第三十夜

バイパスの側道の先、コンクリートの橋の下の、迫り出した一部分。

小雪なれどしぶとい夏の残党があり、そぐわぬオリオンが男の残滓を映し出す。

隠されてあった札束の山を焼いてしまうと、乾燥大麻が紛れでもしていたか、青臭い空気に満たされた。これで男の秘密は全て消えた。

巻き上がり散る煤を見やりながらのビールはある種のカタストロフィを予感させる。せめて僕の結末とならないことを祈ろう。踏み入れた以上、演じきることしかできはしない。

燃え尽きてもしばらく、焚き火の残り香が鼻腔をついた。再生の契機となれ。


ふいに人の気配がする。

こんな夜中に?

こんな場所で?

あの男だろうか。気のせいではない。たしかに、する。


気配は頭上で止まり、逡巡のさまも伝わり、しばらくして声がかかる。

「そんなところで何をしてるんですか?」


「飲んでるんですよ」

「そんなとこで?」

「好きなんですよ。ここが」


まるであの日の僕自身じゃないか。となると僕が発する言葉は自ずと決められる。

「ご一緒にいかがですか、お酒。梯子がかかっているんですよ。橋の上に金網で蓋がされてますから探してみてください。鍵? 開いてますから大丈夫」


降りて来たのは青年だった。歳の頃は20ほどか。

差し出したビールを受け取りぺこりと頭を下げるさまからは、もっと幼くも思える。

「乾杯」

例えば毒入りコーラだなんて事件もあったし、警戒するのは当たり前だろう。青年は迷う素振りを見せたが、それでも口をつけてくれた。

「あ、おいしい」

「エーデルワイスという銘の、オーストリアのビールです。こんな崖みたいな場所に生えている花の名前をとったものですよ」


「いつもこんなとこで飲んでるんですか」

「毎日というわけではないですけどね。たしかによくここにいますよ」

「ふうん、物好きだなあ」

「僕にとってこの場所は特別でしてね。街灯もなく、人通りもなく、車もそれほど通らず、星がよく見え、何よりたくさんの思い出の渦巻いているのが素晴らしい」


「よく分かんないんですけど、本当に好きなんだなってことだけ伝わりました」

「でしょうね。僕も少し酔ってますから」

「その曲、怪しいですね」

「Mike Oldfieldです。音楽が酒の肴なんです」


「おかわりをどうぞ。ほら、遠慮なんてなさらず」

「ありがとうございます。これもビールですか」

「ええ、フランツィスカーナーです。貴族のビールという異名がついているほどで、おいしいですよ」

「ちょっと甘めかも。あ、曲が変わった」

「Tracy Chapmanです。お酒によく合うと思いますよ」


「お兄さんは何をしている人なんですか」

「こんな夜にそれは無粋ですよ。言うなれば高等遊民です」

「何それ」

「小説やなんかの都合の良いキャラクターのことです」


「逆にあなたは、なんでこんな場所へいらしたんです?」

「深夜徘徊ですね」

「ありますね。そんな夜」

「あ、また曲が」

「これはErykah Baduですね」

「音楽好きなんですね」

「これが僕のお酒のアテですからね」

「すごいなあ」

「受け売りですけどね」

「音楽なんて騒ぐためのもんだと思ってました」

「それもありです。けれどこんな最高の夜には、この方が良い」


「あの、就活がうまくいかなくて嫌になってたところだったんですけど、久しぶりのお酒でちょっと楽になりました」

「僕はご覧の通りの呑んだくれですが、どうぞ、良ければまたいらしてください」

「いいんですか?」

「もちろん」


青年が去ってしまうと曲もちょうど止み、静寂が訪れた。

短時間の出来事のように思え、音楽は何曲も切り替わっていた。

次が流れ出す前に再生を停止する。もう少しだけ余韻に浸っていたかった。

眼前、僕たちの町を横切るように大きめの鳥影が飛んでいった。物音一つ立てぬそれは闇に溶け、そうか、この場所という世界の境界を越えていったのだろう。

たしかに今のこの場所の長は僕だ。

そう、今、この場所に僕はいる。

地面の焦げ跡に水をかけると、夜の最中に音を進めた。

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その場所に彼はいた 佐藤佑樹 @wahtass

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