神話決戦6

 植物が生い茂っていた筈の山は、まるで内側から弾けたかのように、その中身を露出させていた。

 島を取り囲むように広がっていた白い砂浜は、隙間なくどす黒く染まりきっている。

 藁で出来た家々に至っては、何処を見渡しても跡形も残っていない有り様。

 此処がかつて百を超える人々の暮らしていた島だったと、一体誰が信じられるのか。最早この地に人の営みの気配など残っていない。いや、そもそも生命の息吹すら感じ取れない。アナシスの覇気に充てられ多くの生物が全力で身を守ろうとしていたが、『あれ』の放った光はあらゆる命の努力を嘲笑ったようだ。

 なら、島で暮らしていた人々は……

 数キロほど離れた遠洋にてモサニマノーマの姿を確認した花中は、絶望的な惨状を前にして表情を曇らせた。自身を包む水球は島の拡大画像を映してくれていて、細かな場所までハッキリ見て取れる。目の錯覚……そんな言い訳など許さないと言わんばかりに。

「どうしますか花中さん。これ以上近付いても得られるものは何一つないと思うのですが」

 水球の中で花中の隣に立ち、同じ画像を見ているフィアは明らかに気乗りしておらず、その言葉には出来れば自分の意思を通したいという想いがありありと伝わってきた。要するに「あんな場所にわざわざ立ち寄ったところで無駄なのだから面倒臭い」と言いたいのだろう。

 面倒臭いだけなのだから、どうしてもと頼み込めばフィアはお願いを聞いてくれるだろうが……その言葉を飲み込んでしまうぐらいには、花中の心もそれが無駄な事だと理解していた。

 どぷん、と音を立てて水球が割れる。外気に触れた花中を素早く抱き寄せ、フィアはお姫様だっこの姿勢で花中を抱え上げる。水球よりもこちらの体勢の方が楽なのか、それとも単純に花中にくっつきたいだけなのか。

 いずれにせよ当然のように島に背中を向けたという事は、立ち去る気満々なのは間違いない。

「おーい、はなちゃーん」

 流石にそれは待って、と伝えようとしたところ、花中は和やかな声に呼ばれた。

 自分をそのあだ名で呼ぶモノは一体しかいない。声がした方へと振り向けば、ミリオンがすぐ傍まで来ていた。ミィも来ていて、目に見えない速さで足踏みして海面に立っている。割と必死そうなミィと比べ、ミリオンはふわふわと優雅に浮遊していた。

 そしてミリオンの腕の中には、生気を感じさせないサナの姿が。

「……ミリオンさん。サナちゃんは……」

「駄目ね。こっちが何を話しても耳も傾けてくれないわ」

 この通り、と言わんげにミリオンは腕の中のサナを揺する。不意打ちのような行動に驚き、不満の一つでもぼやく……そうなればまだ安堵出来たのに、サナは呻き一つ漏らしてくれない。瞳は虚ろで、目の前の……変わり果てた故郷が映っていないかのよう。

 ハッキリ言って、真っ当な精神状態とは思えない。どうにかしたく、せめて声だけでも掛けようと思い花中は口を開いた――――が、言葉が思い付かない。信仰する神を滅ぼされ、故郷を焼かれ、そして家族と友人を……全てを失った人間に一体何を言えば良いというのか。一介の女子高生でしかない花中の手には負えない。

 フィアが言うように、今更モサニマノーマを調べても収穫はないだろう。むしろ何かの拍子にサナが我を取り戻した時、故郷の変わり果てた姿を見たら、今度こそ心が壊れてしまうかも知れない。一度時間を置き、ゆっくりと考えれば何か……何か、閃くかも知れない。

 一旦島から離れよう。幸いにしてフィア達には日本からモサニマノーマまでの大海原を渡りきるスタミナと、その長距離を一日も掛けずに移動する速力を誇る。モサニマノーマから比較的近い位置にあるグアムならばすぐにでも辿り着ける筈だ。

 そう思った花中は、フィア達に次の目的地を伝えようとした

 その時だった。

「おっと」

「あら」

「え、ちょ……」

 何かに気付いたような素振りを見せたのも束の間、フィア達は唐突に海に沈み始めた。おまけに胸の辺りまで水が迫るぐらい深々とで、抱えられている体勢である花中とサナの顔に海水が掛かる。予期せぬ友達の行動、加えて顔が濡れる不快さで花中の頭は一瞬真っ白になった。

 その空白に滑り込む、巨大な駆動音と海水を掻き分ける轟音。

 空白状態だったがために音はすんなりと頭の奥底まで入り込み、花中の思考を刺激する。機械の音と、水の音……答えを導き出すのに数秒と掛からなかった。

 船だ。それも音が段々大きくなっている事から、こちらに近付いてきている。

 何故船が? 過ぎった疑問は一瞬で氷解する。アナシスと『あれ』の激戦は、島が二つ壊滅するほどの災厄だったのだ。近くを通っていた漁船や旅客船が様子を見に来た、という事は十分考えられる。期待を抱いた花中はフィアの肩に手を乗せ、身を乗り出して音がする方を見た。

