あなたはだあれ7

 花中が目を覚ました時、周りには見知らぬ光景が広がっていた。

 曇りのない白い壁が一面をぐるりと囲い、天井のライトから降り注ぐ光を受けて煌めくように色付いている。花中が寝かされていたのはベッドの上で、見たところベッドはかなり真新しい、恐らくは新品だと思われるものだった。見渡した印象では部屋はかなり広く、一辺五メートルほどの正方形をしている部屋だ……いや、部屋と呼ぶのは違和感がある。何しろ此処には、扉も窓も見当たらないのだから。出入り口がない場所を、部屋と呼べるのだろうか?

 ないのは扉だけではない。というより物が殆どないと言うべきか。この場に置かれているものは、花中が寝かされていたベッドと、そのベッドの隣にある『もう一つのベッド』の二つのみ。かなり殺風景な場所だ。

 おまけに近くに居るのは、花中を除けばもう一つのベッドの上に寝かされている少女――――清夏のみ。

 見慣れた顔に安堵を覚えたのも束の間の事。一気に記憶がよみがえり、花中の顔を青くする。

 そうだ、自分達は襲われたのだ。フィア達すらも苦戦させる、謎の武器を持った人間達に。

 気絶させられた後、自分達は連れ去られたのか? だとすると此処は彼等の保有する施設? 困惑と疑問から右往左往するように再度辺りを見渡してしまう花中だったが、室内の様子は先程花中本人が感じたように、殺風景としかいえないもの。改めて探ったところで、真新しい発見などない。

 慌てふためく心を静めようと、花中は一度深呼吸をする。と、部屋の匂いが病院のような……つまりは消毒液などの薬品系のものが漂っていると気付いた。部屋も塵一つないぐらい綺麗で、手入れが行き届いている。部屋の維持・管理に手間が掛かっているのは間違いなく、それだけの労力を投じられる規模の組織がこの部屋の所有者だと物語っていた。

 これだけの力がある組織なら、部屋に監視カメラを一台二台付けるぐらい容易い事だろう。寝顔を監視されていた事を想像すると気持ち悪さで身震いが止まらない。一先ずこの考えは頭の隅へと寄せて、花中は清夏の身体に手を伸ばす。

「あの、御酒さん。起きてください……起きてっ」

「ん……んにゃ……あと五分……」

 身体を揺すってみると、清夏の口から出てきたのはお約束の一言だった。どうやら良い夢を見ているらしい。なんやかんや無事であると分かり、花中は安堵する。

 出来ればお願い通りあと五分眠らせてあげたいが、そうもいかない。

 監視されているとすれば、花中自分が目覚めた事はとうに気付かれている筈だ。元から監禁していた清夏は兎も角、『ただの人間』である花中自分を捕まえた事には何かしらの意味があると思われる。

 もう少ししたら、何かしらの接触があるかも知れない。その前に、清夏から情報を聞き出しておいた方が良さそうだ。

「おーきーてーくーだーさーいーっ!」

「ふにゃ……ふ、あだ、あだだだだだっ!?」

 少々強引ではあるが、花中は清夏の頬を強く引っ張った。お餅のように柔らかい頬は大変よく伸びたが、清夏の目を覚ますのに十分な痛みを与えられたようだ。

 五分と経たずに、清夏は片方の頬を真っ赤にして起き上がる。無論、すぐに花中を睨んできたが。

「な、何よいきなり!? 痛いじゃない!」

「ご、ごめんなさい。でも、今のうちに、お話をしておこうと、思いまして」

「お話って何、を……」

 花中に反発の眼を向けていた清夏だったが、その顔はすぐに、見る見るうちに青くなる。

 やがて清夏は慌てふためくように辺りを見渡し、立ち上がり、ガタガタと全身を震わせた。目には何時零れてもおかしくないぐらい涙を浮かばせ、今にも叫び声を出さんばかりに口を歪める。

