未来予想図8

 人間達とケダモノ達の晩餐会は、夕暮れ時を迎える前に終わってしまった。

 空から、無数のヘリコプターがやってきたのである。ヘリコプターが近付くとマーガレット達の通信機器に音声が送られた。早口の英語で、花中にはよく聞き取れなかったが……僅かに聞こえた単語と雰囲気からして、マーガレット達に撤収を促すものなのは理解出来た。

 やがてヘリコプターがミィと白饅頭達の決戦により出来た広間に降り立つと、マーガレット達は統率された素早い動きで乗り込んでしまった。別れの挨拶を交わす暇もなく、白饅頭の味に名残惜しむ事もなく、訓練された戦士である彼女達は撤収命令に躊躇なく従ったのである。戦車なども巨大なヘリに乗せられ、空へと飛び立つ……さらりとやってのけたが、空輸向けに軽量化された型なら兎も角、普通の戦車を運ぶとは恐るべきパワーのヘリコプターだ。それだけで、マーガレット達の組織の技術力の高さが窺い知れる。

 撤収はごく短時間で完了し、今では全員が空の旅の真っ最中。地上の広間に立つ花中は、赤らむには少しばかり早い青空に浮かぶ何十もの黒い影をじっと眺めていた。

「随分と忙しない人達でしたねぇ。まだまだお肉はたくさんあるのですからお土産に持っていけば良いのに」

「……そうだね」

 傍に立つフィアの意見に、花中は淡々と同意する。ミィも花中の隣に居て、離れていくヘリコプターの後ろ姿を花中と一緒に眺めていた。

 人知れず、人間社会を守るために戦い続ける戦士達。

 今日初めてその存在を知った花中は、何時までも彼等が乗るヘリを見続けた。何処へ向かうのか、追い続ければもしかしたら少しは分かるかも知れない……そんな淡い期待が、胸の奥底にあったがために。

「さぁてお腹もいっぱいになりましたしそろそろ帰りましょうか」

「さんせーい。あたし、もう疲れたしお腹も膨れたし、正直眠いんだよねぇ……あふぁ」

 尤も、動物達はマーガレット達が何処へ行くのかなど、さして興味もないらしい。

 花中は乾いた笑いを漏らしつつも、確かに自分の行為が無駄なものであるとの自覚はある。何時までも立ち続けていたところで、何も得られはしない。

「……うん。そうだね」

 こくりと頷き、花中はフィア達の意見に同意した。

 フィアは早速とばかりに花中の手をつなぎ、「それでは行きましょう」と言いながらその手を引っ張る。行く先は麓にある人間の町。町へと続く、ミィ達の激戦を生き延びた森だ。

 ミィは余程眠いのか、ふらふらしながら軽やかという矛盾した足取りで花中達を追い抜き、一匹で森の中へと入ってしまう。しかしながらミィが先行したからといって、慌てるようなフィアではない。むしろ花中と二人きりになれて上機嫌なのが、荒々しく吐かれた鼻息から察せられた。手を握る力がほんの少し強くなったが、抗うつもりのない花中はそっと握り返すだけ。仲良く一緒に、広間を囲う森の中に足を踏み入れようとした

 寸前に、花中は足を止めて振り返る。

 もうなんの姿も見えない、大空を見つめるために。

「花中さん? どうかなさいましたか?」

 花中に合わせて立ち止まったフィアから問われ、花中はしばし押し黙っていたが……やがて首を横に振った。作り笑いも浮かべて。

「ううん、なんでもない。ちょっと、気になっただけだから」

「そうですか。では先に進みましょうか」

 フィアは花中の作り笑いを気にする事もなく、再び花中の手を引いて森の中へ進もうとする。花中も、その歩みに合わせて森の中に向かい、足も踏み入れた。ざくざくと落ち葉を踏み締めながら、自宅を目指して真っ直ぐ進む。

 だけど途中で一回、最後に一回だけ、また立ち止まった。フィアも足を止め、キョトンと首を傾げながら花中をじっと見つめる。

 花中はしばし身動ぎもせずに立ち尽くしたが、やがて大きなため息を吐き、ぷるぷると顔を横に振る。

 それから浮かべた笑みは、すっかり明るくなった微笑み。

「ん、ごめんね。急に、立ち止まって。行こうか」

「分かりました。ですがどうして急に立ち止まったのです? 考え事があるなら別に待っていても構いませんけど」

「あ、考え事とかじゃ、ないの。考えても、仕方ないというか、分かんないし」

「はぁ。そうなのですか」

 花中の答えに、フィアはぼんやりとした反応を示すのみ。恐らく、花中が何を言いたいのかよく分からないのだろう。

 花中も、分かってほしいとか、相談に乗ってほしいという訳ではない――――これは、人間がどうにかしなければならない問題なのだから。

「ほら、早く行かないと、日が暮れちゃうよ。夜の森は、危ないんだから」

「いや立ち止まったのは花中さんの方じゃないですか。あと別に夜の森でも私なら問題は」

「良いから、良いから」

 今度は花中が引っ張りながら、フィアを森の奥へ連れて行こうとする。

 抗おうとすれば簡単に抗えるフィアは、だけど文句の一つも言う事なく、大人しく、むしろ楽しげに花中の後を追うのであった。













「隊長。コーヒーを煎れましたが、どうです? 一杯」

 カタカタと揺れる、乗り心地の悪いヘリコプターの機内で、マーガレットは部下の男から一杯のコーヒーを振る舞われた。

 座席にもたれ掛かった状態のまま、マーガレットは一瞬考え込んだ後「貰おう」と言って部下が持つコーヒーカップに手を伸ばす。カップを口許に近付ければ独特にして芳醇な香りが鼻をくすぐり、口に含めばすっきりとした苦みが舌を満足させる。

 部下からコーヒーを振る舞われた事は幾度かあるが、この味は中々のものだ。今までに飲んだものの中でトップクラスといっても過言ではない。

「ほう……中々美味いじゃないか。何処で習った?」

「エブリスの奴から教わりました。三日前に」

「……そうか。エブリスか」

 確かに奴のコーヒーは美味かったと、マーガレットは納得する。奴は部隊内で一番コーヒーを煎れるのが上手かった。もう一度あの味を堪能したいものだと、マーガレットは懐かしむ。

 だが、それは叶わない。

 エブリスは昨晩、強襲してきた3FB2の大型個体に襲われ、腹の中に収まってしまったのだから。

「……今回の犠牲者は、何人だったかな」

「死者に限定しても三百十八名。腕などを負傷し戦線復帰が困難な者も同程度います」

「そうか……だが、相手を思えばマシな方だな」

「ええ、マシな方です。文字通りの全滅よりは、余程」

 同意する部下の言葉にため息を返し、マーガレットはカップに残っていたコーヒーを一気に飲み干す。吐き出された熱い呼気と共に、腹の中に溜まった激情を外へと追い出した。

 それでも、腸が煮えくり返るのを抑えられない。

 完敗だった。

 戦力さえ補充されれば、新兵器さえ到着すれば3FB2を殲滅する事は可能である。それが作戦途中での上層部の判断であり、同時にマーガレットが戦っていて感じた印象だった。確かに人類文明すら滅ぼす可能性を秘めた怪物だったが、そうなる前に叩けば抑え込む事は可能であり、人類にとって乗り越えられる試練でしかないと、『あの時』は本気で思っていた。

 なのに結果はどうだ?

 新兵器は雑魚を数千匹殺すのが精々。本当の親玉には傷一つ付けられず、逃げ出さずに呆然と立ち尽くすのが精いっぱい。結局3FB2を安全な個体数まで減らしたのは、偶々山を訪れていたもう一匹の『化け物』という有り様だ。

 自己採点ですら0点を付けざるを得ない体たらく。しかしマーガレットは上層部の叱責を受ける事や、自身の評価が下がる事に関心などない。

 彼女は常に、人類について考えているのだ。

「……今までに遭遇してきた中でも、あれほどの生命体は初めてだった。人が触れていない領域には、あのような怪物共がひしめいているのか……?」

「かも知れません。技術部にはもっと強力な武器を作ってもらわねばなりませんね。また今回のようなモンスターが現れた時、今度こそ人間の手で世界を守れるように」

 マーガレットが漏らした独り言に、部下の男は熱い言葉で答える。

 マーガレット達の仲間の多くは、人類社会を守るのためという正義感で戦っている。勝ち目があるか分からない、一方的な蹂躙や絶望的な力の差を示される事もある『超生命体』との戦いで、名誉や狂気はさして役立たない。どんな相手にも立ち向かう、頑強な正義の心が必要なのだ。

 故に部下は熱い言葉を語った。マーガレットもそれは分かっている。

 分かった上で、つい、鼻で笑ってしまった。

「人間の手で、ねぇ……」

「……隊長?」

「ん、ああ。気にするな。少し疲れているからか、弱音が出てしまったよ」

「……あの戦いは、苛烈でしたからね。基地までの残り時間、お休みになりますか?」

「そうだな。そうしよう」

 肯定すると、部下の男は敬礼をして迅速に座席から離れていく。優秀な兵士である彼の事、他の部下達にもしばし静かにするよう伝えてくれているに違いない。尤も、他の兵士達は自分以上に疲れている筈なので、わざわざ言うまでもないとは思っていたが。

 なんにせよこれならゆっくりと考え込める。マーガレットは一層座席に深く座り直し、目を閉じながら深い吐息を漏らした。そしてコーヒーの苦味と芳醇な香りのお陰で落ち着いた心で、静かに物思いに耽る。

 ――――此度の戦いで、ハッキリと分かってしまった。

 今まで、マーガレット達の組織は様々な危険生物を駆除してきた。対物ライフルを跳ね返すオオトカゲ、戦車を貪り食う巨大ムカデ、ヘリコプターを落とす怪鳥……大勢の犠牲を出しながらも討伐したそれらは、この星ではちっぽけな虫けらの一員でしかなかった。本当に恐ろしいものが、人の知らない脅威が、この星には潜んでいるのだ。

