ベイビー・ジェネレーションズ3

「ぬおおおおおおおおおっ!」

 キャスパリーグは咆哮と共に駆けていた。

 人間であればただ暑苦しいだけで済むその行動は、超越的生命体が起こせば最早災厄。音速を超えた走りによりソニックブームが生じ、上げた叫びは衝撃波となって広がる。通り道にあった家の窓は割れ、電柱が倒れ、アスファルトで舗装された道路が引っ剥がされていく。

 人の生活空間は、ズタズタのボロボロに破壊されていた。

「ちょぉぉぉっ!? 兄さんストップ! マジでストぉーップ!?」

 付け加えるならその破壊は、妹であるミィが彼の身体に必死にしがみついて幾らか動きを鈍らせた上で生じている。抑えがなければ、それこそ人死にが出てもおかしくない力だった。

「ええい放せ! 確かにお前にとってあの子達は初対面だが、しかし血縁でもあるんだぞ! 心配じゃないのか!?」

「あの子達心配が必要なほど弱くないでしょーが! 探すにしても冷静になりなよ! こんな慌てた探し方じゃ見落とすよ!?」

「ぬぐっ、うぐぐぐ……」

 ミィからの『正論』に、キャスパリーグは呻きにも似た声を上げる。感情的には言う事を聞くつもりなどないのだろうが、理性的には納得したのだろう。キャスパリーグは少しずつ、本当に少しずつだがスピードを落としていく。

 止まる事こそなかったが、爆風を起こさない程度のスピードにはなった。ミィはキャスパリーグから手を放し、ふぅ、と小さくないため息を吐いた。

「ほら、落ち着いてよ。慌てなくても無事に決まってるんだから。ね?」

「……すまない」

「反省してるなら次はしないでよー……本当に、子供が好きなんだね」

 ミィから尋ねられ、キャスパリーグはこくりと頷く。顔には、小さな笑みが浮かんでいた。ミィも自然と笑みが浮かぶ。

「あの子達を見付けたら、改めてあたしを紹介してよね。兄さんの家族とまだ全然お話出来てないんだから」

「……そうだな。確かにそうだ。アイツらに、お前が『おばちゃん』だと教えないとな」

「あー、そうなるのか。うーん、なんか複雑な気持ち」

 キャスパリーグの言葉に眉を顰めるミィ――――しかしその顔は次の瞬間、ある方角へと向く。キャスパリーグも同じく振り向く。

 臭いがする。

 キャスパリーグの子供達の臭いだ。とても強い臭いで、彼等が此処を通ったのだと確信出来る。そしてその臭いは、自分達から見て横方向に真っ直ぐ伸びている道から漂っていた。

 ならばきっと、この横道を真っ直ぐ進めば子供達の居場所に辿り着ける筈。

「っ!」

 それをミィが理解した時、キャスパリーグは既に大ジャンプをして臭いの方へと跳んでいた。彼の体重で跳躍・着地なんてすれば、隕石でも落ちたかのような被害が生じるというのに。

「あ、ちょっ!? もう、落ち着いたんじゃないのぉ!?」

 五秒で忠告を忘れてしまった兄の後を、ミィは出来るだけ穏やかな移動で追う。アルベルトとの戦いで『抵抗』の生じない動きを会得したミィだが、大気を掻き乱さない……つまり爆風を起こさないスピードには限度がある。何も考えずに爆走するキャスパリーグほどの速さは出せないのだ。

 ミィを遙か彼方に置いていき、キャスパリーグは着地。地響きを奏で、周囲の建築物を震わせる。

 付近に暮らす人間に恐怖を与えたキャスパリーグは、されどその事に気付いてもおらず、臭いを嗅ぐ。先程よりもずっと強い臭いだ。その臭いが流れる方角を察知し、爆音と共に駆け出す。人の住処が揺れ、道路が砕けたが、彼にとってそんなのは些末事。

 臭い漂う住宅地を抜けた、その先にある大きな公園。そこに二つの小さな影があるのを見付けたのだから。

「クリュ! ポル!」

 キャスパリーグは大きな声で我が子の名を呼ぶ。

 そしてその我が子達は――――泥だらけになった顔を、キャスパリーグに見せた。

「あれー? パパだー」

「げっ」

 父親を見付けたポルは無邪気に喜び、クリュはバツが悪そうに顔を顰める。

 キャスパリーグはそんな二人に瞬間移動が如く速さで接近。

「お前達! 何処に行ってたんだ! 心配したんだぞ!」

 怒りながら、二匹の子供達を抱き締めた。

 ポルもクリュも、抱き締められながら怒られたものだから困惑したように目をパチクリさせる。けれどもすぐ、父親を心配させてしまったと気付いたのだろう。申し訳なさそうに眉を下げる。