 花中が正面からそっと抱き締めなければ、清夏は込み上がってきた感情達を破裂させたに違いない。

「大丈夫です。きっと、助かります」

「きっとって、何を根拠に」

「フィアちゃん達が、います。きっと、みんなが助けてくれます。それまでの、辛抱です」

「……本当に、来てくれる……?」

「はい」

 力強い口調で、花中は清夏の言葉を肯定する。花中は一度清夏から離れると、彼女の紅い瞳と目を合わす。

「わたし、一回誘拐された事が、ありますけど、その時は、ちゃんと助けてもらいましたから! だから、今回も大丈夫です!」

 そして駄目押しとばかりに、自分なりの『根拠』を伝えた。

 清夏は一瞬キョトンとなり、次いで吹き出すように笑い出した。花中の話を信じたのか、それともジョークと思ったのか。どちらであるかは分からないが、元気になってくれたのなら花中としてはどちらでも構わない。

 元気がなければ、困難には立ち向かえないのだから。

「あの、訊きたい事が、幾つかあります。分かる範囲で良いので、答えて、くれませんか?」

「うん、分かった」

「えっと、では……」

 こくんと頷いてくれた清夏に、花中は最初の質問を伝えようとした。

「わざわざその子に尋ねなくても、僕が答えてあげようか?」

 その言葉を遮ったのは、若い男の声。

 瞬間、花中は息を詰まらせる。血の気が引いた顔は反射的に声の方へと振り向いていた。

 一体何時の間にやってきたのか。

 部屋の中に、一人の男が立っていた。男は眼鏡を掛けた細身の若者で、年頃は二十代前半ぐらいか。顔立ちや肌の色を見るに西洋系の白人のようだ。白衣を羽織っていて、如何にも研究者といった出で立ちをしている。所謂美形で、俳優業をしていると当人が語れば、それだけで違和感なく信じ込んでしまうだろう。

 そしてその顔に浮かべているのは、人当たりの良い笑み。

 一瞬、ほんの一瞬だけ……花中はその男に心を許してしまいそうになった。すぐに彼がこの部屋に現れた事の『異常さ』を思い出して警戒心を抱いたが、いまいち敵意を持てない。否、それどころかその顔に『優しさ』を感じてしまうのは何故なのか?

 この男が清夏を誘拐した組織の一員である事は、間違いないというのに。

「……あなたは?」

「おっと。レディーに対し自己紹介もしないとは、これは失礼。僕はアルベルト・クラーク・ノイマン。製薬会社アスクレピオスの取締役兼研究主任をしている」

 精いっぱいの敵意を露わにして威嚇する花中だったが、アルベルトと名乗った若い男は流暢な日本語で丁寧に答えてくれた。あまりにも素直に答えるものだから、なんとか威嚇しようとしていた花中は拍子抜けしてしまう。

 清夏が震えた手で花中の右手を掴んでこなければ、本当に気を許したかも知れない。

 どうにか踏み止まった花中は、何時の間にか乱れていた呼吸を整える。室内の消毒液の香りが、気分を落ち着かせてくれた。そして頭の方も規則的に回り始める。

 アルベルトが語った『製薬会社アスクレピオス』……通称アスクレピオス社について、花中も少しは知っている。

 というより日本人なら知らない人の方が少ないぐらいだ。世界的に有名な多国籍企業で、世界の百を超える国と地域で製品が売られているという。企業のモットーは「人命第一」。その精神は並大抵のものではなく、神話の中で死者をも蘇生させた事で神の怒りを買った医者の名を社名にし、死者蘇生を目標にしていると公言するほど。販売される薬品はとことん心身に配慮した作りとなっており、効果の割に副作用が少ない、価格も非常に良心的……等々とても評判だ。

