超越種8

 身体が熱い。

 この熱さが胸の中を渦巻く激情によるものなのか、それとも本当に身体が発熱しているのか。その区別はいまいち付かないし、今の花中には付ける気にもならない。そんな事が分からなくても、必要なものは全てのだから。

 感情が爆発してから、世界が一変した。

 見える。指先から頭の中までの『全て』が。

 見える。自分を取り巻く大気の動きが。

 見える。苦労して築き上げたものが何もかも瓦解し、途方に暮れる人々の姿が。

 見える。自分だけでなく大切な人まで傷付き、けれども泣き叫ぶ事しか出来ない人々の慟哭が。

 見える。傷だらけになった今でも立ち上がり、自分の欲しいものを全力で守ろうとする親友の姿が。

 見える。

 わたしの姿を見て心底嬉しそうな笑みを浮かべている、胸の中を満たす怒りの元凶の姿が。

「……はは! ははははっ! そうか、ボクを倒すか! それはまた勇ましい事だよ!」

 星縄は大いにはしゃいでいる。一体何がそんなに楽しいのか、彼女はどうしてこんな酷い事をしたのか……疑問は残るが、今はどうでも良い。その話は良いのだから。

 今やるべきは、星縄の狼藉を食い止める事。

 そしてそれを可能とする力が、今の自分の身体に宿っている事を花中は理解していた。

「その言葉がただの強がりか、確信のあるものなのか、確かめさせてもらおうかな!」

 星縄が何かを言いながら、こちらに手を向けてきた。

 瞬間、身体に感じる強い力。

 星縄が能力を使っている。どうやら花中の身体を勢いよく突き飛ばすつもりらしい。しかも殆ど手加減していないようだ。なんの抵抗もしなければ、花中の身体は時速数千キロという超音速ですっ飛ばされるだろう。言うまでもなく生身の人間がこんな速さで飛べば、その瞬間に身体はぐちゃりと潰れるし、ましてや瓦礫などの障害物に命中すれば流星の衝突と同様の破壊を周囲に振り撒きつつ蒸発する。何もしなければ花中の死は避けられない。

 そう、何もしなければ。

 花中の身体は微動だにしなかった。小学生のように小さな身体が仰け反るどころか、大地を踏んでいる足が一センチ後ろに下がる事もない。髪の毛一本揺らめかず、あたかも何も起きていないかのような平静を保っている。

 されどこれは星縄の能力が不発だった訳ではない。

 その証拠に花中の周りでは、まるで爆発したかのように大地が吹き飛び、捲れ上がっていたからだ。一瞬にして数百トンの土砂が超音速まで加速、花中の後方に吹っ飛んでいる。瓦礫も落ち葉のように飛び、舞い上がっていた。花中と花中の足下だけが、不気味なほどなんの変化も起こしていない。

 星縄の攻撃を花中は、今度はこっちの番だとばかりに自分の片手を前へと突き出す。

 ただそれだけの動きで、星縄は音速を超えた速さで後方に吹っ飛ばされた!

「ぬお……!? ふ、はははは! ふははははははは!」

 花中からの『攻撃』を受けた星縄は、一瞬驚きと苦しみの表情を浮かべた。が、すぐに不気味なほど高揚した高笑いを上げる。

 次いで彼女は、空高く飛び上がった。

 ジェット戦闘機など比にならない超スピードの加速だ。ただの人間では一瞬にして星縄が空高い位置まで瞬間移動したように見えるだろうが……今の花中には全てが『見』えている。星縄の飛行速度が秒速十七キロ第三宇宙速度以上という出鱈目なものである事も、彼女が凡そ高度五十キロ地点にて静止している事も。

 どうやら自分が来るのを待っているらしい。そう判断した花中は星縄が浮遊している空を仰ぐ。

「ぐ……花中……さん……何を……」

「フィアちゃん、後で説明するよ。だから今は、休んでいて」

 水球の中で瀕死にも拘わらず尋ねてくるフィアを、花中は一旦制止する。水球の中のフィアは口を閉じ、困惑したような雰囲気を見せた。

 そんな親友に、花中は柔らかに微笑む。

 これまで何度も向けてきた、ふにゃっと蕩けたような笑み。けれどもその笑みにはこれまでにはない、確固たる『自信』が含まれていた。

「後は、わたしがなんとかするから」

 次いで花中の口から出る、確信に満ち溢れた言葉。

 次の瞬間、花中は自らの意思で大空へと

 文字通り瞬きする間もなく、花中の身体は高度五十キロまで上昇した。花中よりも先に高度五十キロ地点で待機していた星縄は、驚きましたと言いたげに大仰に身を仰け反らせる。その顔には今も満面の笑みが浮かんでいた。

