第十一章 未来予想図

未来予想図1

「ねぇ、一緒に狩りに行かない?」

 事の始まりは、ミィが暢気に切り出したそんな一言だった。

 雲一つない青空から降り注ぐ八月末の朝日の中、自宅の庭で洗濯物を掛けていた花中は、傍に立つフィアとまるで息を合わせたかのように同じタイミングで首を傾げる。履いているスカートが家事の中で乱れていたので両手で整えながら、花中はミィの方へと振り返った。

 ミィが言った、狩り、という言葉に違和感を覚えた訳ではない。ミィは猫であり、猫とは肉食獣である。つまり生きている動物を狩り、それらを食べて生きているものだ。同じく『肉食獣』であるフィアも毎日虫取り狩りを行っている。ミィが狩りを行うのは、なんらおかしな話ではない。

 疑問なのは、その狩りに何故自分達を誘うのか、だ。何しろこんなお誘い、今日初めてされたのだから。

「……随分と急な誘いですね。何か企んでいたりしますか?」

「企むって人聞き悪いなぁ、あたしゃ猫だけど。自分だけってのも暇だから、たまには話し相手がほしいなぁって思っただけだよ。花中は兎も角、アンタはどうせ暇でしょ?」

 同じ疑問をフィアも抱いたらしく明らかに訝しみながら尋ねたが、ミィはへらへらと笑って答える。

 なんとも他愛ない答えであるが、花中としてはむしろ『説得力』を感じられた。本来野生動物にとって狩りとは、時として命を失う事もある大仕事。軽い気持ちで挑むものではない……が、ミィは近代兵器すら通じない肉体の持ち主だ。イノシシに突撃されてもなんのその、日本最大の肉食獣であるヒグマが渾身の一撃をお見舞いしたところで虫刺されほどにも感じまい。

 ミィにとって狩りというのは、遊びみたいなものなのだろう。その遊びに誰かを誘いたいという気持ちは、『雑食動物』である花中にも分かるものだった。

「……花中さんが行くのでしたら私は構いませんけど」

 フィアにとっても狩りが遊びなのは同じ事。基本花中と一緒に居る事以外の関心がないフィアは、花中の意見を求めてくる。

 そして今日の花中は、特段これといった用事もない。強いて挙げるなら現在進行形でやっている洗濯物ぐらいだ。その洗濯物は、今さっき掛けたもので最後。

 用事がなければ、花中は友達からの誘いを断るようなタイプではなかった。

「えと、今日は用事もないですし、行けますけど……わたしも一緒で、大丈夫、ですか?」

「勿論! 賑やかな方が楽しいし!」

 花中が参加の意思を示すと、ミィは嬉しそうに小さくガッツポーズを取りながら快諾。どうやら余程一匹だけで行くのは嫌だったらしい。なんとも正直で可愛らしい反応に、花中はくすりと笑みを零す。

「ところで何処に行くつもりなのですか?」

「泥落山だよ。久しぶりに遊べそうだなぁって思ったからさ」

 ただしその笑みは、フィアが投げ掛けた質問にミィが答えた途端、強張ってしまったが。

 泥落山。

 それは花中が暮らすこの町にとって、身近ながらもあまり親しみの感じられない山。バードウォッチングの名所となるぐらい自然豊かだが、じめじめしていて、足下が不安定な、とても危険な場所である。

 ……別段、これだけなら花中とて笑みを強張らせたりしない。むしろフィアとの出会いや、ミィと本当の意味で打ち解けた時の事など、楽しい思い出でますます笑顔になれる場所だった。

 ほんの一週間ほど前に、フィア達からあの山に『何か』が潜んでいると聞くまでは。

「あ、あの……泥落山って、事は……その、何か、居るんですよ、ね……?」

「ん? そりゃあ何は居るでしょ。クマとかシカとかイノシシとか」

「そ、そうではなく、えと、しょ、植物園に行った、次の日に話した……」

「……………あー、そーいやそんな話をしたね。うん、なんか居るよ。何が居るのかはさっぱり分かんないけど、ずーっと前からね」

 花中が尋ねてみたところ、ミィはあっけらかんと答える。どうやら今の今まで、気にも留めていなかったらしい。フィアに至っては言われても思い出せないようで、首を傾げる始末。

 事実、フィア達からすればどうでも良い相手なのだろう。しかし花中達人間にとっては、そうとは限らない。

 先週起きた出来事――――古代生物『マグナ・フロス』の復活は、人類にとっては文明の存続が危ぶまれるほどの危機であった。航空機を撃ち落とすどころか、恐らくは弾道ミサイルの迎撃すら可能であろう桁違いの戦闘能力。地下茎を延ばし、際限なく増えていく繁殖力。哺乳類ならばなんでも操ってしまう特殊能力……数万年もの間積み重ねてきた人類の英知を、嘲笑うかのような力を有した生命体だ。

 フィア達ミュータントほどではないが、『ただの生物』でもあのような力を持つ事が出来ると明らかとなった。そしてそのような生物が、身近な存在である事も。

 泥落山に暮らす『何か』の力は誰にも分からない。だけどもしも、それが人間の手に負えない恐ろしい力を持っていたら? それがフィア達の存在感で目覚めたら……

「どうしましたか花中さん?」

 フィアが呼び掛けてくれた事で、花中はようやく我を取り戻す。何時の間にか掌には汗を掻いていて、身体は小さく震えていた。不安に心が支配され、無意識に怯えていたらしい。

 花中は深呼吸をして身体の中の嫌なものを吐息と共に外へと出し、代わりの空気を吸い込む。外の大気は夏のじめじめとした熱と湿り気を帯びていて、お世辞にも爽やかとは呼べないものだが、花中が今まで抱いていた気持ちに比べれば遙かにマシだ。お陰で心は幾らか落ち着きを取り戻す。