 花中も、市販の風邪薬でアスクレピオス社製のものには何度かお世話になっている。花中以上の年齢で、アスクレピオス社の製品を使った事がない人は殆どいないだろう。

 それほどの大企業の自称取締役が、何故『未成年誘拐』という犯罪行為をやっているのか? 疑問はあるが、それについては後回しだ。

「では、ノイマンさん……一つ、訊きたいのですが、あなたは、何処から入って、来たのですか?」

「アルベルト呼びの方が好みだから、そっちで呼んでくれると嬉しいね」

「……アルベルトさん」

「ありがとう。さて、先の質問だが、どうという事はない。この部屋は構造上、四方の壁全てが開閉可能となっている。さっきは此処を通ってきたのさ」

 アルベルトは部屋の壁をノックするように叩くと、その場所に音もなく亀裂、いや、切れ目が入る。切れ目は静かに開き、壁の一部が僅かに奥へとズレてから左右にスライド。出入口が出来上がった。

 どうやら自分達が熱心に話している間に、この無音の開閉が行われていたようだ。扉がない部屋に自分達をしまう事も、これなら難なく行える。

 疑問の一つが解決したが、花中は厳しい顔を崩さない。

「では、もう二つ、質問です。何故、この部屋に来たのですか? わたし達を、どうするつもりなのですか?」

「ふむ。それについて話すと少し長くなる。この部屋では少々息苦しいだろうし、僕の執務室にご案内しよう……『サンプル』はこの部屋に残ってもらうが」

 花中が尋ねると、アルベルトはちらりと清夏の方を見遣る。

 その目は、確かに花中の方は見ていない。

 見ていないのに、花中はぞわりとした悪寒が全身に走るのを感じた。視線の外に居ながら、その視線に身も震えるほどの恐怖を覚えたのだ。

 アルベルトが清夏に向けた眼には、優しさも、慈しみも、何も感じさせなかったから。彼の目はまるで足下のアリを見下ろすかのような、無感情で無慈悲なものだった。

「……花中。わたしは、大丈夫だから」

 これまで見せていたものとはまるで違う、理解の及ばない視線に唖然とする花中だったが、清夏の声で我を取り戻す。振り向けば、清夏はアルベルトの目から逃げるように俯き、花中の手を握り締めながら震えていた。

 きっと、清夏はアルベルトの事が怖いのだろう。誘拐犯の一味なのだから当然だ。

 そう思うと、アルベルトと清夏を同席させるのはむしろ酷というものだろう。この部屋で留守番させた方が、彼女の心身にとって良いかも知れない。加えて、花中の心にも勇気が湧いてくる。 

 大切な友達を怖がらせるこんな奴に、ビクビクした姿を見せるな――――そんな勇ましい気持ちが。

「……分かりました。わたし一人で、あなたとお話します。でも、話が終わったら、この部屋に戻して、くださいね」

「おっと、それは願ってもない申し出だ。こちらとしてもそうしてくれると助かるよ。では、こちらへ」

 花中が了承すると、アルベルトは目付きを一変。人懐っこくて愛くるしい眼差しで花中を歓迎する。しかし花中はもう、その目に気を許さない。明らかに裏がある眼差しを、どうして信用出来るのか。

 アルベルトはエスコートするように部屋の外にゆっくりと出た。花中はその後を追って部屋の外に出ると、開いていた壁が動き出し、出入口を塞ぐ。

 自分が居ない間清夏の身が心配だが、以前清夏から聞いた話曰く、以前監禁されていた時も物理的な『酷い事』はされていないらしい。今回もきっと大丈夫だと信じ、花中は歩き出したアルベルトの背中を追った。

 アルベルトが進むは、電子的な光だけが照らす通路。三十メートルほど進んだ先に通路の突き当たりがあり、そこには人が数人は入れるぐらい大きな、半透明なガラス容器が置かれていた。

 アルベルトはガラス容器の中に入ると、「こっちだよ」と言って花中にも乗るよう促す。警戒しつつ花中も乗り合わせると、アルベルトは容器内にあった機械 ― しかし金属製とは思えない、まるで水晶のような質感と透明感がある奇妙な材質のものだ ― を操作。ガラス容器は入口部分が閉じるやとても静かに、揺れ一つなく動き出して上昇を始めた。

