第二十六夜

やはり、彼はいなかった。


今にも折れ、朽ちてしまいそうな三日月を肴に、持ち出した電気ブランを舐める。音楽はagraph。

意識せねば暴走してしまいそうな程、臓腑が粟立つ。

酒も曲も、理性的でありながら、熱い。


「僕は、実は存じてるんです」

あのゲームの後、口火を切ったのは僕だ。

「あなたが、一緒に横流しをしていたパートナーというのは、よくこの場所で一緒に飲んでいたという親友さんでいらっしゃいますね」

「どうしてそれを」

もう妖でない男は、面食らったように捻り出す。

「僕が知りたいのは、親友さんの失踪された真実です。そしてあなたが何を思って、夜毎、この場所にいらっしゃるか」


男はしばらく応えず、僕も倣って黙していた。

星が各々好き勝手に戯れ、僕たちなぞ置いてきぼりの夜だった。今なら山の神だって僕らに囚われない。間違いなく、この世界には二人だけだった。


曲が切り替わり、男は曲名の代わりに嘆息をし、こうして彼の懺悔は始まった。


「私は話下手なんです。どうか遮らずにお聞きください」


「おっしゃる通り、それは私の親友です。よく一緒にいました。おもしろそうなイベントがある時には街へ繰り出し、そうでない時も、ここで曲をかけ合いながら、飲み、朝まで語らいました」


「悪い物品の運び屋をして小金を稼いだことはお話しましたね。どちらが先に発案したか、いつからか、私たちは少しずつ、荷を横領するようなった。私たち自身で楽しむためでした。始めはね」


「しかし、くすねたそれを転売したり、自分たちで精製して売ったりするようなった。浅薄でした。もちろん、雇い主にばれてしまうわけです。私たちはある日、仕事だというので指定された場所へ行ってみると、たちまち組み伏せられてしまった」


「散々殴られて、聞かれたんです。さてどちらが首謀者だと」


「私たちは二人とも動けませんでした。いわゆる漢気というものではなく、萎縮していたからです。恐かったんです」


「黙ったままでいると、さらに殴られる。殴られ、問われを繰り返すうち、彼が自供しました。俺一人が計画したものです、と」


「私は悪漢たちから罵られました。お前も自白してしまえよ、格好悪いな、ずるい奴だな、と。彼は叫ぶのです。全部俺一人の所業だから、あいつは関係ない、と。今でも夢に見る」


「そうです。私は卑しく、ずるい人間です。ついぞ、名乗り出なかった。彼は一人連れて行かれた。私は、恐らく力を誇示するための贄でしょう。残された」


「それがあの時起こったことです」


男は、吸い腐し、フィルターまで達した煙草を、それでも食み、眼前を見つめる。

不思議と、虫すらいない。

もう車が通りかかることもなく、世界にはノイズミュージックだけが漂っていた。


「あの布は、その時に渡されたんですね」

「ええ、戻って来なければ弟に連絡してくれと言われ。悪漢たちの厚情だったのでしょう」

「その弟さん、電話番号の持ち主は、僕の知人です」


そうでしたか。それで。

男は目を伏せる。そこでやっと、口元から煙草を離す。


「連絡してみたのですが、繋がらなくて。言い訳ですが」

「その彼から言伝が二つあります」

「それは、どんな」

「一つ目。まだ未成年だったので、電話にフィルタリングがなされていて受電できなかったかもとのことです。そして今は番号も変わってしまっているそうです」

「そうでしたか」

「二つ目。兄の代わりに全てをゆるすと」


明かりが無くとも分かる。男は大粒の雫を溢しながら、押し殺すようにして泣いた。


希望は人の形をしている。あるいは水だ。気づかず、少しずつ、人づてに体内へ取り込まれ、僕たちに真に必要だったのは、内に秘めたそれを、認識し、掘り起こし、精錬してやることだったのだ。

それを人生と呼び、人間存在の究極の欲求として、追い求めねばならなかったのだ。


ごちそうさま。ありがとうございました。

普段より深く想いを乗せて告げ、僕は空の瓶を置く。

金蓋を押し上げてもまだ、男はこちらを見もしない。

これが永劫の別れとなるかも知れない。予感があった。けれど僕らは大人だ。酒と、音楽と、場を共有した間柄だ。彼の心はやっと、彼の元に戻り、僕のそれも、今きちんと、男が読み取ってくれているだろう。


蓋を閉めてしまうと、先ほどとは違う時間に来てしまったように錯覚した。

ちょうど曲が止まったままなのだろう。聞こえる音は何もない。

僕は振り返り、一礼して、同僚の元へと向かった。

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