「……ごめんなさい」

「……………ごめんなさい」

 ポルが謝り、クリュも謝れば、キャスパリーグの顔に怒りはもうなかった。キャスパリーグは一層強く我が子達を抱き締め、子供達も抱き返す。

「っだぁーっ! 兄さん速過ぎぃ!」

 そんな感じに家族の仲が一段落した頃になって、ようやくミィがこの場に辿り着いた。遅れてやってきたミィに、兄であるキャスパリーグは怪訝そうな表情を向ける。

「なんだお前、随分と遅かったな。身体が鈍ってるんじゃないか?」

「あたしが遅いんじゃなくて、兄さんが町中で暴走しただけってなんじゃこりゃあああああああっ!?」

 キャスパリーグに呆れられ即座に反発するミィだったが、言いきる前に驚愕した叫びを上げる。

 何故ならミィの目の前……クリュとポルの側には、尋常でないサイズの『焦げ茶色の城』があったのだから。

 それは泥によって作られた、建造物とでも呼ぶべき代物だった。サイズは、高さ十メートル近く。土台部分の横幅は更に大きい。勿論材質が泥なので、本物の城のような繊細な作りではないが……塔のように立つ部分や、レンガ作りっぽく見える壁などは、見る者に『城』というイメージを強く植え付けるだろう。仮に城でなくとも、何かしらの建物だとは思うに違いない。