 エレベーターだったのか。自分の乗せられたものの正体を今になって察した花中は、半透明な壁から外の様子を窺い知ろうとする。が、エレベーターは十数秒後には停止。花中が乗り込んだ方とは真逆の場所が開いた。アルベルトはすぐにエレベーターから出てしまい、花中は満足に景色を見られないうちにエレベーターから降りざるを得なくなる。

 エレベーターを出た先には数十メートルは伸びている廊下があり、アルベルトは廊下の突き当たりにある扉の前までゆったりと歩く。彼が前に立つと扉は自動的に開き、アルベルトは更に奥へと進んだ。花中も怯む身体に気持ちの鞭を打ち、扉の先に足を踏み入れる。

 辿り着いたのは、とても広い部屋だった。

 部屋は円形をしており、直径は二十メートル近くあるように見える。これだけ広ければ何十もの人が働けそうだが、室内にあるのは中央にある高価そうなデスクと、そのデスクの周りにある数台のモニターのみ。部屋を囲うものが壁ではなくガラス窓という事もあり、広々とした印象をより強いものにする。ガラス窓の向こうには、星が見えない夜空と、まるで光の絨毯のように輝く大都市の夜景が広がっていた。

 見た目の印象としては、お洒落な社長室。実際社長室なのだろう。自称アスクレピオス社の取締役であるアルベルトが、なんの迷いもなく部屋の中心にあるデスクに腰掛けたのだから。

「ようこそ、アスクレピオス役員室……まぁ、僕の自室みたいなものだけどね。年頃の女性を迎えるには少々飾り気がないとは思うが、リラックスしてほしい」

 アルベルトは人の良い笑顔で花中を歓迎し、花中はそれを、出来るだけ鋭くした眼差しで返した。

「……では、早速教えてくれますか? どうして、わたし達を連れ去ったのか」

「おっと、早速その質問か。根が真面目なんだね」

 花中が問い詰めると、アルベルトは肩を竦めながらも笑みを見せる。心から感心したような、或いは尊敬しているような。純粋な好意を放つ。

「一言で例えるなら、人助けのためだよ」

 故に、彼が告げたこの言葉を、花中はほんの一瞬無抵抗に信じそうになった。そのまま信じ込まずに済んだのは、彼等が『人攫い』という横暴に出ている事を知っていたからに過ぎない。

 彼等は御酒家の人間達に、大きな悲しみを背負わせている。その悲しみを生み出しておきながら人助けなど、片腹痛いとはこの事だ。

 しかしながら彼の真摯な眼差しに、嘘を感じる事は出来ない。少なくとも、アルベルト当人は先の言葉を本心から信じているようだ。それが違和感となって、花中の心にじわじわと疑念を抱かせる。

「……どういう意味ですか?」

「その説明をする前に、一つの前提を説明しよう。僕達アスクレピオスは、人間により構成された組織だ。人間以外が含まれていない事は、定期的な身体検査により確定している」

「……………」

「そして君には一つ確認をしておきたい。君はあの『サンプル』……あー、なんだったかな、名前は。確か、そう、御酒清夏だ。彼女が人間ではない事を知っているのかな?」

「……はい」

「では彼女が、不思議な力を使う事も?」

「ええ、知ってます」

 花中は質問に答えながら、目まぐるしく思考を巡らせる。先日予想していた通り、アルベルト達の組織は清夏が人外……ミュータントである事を把握しているらしい。そして彼等の組織が、人間主体で構成されたものである事も。

 気になるのは、どんな目的でミュータントを研究しているのか。語られるのは真意か、虚言か。真偽を見誤らないよう、花中はアルベルトの声に意識を集中させた。

「僕達はアレら特異生命体の研究をしていてね。目的は、人類がどんな脅威に直面しようと負けない、確かな力を得る事だ」

 そしてアルベルトは、臆面もなくそう語った。

「……確かな、力……? それは、どういう……」

「君は、『怪物』と呼ばれる存在を知っているかな?」

 尋ねようとした花中の言葉に、アルベルトは更なる問い掛けをしてくる。

 その問い掛けに、花中は思わず息を飲んだ。

 『怪物』。

 その単語が指し示す意味合いは人によって様々だ。しかし花中に思い浮かぶのは二つだけ。

 親友であるフィア達ミュータント。

 そして、『マグナ・フロス』や白饅頭達……人智を凌駕する野生生物達の事である。

「ふむ、少し言い方が曖昧だったね。定義をハッキリさせよう。僕の言う怪物とは、現在一般に存在が知られておらず、尚且つ今の人類科学では根絶が難しい一般種……さて、心当たりはあるかな?」

 動揺する花中に、アルベルトは更に具体的な言葉で問い詰める。どうやら後者、白饅頭達を指しているようだ。

 花中はこくりと頷いた。嘘を吐いても仕方ないし、何よりここまで具体的に訊けるという事は、アルベルトは何もかもお見通しなのだろう。アルベルトは満足げに微笑みながら話を続ける。

「その怪物達の人間社会侵出が現実になりつつある事も?」

「……一応は」

「じゃあ、怪物達が一斉に文明社会に出てきたら、この世界はどうなると思う?」

「……………」

 アルベルトからの問いに、花中は口を噤んだ。

 怪物達の力は圧倒的だ。例えば白饅頭は超兵器をはね除けるほど強く、もしも彼等が人類社会に現れても、人間には為す術もない。たくさんの人が殺され、社会は破壊されるだろう。

 しかしそれで被害が留まればまだマシな方だ。

 現代文明は自らの生存圏をも破壊するほどのエネルギー消費と、それを供給するインフラによって成り立っている。もしも怪物達の活動によりそれらインフラが大きく破壊されれば、文明は維持出来ない。修復しようにもやはり莫大なエネルギーと資源が必要なため、破壊の規模があまりにも大きければそこに手を回せなくなる。

 もしも怪物がそうしたインフラを次々に破壊したなら? 彼等の力ならば難しい話ではない。そしてそれが世界中に広がったなら? 国家どころか文明すら維持出来ない可能性がある。

 文明そのものが消失しても、人間は死滅しないだろう。それは原始人の存在や、今でも原始的な生活を続けている民族の存在が証明している。そもそも人間だって生命の一つだ。野生生物が乱獲や環境破壊を生き抜き、中には人間社会へ進出するほどのタフネスを見せているように、人間だってそう簡単には絶滅なんてしない筈である。

 しかし今の人口は維持出来ない。旧石器時代……農耕が開発される前までの人類人口は、推定三百万人未満だ。下手をすればここまで数が減る事は、これこそ原始人の存在が証明している。いや、自然環境が他ならぬ人の手によって破壊された今の地球で、この数すら維持出来るのか……

 文明が消えれば何十億もの人が死ぬ。無尽の悲劇が広がり、悲しみが世界を包む。産まれる子供に希望はなく、ただただ怯え、震える毎日を強いられる。

 それは、人が知的生命体から野生生物へという事だ。

「怪物達の侵出はこれから本格化してくるだろう。その時人類を、これから産まれる子供達を守るためには力が必要だ。とはいえ技術は一朝一夕で伸びるものじゃない。どんな天才が現れようと、その天才が発達させようとしているものは、数万年の間に何百万人と現れた天才達が積み上げたものだからね」

「……それは、その通りだと思います」

「そう、人間の力だけでは、悔しいけどどうにもならない。でも一つだけ方法がある」

「方法?」

「自分達より先の技術を学べば良い」

 アルベルトの『名案』。花中は最初彼が何を言いたいのか分からなかったが、少し考えを巡らせれば答えは察せられた。

 人の力が怪物に劣るというのであれば、怪物をも上回る生命体の力を用いるしか勝ち目はない。そんな力が存在するのか? ……あるではないか。自分はそれを幾度となく目の当たりにしている。