 一度、冷静に考えよう。

 泥落山に『何か』が潜んでいるのは間違いない。フィア達の鋭敏な本能が気配を捉えたのだから、これを並の人間よりも鈍感な花中が理由もなく疑うのは無礼というものである。また、その『何か』は最近になって急に現れた訳ではないとの事。

 そしてミィはよく泥落山で狩りをしているらしい。つまり頻繁に訪れている。加えて花中達は泥落山で、ダムを壊したり、水素爆発を起こしたり、結構な騒ぎを起こしてきた。もしもその『何か』がフィア達の存在感だけで出てくるような生物なら、とっくに現れている筈だ。

 しかし今のところ、そんな生物は町を襲撃するどころか、山で見掛けたという噂さえも聞こえてこない。つまりフィア達のは彼等を活性化させるものではなかったと言えよう。或いは個体数が極端に少ないとか、地下深くに潜んでいて人と関わりのない場所に棲んでいるとも考えられる。

 ならば、何故恐れる必要があるのか?

 スズメバチやヘビと同じだ。泥落山には彼等のような、人間にとって危険な生物が数多く暮らしている。しかし危険だからといって、無闇に恐れる必要はない。この時期のスズメバチは豊富な餌を食べて比較的穏やかだし、ヘビは足下をしっかりと確認しながら進み、見付けたら触らないようにすれば噛まれる事はまずないのだから。何より彼等は虫やネズミを補食し、生態系のバランスを保っている存在なのである。彼等を退治すれば、喰われていた側の数が増え、農作物の壊滅や疫病といった形で人間に実害をもたらすだろう。

 泥落山に暮らす『何か』も、こちらからケンカを売らなければ大人しい生物なのかも知れない。それに昔から居たのなら、生態系の一部となっている筈だ。一時の感情で退治しても、後々人間の首を絞めるだけである。

 無闇に嘗めず、過度に恐れず。ミュータントとの付き合い方と同じだ。

「……うん、大丈夫。ちょっと、考え過ぎていただけだから」

「そうですか。花中さんは賢いですけどなんでも考え過ぎて時折お馬鹿さんになりますよね」

 かなり間を開けて、花中はフィアの問いに答える。フィアは大変正直な感想を漏らし、全く以てその通りだと思って花中はふにゃっとした笑みを浮かべた。

「随分と楽しそうにしてるわねぇ」

 そんな和気藹々とした空気に誘われたかのように、虚空から声と黒い靄が現れる。

 靄は形を作り、ミリオンとなって地上に舞い降りた。今となっては誰も驚かない登場方法。この中では一番の小心者である花中でも、なんの動揺も感じないぐらい慣れた光景だ。勿論普通に話し掛けるぐらい余裕である。

「あ、ミリオンさん。えっと、これからミィさんと一緒に、狩りに行こうと、思うのですけど、一緒に来ますか?」

「んー、ぶっちゃけ興味ないから留守番で良いわ。狩りなんて野蛮な遊び、淑女のする事じゃありませんもの」

「悪かったねぇ、野蛮で」

 わざとらしく淑女ぶった言い回しで遠慮するミリオンに、ミィは顔を顰めて不満を露わにする。とはいえ本気の嫌味や侮辱でなく、所謂軽口の叩き合いだ。花中が口を挟む事ではない。

「成程あなたは来ないのですか。ならさっさと行きましょう花中さんコイツの気が変わらないうちに」

 ミリオンに来る気がないと分かると、フィアは花中に抱き着きながら出発を催促してきた。理由は、正しく今口にしている通りであろう。

 友達大好きな花中としては、ミリオンと一緒に行けないのは寂しいが……行きたくない『人』を無理に誘うものではない。それに、今生の別れでもないのだ。

「……うん。えと、じゃあ、ミリオンさん。行ってきますね」

「ええ、楽しんでらっしゃい。お土産には期待しておくわ。そうね、笑い話の一つでもあると良いわね」

 つまりは楽しんできなさいという事か――――ミリオンの意図をそう汲んだ花中は「任せてください」と答える。

 ……さて。なんやかんやもう出発するような流れになっており、花中も気持ち的にそちらに傾いていたが、ふと理性が呼び止める。

 そして理性は囁くのだ。自分の格好を見てみろと。

 山登りをする予定なんてなかった今の花中は、短めのスカートと半袖Tシャツという大自然を嘗めきった身形だった。

「……あ、今の格好じゃ、山登りには向いてないや……えと、ちょっと、着替えてきます」

「うぇぇ、今更ぁ?」

 すっかり行く気満々になっていたのであろう。ミィが抗議の声を上げたので、花中はぺこぺこと頭を下げながらベランダのガラス戸を開け、家の中へと戻る。

 残されたミィはぷりぷりと頬を膨らませ、分かりやすく不機嫌さを露わにしていた。そんなミィの近くに寄ってきたフィアは、やれやれとばかりに肩を竦める。

「時に野良猫。まさかと思いますけど気付いてないなんて事はありませんよね?」

 そして些か怪訝そうに、この言葉を投げ掛けた。

 問われたミィは、一瞬キョトンとしたように目を瞬かせた。が、すぐに自慢げな笑みを浮かべ、不遜に胸を張る。

「馬鹿言わないでよ、気付いてない訳ないじゃん。というか、

 続けて発した答えを受けて、フィアはつまらなそうに鼻息一つ。ミリオンは既に興味もないのか、身体を霧散させて姿を消した。

 つまるところこの狩りは、彼女達にとっては『お遊び』に過ぎない。だから誰もが、気にも留めていなかった。自分達の感じたものが、人間にとってどのような意味があるのかを。

 ましてやその遊び場に居る『ちっぽけなもの』など、気付いてすらいなかった――――

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