第十八章 語らない予兆

語らない予兆1

「温泉に行こぉー!」

 やたら滅多にハイテンションな声で、加奈子がそう訴えてきた。

 放課後を迎えた校内。六月に入り梅雨を迎えたが、今日も太陽が燦々と照り付けている。時刻は午後三時を過ぎているが気温は三十度を超え、かなり蒸し暑い。教室内には加奈子以外にも十人ほどの生徒が居たが、多くが額にじんわりと汗を掻いていた。

 梅雨に入ったが、最初の頃にしとしとと降ったぐらいで、あとは今日のような晴天が続いている。気温も日に日に高くなり、今では夏日ばかり。毎年毎年異常気象だなんだと言われる昨今だが、今年の梅雨は何時も以上の『異常気象』になっていた。

 気候の異常は日本だけの出来事ではない。アメリカに季節外れのハリケーンが襲来したり、ドイツが異常な乾燥に見舞われたり、韓国で前代未聞の寒波が生じたり……世界の至る所で、例年にない現象が起きている。

 この厳しい気候を、世界中で怪物が暴れている影響だと主張する学者がいる。或いは人類が投入した大量の核兵器や爆弾の影響という学者もいる。はたまた偉大なる知性が人類に試練を与えてるのだという胡散臭い宗教家もいる。勿論中には偶然だと語る者もいるが……世界中で怪物が暴れ、世界中が異常な気象に見舞われている中でその意見はなんの説得力もない。地球は確実に、何かが変わろうとしていた。

 しかし何より懸念すべきは、ミュータントの存在だ。フィアの子やキャスパリーグの子など、ミュータントも様々な種が繁殖を始めている。世界中ではどれほどの数のミュータントが誕生しているのだろうか。確実に言えるのは、なんらかの拍子に彼女達が一斉に暴れ出せば、間違いなく今の世界は破綻するという事。案外今年の冬ぐらいには、もうこの地球から人類は完全に駆逐されちゃうかも知れない。一人の人間としてそれはとても悲しい事だと思うが、しかし生物の絶滅とは三十八億年にも渡る生命史から見れば珍しいものではなく――――

「おーい、話を聞けぇー」

「ふみゅっ」

 等と考えながらボーッと自席に着いていた花中は、不意に近付いてきた加奈子に頬をむぎゅっと潰された。唇がタコさんのように尖らされ、鏡で見ずとも分かる間抜け面を晒される。

「花中さーん迎えに来ましたよー。あら可愛いタコさん顔ですね」

 ましてやその顔を、タイミング良く教室の戸を開け入ってきた一番の親友フィアに見られたので、花中の頬はそれこそ茹でタコのように赤くなった。ミリオンの姿はないが、きっと彼女もバラバラになったままこの場を漂い、この間抜け面を見ているに違いない。

 頬を潰している加奈子の手を一生懸命振り解き、花中は椅子に座り直す。教室に入ってきたフィアは当然のように花中の後ろに立ち、腕を回して椅子に座ったままの花中を抱き寄せる。フィアの腕の力と暖かさが、じんわりと花中の身に伝わった。

 昔なら嬉しさでとろとろ笑顔になっていたこの抱き付きも、今やされていないと落ち着かないぐらい花中にとっては慣れたものになった。「いや、それ慣れてないから。変に依存してるから」と数日前に晴海からツッコミを入れられたが、その有り難いご忠告は残念ながら頭の隅に追いやられている。

 そうして色々準備万端な体勢になってから、花中は加奈子と向き合う。加奈子も大切なお友達。放課後のお喋りタイムへと突入だ。

「えっと、それで、なんの話でしたっけ? なんか、温泉に行こうとか……」

「そーそー、温泉だよ温泉! 偶にはさ、みんなで旅行とかしよーよー」

「良いんじゃないですか。私は花中さんと一緒なら何処に出掛けても構いませんし」

 花中が改めて尋ねると、加奈子はなんとも感情的な答えを返す。フィアはそれに賛同しつつ、花中の意見を伺うように視線を下に向けてきた。

 一人と一匹から問われ、花中は考える。

 友達との温泉旅行。確かに胸が弾け飛びそうなぐらいワクワクする響きだ。六月は纏まった連休がないので何時にするかは予想出来ないが、底なしに能天気で尋常でなく無謀な加奈子の事である。今週の土日に行こうと言い出してもなんら驚かない。もしそうなら中々の強行軍になりそうだが……慌ただしい旅行も楽しそうである。