 ミュータントの力だ。

 アルベルトは、ミュータントの力を用いて怪物を打ち倒すつもりなのだ。

「アレらの力を知っているなら、分かるだろう? 特異生命体の力は、現代の科学では到底再現出来ない代物だと」

「……わたしやあなたなんかじゃ、分からない方法が、あるかも知れませんよ?」

「ははっ、これは手厳しい。でもそこは保証しよう。アスクレピオスの科学者全員が無能でない限り、その結論は揺らがない」

 花中の嫌みを、アルベルトは笑顔で返す。実際、花中も彼と同じ考えだ。水を分子レベルで自在に配列させるような力など、現代科学の領域ではない。

「同時に、現代科学の多くに生物由来の技術が使われている事は知っているかな?」

 そこに付け加えるように、アルベルトが問いを投げ掛けてくる。

 与えられた二つの情報。頭の中でこれらが結び付いた時、花中の脳裏に一つの単語が浮かび上がった。

 生物模倣バイオミメティクス。生物が持つ特殊な生態機能を解明し、それらを模倣する事で実社会に役立てる科学技術。騒音を抑えた新幹線や、雨で汚れが落ちる塗装、強力な粘着テープなど、既に多彩なものが実用化されている。

 生物の力を模倣する事で、人類は生命の力へと至り、凌駕してきた。模倣により今まで敵わなかった存在に手が届き、引きずり下ろす事が出来るようになったのだ。それは人間の社会を豊かにするだけではなく、自然を征服するための『偉大』な一歩である。

 ならば、もしミュータントの力を模倣すれば? 人智の及ばない力の正体を、一部なりとも解き明かせたなら?

「ふふ。答えに辿り着いたかな? 手間が省けて助かるよ」

 顔に出ていたのだろうか。アルベルトに考えを読まれ、花中は心臓が跳ねた。しかし今更、こんな一言で動揺などしていられない。そう、この考えが正しければ暢気に考えてる場合などではないのだ。

 人間を虫けらのように見下す彼女達の能力の秘密に迫ったなら、その一部でも模倣したなら……人間はミュータントの力の片鱗を手にする事となる。片鱗はミュータントを傷付けうる刃となり、人類を守護する盾ともなるだろう。即ちこれまで一方的に嬲られるだけだった力関係が、拮抗に近付き、返り討ちに出来る可能性が生じるのだ。

 果たして勝ち目が見えた時、人類はおぞましい怪物との対話や共存に興じるのか。花中には到底考えられない。話が通じる相手すら理由を付け、殺す事を選ぶのが人間だ。言葉が通じるかも分からない『怪物』相手に、まずは話し合いをしようとするような種ではないだろう。

 選択される手段は、排除のみ。

「あなた達はミュータント……特異生命体の力を、以てして、戦うつもりなのですか……脅威を、根絶するまで……!」

「うーん、惜しい。人間に協力的な特異生命体であれば、『共存』していくつもりだよ。怪物は根絶やしにするけど、特異生命体とは対話が可能だからね」

 それに僕は平和主義者だからさ――――いけしゃあしゃあと訂正するアルベルトに、花中は憤りを感じる。

 アルベルト達の組織の目的そのものには、花中は反発しない。

 ミュータントの力は強大だ。その力を前にして人間が生き残れるとは思えない。だから人間が生き残るための力を手にし、未来に存続出来る可能性が生じる事は、花中としても大いに悦びたいところである。

