生命の王10

 バヂンッ! という派手な音が辺りに響く。

 重たい一撃を受けたコトアマツの、咄嗟の反撃だろうか。なんにせよ花中達からの攻撃を受けたコトアマツはゆっくりとその身を傾け、ばたりと、仰向けの体勢で倒れた。

 それはとても静かな倒れ方だった。少なくとも何十メートルと吹っ飛ばされてしまった花中とフィアに比べれば。

「きやんっ!? いったた、あ、こと「ぬぐぅっ!?」げぶっ!?」

 ついでに言うと、花中は吹き飛ばされた後土手のように盛り上がった地面 ― 戦いの余波で出来たものだろう ― にぶつかって止まり、遅れて吹っ飛んできたフィアと激突して押し潰される。ただの人間だったら間違いなく『くちゃ』っとなっていた衝撃。ミュータントと化しても、かなりしんどい一撃だった。

「ぬぅぅ……あっと花中さん大丈夫でしたか? 怪我はありませんか?」

「ぶぐくくく……い……一応……」

 今押し潰された時のを除けば、という言葉を飲み込みつつ、花中は前を見据える。フィアも花中が ― 死んでいないという意味では ― 無事なのを確かめると、花中の上から退きながら同じく前を向いた。

 そしてこの場に集まった全てのミュータントが、花中達と同じモノを見つめる。

 花中とフィアの『合体技モドキ』を受けたコトアマツは、未だ倒れたままだ。痙攣どころか指先すらぴくりとも動かない姿は、一見して死んでいるようにも見えるし……寝ているだけのようにも見える。

 あのパンチは、文字通り渾身の一発だった。もしも息ピッタリの攻撃だったなら、或いはわざとバラバラの攻撃をしようとしたなら、コトアマツは即座に攻撃のパターンを解析し、攻撃の周期を理解して無力化しただろう。花中とフィアのコンビだからこそ、コトアマツに手痛い一撃を与えられたのだ。

 しかし手痛い一撃 = 必殺技とは言いきれない。

 花中だけでなく、この場に集結したミュータント全てが警戒を解いていない。はしゃぐようなモノは一匹としておらず、先程までの激戦と打って変わって静寂が周辺を支配した。

 その静けさの中では、花中が思わず飲んでしまった息の音さえも五月蝿いぐらいで。

 まるでそれが目覚ましであったかのように――――コトアマツの身体は、浮かぶように起き上がった。

「ちぃっ! まだ死にませんか!」

「こんだけ寄って集って攻撃しても、全然堪えてないっぽいわねぇ」

 フィアが悪態を吐き、ミリオンが呆れるようにぼやく。他のミュータント達も「まだ続くのか」と言いたげな様子だ。

 ただ一匹、コトアマツを除いて。

「……ふ、ふふ、ふはは。ふっはははははははははは! あーはっはっはっはっはっ!」

 彼女は笑った。心から喜ぶように。

 彼女は舞った。こうでもしないと気持ちが表せないかのように。

 彼女は花中を見た。

 生態系の頂点に君臨する魔物が、無謀にも自分の周りを飛び回る羽虫達を睨み付けるように。

「今の攻撃は予想外だったぞ! まさか余の守りをぶち抜くとはな! ならば余も少しは本気を出さねばなるまい!」

 声高に告げられた宣言。それがただの強気や、怒りに任せた言葉でない事を花中は理解している。

 事実コトアマツから発せられる力の感覚……恐らくは量子ゆらぎへの干渉だろう……は更に強くなっていた。いや、留まる事を知らないという方が正しい。今やその力は先程までの戦いの比ではなかった。

 しかしながら、戦力が先の比でないのは花中達の側も同じだ。

【シャアアアアアアアアアアアアアッ!】

 遙か彼方より響く、背筋が凍るほどに恐ろしい獣の叫び。

 振り向けば、そこには途方もなく巨大な影がある。地平線の彼方にその姿があるのに、ハッキリと『彼女』の容姿が確認出来た。細長くて手足がなく、鱗に覆われた身体をうねらせながら前に進んでいる。

 アナシスだ。南の島から援護射撃をしていた彼女が、いよいよこの地にやってきたのである。

 アナシスだけではない。フィアとよく似た容姿の少女達が五人、こっそりとこの場にやってきたのを花中は粒子の流れから察知する。それとタヌキ達の航空部隊がこちらに向けて飛んできていた。更に大型円盤……スズメバチ達の母船が二隻追加で上空に出現。巨大な砲を地上に向けてくる。

 そして花中の知らない、世界中のミュータントの力が近付いてきていた。

 コトアマツがほんの少しだけ本気を出したのと同じくして、『地球生物』も集結してきている。星の終わりを、自らの破滅を察知したかのように。

「ふふん。向こうは第二ラウンドを始める気満々のようですね。花中さん! これからどうしますか?」

 フィアも集まってくる力を感じ、まだまだ戦えると思ったのだろう。花中の方を見ながら意見を伺ってくる。

 ミリオンやミィ、清夏やゴリラ……他のミュータント達も同様だ。全員が花中に期待している。次の戦いではどんな策でコトアマツを打ち倒すのか、どんな方法でこの地球を守ろうとするのかを。

 それは、『敵』であるコトアマツも同じらしい。

 真っ直ぐ見つめてくるコトアマツに、花中は正面から向き合う。唇をきゅっと噛み、表情を引き締めた。渾身の攻撃が通じなかったコトアマツ相手に怯えも退きもしない姿勢を見せると、コトアマツはますます嬉しそうに笑みを浮かべる。

 やがて花中は、皆の注目が集まる中でゆっくりと両腕を上げ――――

「降参でーす」

 臆面もなく、その言葉を告げた。

 ……告げた後には、静寂が場を満たした。闘志に燃えていた誰もが、それこそコトアマツすらも、目を丸くしてキョトンとしている。本能に身を委ねるが故に優れた反応速度を持つミュータント達が、数秒間呆けていた。

「「「えええええええええええっ!?」」」

 そして数秒後に、全員が同じ声で驚く。

 花中がコトアマツに降参したのだと、今になって理解したのだ。

「ちょっ花中さん!? なんで降参しているんですか!?」

「えっ。だって、勝てそうに、ないし」

「いやいやいや!? いっぱいミュータント来てるじゃん! 他にもたくさん来てるっぽいし!」

「来てますけど、でも、ダメだと思います。コトアマツさん、凄く強いですし」

「……全員で挑めば、アイツぐらいはなんとかなると思うけど?」

「そうですね。あのコトアマツさんは、なんとかなるかも知れません……でも、地核の奥底に潜む方のコトアマツさんは、どうやっても、無理です」

 フィア、ミィ、ミリオンに問い詰められて、花中は自分の考えを明かしていく。その答えに三匹は口を閉じ、フィアは悔しそうに歯ぎしりをした。

 確かに、この場にはたくさんの『生物』が集まろうとしている。

 だがコトアマツの力は圧倒的だ。今、この場に居る無数のミュータントが全員同時に挑んで、ようやくちょっと傷を付けられただけ。この何十倍、何百倍ものミュータントが集まっても、倒せる可能性は半々といったところだろう。

 そうして頑張って倒したところで、コトアマツは止まらない。

 この場に居るコトアマツは、あくまで全体の中の一部に過ぎないのだ。地球の地殻に潜むもの、火星や金星を喰い尽くしたもの……それらは何をどうしたところで勝ち目などない。というより、自分達を認識してもらえるかも怪しい。

 このまま勝負を続けても、押し負けるのはこちら側だ。やっても良いが、あまり意味はない。

 だから花中は降参したのである。

 ――――無論、これで終われば先の戦いは最初から必要ない訳で。

「……念のために訊くが、余に向けて切った啖呵は忘れていないだろうな?」

 『助けてやる』と告げられたコトアマツの顔が、どんどん不機嫌になっていくのは、致し方ない事だと花中も思う。

 しかし怒りを爆発されるのは、些か早計だ。勝てないから降参したというのは、理由の一側面でしかないのだ。

 一番の理由は、今ならコトアマツを『納得』させられると読んだからに他ならない。

「勿論です。でも、その前に一つ、質問があります」

「質問?」

「コトアマツさんにとって、わたし達との『ケンカ』は……ちょっとは、でしたか?」

 花中が問うと、コトアマツは口を閉ざした。少しだけ眉間に寄っていた皺が消え、右肩上がりだった苛立ちが止まる。

「……率直に言えば、全くの想定外だった」

 やがて開かれた口から出てきたのは、花中の言葉を全面的に認めるものだった。

「確かに此処に居る余は、全体から見ればほんの一部。余の、本当の意味での本気から見れば、大海の一滴にも満たない。だが、それでもこの場に居るモノ全てを捻じ伏せるぐらい、容易い力があった筈だ」

「ああん? 自慢ですか?」

「残念ながら自慢じゃありませんわ。というか本当の意味で本気を出したら、わたくし達なんて跡形も残りませんわよ。なんやかんや、最後まで手加減はされてますわね」

 コトアマツの話に反発するフィアだが、そのフィアを窘めたのはコトアマツの友達であるオオゲツヒメ。誰よりもコトアマツの事を知る彼女の意見に、フィアは何も言い返せない。

「そんな手加減状態でもダメージなんて負う筈なかったのに、攻撃を受けてしまったんですのよね?」

 そしてオオゲツヒメは、今度はコトアマツに話を振る。

 コトアマツは鋭い眼差しをオオゲツヒメに向け、それから小さく鼻息を吐く。花中にはその仕草が、肯定の意思表示に見えた。

「そうだ。この程度の力加減でなんら問題なく全ての攻撃を防げる。そう計算していた」

「……つまり何? 計算を間違えたって事?」

「その通りだ」

「そーいうところは素直に認めるのねぇ」

 煽るようなミリオンの物言いに、しかしコトアマツは淡々と肯定。コトアマツの視線が向くのは、花中の方のみ。

 花中だけがその答えを知っているのだと、見抜くように。

「お前達の攻撃は、量子ゆらぎを掻き乱した。それ自体に不思議はない。余等の力は量子ゆらぎに干渉するからだ……だが、あの戦いの時のゆらぎは異常だった。単純な力の合算では、ああも量子ゆらぎの波形が、大きく波打つ筈がない。あの想定外の『ノイズ』が余の計算を狂わせたのだ……だが、あのノイズはなんだ? お前は、その答えを知っているのか?」

「ええ。答えというか、予想ですが」

「そしてその答えが、余を救うと? 宇宙の終焉を遠ざけるものになると?」

「そうです」

 コトアマツに、花中は面と向かって答える。自分の考えになんら恥じる様子もなく、堂々と、これしかないとばかりに。

「わたしは、あなたのように、世界をそこまで詳しくは、見えません。だけど、あの戦いで起きた力は……特に、わたしとフィアちゃんで繰り出した一撃は、多分、『量子ゆらぎの偏り』じゃありませんでしたか?」

「量子ゆらぎの偏り? なんですかそれ?」

 花中の告げた内容に、聞いていたフィアが首を傾げながら尋ねてくる。そんなフィアをミリオンが呆れた顔で見ていた。自分がどれだけの事を成し遂げたのか、その自覚が全くないところに。

 花中はフィアからの問いへの返答を待たせ、コトアマツの答えを待つ。コトアマツはしばし沈黙を挟んだ後に、ゆっくりと……頷いた。

 量子ゆらぎの偏り――――それは宇宙誕生の瞬間である『インフレーション』を引き起こしたもの。何千億もの銀河を生み、数百億光年という広大な世界を創り出した創世の現象。

 花中とフィアの一撃は、それを引き起こしていたのだ。

「コトアマツさん、以前、言っていました、よね? わたし達、ミュータントの力は、量子ゆらぎから、得ているって」

「……そうだ」

「だから、わたしは、こう考えたのです。たくさんのミュータントが場を引っ掻き回せば、もっと大きな『ゆらぎ』が、生まれるんじゃないかって」

「理屈というより感覚だな」

「今回は感覚の、大勝利でした」

 コトアマツの嫌味な言葉も、花中はにこりと笑って受け流す。

 コトアマツは少し微笑み、されどすぐに顰めた表情を浮かべた。

「だが解せない。此処に居る全員が合わせた力よりも、余の力の方が遥かに大きい。なのに余は量子ゆらぎの偏りを観測した事がない。これはどういう事だ?」

「……力を合わせるというのは、単に、二つのものを、一つにするだけじゃ、ありません」

「単純な合算じゃない?」

「そうです。自分と、全く違う力が合わさる事で、大きな変化が、あります。時には打ち消し合って、何も残らない事もありますけど、複雑に絡まって、自分達すら予測出来ない、そんな力になる事だって、あるんです」

 あなたを倒した、わたしとフィアちゃんの攻撃のように。

 その言葉を発さなかった花中であるが、しかしコトアマツは察するだろう。考え込む顔に、花中の言い分を否定する雰囲気はない。

 それでも未だ、納得はしていない様子。

「つまり、みんなで手を取り合って頑張ろうと? そうすれば良い案が出てくると?」

 花中の言いたい事はこれかと、コトアマツは問う。

 花中は、首を横に振った。

「いいえ、今のみんなが、手を取り合っても……多分、宇宙は救えません」

「ならばなんだ、お前の言う宇宙の救い方とは」

「……えっと、実のところ、わたしには、宇宙の救い方は、分からないです」

「何?」

 花中の発言を受け、コトアマツから感じられる力が一層高まっていく。その上がり方は留まる事を知らない。

 際限なく強まる力。花中とコトアマツの話を静かに聞いていたミュータント達が、一斉に臨戦態勢を整える。

 一触即発の状況だ。コトアマツが動けば、否、僅かでもその力を、ミュータント達は一瞬で攻勢に転じるだろう。

 それでも花中は慌てない。ここまでは予想通りなのだから。

「わたしがあの戦いで、示したかったのは、あなたの知らないものを知る方法は、あなたが計算するだけでは、得られないという事です」

 そしてこの緊迫も、この言葉できっと多少は治まると踏んでいた。

 思惑通り、コトアマツが発していた力はゆっくりと静まる。合わせるように周りの気配も、落ち着きを取り戻しつつあった。

 戦いの気配が遠退いたところで、花中は自分の考えを明かす。

「あなたは、自らの演算能力を強化すれば、宇宙の破滅を、回避する方法を、見付けられると、考えました。でも、焦って考えたら、一つの事ばかり見てしまって、答えに、辿り着けないかも、知れません。あなたが、わたしと、フィアちゃんの攻撃が、どれほどのものになるか、分からなかったように」

「……解せんな。そこまで考えながら、みんなと手を繋いで考える訳ではないとは、どういう事だ?」

 首を傾げるコトアマツ。どうやら本当に花中の言いたい事が分かっていないらしい。

 それこそが花中の考えを裏付ける。だから自信が持てる。

「競わせます。世代を超えて」

 自分が思い描いていた、途方もない計画を。

 最初、コトアマツは何を言われたのか分かっていないようにキョトンとしていた。しばらくしてようやく気付いた時、その目を大きく見開く。

 そしてコトアマツは、驚きと喜びを混ぜ合わせた笑みを浮かべた。

「……生物進化を観察するのか!」

 辿り着いたコトアマツの答えに、花中はこくりと頷いた。

 この場に集まったミュータントは、全部で十五種類。

 とても多いようであり、事実この多種多様な能力が量子ゆらぎをしっちゃかめっちゃかにした事が、コトアマツの『敗因』である。多彩な能力の絡み合いが、コトアマツすら予想の出来ない『量子ゆらぎの偏り』を生み出したのだ。

 されど彼女達は、この星に棲む生命のほんの一部でしかない。

 この星に暮らす生物種は人類が発見したものだけで凡そ二百万種以上、未発見のものを含めれば一千万~数千万種も存在すると言われている。そしてそのどれもがそれぞれの生活環境に適応し、進化してきた。一つとして同じ種は存在しない。

 もしも、その全てがミュータントになったなら? そしてミュータント同士の生存競争が繰り広げられ、新たな進化が促されたなら?

 何千万という数の『量子ゆらぎの使い方』が生まれるのだ。

「生物の進化は、予測不可能です。一つの問題に対し、ランダムな形質で、チャレンジし、偶然上手くいったものが、生き残るのですから。寒さという、一つの環境に対してすら、零度以下にならない水中に潜る、凍らない体液を持つ、その時期だけ暖かな地に渡る、恒温性を持つ……様々な選択肢を、取るぐらい」

 この世で起きるあらゆる現象が、かつて宇宙を誕生させた『量子ゆらぎの偏り』が姿を変えた結果であるならば、それに対するアプローチは『見方』の違いだろう。それはつまりたった一つの現象であったとしても、たった一つの事実をもたらす訳ではないという事。見方を変えれば様々な事実を物語り、一面からでは決して全てを教えてはくれない。

 計算による解析は、あらゆる角度の見方を、全てを解き明かすのだろうか? 花中はそう思わない。その解析は『コトアマツ個人』の視点で行われるものであり、自分だけでは思い込みから脱出出来ないからだ。ある行き詰まりに対し、自分だけでは別の見方なんて出来ない。多様性がなければ、本当の世界なんて見えないのだから。

 だけど。

 ランダムな変異という『意思』が関与せず、どんな突拍子のないものでも結果さえ出れば採用される、そして他者との関係により際限なく多様化していく生物ならば。その生物の中でも、宇宙の根源である真空のエネルギーに触れられるミュータントならば……多様化と進化の果てに、この宇宙を構成する『全て』の見方を導き出すかも知れない。

 そしてこれをコトアマツの能力により解析・習得・強化すれば、彼女はこの宇宙の全てを見通せるだろう。全てが見えてしまえば、どのような干渉を、どの程度の力で行えば、どのような事象が起きるのか理解出来る。

 つまり宇宙を操る方法さえも理解出来るという事。

 これこそが花中の提示する『コトアマツを救う』方法だった。

「……本当に、ミュータントならば、この宇宙の全てを解き明かせると思っているのか?」

「分かりません。ですが、あなたの計算よりは、マシだと、示したつもりです。わたしとフィアちゃんの攻撃すら、満足に予想出来ないのですから、もっと多様になって、もっと色んな力が表れたなら……凄い事になりそうとしか、言えないじゃないですか」

 コトアマツから問われ、花中はイタズラっ子のように笑いながら答える。

「それとも、もっと凄いインフレーションを起こさないと、信じてくれませんか?」

 次いで今度は、花中の方から尋ねた。

 花中の周りに立つフィア達から、強い闘争心を感じる。この場に集結した誰もが、コトアマツともう一戦交えるのも厭わぬ意思を示した。それは即ち先のフィアと花中のように、自分達の力を合わせて『宇宙創成』をする気満々であるという意思でもある。

 相対するコトアマツは――――快活に笑った。

「ふっはははははははは! はっはっはっはっはっ……この余を説得するためだけに

インフレーションを起こすか! あっははははははははは!」

 コトアマツは笑う。顔に手を当て、大きく仰け反り、心から喜ぶように。

 もうコトアマツに敵意はない。どれほど大きくても、敵意のない力は恐れるに足りず。ミュータント達からも段々と力と闘志が抜けていった。元より警戒心を抱いていない花中であるが、コトアマツから力が抜けたのを見て一層身体から力が抜けた