 既存の生態系に根付く、人智を越えた力を誇る超生命体。その超生命体をまるで羽虫のように嘲笑う化け物 ― 恐らく昨年末、異星生命体を粉砕した『怪獣』と同質の存在だろう。米国では特殊危険生命体と呼称されているらしい。長ったらしいので化け物と呼ぶ事にする ― 達……どちらにも、自分達はまるで歯が立たなかった。

 人類の科学力は素晴らしい。様々なエネルギーを生み出す事で大きな力を得て、数多の自然現象を克服し、潤沢な食料生産と生活の効率化と強大な兵器を持つ事を成し遂げた。お陰で人類は世界中に分布を広げ、今では七十億以上の個体数を誇るほど。この星の支配者を名乗るに相応しい、圧倒的な繁栄を遂げている。

 しかしその力は奴等には届かない。小手先の技術では、圧倒的な力を持つモノには敵わないのだ……日本に住む昆虫の一種・ミイデラゴミムシが過酸化水素とヒドロキノンの合成という高度な『技術力』を用い、百度以上の高温ガス攻撃を可能としていながら、人間相手では指先に臭う染みを作るだけの『へっぴりむし』に過ぎないように。例え分子破壊弾なんて大層なものを開発したところで、超生命体、その超生命体を凌駕する化け物共には『へっぴりむし』でしかないのである。今の人間の実力では、彼女達と同じ土台に立つ事すら許されていない。

 へっぴりむしである人間に出来るのは、祈る事だけ。化け物が超生命体を叩きのめしてくれて、自分達に興味を持たないでほしいと期待するのみ。さながら今日の戦いのように。

 或いは、それで良いという考え方もあるだろう。モンスター同士で潰し合いをしてもらい、その隙間で人類は繁栄を享受する。極めて堕落的で、それでいて最も現実的な発想だ。

 だが、もしも。

 もしもあの『化け物』が繁殖をしたら?

 超生命体を遙かに上回る戦闘能力を有する種が、既存の生態系を塗り替えていったら? 全て超生命体を殺し尽くし、全てを奪い取ってしまったら? その時、人類には何が出来る?

 何も出来やしない。この戦いと同じように。

 ――――あの『少女』は、きっとそれを分かっていたのだろう。

「……あの戦いは、『未来予想図』だ」

 ぽつりと、マーガレットは独りごちる。

 地球では今、何かが起きている。

 異星生命体の襲来とその後の決戦が契機か、はたまたそれより前に起きた謎の『全人類失神事件』の影響か。いずれにせよ、今まで静かに眠っていたモノ達が目覚め始めている。この星に暮らす強大な生命体と日々戦っているマーガレットは、それを感じ取っていた。

 繁殖した化け物達、生態系の乱れから続々と現れる超生命体……恐らくは近い未来、あの山で起きた戦いは世界中で頻発するようになるだろう。奴等よりも更に恐ろしい敵が、今回以上に物資も情勢も安定しない中で暴れ回るかも知れないのだ。人類がどれほどの努力をしようと、血と涙を流そうと、奴等はそれを『へっぴりむし』のように踏み潰す。何もかも蹂躙し、粉砕し、無に帰す。人類の英知も、想いも、命も、奴等にとっては靴底の染み程度でしかない。

 人類は滅ぼされる。為す術もなく、踏み潰されるように呆気なく。

 希望があるとすれば、あの『未来予想図』の中で、人間少女は化け物達と友達になっていた事ぐらいか。化け物達は人間並の知性を有し、会話も出来ていた。価値観の違いはあるようだが、それは人間相手でも変わらない。話し合いは可能であると考えられる。

 星の支配者の地位は譲ろうとも、人の生きる余地があるのなら、それは希望だ。例えこれから起こる戦いに勝ち目がなかろうとも、人類が未来へと続くのなら……マーガレットとしては十分に嬉しい。それを掴み取るために戦いが必要ならば、喜んでこのちっぽけな命を差し出そう。

 戦いへの決意を胸に、マーガレットは気持ちを切り替える。切り替えようとする。

 だが、不安が心の隅にこびり付く。

 何故そんな事を思うのか、マーガレット自身にも分からない。じわじわと心の奥底を蝕み、抱いた希望をボロボロにしていく。

 やがて、マーガレットの脳裏に一つの『予感』が過ぎる。

「……何を馬鹿な」

 自然と口から出てきた言葉は、紛れもない本心。

 それはあまりにも馬鹿馬鹿しい発想で、何もかもが矛盾していて……なのにどうしてか頭から離れない。これまでに積み重ねてきた経験と、磨かれてきた本能がその考えを受け入れてしまう。全身から血の気が引いていき、身体が震えだす。

 少女と、化け物達。

 あの輪の中に『人間』が入る余地なんて何処にもないと、何故そう感じるのか分からぬまま――――

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