 しかしその力を得るための暴虐を、どうして隠そうとする。

 共存をしていくつもりがあるのなら、どうして清夏を誘拐なんてしたのか。彼女の気持ちを考えれば、共存なんて言葉が出てくる筈がない。

「それなら、なんで御酒さんを、誘拐したのですかっ! 御酒さんには、御酒さんの、生活があって……!」

 湧き出した怒りを抑える事が出来ず、花中はアルベルトに激昂した感情をぶつける。

 するとどうした事か、アルベルトは目を丸くしてキョトンとしてしまう。首を傾げ、考え込むように顎をしきりに摩った。

「……何故人間以外の生活なんて考える必要があるんだい?」

 やがて開いた口から出たのは、心底不思議そうに、心から答えを知りたそうな疑問。

 今度は花中が呆け、戸惑う番だった。

「な、なんでって、だって、あの子には人間のような心が、あって……!」

「心の有無で人権の有無を決めるのは納得しかねるな。例え脳や精神に障害があろうとも、親にとっては大切な子供だろう? それに個人や国家毎に価値観は違う。価値観が違えば、心の有り様にも差異が生じるものだ。障害者や異人種の人権を蔑ろにする意見には賛同しかねる」

「そ、そうではなくて、御酒さんの気持ちを……!」

「だからそれが分からない。アレは人間じゃないのだから、研究サンプルとして活用しても法的問題はない筈だよ? 稀少種ならワシントン条約などの問題があるけど、アレは市販されてるような種だし。あ、彼女の『飼い主』の話か! しまった、確かに彼等には申し訳ない事をしたね。その辺りの事を失念するとは……きちんと謝罪と賠償を行わないといけない。法務部と相談し、直ちに対応させよう」

「だ、だか、ら……」

 説得しようとする花中だったが、段々とその顔から血の気が失せていく。口が上手く回らなくなり、言葉が途切れ途切れになってしまう。

 うっすらと感じ取る、アルベルトの思想。

 彼は、人間至上主義なのだ。それも極度の。人間である事、人間に尽くす事が第一であり、人間以外の生命に愛着など持たない。否、むしろ人間の役に立つ事こそが他の生命の使命とすら考える。彼の言う共存とは、滅ぼしはしないが人間のための『資源』として活用する……家畜のような状態を指し示すのだろう。

 それは花中の考える共存とは、全く違う。そんなものを共存と呼ぶ者と、仲良くなりたいとは思えない。

 アルベルトとは致命的なほどと花中は察した。

 アルベルトの方も同じらしく、賛同を示さない花中を見て少しばかり困ったような表情を浮かべる。

「ふぅむ、どうやら僕と君では考え方が異なるようだね。出来る事なら君には僕達に協力してほしかったけど、それも難しいかな」

「協力……?」

 アルベルトの言いたい事が分からず、花中は眉を顰めた、丁度、そんな時だった。

 不意に、室内に甲高い音が鳴り響いたのは。

 突然の音に驚き、花中は思わず飛び跳ねてしまう。バクバクと脈打つ胸に手を当てながら無意識に辺りを見渡し、その音が室内の一角にあるスピーカーから流れている事に気付いた。次いで、流れている音が警報の類である事も。

「おっと、噂をすればなんとやらだ」

 困惑する花中を他所に、アルベルトは冷静に ― むしろ少し楽しそうに ― 微笑む。彼がデスク上で何かを操作すると、天井や床が開き、中から大きなモニター画面が何台も出てきた。

 突如出てきた機器の数々に花中が動揺していると、アルベルトは花中を見つめながら手招きしてくる。こちらにおいで、という意思表示だろうか。

 人間至上主義者であろう彼が自分を騙すとは思えない……が、それでも思想の違いから、花中は彼に警戒心にも似た想いを抱いたままである。恐る恐る、アルベルトの傍へと歩み寄った。

 その歩みが駆け足になるのに、そう時間は掛からなかったが。

 ちらりと見えた画面の端。そこ映るのは三つの人影と、瓦礫の山。

 建物の一角をぶち破ってこの建物に侵入してきたフィア達だと気付いた花中に、モニターを見ないという選択肢はないのだから……

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