 花中の気持ちとしては、行きたい方に大きく傾いていた。いや、否定する理由がない。是非とも参加したいところだ。

 ただ一つ、抱いた疑問の答えさえ得られれば。

「あの……失礼な事を訊くようで、申し訳ないです、けど……そんな余裕というか、楽しめる場所が、あるのでしょうか?」

 おどおどしつつも、花中は出来るだけハッキリと加奈子に問う。

 今や世界は変わろうとしている。怪物の出現により灰燼と帰した町や、何もかも食い尽くされた穀倉地帯は最早珍しくもない。昨今では怪物に加え、ミュータントらしき超生命体のニュースもちらほらと見られるようになってきた。ミュータントが軽くでも暴れれば、小国一つ滅びるほどの被害が出るのも珍しくない。

 産業は次々と破壊され、世界の生産能力は今や第一次世界大戦末期よりも低いという説まである。戦争でボロボロになった百年以上前の生産体制では、何十億もの人を養うなど土台無理な話。食糧価格は著しく高騰し、紛争や暴動が多発している国や地域もあると聞く。鎮圧しようにも市民生活の悪化により税収が低下し、軍や警察組織の維持すら難しい状態ではそれもまた無理な話だ。

 日本はそういう意味ではまだまだ平和な国だが、生活は日に日に苦しくなっている。政府だけでなくボランティア団体による支援なども行われているが、全ての人々を十分に助けてくれるものではない。仕事や家を失った人々は犯罪に手を染め、家族や友人を失った人々は得体の知れない団体に身を寄せる。治安は確実に悪化しているが、こうした勢力を取り締まる警察組織の力は衰えるばかりだ。花中の学校でも家庭を助けるため、高校を退学する生徒も目立つようになった。

 さて、こんな情勢下で暢気に温泉を楽しめるものだろうか? 正直かなり難しいだろう。単純にそうした事にお金を使える人が激減しているし、裕福な人々も世間の目を気にして大っぴらには使えなくなる。

 すると当然観光客が大きく減るので、温泉街などの観光地は経済的に追い詰められてしまう。いくら宣伝したところで、世界情勢が悪化する一方なのだからどうにもならない。こうなると経営体制の改善をするしかないが、つまりそれは職員の解雇や市場からの撤退であり、地元雇用の壊滅を意味する。一時凌ぎでしかなく、その後は更なる不況が訪れるのだ。

 この悪循環により、世界各地で『観光地』として発展した都市が壊滅している。壊滅とは比喩ではなく、本当に都市機能が喪失している状況も珍しくない。日本の温泉街も大半が壊滅し、今や残るのは箱根などの有名な場所ばかり。それらも、正直温泉街と名乗れるか怪しい状況と聞く。

 何処なら温泉を楽しめるのか、花中にはとんと思い付かない。一体加奈子は何処に遊びに行こうとしているのか。

「いやさー、実は私のおじさんが東北の方にある温泉街で仕事しててねー」

 そんな花中の疑問に答えた加奈子の声は、如何にも普段のような明るさで、けれども少し寂しそうだと花中には思えた。

「……ご親戚の方が、ですか?」

「うん。で、まぁ、今の世の中温泉なんかじゃ食ってけないから宿を畳むらしくて。でもその宿は二百年ぐらいの歴史がある老舗みたいだからさ、最後に団体様を泊めたいらしいんだよね」

「……………」

「ぶっちゃけ従業員はもうおじさんの家族ぐらいしかいないし、食材とかも残り物になっちゃうかもだけど……駄目、かな?」

 何時もの能天気さと明るさは何処へやら、弱々しい声で加奈子は改めて花中に尋ねてくる。

 正直、卑怯だと花中は思った。

 そんな事を言われて断れるほど、大桐花中という少女は『冷淡』ではないのだから。

「ダメじゃないです。そういう事でしたら、わたしなんかで良ければ、是非、参加させてください」

「ほんと!? ありがとー! おじさんも喜ぶよ! あ、ちなみに晴ちゃんは既に参加が決定しておりますぞ!」

 両手を挙げて喜びながら、ついでとばかりに加奈子はもう一人の参加者の名前を伝える。晴海もまたかなり人情味の溢れる少女だ。先の話を聞かされたなら、二つ返事で了承したに違いない。

「ちなみに他には誰か来るのですか?」

「私と晴ちゃんと大桐さんとフィアちゃん以外だと、あとミリきちとミィちゃんの二人が来る予定だよー」

「来る予定って……」

 ミリオンさんもミィさんも、まだ誘ってないでしょうに……そんな花中が視線に込めた感想を察したのか、「ミリきちも来るよね?」と加奈子が空中に向けて問う。すると何処からともなく「勿論行くわよー」という声がした。立派なラップ現象だが、この教室のクラスメート達にはすっかり聞き慣れたオカルト現象。今更気にする者もいない。

 ミィについてはまだ分からないが、恐らく彼女も参加するだろう。なんやかんや、ミィは結構『人付き合い』が良いのだ。恐らく加奈子が想定した通り、三人と三匹の旅路になるだろう……確かに行動が予想しやすい面子だとは思うが、こうも読まれると少し悔しいと花中は思う。

