第二十一夜
彼がいるかどうか、今の僕にそれを気にする余力はない。
職場の空気が良くない。同僚とは業務外の会話はなく、先輩ともぎこちない。ヒステリックのお局からの叱責は回数が増した。
ミスの挽回のためと言われ残業をこなす。ずっと机に向かって作業をすると肩が凝る。
上着のポケットに入れっ放しになっていた飴玉を見つけ舐める。
先輩の顔が頭に浮かぶ。最近は見せてくれない笑い顔。ごめんなさい。好きになっています。けれど、僕の心の求めるあの場所は、男が主なのです。あなたたちがそこに、一足飛びに同列となって侵入してくるということは、あの場所の理想を見る僕にとって、敵と等しいのです。それを排除せねば僕はもうただの人形だ。
「残業おつかれさま」
「あ、おつかれさまです、先輩」
「終わりそう?」
「はい、もう少しです」
「待ってる。終わったら、ちょっと付き合って」
そうして連れて行かれた先は瀟洒な居酒屋で、そこに同僚がいるのを目撃して、思わず先輩に食ってかかった。
「どうしてですか」
「どうしても何も、なくない? 早く仲直りしなよ」
悪いとは思っているんだ。けれど、このやり方は卑怯じゃないか。
そのうち同僚が口を開く。
「お前さ、あのハンカチ、何かあんのか」
同僚はあれをハンカチと呼ぶ。そうだとして、彼はあの場所の長たりえない。
「あのことは聞かないでください。本当に申し訳ないとは思っているんです」
「何だよそれ。怒ってねえし、ギクシャクすんの嫌なんだけど」
もう何に苛立ち、何故こじれているのかも、忘れてしまったように思う。
僕にとってあそこがどれだけ大切か。
退職して部屋で寝て起きるだけのあの頃にあって、どんなに輝いて思えたか。
「お前さあ、俺ら大人なんだから、その態度は止そうぜ」
この場所には雑多な空気しかない。寄り添ってくれる音楽もない。
心の折り合いがつくまで、ごめんなさい、もう少しだけわがままを続けさせてください。
あの場所を手にする。
僕には安寧が要るのだ。
僕は箸を置くと場を立った。
何かを言いかけようとした先輩を同僚が制する。
店内の誰もが談笑し合うなか、僕たちだけが違う。
やめろ。何を笑っていやがる。なんの笑みだ。
今夜のことはまだ続く。もう少し。もう少しだけ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます