生命の王3
「余は飽いたぞ」
昼食時が終わり、更に時間が経った午後二時頃。唐突にコトアマツはそう独りごちた。
キッチンにて食器を洗うなど、昼食後の後片付けをしていた花中は少なからず戸惑った。何故ならコトアマツは花中の顔をじっと見つめながらその発言をした訳で、それはつまり花中に向けてこれを伝えようとしたという事だからだ。花中の後ろには抱き付いているフィアが居て、そのフィアは不満を零したコトアマツに怪訝な表情を向けている。
飽いたとはなんの事か? 現状から想像される理由は一つだけ――――花中の観察だ。どうやら思っていたような『動き』がなくて、飽きてしまったらしい。
しかしながら花中とコトアマツが出会ってから、まだ三時間も経っていない。確かに植物や昆虫の幼虫に比べれば、哺乳類である花中はよく動く方だろうが……三時間かそこらで面白い『生態』を披露する事を期待されても、割と困る。なんとも短気な女の子だ。
とはいえ、飽きたのならさっさと帰れ、等とキレて追い払う訳にもいかない。おっとりぽわぽわ系思考の持ち主である花中にはそもそもそんな発想がないのもあるが……コトアマツと地核に潜む『何か』の関係性を解き明かす事は、未だ出来ていないのだ。現時点でコトアマツは地核に潜む『何か』を探る唯一無二の手掛かり。もしも彼女が帰ってしまうような事があれば、地球の命運を左右する強大なパワーの正体が謎のままとなりかねない。帰られるとむしろ花中の方が困ってしまう。なんとかして引き留めたいところだ。
「えっ、あ……え、えと……」
「何か隠し球があるなら今のうちに言え。それから披露してみろ。面白ければもう少し観察する」
「か、隠し? その……て、テレポートが出来」
「つまらん。じゃあ帰るか」
しかし戸惑っているうちにコトアマツから問われ、反射的に答えた内容では気を惹けず。コトアマツは身を翻し、本当に帰ろうとしてしまう。
「ふん。さっさとお帰りなさい。しっしっ」
コトアマツの力を感じ取っているであろうフィアは、コトアマツに対し露骨な嫌悪の言葉を投げ掛けた。コトアマツはフィアの悪態などまるで聞こえていないかのように無視しており、だからこそその足を止めようともしない。
フィアからすれば、追い払おうにも追い払えない輩が去ろうとしているシチュエーション。心から喜んでいるに違いない。されど花中にとって、これはあまり良くない展開だ。何か言って引き留めねば、とは思うのだが……先程答えられなかったものが、ほんの数秒で答えられるようになる筈もなく。
「あら、もう飽きちゃったんですの?」
もしもコトアマツの『友達』であるオオゲツヒメが尋ねなければ、コトアマツの足を止める事は叶わなかっただろう。
何時の間にかキッチンに忍び込んでいたオオゲツヒメ。花中はビクリと怯えながら、フィアは敵意のこもった鋭い眼差しと共に振り向き、されどすぐに一人と一匹は呆けた顔になる。
何しろ今のオオゲツヒメは、まん丸ぷくぷくに膨れ上がっているのだから。文字通りボールのような体型であり、避難所の住人達に一発で人間じゃないとバレてしまう姿だ。多分本能のまま白饅頭を食べた結果なのだろうが、どれだけ白饅頭の肉を気に入ったのかと、花中としてもちょっとツッコミを入れたい。
そんな気持ちを抱いたのは花中とフィアだけでなく、オオゲツヒメの友達であるコトアマツも同じらしい。コトアマツは明らかに顔を顰め、友達の醜態に嘆きの表情を見せていた。
「お前なぁ……食べるのが好きなのは構わないが、もう少し節度を持たないか?」
「美味しいものはたらふく食べる。それがわたくしのモットーですわ! あと満腹感に勝る幸せなんてありませんわよー」
「ほんとお前は簡単に幸せになるな。その点については心底羨ましいぞ」
「こーいうのは心の持ちようですわ」
窘めるコトアマツだが、オオゲツヒメは持論を展開。心の強さは流石のもので、コトアマツの言葉にも動じない。説得の通じない友の姿に、コトアマツは可愛らしく唇を尖らせた。
コトアマツとオオゲツヒメが、どうして友達なのかなんて花中には分からない。
ただ、彼女達が心から親しい関係なのは、花中にも理解出来た。コトアマツの正体は分からないが、オオゲツヒメとの圧倒的な力の差からして生物種は異なる筈。されどその仲は社会性動物である人間同士よりも深く、されど共生関係の生物のような事務的な感じがない。本当に、彼女達は心から仲良しなのだろう。
まるで自分とフィアのような関係に思えて、花中は二匹の間柄に少し親近感を覚えた。フィアの方はといえば、花中を抱き締める力が増している。きっと二匹の仲良しぶりに、負けるもんかと意地を張っているのだ。それは意地を張れば『勝てる』という自信の表れでもあり、つまりフィアはそのぐらい花中と仲良しだと確信している。フレンドリー大好きな花中にとって、これ以上ないほど嬉しい扱いだ。自然と口許が弛み、柔らかな笑みが浮かぶ。
「あなたは人間の料理とか娯楽について、もっと広く学ぶべきですわ。知らないままなんて、勿体なくってよ」
更にオオゲツヒメから人間文化への『お褒めの言葉』を頂けば、ちょっと照れてしまう。無意識に花中の顔は笑みによってくしゃくしゃになっていき、
「知ったところでなんになる? 適当な時期に余がこの星を喰らい尽くす事は伝えただろう?」
コトアマツがさらりと語ったこの言葉で、何もかもが凍り付いた。
ホシヲ、クライツクス?
コトアマツが語った言葉を、花中は頭の中で反復させる。読み方や漢字を変えて、読み替えも試みた。何かの比喩ではないかと考え、遠回しな解釈も試みた。
しかしどれだけやっても、何をやっても、一つの意味しか受け取れない。そしてその意味は、これまで気にしていたあらゆる事柄を『些事』にしてしまう。
星を喰らい尽くす。
地核に潜む何かと同じ気配を持つコトアマツがそれを語ったのだから。
「え、あ、こ、コトアマツ、さん……? その、ほ、星を喰らうって……ど、どういう、意味ですか……?」
「そのままの意味だが? この星を形成する元素全てを余の一部とする。まぁ、余の唯一の友であるコイツは別だが」
「ごめんなさーい」
思わず口に出ていた言葉を、コトアマツは否定も誤魔化しもせず、淡々と認めた。オオゲツヒメも知っていたらしく、これまで秘密にしていた事への謝罪か、両手を合わせながらぺこりと花中に向けて頭を下げる。
きっと、コトアマツは嘘など吐いていないのだろう。
だからこそ花中は精神的に大きなショックを受けた。彼女は本当にこの星を、人間だけでなく何百万という種が生きているこの惑星を、完全に喰らい尽くすつもりなのだと分かったのだから。そしてコトアマツから、地核に潜む『何か』と同じ力が発せられている事を思えば……世界を喰い尽くすという所業さえも、さして難しいものではないと感じさせる。
現実味のある終焉に、花中の心臓がバクバクと鼓動を強めた。頭は段々と白くなり、思考が回らなくなっていく。
しかし完全に塗り潰される前に、花中は頭を振りかぶった。
出来るという事と、やろうという事は別物だ。花中がその力を使えばこの避難所の人間を一人残らず殺せるが、そうするどころか出来るだけ人々を守ろうとするように。
コトアマツが星を喰らい尽くすからには、相応の理由がある筈だ。
「ど、どうして、そんな、事を……」
まずは理由を確かめよう。未だ動揺している胸を両手で押さえながら、花中はコトアマツに尋ねる。
常に自信に満ち溢れている少女は、花中の問いに表情一つ崩さない。
「余の演算能力を強化するためだ。一つ解決したい問題があるのだが、現時点の余の演算能力では不足があってな。そのため地球そのものを余の一部とするのだ」
語られた言葉には一片の罪悪感もなく、むしろ誇らしげな有り様だった。
演算力とは、ものを考える力の事だろうか。だとしたら演算力を強化するために星を喰らうとは……自分の頭を良くするために、地球全てを文字通り血肉に変えるという事になる。あまりにもスケールが大きく、あまりにも身勝手。価値観が違い過ぎて、意味すら分からない。
唯一分かるのは、彼女は己が起こそうとしている行動に、なんの罪悪感も躊躇もないという事だけだ。
「花中さん花中さん。あまり難しい話は分からなかったのですがひょっとするとこれは地球のピンチというやつですかね?」
流石のフィアも、コトアマツの語った話に危機感を覚えたらしい。花中は無意識に、こくりと頷く。
「成程……これは困りましたねぇ」
するとフィアは本当に困ったように、ぽつりと独りごちる。
並の相手であれば、フィアなら「じゃあここで始末しましょう」ぐらいは言い出す。それを言わないのは、彼女もコトアマツの実力を察しているからに他ならない。
刃向かえばその瞬間に殺される。
しかし彼女を止めねば、地球という星が消えてなくなる。
一体、どうすれば良いのか。再び頭の中がぐちゃぐちゃになり、花中は口を開く事すら満足に出来なくなる。フィアも意見しても無駄と思っているのか口を閉ざし、考え込むばかり。
「むぅ。やっぱりその計画、止めてくれませんの?」
だから、それを問えるのは花中でもフィアでもない。
コトアマツ自身が友だと語る、オオゲツヒメだけだった。
「くどい。余はやると言ったらやる。お前の頼みでもこれだけは譲れん」
「いけずぅ」
「いけずで結構。大体地球だけ残しても意味がなかろう。太陽も他の惑星も、全て喰らってやるのだからな」
「それはそうですけどぉ」
「というかお前のために人間の遺伝情報は保存して、何時でも人間の肉を再構成してやると言ってるじゃないか。何が不満なんだか」
「不満に決まってますわ! 人工物より天然物の方が、とは限りませんけど、味が全然違いますもの!」
「どちらも変わらんだろ。成分は完璧に再現出来るのだからな」
「そうじゃありません! 作り手の真心が大事なんですの! 全く、これだから効率至上主義者は困りますわ。浪漫と感動をなーんにも分かっていない」
「あぁん?」
オオゲツヒメとしばし会話を交わしていたコトアマツだが、不意に怒りを露わにする。
ミュータントすらも瞬殺するであろう気配。余波だけで花中はビクリと身体が跳ね、震えてしまう。フィアも本能的にか、闘争心を戦闘時のそれに高めていた。
しかしオオゲツヒメ、この殺気にも堪えず。むしろぷくっと頬を膨らませる余裕まで見せ付ける。
「聞こえませんでしたの? だったらもう一度言ってやりますわ。この効率至上主義の無感情事務員!」
「じ、事務員!? 貴様、王であるこの余に向けて……」
「大体王とか名乗ってますけど、臣民も何もいないじゃありませんの」
「ふん。余が王である事に他の信任など必要ない。王にたる力を持つからこそ、余は王を名乗っているのだからな」
「寂しい王ですわねぇ。本当は王様どころかただのビビりの癖して、呆れてものも言えませんわ」
「なんだと!? 事務員呼ばわりのみならずビビりとはいよいよ許せん!」
「許せないならどーするんですのぉ? まさか暴力なんて王様らしくない真似、しませんわよねぇ?」
「き、貴様ァ! 余を愚弄するかぁ!」
「してやりますわよバーカ!」
「馬鹿って言う奴が馬鹿なんだぞ! 馬鹿馬鹿ばーかっ!」
「だったらあなたはわたくしの三倍バカですわーっ!」
ぎゃーぎゃーわーわー、なんとも子供染みた口ゲンカが始まった。
先程までの殺気はなんだったのか。前振りと明らかに異なるケンカの形に、花中だけでなくフィアも呆ける。一人と一匹の視線を受けるコトアマツ達は、しかしこちらの事などお構いなし。頭空っぽで感情的な言葉をぶつけ合うばかり。
ただ、花中の客観的な視点で語るならば。
オオゲツヒメの興奮の仕方が、どうにも演技臭いような……
「じゃあ、あなたの計画が実行可能になるその日までという事で良いですわね!?」
「ああ良いとも! どーせ計画に変更はないからな!」
「結構! あ、それと何処かに逃げ隠れたり、無視して時間を稼ぐような狡い真似をするんじゃありません事よ!? 誘われた事には全て参加なさい!」
「言われずともやってくれるわ! あまり余を見くびるでない!」
考え込んでいるうちに、何やら話が進んでいた。コトアマツとオオゲツヒメは何かを約束し合うと、息を合わせたように同時にそっぽを向き合う。
こんな時でなければ仲睦まじいと思わせる姿を見せる二匹。そのうちの一匹であるオオゲツヒメが、花中の方にズカズカとやってくる。
「ちょっと付き合ってくださいまし」
そしてそう言うと、答えを待たずに花中の腕を掴んだ。
「え? えと、なん」
「良いから来なさい!」
「は、はひっ!?」
「あなた花中さんを怖がらせるのは止めてもらえませんか。殺しますよ?」
強い言葉に押され、思わず返事をしてしまう花中。フィアが殺意を露わにするが、オオゲツヒメは動じる素振りすらない。ぐいぐいと花中の腕を引っ張る。
花中は引かれるがままオオゲツヒメの進む方へと歩き、フィアは花中に抱き付いたままピッタリと寄り添う。
キッチンに残るのは、不機嫌になっているコトアマツだけ。
花中はちらりと、コトアマツが居る後ろを振り返る。コトアマツは今も怒っているのか、拗ねるように花中達に背を向けた状態で胡座を掻いていた。子供っぽい姿は微笑ましさを覚えさせるが、放たれる気配はやはり強大無比。その力を感じた状態では、到底和やかな気持ちなど抱けない。
けれども、その背中を見て花中は思う。
なんだか、心細い感情があるような気がして――――
……………
………
…
「……うん。これぐらい離れれば良いかしら。本気で聞き耳立てられたなら、地球の裏側に行っても無意味ですし」
キッチンから百メートルは離れた、避難場所の端にて。オオゲツヒメはようやく花中から手を離す。
避難所の端とは、つまり『開拓』が進んでいない領域。辺りにはもう一月以上前の出来事である、ムスペル事変時の地震で崩れた建物の瓦礫が積み上がっている。勿論所詮はコンクリートやら材木の集まり。その気になれば花中でもフィアでも、簡単にこれらの物は退かせる。が、退かしたところで建てる施設の予定もないし、退かす場所も決めねばならない。むしろバリケードのように、野生動物の侵入を防ぐ壁として利用されていた。
とはいえあくまで地震により積み上がっただけの瓦礫であり、しっかりと組まれた石垣ではない。何かの拍子に崩れるというのは十分あり得る話であり、基本この付近に立ち寄る人は殆どいない。今も周りには、花中達以外の姿はなかった。
考えようによっては、オオゲツヒメは人気のない場所に花中達を連れ込んだ、と受け取れる。
「で? こんな場所に連れ込んで何を企んでいるのです?」
少なくともフィアは、オオゲツヒメが何か悪巧みしていると思っているらしい。今もフィアは花中に抱き付いているが、その抱き付く力が強くなり、警戒心を強めているのが花中にも分かる。去年の四月頃オオゲツヒメに食べられそうになった花中も、彼女が何をするつもりなのか分からず不安を覚えた。
一応今の花中はミュータントとしての力に目覚め、かなり強大な『戦闘能力』を有している。殺し合いが出来るような野性的メンタルは有していないものの、自衛のための戦いならばどうにか可能だ。そこにフィアが加われば、『ただのミュータント』であるオオゲツヒメに勝ち目などない。
ミュータントなら相手の力量を推し量る力がある筈なので、それはオオゲツヒメ自身が一番分かっているだろう。だとすれば自分を食べるためではないと花中は考えるが、そうするとますますオオゲツヒメの真意が分からない。
やがてオオゲツヒメはくるりと、花中達の方に振り返る。何を語るのか、何をするのか。見極めようとして花中はオオゲツヒメの動きを注意深く観察し、
申し訳なさそうにぺこりと一礼する姿を目の当たりにした。
……予想外の行動に、花中はポカンとした表情を浮かべてしまう。フィアもその行動の意図が理解出来なかったのか、眉間に皺が寄っていた。
困惑する花中達に、オオゲツヒメは少し気分の落ち込んだ声色で話し始める。
「ごめんなさい、わたくしの友達がご迷惑をお掛けして」
「へ? あ、えと……」
「全くです。もしあの話が本当ならば地球の終わりじゃないですか。迷惑どころの話じゃないですよ」
花中が言い淀んでいると、フィアが本音をそのままぶちまけていた。その本音は確かに花中も思っていなかった訳ではないが、面と向かって言うつもりのない言葉。まるで自分が失言してしまったような、罪悪感にも似た焦りが花中の胸を満たす。
幸いにしてオオゲツヒメはこれに怒らず、むしろ「本当にねぇ」と同意してくれた。
「それはわたくしも思いますけど、あまり悪く言わないであげてくださいな。あの子、アレで結構小心者なんですのよ」
「小心者ねぇ。傲慢が剥き身で歩いているようなもんだと思うのですが」
「見栄っ張りなのですわ。或いは、臆病なのを隠そうとしているだけかも」
友達が傍に居ないのを良い事に、割と酷い事を語るオオゲツヒメ。しかしジョークを言っているようでもない。少なくともオオゲツヒメとしては、本当の事を話しているつもりだと花中は感じる。
だとすると、コトアマツは本当に小心者なのだろうか? そしてコトアマツをそう称するという事は、オオゲツヒメは知っているのだろう。
コトアマツが何故地球を喰らおうとしているのか、どうしてそこまでして演算力を強化しようとしているのか……その根源的な理由を。
「……大月さん。教えて、くれませんか。どうしてコトアマツさんは、地球を……この星を、食べようと、しているのですか?」
意を決して尋ねると、オオゲツヒメは空を軽く仰ぐ。
しばし考え込むような沈黙を挟んだ後、オオゲツヒメは花中の顔を見てくすりと笑う。
「死にたくないんですわ、あの子」
次いで語られたのは、そんな一言。
生き物としてはある意味平凡な感情。まさかそのような言葉が語られるとは思わず、聞かされた花中は意味を読み解くのに時間が掛かって固まってしまう。
尤も、理解した後もしばし固まっていたのだが。あまりにも俗っぽく、そしてそれがどうして地球捕食に結び付くのかまるで理解出来なかったが故に。
「……え? 死にたく、ない?」
「そう、死にたくないんですの」
「はぁ。そりゃまぁ誰だって普通は死にたくないでしょうね。というか一体どうやったらアイツを殺せるのか皆目見当も付かないのですが」
「そうでしょ? もうね、あの子ったら花中ちゃんが勇猛果敢に見えるぐらいのビビりなんですもの。見栄っ張りな上に意地っ張りで小物なんだから……まぁ、だから強いんですけど」
呆れるように尋ねるフィアに、オオゲツヒメは同じく呆れた様子で同意する。あまりにもあっけらかんとした肯定故か、フィアはオオゲツヒメの意見にあまり疑問を抱いていない様子だ。