「おお! 凄い! ボクより断然速いじゃないか! 練習も何もしていないのに!」

「……星縄さん。事情を、聞かせてくれませんか。どうして、こんな酷い事を、したのですか?」

「いやいや、それはさっき話しただろう? 新人類として旧人類が持っている資源を」

「本当の理由です」

 これまでと同じ答えを返そうとする星縄を、花中は強い言葉で牽制する。

 星縄は騙ろう語ろうとしていた口を閉ざし、微笑みを浮かべた。胡散臭くもなくて、残忍でもなくて、喜びでもなくて。

 ほんの少しだけ、申し訳なさそうな笑みだった。

「そうだねぇ……」

 今度の星縄は少し考え込む。ただし本当に少しだけ、僅かな時間だけの話だ。

「ボクを徹底的に打ちのめせたなら、話してあげようかな!」

 星縄の返答は拒否。

 直後、星縄は超音速まで加速して花中に突撃してくる!

 『念力』により自らの身体を動かしたのだ。同時に、その身に纏う空気や身体にも能力を及ぼしている。花中の『目』はその事象を正確に捉え、星縄が何をしているのかを寸分の狂いなく理解した。

 だから止め方も分かる。

 花中は手を前に突き出す事すらしない。ほんの少し、己の能力を用いれば……星縄の正面に『空気の壁』が現れた。星縄がフィアの攻撃を防いでいたのと同じもの。

 音速の何十倍もの速さで飛来した星縄が、花中から数十センチ離れた位置で壁と激突。花中との接触が敵わなかった星縄だが、しかし彼女の笑みはまだ崩れない。それどころか好奇心を一層強めたような、イタズラを企む子供に似た感情を笑みに含ませる。

 刹那、花中が展開していた空気の壁が消えた。

 何が起きたのか? 花中の『目』は自分の身の回りで起きた事を見逃さない。

 花中の周囲から空気そのものが消えたのだ。星縄は『念力』の力で花中の周りにある大気分子全てを彼方へと押しやり、半径百メートルを真空状態に変えたようである。花中が展開した空気の壁も、壁ごと遠くに吹っ飛ばされてしまった。

 空気で壁を作るのなら、その空気を周辺から吹き飛ばせば良い。なんとも強引であるが、極めて合理的な方法でもある。それに完全な真空状態は生身の人間にとって極めて危険だ。酸素が存在しないため窒息するのは勿論、体表面の水分が蒸発して深刻なダメージを受ける。

 ところが花中の組織は乾燥する事はおろか、酸欠で苦しむ事もない。

 平然とし続けている花中を前にして、星縄は驚きも何も覚えていない様子。ここまでは予想通りと言いたげな反応だ。

 当然だろう。花中だけでなく、これだけなら星縄にも似た芸当は出来る筈なのだから。例え、その根本的な方法は違っていたとしても。

「ならこれはどうかな!」

 空気のない中で、星縄は能力を発動。

 花中達から更に数百メートル離れた地上から、何かが飛び上がる。花中が『目』で確認してみれば、それは小さな『機械』のような人工物……一辺十センチ程度の四角い金属塊だと分かった。

 ただの人間には、少なくとも外から観察するだけではこれ以上の事など知りようがないだろう。しかし今の花中であれば、その機械がどんなものであるかも分かる。例えば内部に……『ウラン』と『三重水素』があるという事も。

 超小型水素爆弾。

 つまり飛んでくる四角い機械は、手のひらサイズの水爆という事だ。よもやこんな小型水爆が実用化されていたとは。星縄がどうやってこの超兵器を入手したのかは不明だが、今は問い詰めている暇などない。

