小さな声でこう告げた。

跛王はおうは必ず敗れます。新たな時代の波に呑まれ、彼方へ消えゆくでしょう」

「……あなた、ほとんど占い当たったこと無いじゃない……」

 大宰相はそう言いながらも、この女に内心感謝していた。凝り固まった思考を解すのに、必要なのは適度な脱力である。(占いのことは全くあてにしていないが、)彼女は紛れもなく、今のこの国に必要な人間だ。

(なんだか希望が出て来ちゃった。もう少し頑張ってみようかな)


 月がほんの僅か、朧気おぼろげに瞬いた日であった。

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