反面、花中の頭は混乱の極地にあった。
死ぬのが怖い。それはどんな生物でも……自覚しているかどうかを別にすれば、それこそ細菌や植物だって……抱くであろう感情。一部には我が身を子供達に捧げたり、子を守るために身を挺したりする種も存在するが、それは『より多くの子孫を残す上で合理的な選択』だから行われる本能である。生物は自分の得にならない死を選ばない。
だからコトアマツが死を嫌うのは、生物としては極々当然の反応である。されどフィアが言うように、一体どんな事象ならばコトアマツを殺せるというのか。コトアマツから感じる力が花中の思う通りのものならば、彼女は水爆が何千発直撃しても無傷だろうし、巨大隕石をデコピン一つで押し返すだろう。超新星爆発やブラックホールのような宇宙最強クラスの天文現象ならば或いは――――と考えてみたが、何故か死ぬイメージが湧かない。むしろ逆に喰らいそうなぐらいである。
そんな彼女が死を恐れるというのは、小心者や臆病という評価を通り越して、異様にしか感じられない。どうしてそうなるのか理解が及ばず、それが酷く不気味な感覚を花中に覚えさせた。
「そこで花中ちゃんにお願いした訳ですの。後は任せましたわ」
そうして不安になっている最中に、オオゲツヒメから頼まれ事をされてしまった。感情的に不安定だった花中は、反射的にこれを断ろうとして
ふと、気付く。
――――そこで花中ちゃんにお願いした訳ですの。
何故過去形なのだろうか? 花中はオオゲツヒメに何かを頼まれた覚えなど、全くないというのに。
「ああ。あの時の売り言葉はそういう意味でしたか。何を血迷った事を言ってるんだと思いましたがそのような裏があったとは。あなた実は全然冷静だったのですね」
困惑する花中に、更に拍車を掛けるのが納得するフィア。どうやらフィアには心当たりがあるらしい。他人の話なんてろくに聞かないフィアが。
分からないのは自分だけ。なんだか無性に恥ずかしくなり、花中は頬が赤くなる。このまま足下の地面を粒子分解し、地下数キロ地点まで掘った穴に入りたい。が、聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥という先人のありがたい御言葉があるのだ。ここで物理的に潜れば一生の恥確定である。
「あ、あの……ど、どういう、意味でしょうか……?」
恥を忍んで訊いてみれば、オオゲツヒメはキョトンと首を傾げる。
次いでポンッと手を叩き、花中が何も分かっていない事を察したらしい。ニコニコと、可愛らしい子供を愛でるような眼差しを向けながら、ゆったりとした言葉遣いで話す。
「あらあら、ごめんなさい。花中ちゃん、聞き逃していたんですのね」
「おや珍しい……訳でもないですか。花中さん割とよくボーッとしてますし」
「ご、ごめんなさい……」
「気にしなくでくださいな。そもそもわたくし、花中ちゃんには面と向かって説明していませんもの」
「ですねー。あのコトアマツとかいう奴と口ゲンカしてる時に言ってただけですし」
恥ずかしがる花中を宥めるオオゲツヒメと、可愛がるように花中の頭を撫でるフィア。
二匹の話から察するに、オオゲツヒメの『頼み事』はコトアマツとオオゲツヒメのケンカ中に交わされた話らしい。思い返せばあの時、花中は考え込んでいた。それで話を聞き逃していたようだ。
自分の失態を猛省しつつ、花中はオオゲツヒメから気が逸れぬよう意識して彼女の顔を見つめる。見られているオオゲツヒメは、ニコッと微笑み、こう答えた。
「わたくし、コトちゃんに啖呵を切ったんですの。花中ちゃんとしばらく付き合ってごらんなさい、きっと友達になりたくなりますわよって。そしたらあの子、良いだろうその賭け乗ってやるーとか言って、簡単に釣れたんですの」