 小型とはいえ仕組みとしては通常の原水爆と同じく、ウランによる核爆発で三重水素を核融合させ、莫大な熱を生み出すというもの。中心温度は数億度に達し、一瞬にしてあらゆるものがプラズマと化す。総出力はちっぽけなものだが、局所的には十分な破壊力である。ましてや四方八方、全方位から起爆させられたなら、かなり

 『念力』で小型水爆を弾き返せば……一瞬そう考えたが、これは出来ない。此処は避難所近くの上空だ。弾き返した小型水爆が避難所の上に落ちようものなら大惨事になってしまう。それに爆発すれば核融合の起爆剤として使われた放射性物質が拡散し、避難所の人々に放射線被害が生じかねない。爆発を起こせば反応と高熱により大半の放射性物質が『崩壊』するので、実のところ放射線被害は左程広範囲には広がらないのだが、それでも避難所から十キロは離さなければ不味い。

 どうするべきだ? 花中は己の頭をフル回転させて策を練る。されど花中が感知した小型水爆はどれも音速を超えた速さで飛んでいた。花中の下まで飛んでくるのに一秒と掛からない。

 瞬きする間もなく、小型水爆は花中の至近距離まで接近。全方位から飛んできたそれが花中の周り一メートル内に入った

 瞬間、小型水爆はその姿を消した。

 文字通り消えた。跡形もなく、痕跡すら残さずに。

「――――何」

 これには星縄も驚きを示した、のも束の間の出来事。

 何故なら星縄が驚いてから間髪入れず、彼方より放たれた閃光が星縄の目を刺激したのだから。

 星縄は花中に向けていた視線を、無意識といった様子で閃光が放たれた方へと移す。

 その方角にはもう、強烈な閃光は見当たらない。けれども空を飛ぶ花中達から数十キロは離れた位置の、高度百キロほどの高さに漂う灰色の煙は確認出来た。幅数キロにも渡って広がる煙は、その煙を生み出したエネルギーの大きさを物語る。

 小型とはいえ『核兵器』でもなければ、あのような爆発の痕跡は残せまい。

 それは花中の至近距離まで接近し、されど忽然とその姿を消した小型水爆が、事を意味していた。

「おいおい……一体、君は何をしたんだい?」

 星縄が呆気に取られた様子で尋ねてくる。

 もしも『念力』でただ飛ばしただけなら、忽然と消えるようなスピードは出せないだろう。あの力は高速で物を動かすのには向いていない。精々星縄が花中の傍まで小型水爆を運んできた時のような、音速を超える程度が限度だ。

 されどミィのような凄まじい怪力で投げたのなら、機械なんて空気抵抗により簡単に壊れてしまう。あの力も『物を高速で動かす』という点では実のところ全く向いていない。

 念力でもない。怪力でもない。ならばどんな力で、小型水爆を遙か彼方まで瞬時に移動させたのか?

 無論花中は何が起きたか知っている。小型水爆を遙か彼方まで飛ばしたのは、花中自身なのだから。

 だから花中はありのまま答えた。

「ちょっと、亜光速まで加速させただけです」

 自分のした事など、大したものではないとばかりに。

 星縄は目を丸くし、それからにやりとした笑みを浮かべた。されど頬からは冷や汗と流れている。

 花中の告げた話がジョークや例え話ではないのだと、ちゃんと理解してくれたようだ。

「それなら、これはどうかな!」

 しかし未だ戦いを諦めた訳ではない。星縄は大きく両腕を広げる。

 すると数十キロも離れた足下の地上が、唸り声のような音を奏でた。

 続いて地上にて起きたのは、地上を埋め尽くす無数の瓦礫が浮かび上がるという異常事態。瓦礫は音よりも速く飛行し、星縄と花中が浮かぶ高さまであっという間にやってくる。その量は、星縄の背後数十キロに渡って瓦礫の雲が出来るほど。

 花中はこの光景を既に見ている。自分の前に広がる光景が、最初に見た時のものより遙かに巨大である事もすぐに理解した。

 フィアの防御を打ち破り、瀕死に追い込んだ『竜巻』。星縄はあの恐るべき力を自分に放とうとしているのだと、花中は予感する。

 予感は的中した。

「行けっ!」

 星縄の掛け声に合わせ、浮かび上がった無数の瓦礫が花中目掛け押し寄せる!