 尤も、だからといってやっぱり止めるなんて言うつもりは毛頭ない。それを悪ふざけだとしても言ったら、きっと後悔するに違いないと確信しているからだ。

 人の世界は、遠からず終わる。

 或いはもう終わっていて、今はただ続いているという願望が世界を覆っているだけなのかも知れない。なんにせよいずれは終わる世界の中を、花中なりには一生懸命最期まで生きていくつもりだが……友達との楽しい思い出もちゃんと作りたい。変わりゆく世界の中で、ああしておけば良かったと後悔しないように。

「よーし、それじゃあ六人で行くっておじさんに伝えとくね! あ、時期は今週の土日で大丈夫? 無理なら来週とか再来週に延期するけど」

「はいっ! わたしは大丈夫です!」

 最も近い休みに日程を組むのは、花中にとっては願ったり叶ったり。

 困ったところがあるとすれば、今日は水曜日で、土曜日まであと三日という事。

 弛む口許に力を込めながら、寝不足で遅刻しないようにしないとと花中は思うのだった――――



























 そんな時の事だった。

「おおっと?」

「ひゃっ!?」

 ぐらぐらと、大きな揺れが花中達を襲ったのは。

 地震だ。それもかなり大きい。震度四はあるだろうか。黒板の粉受け ― 黒板消しなどが置いてある金属製のパーツ部分の名前だ ― にあるチョークがカタカタと音を鳴らし、人の座っていない椅子や机がゆっくりと動いていく。

 花中はおどおどしながらフィアの腕にしがみつき、フィアは花中を今までより強めに抱き寄せる。加奈子はぼけーとしていたが、近くの席に座って転ばない体勢にはしていた。他のクラスメート達も少しだけ動揺を見せたが、立ち止まるなり壁に背中を預けるなり、各々安定した体勢を取って揺れに耐える。

 地震は数十秒ほど続いたものの、徐々に弱まり、やがて収まった。しばらくクラスメート達は互いに顔を見合わせ、自分の感じた『動揺』が、決して大袈裟なものではなかったと確かめ合う。

「いやー、中々の地震だったね」

 加奈子もまた他の生徒達と同じく、花中と顔を見合わせそう話した。花中は大きくこくんと頷き同意する。

「そうですね。もしかしたら、津波とかあるかも……」

「あー、それも怖いね。でも……」

「でも?」

「いやさ、もしかしたら今の地震、大きな怪物の所為だったりしないかなって。最近世界中で怪物が出てるし、地下深くに怪獣が潜んでいてもおかしくないじゃん?」

 冗談交じりに話す加奈子。しかしそのジョークは、今では現実に起こり得るものだ。少なくとも花中は白饅頭という地中に潜む怪物を目の当たりにした事があるし、フィアは地下の洞窟に暮らしていたという巨大甲虫と遭遇している。地中に何か得体の知れない生物が潜み、その活動により大地が揺さぶられるというのは……最早荒唐無稽な話ではない。

 されど此度に限れば、その心配は皆無だ。

「ただの地震だと思いますよ。足下にこれといった気配はありませんので」

 何時だって『生物危機』を察知してきたフィアが、何も感じていないのだから。

「あ、そうなんだ。じゃあただの地震かな」

「そうじゃないですかね? まぁ何百キロも深くに居るならこの私といえども流石に分からないと思いますが」

「流石に、そんな深さで大地震を起こせる生物は……まぁ、ミュータントなら、出来そうだけど……それより、普通の地震と考える方が、妥当かな。首都直下型地震の、予兆とかかも知れないし」

「あー、そういやそんな話もあったね。怪物とかの方がよっぽど怖いから、すっかり忘れてた」

「ダメですよ、ちゃんと警戒、しておかないと。確かに、怪物の方が危険かも、ですけど、台風や地震とかの、自然災害が、その分優しくなった訳じゃ、ないんですからね」

「ほーい」

 友達の防災意識を高めた事に、花中は満足してにこりと微笑む。備えあれば憂いなし。地震は怖いものだが、現代の科学力はそれを着実に克服している。建物は耐震・耐火性を大きく増し、地震への対処法も一般に広く伝わった。十万以上の人命を奪った関東大震災と同規模の地震が起ころうとも、今ならばその被害は限りなく小さなものに出来るだろう。

 そう、今の人間には自然に立ち向かう力と知恵がある。例え真に恐ろしい存在には敵わずとも、気紛れに全てが奪われようとも、自然と真摯に向き合えば、きっと人の居場所は残る筈だ。

 花中はそう思っていた。地震への心構えはだと思っていた。

 その考えすらも、甘えに似たものだと知らぬままに……

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