イタズラっ子のように笑いながら語るオオゲツヒメの説明に、花中はポカンとなる。
言いたい事はなんとなく分かる。つまりオオゲツヒメはコトアマツに、大桐花中とは一緒にいると友達になりたくなるような『面白い』奴だと紹介した訳だ。そしてコトアマツはその挑発に乗り、しばらくの間花中と共に暮らす事にした。
花中としては嬉しい事である。危うく帰るところだったコトアマツを引き留め、もうしばらく付き合ってくれるのだ。コトアマツから地核に潜む『何か』について探ろうとしていた花中にとって、実に有り難い展開と言えよう。
されどそれが今までの、コトアマツによる地球滅亡とどう結び付くか分からない。
狼狽えていると、オオゲツヒメはちょっと困惑した素振りを見せる。どうしてこれで理解しないのだろう? そう言いたげに眉を顰めた後、思い出したようにオオゲツヒメはポンッと手を叩く。
「つまりコトちゃんが地球を喰い尽くす準備が整う、一月ちょっとの間に花中ちゃんがコトちゃんと友達になれば、地球は助かるという話ですわ♪」
そして今度はとても分かりやすく、要点を纏めてくれた……纏めてくれたが、それは花中の理解の手助けにはならない。
何しろ何故か自分が地球を救う話になっているのだから。
「……え? え、ええええええええっ!? え、な、なん……!?」
「あの子、あれで『お友達』になった子には結構甘いんですの。だから花中ちゃんがお友達になって、地球を壊さないでって説得すれば、もしかするとお願いを聞いてくれるかも知れませんわよ?」
「なんとまぁ投げやりですねぇ。大体友達のお願いを簡単に聞くのなら何故あなたの頼みは断るのです?」
「頼みましたわよ。でも今回はあの子も本気だから、わたくしだけの説得じゃ聞かなくて。あと正直地球外生命体の味にも興味があるので、地球が壊れてもそれはそれって感じですし」
「花中さんコイツ絶対真面目に説得してませんよ」
フィアの意見に激しく同意し、花中は非難の眼差しをオオゲツヒメに向ける。尤も、オオゲツヒメがこんな程度で怯むような繊細な性格な筈もないのだが。むしろちょっぴり意地の悪い、何かを企んでいるような表情を浮かべる始末。
「友達にさえなれば、きっとなんとかなりますわよ。友達になる事がそもそも大変なんですけどね」
「う、うぅ……」
「ちなみにわたくしに他の案はありませんので、何かありましたら仰ってくださいな。良い案かどうかは、わたくしも一緒に考えますから」
「うううぅ……」
オオゲツヒメの話に、花中は何も言い返せない。代案があるかといえば何もなく、むしろオオゲツヒメのお陰で首が繋がったのは間違いないのだ。彼女を責めるのはお門違いというものである。
ただ、一つ思うのは……
「あ、あの……」
「うん、なんですの?」
「あの……もしも、わたしがコトアマツさんと、期限内に、友達になれなかったら……」
おどおどしながら尋ねる花中に、オオゲツヒメは微笑んだ。そんなに心配する事はないと言わんばかりに。
「勿論地球滅亡ですわ♪ 最初からそういう計画ですもの」
ただしその心配するなという励ましは、「失敗しても事態が『悪化』する訳じゃない」という意味でしかない。
つまり、この星の命運は花中がコトアマツと友達になり、説得出来るかどうかに掛かっているという事になった訳で。
「……きゅぅ」
「あらあら?」
「おや。久しぶりですねぇ」
地球の存亡を背負い込む事になった花中は、呆気なく自らの意識を手放してしまうのだった。
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