 瓦礫は瞬く間に散開。物量に任せて花中を包囲し、全方位から迫り来る。空を飛んで逃げようにも、瓦礫の量があまりに多く、小柄な花中が抜け出すほどの隙間もない。

 無論ただ取り囲むだけで済むなら、今の花中の身体ならば恐れるに値しないが……星縄は両手に更に力を集めた。

 星縄の力に呼応し、花中を取り囲む瓦礫達が渦を巻くように動き出す。『念力』により守られている瓦礫達は、超音速で蠢いても決して砕けない。渦は外の空気を引きずり込み、時には吐き出し、包囲網の中の気圧を滅茶苦茶に乱高下させる。花中との距離を詰めるほど瓦礫同士の密度が上がり、擦れ合いから生じた静電気が束となって雷撃へと変化。一撃で人間を炭化させる電流と雷鳴が辺りを飛び交う。おまけに瓦礫同士がぶつかり合った際の摩擦熱の影響か、気温までもが急激に上がり始めた。

 フィアを倒したものと同じ、恐怖の災厄。それが花中にも襲い掛かろうとしている。

「さぁ、これをどうやって、切り抜けるんだい!?」

 その様を前にした星縄は、好奇心を露わにしながら両手を強く握り締めた

 時には、花中は既に星縄の背後に立っていた。

「……え?」

 星縄が呆けた声を漏らした、その頃になってようやく瓦礫の渦は収縮する。一秒と経たずに瓦礫は密集し、数平方キロメートルに散らばっていた瓦礫達がほんの数百メートルの『塊』となった。あれほどの高密度と質量、更に雷撃や熱で絶え間なく削られたなら、水爆すら耐える防御が破られてもおかしくない。

 中に誰かが居ればの話であるが。

「三手、遅いですよ」

 花中が声を掛けると、星縄は音速に等しい速さで後退。一旦距離を開けようとする。

 けれども移動した先には、既に花中が漂っていた。星縄の目の前にはにも拘わらず。

「なっ!? え、な……!?」

「ですから、遅いです」

 振り向いた瞬間浮かべていた笑みを完全に消し、ただただ驚愕している星縄を花中は煽る。しかし星縄は激昂などせず……たらりと、額に冷や汗を流すのみ。何度か後ろを振り返るが、もうそこに『最初』の花中の姿はないというのに。

 今この時、花中は一人だけ。

 一人だけにも拘わらず、星縄は大きく仰け反りながら後退。ひっきりなしに視線をあちこちに動かし、先程までとは比にならないほどの警戒心を露わにしている。軽口ばかり叩いていた口は、くしゃくしゃに歪んでいた。

 星縄の心を見通すような力は、花中には備わっていない。

 だが表情を引き攣らせながら右往左往し、その身を大きく仰け反らせた姿は、明らかに恐怖心を抱いていた。得体の知れない存在を前にして、自分の行いを後悔しているようにも見える。

 花中はそれを申し訳ないとは思わない。大切な、一番の親友を傷付けた彼女がとても自分を怖がったのなら、それはむしろ本望というものだ。

「『遊び』は終わりましたか? なら、今度は……わたしの番ですよ」

 そして花中の怒りは、こんなものでは収まらない。

 花中が星縄を睨み付けた瞬間、星縄の周りに突如として『金属の槍』が無数に現れる!

「っ!? な、これはっ……!?」

 驚く星縄だったが、暢気に感想を漏らす暇を与えるつもりなど花中にはない。

 ――――行け。

 花中の意思に答え、『槍』は星縄目掛け射出される! 音速の数十倍という速さで迫り来るそれは、星縄の胴体を正確に狙っていた。

 星縄は素早く腕を上げ、空気の壁を作り出す……が、『槍』は壁にぶつかるや回転を始め、壁を貫かんとする! 星縄は慄くように仰け反り、壁をぶち抜いた『槍』を辛うじて回避。