 強いて建造物らしくない点を挙げるなら、出入口が何処にもないところぐらいだ。

「ん? ……おおぅ!? なんだこれは!?」

 ちなみにクリュとポルを抱き締めていたキャスパリーグは、たった今その存在に気付いたようだった。

「今気付いたの!? そこまで近付きながら!?」

「お、おう。子供しか見てなかった」

「この親馬鹿めぇ……」

「しかしなんだこれは……人間が作ったゲイジュツヒンとやらか?」

 キャスパリーグは誤魔化すように疑問を呈し、ミィも同じ事を思ったのでその疑問について考える。

「あ、これ作ったのボク達だよー」

 尤も、答えはポルがすぐに教えてくれたが。

「何? お前達がこれを作ったのか?」

「うん、そうだよー。ボクと、クリュと、あともう一人の子といっしょに」

「……もう一人?」

「あ、そうだ! パパ、実はすっごいお友達が出来たんだよ!」

 話に出てきた友達を紹介するためか、クリュはキャスパリーグの抱擁から抜け出すと、びゅんっと城の後ろ側へと走っていく。

 走って、城の周りをそのまま一周し、クリュはキャスパリーグ達の前に現れた。クリュ以外の者の姿は、何処にもなかった。

「……あれ?」

 クリュは首を傾げると、また走り出して城の裏へと回る。今度は反対回りだ。

 けれども一周して戻ってきた時には、やっぱりクリュ一人。

 彼女の『お友達』の姿は、何処にもなかった。

「あれ? あれぇ? おかしいな、なんで居ないんだろう?」

「居なくなったのに気付かないぐらい、夢中で遊んでいたのか?」

「う、うーん……さっきまでいたと思うんだけど……」

 キャスパリーグの指摘に、Noと答えない辺り夢中で遊んでいたのは事実らしい。愛娘のなんとも子供らしい返答に、キャスパリーグは肩を竦めた。

「おや? 三着でしたか」

 そうして子供達と話をしていると、公園に新たな来訪者の声がする。

 フィアと、フィアに抱えられている花中だ。花中は公園に辿り着くやキャスパリーグの傍に居るポル達を見て微笑み、直後泥で出来た『城』を見て驚愕の表情を浮かべる。

 フィアは花中を抱えたままキャスパリーグ達の下へと歩み寄り、そこで不機嫌そうに鼻息を吐いた。

「ぬぅ。あなた達如きに先手を取られるとは……」

「ふん。スピードで俺に勝てると思うな」

「はいはい、再会した側からケンカすんなー」

「そうだよ、フィアちゃん。あと、最初から競争じゃないから……」

 挑発的な言動を交わす二匹を、ミィと花中が窘める。『大切な者』からの言葉に、フィアもキャスパリーグも口を閉ざした。

 二匹のケンカが終わると、沈黙が間に流れる。その沈黙を気まずく思ったのか、花中は右往左往。正面にそびえる城を見て、ハッとしたように目を見開く。

「そ、そういえば、このお城は、なんなのですか?」

 そして城について尋ねた。

「うん! これ、ボク達が作ったんだよ!」

 花中の問いに、真っ先に答えるポル。ミィが尋ねた時も彼が真っ先に答えていた。余程の自信作なのだろう。クリュも胸を張り、ポルの言葉に続く。

「どうよこの建物! 私達だけで作ったのよ! ……まぁ、本当はもう一人友達がいたんだけど、その子は何処かに行っちゃったけどね」

「へぇ……でも、なんでお城を、作ったのですか?」

「その友達が言ってたのよ。エレガントな建物を作れば人間が集まって、たくさんお話出来るって。で、お城ってなんかエレガントな感じでしょ?」

「お前、そんな目的で……」

 人間と話すための小道具だったと知り、キャスパリーグは睨むような眼差しをクリュに向ける。が、クリュは何処吹く風。まるで気に留めていない。

 成程、こっそり遠出した理由は人間とお喋りをするためだったのか。

 娘の意図を察したキャスパリーグは肩を落とす。確かに、あまり深入りするなという躾はしてきた。家族を人間に駆除された彼からすれば、人間という生き物はろくなものではない。二年間……本来より長く人間を観察してきたが、その考えは今でも変わっていなかった。変われるほど、人間というのはさして素晴らしい生き物ではなかったのだから。

 とはいえ好奇心旺盛で、何も知らない娘達からすれば、その躾は単なる押しつけにしか思えなかったのだろう。ならば人間の悪逆非道ぶりを教えれば、とも思ったが、それで変に正義感に燃えてしまうのも困る。二年も観察していれば、人間にも良い奴がいる事はキャスパリーグにも分かるのだ。

 それに下手に暴れれば、人間が猫に敵意や悪意を抱くかも知れない。自分は人間に負けるつもりなどないが、未熟な子供達はどうだろうか。銃やミサイルは効かなくても、毒ガス攻撃なんてされたらどうなるか。ましてや無辜の猫達は……

 大人になって考えれば、二年前の自分がどれだけ考えなしだったか分かる。子供達に、そんな考えなしの行動はさせたくない。

 締め付け過ぎは反発を招くだけ。ならばもう少し自由にさせても良いかと、キャスパリーグは考えを改めた。彼もまたパパになって二ヶ月の身。子育ての難しさを日々学ぶ立場なのだ。

「エレガントな建物、ですか……うん、確かにこれなら、たくさん人間が、集まりそうですね」

「でしょー。んふふふふ、これでも制作時間三十分掛かってないんだからね! ま、人間には無理でも、わたし達に掛かればちょちょいのちょいよ!」

「あのてっぺんの部分は、友達が作ってくれたんだ。ボク達は土台部分の土を固めたり、泥を持ってきたりしたんだよ!」

「あとねあとね! 壁の模様はわたしが入れたのよ! お洒落でしょ!」

 父が父として悩んでいる最中、親の悩みなど知らぬクリュとポルは花中と仲良く話していた。余程自分達が作った作品を人間に自慢したいらしく、制作秘話やらなんやらを矢継ぎ早に話している。

 花中はクリュ達の話にしかと耳を傾け、微笑み、頷く。どれも本当に興味深そうに聞いており、子供だからとか、猫だからとか、そんな考えもなしに二匹と向き合っていた。

 ――――アイツは良い人間だな、二年前から知っていた事だが。口には出さないが、キャスパリーグはそう思った。

「本当に、凄いですね……何より凄いのは、潰れない事だと思います。どうやって、この形を固定、しているのですか?」

 花中のこの質問も、純粋な好奇心から生じたものだろう。

 父親であるキャスパリーグもまた、子供達が人間にどんな説明をするのか気になり、こっそりと耳を傾ける。その顔に柔らかな笑みを浮かべながら。

「え? 固定しないとダメなの?」

 なお、その笑みはクリュのこの一言で強張る事となったが。

 ……花中も表情を強張らせていた。ミィも口許をひくつかせ、凍り付いている。

 キョトンとしているのはクリュとポル、それから能天気なフィアの三匹だけだった。

「……固定、してないのですか?」

「してないわよ。さっき言ったじゃん。わたしらは土台を固めたり、壁に模様を描いたりしたって」

「えと、その、土台を固めるというのは、どういう……?」

「え? 手でぎゅーって押して、だけど?」

「ボクもそんな感じのやり方で固めたよー」

 花中が訊けば、クリュもポルも堂々と答える。嘘を吐いている様子はない。いや、吐こうとする気持ちすら感じられない。二匹は、本当に土台を素手で固めただけなのだろう。それで十分だと考えていたから。