 瞬間、コトアマツが花中に肉薄してくる。

 意識の隙間を突かれ、花中は身動きが取れない。コトアマツは素早く手を伸ばし――――しかしなんの敵意もないため、花中は大人しく自分の手を掴まれた。

「良いだろう! 今日からお前を我が友と認め、その提案を受け入れよう!」

 そしてコトアマツからの、待ち望んでいた言葉を真っ正面から受け止める。

 そう言ってくれると信じていた。信じてはいたが、コトアマツの口から直に聞けば心がざわめく。心のざわめきは身体に伝播し、むずむずと全身が震え出す。

 ここではしゃぎだしたら、あまりにも子供っぽいとは思う。だけど地球の危機を回避したのだ。このぐらい喜ぶのは、誰だってやるに違いない。

 理性という名の堤防は呆気なく崩壊。

「ぃ……やったー!」

 気付けば花中は、ぴょんっと跳ねて喜んでいた。

「え!? やったの!?」

「ええ、そうみたいね」

「なんだか知らないけどやったー!」

 花中の喜びは彼方まで伝わり、ミュータント達も嬉しさを露わにする。衝撃波染みた歓声が広がり、世界中の生命が、地球の危機が回避されたと知ったに違いない。

 死が避けられたのだ。これが嬉しくない筈がない。

「むっすぅぅぅ……」

 ただ一匹、花中の一番の親友かつ、花中を独り占めしたいぐらい大好きなフィアを除いて。

 コトアマツと手をつないでいる花中を、フィアは背中から抱き締めてくる。それもかなり強く、普通の人間だったらメキメキと骨が軋むぐらい。

 コトアマツと花中が友達になった事が、余程気に入らないのだろう。花中としてはもう慣れっこだが、コトアマツとしては恐らく初めて向けられる感情。理解が出来ないのか、コトアマツはキョトンとしながらフィアを見る。

「なんだ? 余に何か用か?」

「花中さんは私の一番の親友です! あなたなんかお呼びじゃないのです! しっしっ!」

「……? ほう、成程。所謂嫉妬とやらをしているのだな。余に対して嫉妬とは、分を弁えないにしても程がある」

 正直に己の気持ちをぶつけるフィアに、コトアマツは明らかに煽るような笑みを浮かべた。星をも喰らう魔物にも恐れず感情を露わにする、親友の向こう見ずなところに花中も思わず苦笑いしてしまう。

「おめでとう、花中ちゃん」

 そんな苦笑いが笑みに変わったのは、背後から声を掛けられてから。

 振り返った花中の目に映ったのは、口許を手で隠しながら歩み寄るオオゲツヒメだった。

「あ、大月さん。えと……ありがとうございます。あなたのお陰で、ここまで、来られました」

「あら、わたくしは何もしていませんわよ?」

「ふん、いけしゃあしゃあと。裏で手引きしていたのは貴様以外にあるまい」

 素知らぬ顔で答えるオオゲツヒメに、コトアマツがにやりと笑いながら問い詰める。コトアマツは目を逸らしたが、手の隙間から見えた口許は三日月のように歪んでいた。

 恐らく、オオゲツヒメは最初からこうなる事を計画していたのだろう。

 ミュータントの力が量子ゆらぎ由来なのは、きっとコトアマツから聞いている筈だ。そして人類と同等の知性があるのだから、人間社会、ひいては人類科学に精通していてもおかしくない。なんらかの拍子に『インフレーション理論』と『量子ゆらぎの偏り』の存在を知り、花中が即興で閃いたアイディアを既に考え付いていた可能性がある。いや、「花中にならなんとか出来る」と応援してきたのだから、それぐらいは既に考え付いていた筈だ。