 されどこれはまだ一発目。

 星縄を狙う『槍』は、まだあと二十三本残っているのだ。立て続けに二本の槍を放ち、それらも壁を貫通。星縄はこれも躱すが、頬にうっすらと切り傷が出来る。

「ぐっ! こ、のおおおおおっ!」

 三本目の『槍』が頬を掠めた瞬間、星縄は猛々しい叫びを上げた。握り拳を作り、身体を大きく反らして力を込めれば……周辺の気温が一気に上昇し始めたではないか。それも数十度なんてものではなく、何百度、何千度もの超高温だ。

 恐らくはミリオンの能力の模倣か。星縄を狙う『金属の槍』は高温により溶け、液体となって大気に飛び散る。無論その液体は数千度に達しているのだが、真っ正面から灼熱の液体を浴びても星縄は平然としていた。どうやら物理的衝撃がなければ、なんとでもなるらしい。

 このままでは星縄にダメージを与えられない。

「止まれ」

 だから花中は、発した言葉と同じ事を念じた。

 その瞬間、世界が凍結する。

 星縄が数千度にまで加熱した大気が、刹那のうちに絶対零度まで下がったのだ。

 星縄は身を反らしたまま、凍結していた。固体化した酸素により全身が青く染まり、吼える女性の彫像のように固まる。

「……っ……ぬああアアアアアアッ!」

 しかしながら大気を加熱したように自身を加熱した星縄は、自力で凍結を解除出来た。激しく熱せられた星縄の身体からは朦々と煙が立ち昇り、力の加減を誤ったのか所々肌が焦げ付いている。半分自爆のようなものであり、星縄の負ったダメージは決して小さなものではない。

 対する花中はこの絶対零度の空間の中で、凍り付く事もなく平然と浮遊している。身体が焦げる事は勿論、眉一つ動かさない。

「っ、だったらこれはどうだい!?」

 淡々としている花中に向けて、星縄は突撃。どんどん距離を詰めてくる。

 ついに花中と肉薄した星縄は、花中の両肩に掴み掛かり、そのまま押してくる!

 花中の身体は後退……否、地上に向けて押し出された。このまま星縄に押され続ければ、いずれ大地に激突だ。

 星縄のパワーは凄まじく、まるで流星のようなスピードとエネルギーを有していた。『念力』で自身の身体を強化したのか? 違う、あの力ではここまでの怪力とスピードは出せない。

 ミィの能力を模倣したのだろう。恐らくは『念力』により空気を固め、その固めた空気を圧倒的身体能力の蹴りで打ち出した……といったところか。星縄の体重は人間レベルなので、超高重量を誇るミィほどのパワーは出せない筈だが、しかしそれでも驚異的な力だ。地上に叩き付けられたなら、その衝撃により巨大なクレーターを生成し、大量の粉塵を巻き上げるだろう。

 それはきっと、今は遠くに逃げている避難所の人達、そして近くで弱っているフィアにとって恐ろしい衝撃となる。

 ならば、むざむざ叩き付けられる訳にはいかない。

「……むぅっ」

 地上まであと数百メートル。その地点で花中もまた星縄の腕に掴み掛かり、前に進もうとする。

 ただそれだけで、今度は星縄が花中に押される番となった!

「なっ!? 何、ぐぅ!?」

 押し返された星縄は呻きを漏らし、上空三十キロまで一気に持ち上げられた! そこで花中は一旦星縄を解放し……空中でくるりと舞うように、星縄にキックをお見舞いする。

 これまでの花中なら、渾身のキックをしたところでちびっ子一人泣かせられなかっただろう。

 しかし今の花中の蹴りは、自分よりずっと大柄な星縄の身を高度百キロに存在する熱圏まで打ち上げた!

「がふっ……この……!」

 『念力』により空中で方向転換した星縄は、再度花中目指して突撃

 したのも束の間、瞬きする間もなく目の前にやってきていた花中を見て僅かに硬直した。

 その隙を突き、花中は星縄を思いっきりビンタをお見舞いする! 子供一人泣かせられなかったへっぽこな掌は今、高高度を飛行する超生命体を地上目掛けぶっ飛ばすほどの打撃力を有していた! 星縄の身体は大気を切り裂き、音よりも何十倍も速く飛んでいく!