 キャスパリーグは、土木建設に詳しいという訳ではない。

 しかし泥で固めたものがさして頑丈でない事は、当然ながら『知識』として知っている。高さ数十センチ程度の造形物すら、数十分と持たずに崩れるほどに。

 なら、どうして高さ十メートル近い城が崩れないと言える?

 ……答えは、泥の城が奏で始めた地鳴りのような音が教えてくれた。

「やれやれ、お仕置きには丁度良いなっと」

 キャスパリーグはその場からジャンプ。ミィも素早く跳躍。フィアは手から大量の水を出し、花中はその水に包まれる。

 なんの動きも取れなかったのはクリュとポルの二匹のみ。

 そしてキョトンとする二匹の真横に建つ城は――――まるで力尽きるように一気に崩れ落ちた。

「え? うみゃああああああああっ!?」

「にゃああああああああっ!?」

 迫り来る泥の濁流に襲われ、クリュとポルが猫らしい悲鳴を上げる。泥とはいえ十メートル近いオブジェを形成するほどの量だ。二匹の姿は一瞬にして飲まれてしまう。

 言ってしまえば土砂崩れのようなものであり、人間であれば大人でも死に至る災害。しかし子供とはいえミュータントであるクリュ達の命を奪えるものではない。城が完全に崩れるのと共に、クリュとポルは泥の中から顔を出す。全身真っ黒けの泥だらけだった。

「いやー思った通り崩れましたねぇ」

 ちなみに同じく泥に飲まれたフィアは、全く汚れる事なく泥から。水を操るフィアにとって、泥に飲まれたところで汚れる心配などないのである。勿論フィアが繰り出した水球に守られていた花中も同じだ。

「あ、あの、大丈夫、ですか……?」

「……大丈夫じゃない。口に泥入ったぁ」

「うべぇ……口の中、ざらざらするぅ」

「自業自得だ。親から離れて勝手をするからこうなるんだ」

 不平を漏らす子供達を、戻ってきたキャスパリーグが窘める。親から叱られた子供達は、しゅんとしてしまった。

 キャスパリーグは項垂れた子供達を見て、ぽんっ、と背中を叩く。

「とりあえず川に行くぞ。身体を洗ってやる」

「「……うん」」

 そして親らしい事を言えば、子供達は素直に頷いた。

「よーし、良い子だ。そういう訳だから俺は川に行くぞ、人間」

「あ、はい。分かりました」

「……………」

「……えっと……?」

 川に行くと宣言したキャスパリーグだが、しばし無言で花中と向き合う。キャスパリーグと目が合った花中はキョトンとした様子で、けれども自発的に要件を尋ねてはこず、十数秒と沈黙を挟む。