 花中達を唆した理由は、地球を守るため、というより美味しいものを守るためにか。全てオオゲツヒメの手の上の出来事だとすると、花中としては少し釈然としない。

 しかし何より釈然としないのは。

「……大月さん。なんで、わたしとコトアマツさんが友達になるよう、仕向けたのですか?」

 何故わざわざ『友達になる』という、を挟んだのか。

 戦わせる事は理解する。実践してみせなければコトアマツは納得などするまい。しかしそれならさっさと戦わせてしまった方が良いのではないか。

 その疑問を視線と共にぶつければ、オオゲツヒメは肩を竦めながら答えてくれた。

「理由の一つは、この子にとって友達とは『自分を成長させてくれたもの』だけだから」

「自分を、成長させたもの?」

「そう。わたくしも五百年ぐらい前、ちょーっとアドバイスした事がありますの……お陰でこの子、星をも喰らう強さになっちゃいましたけど」

「一体何を言ったんですか……」

 さらっと此度の事変の元凶だと語られ、花中は笑みが引き攣る。予想していたよりもオオゲツヒメはとんでもない存在だと知り、花中は身体がぶるりと震えた。

 しかしオオゲツヒメの話はまだ始まったばかり。ぶるってる暇はない。

「二つ目の理由は、本気になってもらわないと流石に勝ち目がないと思ったから」

「……地球が終わると知ったら、誰でも本気になると、思うのですが」

「あら、そうなんですの? てっきり花中ちゃんは優しいから、地球の危機だなんだというより、相手に同情した方が力が出ると思ったのですけど」

 なんとなく言い返してみれば、何もかも見透かされた答えを返される。

 花中は大きく肩を落とし、ため息を吐く事しか出来なかった。想像以上に何もかもが、この少女の掌の上の出来事だったらしい。おまけに失敗しても自分は助かるのだから、なんとも気楽な話である。ぶっちゃけ少しズルい。

「うふふ。そうふて腐れないで。頑張ったご褒美に良い事教えてあげますわ」

 花中のそんな気持ちもお見通しと言わんばかりに申し訳なさそうに見える笑みを浮かべながら、オオゲツヒメはコトアマツを見遣る。視線に気付いたのか、コトアマツは目をパチパチさせながらオオゲツヒメの方へと振り向いた。

「コトちゃん。あなた、お前と貴様以外の言葉だと、わたくしをなんて呼んでいまして?」

 顔を合わせたコトアマツに、オオゲツヒメはそう問う。

「? だろう? 何故わざわざそれを問う?」

 そんなオオゲツヒメに、コトアマツはなんとも可愛らしい呼び方で答えながら彼女に問い返した。

 その問答を横で聞いていた花中が固まったのを見て、オオゲツヒメはくすくすと笑い声を漏らす。

「くく……あなた、本当にその呼び方変わりませんわねぇ」

「ふふん。親愛を含ませつつ、名を与えるという威厳を見せ付けるための行いだ。王たる余のセンスに恐れ慄くと良い」

 オオゲツヒメの軽口に、コトアマツは胸を張って答えた。その姿に皮肉や自虐はなく、むしろ褒め称えろと言わんばかりの自信が滲み出ている。

 つまり本心から威厳ある呼び方と思って、コトアマツはオオゲツヒメを『ヒメちん』と呼んでいる訳で。

「じゃあ、花中ちゃんはなんと呼ぶつもりですの?」

「ん? そうだなぁ……かなぷんはどうだ? ふふん、名付け親である余の偉大さをひしひしと感じるだろう?」

 だとしたらきっと、『かなぷん』などという間抜けな――――花中を抱き締めているフィアすら呆れた表情を浮かべる名前も、本当に自分の偉大さを示せると思っているに違いない。

「……ぷ、ぷふ……ぷくくくく」

「? かなぷん、どうした?」

 なんとか笑いを堪えようとしていた花中だったが、よりにもよってコトアマツの手により止めを刺される。開いた口からは、今までにないほど大きな笑いが出てしまう。

 地球を喰らう魔物の、なんとも惚けていて可愛らしい一面。

 それを知る事が出来ただけで、この子と友達になれて良かったと、花中は心から思うのだった。

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