 直撃すれば大地を砕き、地域の環境すらも変えかねない攻撃。星縄は止まる事も出来ず、地上に叩き付けられた。

 だが、爆風も衝撃波も生じない。

 まるで落ちてきたのがただの小石の類であったかのように、星縄の墜落は音も震動も起こさなかった。地上では砂埃一つ舞わず、静寂が保たれている。

 されどそれは星縄が無傷である事を意味しない。

「ぐぎ、が……あが……!?」

 地上と背中から激突した星縄は、白目を向きながら痙攣。己の身に受け、駆け巡るエネルギーに苦悶の表情を浮かべる。

 これでも死には至らず、数秒ほどで

立ち上がるまで回復したが……やがて星縄は膝を付き、息を乱す。明らかにダメージが回復しきれておらず、消耗していた。

 対して花中は、熱圏からふわりと舞い降り、悠々と着地する。表情こそ硬いが、これは星縄への怒りによるもの。まるで八時間たっぷり睡眠を取ったかのように、身体で感じる疲労はない。

 花中は星縄と向き合う。星縄も花中と向き合う。

 このまま戦いを続けても、勝敗は覆りそうになかった。

「まだ、戦うつもりですか?」

「ああ! 戦うさ! こんな、こんな程度でボクを止められると思うかい!? まだまだこんなものじゃない! まだ、こんなものじゃ……」

「いいえ、あなたの力は『こんなもの』です」

 闘志を剥き出しにする星縄に、花中が告げたのは冷淡な侮蔑。

 星縄は悔しそうに歯噛みし、なんの反論もしてこない。出来る訳がないのだ。その『事実』を理解した花中に言ったところで、負け惜しみにしかならないと分かっているが故に。

 あらゆる能力を模倣する。

 聞けば、確かに凄まじい能力のように思える。しかし世界とはそんな万能を許すようには出来ていない。

 なんらかの能力を得るには、独自にして専門的な器官が必要なものだ。空を飛ぶためには翼が、土の中を掘り進むには硬くて鋭い爪が、水の中を泳ぐには大きなヒレが。そのような器官を持たない生物が力を真似たところで、そのための身体を持つ生物種には到底敵わない。形を変えて真似すれば匹敵はするだろうが、あくまで匹敵するだけ。しかも獲得した形質によっては、別の能力が使えなくなる事も起こり得る。飛行するための病的な軽量化と、強靱なパワーを得るための充実した高重量化が、両立不可能であるように。

 即ちあらゆる力を使えるという事は、使という事になるのだ。実際星縄が模倣した力は、ミィほどの怪力はなく、ミリオン未満の高熱しか発していない。フィアを捻じ伏せる事が出来たのは、フィアの本体よりも星縄の方が遙かに大柄で、故にパワーで大きく上回っていたからに過ぎないのである。

 事実星縄の『念力』は、今の花中の『念力』には遠く及ばない。それこそが花中の推測を裏付ける証拠だ。勝てる相手は自分よりずっとパワーに劣る、遙かに小さな相手だけ。自分より大きなものには為す術もなく、逃げ惑う事しか出来ない。

 こんなのが『万物の霊長』の能力とは、片腹痛いにも程がある。

「……ああ、そうさ。これがボクの、人間の限界だ」

 花中がそんな侮蔑の眼差しを向けていると、星縄がぽつりと呟いた。

「だから! だから君の力を見せてもらうんだ! 今ここで! ボクを、人間を超える力というものを!」

 そして堰を切ったかのように、叫びながら語り掛けてくる。

 どれほど大きな声だとしても、ただの叫びでしかない。衝撃波なんて飛んでこないし、脳の神経を弄られるような感覚もなかった。

 だけど……必死な想いが込められた言葉は、『超生命体』と化し、どんな攻撃も平然と受け止めてきた花中を後退りさせる。

「星縄、さん……あなた、は……」

「見せてみろ! 君の本気を! それを見るまで、ボクは倒れる訳にはいかない!」

 星縄の想いを知ろうとする花中だが、それを拒んだのは星縄自身。星縄は全身からオーラのようなものを発し、すると大地が地響きと共に揺れ始めた。

 この辺りの土地を、完膚なきまでに破壊するつもりか。

 花中の本気を見るためなら、本当にどんな事でもするつもりのようだ。きっと言葉でどれだけ説得して、泣き叫んで懇願しても、星縄は止まってくれない。半端な力で『無力化』しても、星縄は『気合い』で何度でも立ち上がるだろう。