 キャスパリーグも、見つめたくて見つめている訳ではない。彼は今、己の感情と、親の本能と戦っていた。

「……まぁ、その、なんだ。探してくれた事には、感謝する」

 そして勝ったのは、親としての本能だった。

 お礼を言われたと理解するのに、少し時間が掛かったのか。花中はキャスパリーグの言葉にしばらく反応を見せず、ようやく変わった時の表情は満面の笑みだった。

 その笑みを見たら、急に小っ恥ずかしくなってきたキャスパリーグ。やはり人間に礼など言うべきじゃなかったと後悔するも後の祭り。

「ふふーん? ちゃんとお礼言えるんだぁ? お前達の父ちゃんは偉いねぇ」

 彼が小さな声で伝えた言葉を、優れた聴力でバッチリ聞き逃さなかったミィがにやにや笑いながらおちょくってきた。

「ふんっ! ただの気紛れだ! お前達、さっさと行くぞ!」

「はーい」

「またねー」

 キャスパリーグに抱えられるクリュとポルが手を振り、花中とミィも手を振り返す。

 挨拶がちゃんと出来た子供達を愛おしく見つめながら、キャスパリーグは川がある方へと跳ぼうとする。

 その間際に、ちらりと、彼の目はある方向へと向いた。

 違和感を覚えた、というほどの事ではない。強いていうなら気になっただけであり、問い詰めたり考えたりしようとする気はない。

 だが、本能が意識する。

 花中を抱きかかえたまま、こちらなど見向きもしなかった……フィア。

 彼女の鼻が小刻みに動き、何かの『臭い』に関心を持っていた姿が、何時までもキャスパリーグの脳裏に残るのだった。



















 まさか『親』が来るとは。

 人が作り出した住宅地を歩きながら、彼女はそう考えていた。

 段々と陽は沈み、間もなく夜になろうとしている。夜目の利かない彼女にとって暗闇は本当に何も見えなくなってしまうのだが、人間の町には街灯が並んでいる。十分とは言い難いが、彼女でも歩ける程度の明るさはあった。

 歩く彼女の頭の中には、数多の思考が巡っている。

 まだ『親』と接触するのは早い。自分の『親』ならば確実に、自分への不信感を抱く筈だからだ。警戒されると後々面倒になる。作戦の第一段階が終わるまで、こちらの存在を勘付かれたくない。

 しかしその第一段階が終わるのは、予想よりも早くなりそうだ。最初は不信感を見せていたあの子供達と、今日のうちに多少打ち解けられた。雌の方はまだ少しこちらを疑っているようだが、話を聞いてもらえるだけで十分。好機さえ来れば……明日にでも

 計画は着実に進んでいる。成果は上々。では明日は今日と同じぐらい頑張ろう。彼女は前向きな気持ちを抱きながら、心の中の反省会を終わらせた。

 さて、今日は十分に頑張った。食事も朝のうちに済ませたので今から苦労して探す必要もない。身体は一日の『仕事』を終えた事を理解し、段々と眠気を感じ始めている。彼女はそれに抗うつもりなんてなく、眠るための準備を始めようと思った。

 今の彼女には『能力』があるので、例え野良猫やカラスに襲われても無傷でやり過ごせる。武装した人間が百人掛かりで襲撃してきたとしても、一秒でバラバラにしてやる自信もあった。なので準備などせずそこらで大の字に寝転んでも問題ないのだが、生身を晒すというのは本能的に酷く不安な感覚を抱かせる。出来れば狭くて暗い場所に入りたい。

 本能の欲求に従い、彼女は近くにあった一軒家の敷地に足を踏み入れる。ごくごく普通の一軒家だ。家の中からはわいわいと賑やかな声が聞こえ、その中の人間達が楽しい時間を過ごしている事を伝えてきた。

 彼女は家の中に人間がいると理解し、その上で玄関の扉を開けた。インターホンもなしに開けられた扉の音に気付いたのか、賑やかだった団欒の声が途絶える。

 やがて玄関から続く短い廊下の先にある戸が開かれ、三十代ぐらいの女性が顔を出した。彼女と初対面である女性は一瞬顔を顰めるも、見た目幼い少女である彼女を脅威ではないと判断したのか。すぐに優しい笑みを浮かべる。

「あら、どちら様かしら? うちの子に用?」

 自分の子供の友達と思ったのだろうか。女性はそう尋ねてくる。

 彼女は、そんな女性に対し何も答えない。

 答えずに、『身体』から伸ばしたで女性の頭を激しく殴り付けた。

 弾丸よりも速く、拳よりも重たい一撃を受け、女性は呻き一つ上げる事なく倒れる。ぴくりとも動かなくなった女性だったが、彼女は歩み寄ってその生死を確かめようともしない。何故なら、死んでいようが生きていようが、別にどうでも良いからだ。

 彼女は倒れた女性を跨ぎ、扉を通ってリビングに入る。そこには十歳ぐらいの男の子が居て、傍にいる六十歳を超えているであろう老婆と共に唖然とした表情を浮かべていた。

 彼女はにっこりと微笑んだ。そしてその身体から、女性を殴り倒した半透明な触手を二本生やす。

 彼女は人間に恨みなど持っていない。

 けれども人間に愛着も持っていない。

 だから彼女は人間を攻撃する。

 とても温かで居心地の良い人間の住処を自分のものにするのなら、そこに住む人間を『排除』するのが一番簡単な方法なのだから――――

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