 彼女を止めるには、本気を見せるしかない。

 揺れる世界の中で、花中は大きな息を吐く。ほんの数秒だけ俯き……再び顔を上げた時、花中は覚悟を決めていた。

 見せよう、自分の本気を。それ以外で星縄が納得してくれないのならば致し方ない。

 『本気』を見せるために、花中は星縄から自分の周りへと意識を集中させた。周りの景色すら見えなくなるほど集中すると、新たなもの――――自分を取り囲む『元素』が見えてくる。

 物に触れる事なく動かす。

 それは言葉にすれば、なんともちっぽけな印象を受ける能力である。星縄ほどのパワーがあれば強大に思えるだろうが、大出力レーザーを放つ能力や、物質を吸収する能力と比べれば些か『地味』だろう。

 しかし念力の本質は、決して地味なものではない。

 触れずにものを動かすとは、即ち万物を構成する『粒子』に干渉するという事。分子だろうが原子だろうが、素粒子も何もかも操るという事に他ならない。

 それは即ち、『なんでも出来る』事を意味する。

 物体の粒子を動かせば、物を空中浮遊させたり、遠くまで吹き飛ばせる。原子の結合を弛めればプラズマと化し、或いは陽子の数を弄くり回せばどんな元素も自在に生み出せる。粒子の運動エネルギーである『熱』だって花中の支配下だ。自らの構成元素を操れば、その身を無敵の強度まで高める事も可能である。

 更には肉体を粒子レベルまで分解して亜光速で飛べば、傍目には『瞬間移動』したかのように見えるだろう。或いは身体の一部だけ別の場所に飛ばし、人の形を形成させれば、分身のような真似事だって出来る。

 自分以外の生物を構成する元素は生物の意思により動かされるため、『捕捉』も『予測』も出来ず、直接は操れないが……そうでない物質なら、どんなものでも思うがままだ。万物を生み出し、破壊し、操るこの力は、神の力と呼ぶに値する。

 そして神の力を最大限活用するには、最もシンプルな形でのが一番。

 花中は真っ直ぐ、己の指先を星縄へと向けた。

 次いで全神経を周りの『観測』に費やす。今の花中の『目』には全てが見えているのだ……大気中を自在に飛び回る大気分子の軌道も、飛び交う素粒子の軌跡も。

 それらの動きを、能力によりほんの少しだけ変える。

 分子も原子も素粒子も、花中の指先に集結する。本来ならばあり得ない密度まで集結した粒子達は、互いにぶつかり合い、その運動エネルギーを与え合う。運動エネルギーの流れもまた能力によりコントロールすれば、ある特定の粒子だけがどんどん加速していく。

 個々の粒子はとても小さく、軽量だ。だから例え光速の九十九パーセントまで加速したところで、精々遺伝子を数個破壊して発ガン性を高めるのが限度。単発では人間相手に知覚出来るダメージを与える事すら叶わない。

 だけどその粒子の数を増やせば?

 その粒子を絶え間なく放ち続ければ?

 ……それは亜光速で衝突する質量攻撃と変わらない。人類が生み出したどんな兵器・科学技術よりも強烈な『攻撃』であり、それでいながら全力で石を投げ付けるのと同じである『野性的』な力。

 そして花中の指先は煌々と光り輝いたまま――――星縄に向けられた。

「……素晴らしい」

 ぽつりと、星縄が独りごちる。

 花中の耳はその声を聞き逃さない。

 その上で花中が選んだのは、

「これで、止めです」

 己の力を星縄に見せ付ける事。

 花中の意識に連動し、集結した粒子が亜光速で、同じ方向に進み始める。花中が撃ち出した粒子は莫大な運動エネルギーにより直進先の大気分子や素粒子を弾き飛ばし、弾き飛ばされたそれらは衝突時の衝撃で崩壊。エネルギーを光や熱という形で放出し、眩い輝きとなって亜光速粒子の軌跡を縁取る。

 と、小難しい言葉で飾ったが、要約すれば『直径数メートルほどまで拡散する極太の光線』。

 花中の指先から放たれたそんな光の濁流は、星縄の全身を易々と飲み込むのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る