 実際、花中の予想は正しかった。花中達の下には一隻の船が近付いてきている。

 どう考えても、軍艦である事を除けば。

 砲や大きなレーダーを積んでいるから間違いない。花中は驚きのあまり、ポカンと口を開けた。波に乗って入り込む海水で、舌先にピリピリとした辛味が走る。されど花中は何時までも、軍艦がどれだけ近付いてもその間抜け面を直せずにいた。

 軍艦についてさして詳しくはないが、所謂駆逐艦や巡洋艦と呼ばれる類の船に見える。船は花中達のすぐ傍まで接近し、もしかするとこのまま ― フィア達が押し負けるとは微塵も思っていないが ― 轢き殺されるのでは、との予感が走り花中は顔を青くする。尤も船はその後花中達を避けるように僅かながら軌道を変え、十数メートル離れた位置で静止。

「Survivor and confirmation!」

 しばらくして、船の方から英語の怒号が飛んできた。見れば軍服を着た、男性らしき人影が船上からこちらを見下ろしている。距離があり、船が音を立てているにも拘わらずハッキリと聞こえたので、相当大きな声を出したのだろう。発した言葉の意味は、生存者確認。花中達を指した言葉なのは間違いない。

「サナ! 花中ちゃん!」

 次いで、船から自分達を呼ぶ日本語が聞こえた。

 聞き慣れた声ではない。

 しかし知っている声だった。だから花中は一瞬呆け、溢れ出る感情から無意識に両手で口を押さえた。

 そして思わず見遣ったサナの顔に、精魂が戻る瞬間を目の当たりにする。

「……………え……?」

 自我を取り戻したサナは、自発的に顔を上げた。

 最初はある意味では間の抜けた、心の薄い表情だったが……それがくしゃくしゃになり、目に涙を浮かべるのにさしたる時間は必要なかった。大粒の涙が幾つも頬を伝わり、海へと落ちて溶け込んでいく。

 これは幻覚? それとも全て夢だった?

 困惑のあまり、花中は呆然とサナの方を見続けていた。サナも、嗚咽を漏らしながら花中の事をじっと見つめていた。サナは泣きじゃくるばかりで、両手で抑えている口から言葉はとんと出てこない。しかし花中だってなのだ。花中はこくんと、全てを肯定するように頷く事が出来た。

 アナシスを打倒した『あれ』は完全に野放しで、その目的も判明していない。島は壊滅し、恐らく居住にはもう適さない。戦闘の余波が何処まで広がったか、どれだけの被害が出たのかも分からない。

 課題は何一つ解決していないと言っても良い。いや、今後も多くの問題が襲い掛かってくるに違いない。そのどれもが頭を抱え、涙をこぼし、気が狂いそうな苦痛を与えてくるだろう。

 それでも花中とサナの顔には、笑みが戻ってくる。

 失われたと思っていた大切なものが、戻ってきたのだから――――




「ポピー! ミーモ!」

 乗組員の手によって甲板に引き上げられるや、サナは嗚咽混じりの大声を上げながら駆け出した。

 軍艦とは軍の管轄下にある『場所』だ。民間人が気軽に走り回り、ましてや許可なしに動き回って良いような場所ではない。そこかしこに迷彩服を着た軍人が立っており、花中達に視線を向けている。

 しかし今この瞬間、サナを捕まえようとしたり、銃を構えて警告する軍人は一人も居なかった。それどころか微笑ましそうに笑みを浮かべる者、照れくさそうに目を背ける者、中には目元を袖で拭っている者まで見られる。

 彼等は分かっているのだ。サナが、悪意を持って軍艦を駆けている訳ではないと。

 そして彼等にも分かるのだ。死んだと思っていた『家族』と再会出来る事が、どれだけ喜ばしい事なのかも。

「サナ!」

「サナ! サナ!」

 サナが駆ける先には彼女の父である玲二と、小麦色の肌をした痩せ型の美女 ― 考えるまでもなくサナの母だろう ― が両腕を広げて待っていた。サナは二人の胸に飛び込み、わんわんと泣き声を上げる。サナの両親はそんなサナの頭を撫でながら、愛おしそうに、もう離さないと言わんばかりに、力強く抱き締めた。

「おじさん……」

 花中は軍人達と共に玲二の下へと歩み寄る。親子の再会を邪魔するようで気が引けたので、控えめな距離を保ったままで。

 玲二は花中に気付くと、サナの時と同じように心底嬉しそうな笑みを浮かべ――――しかし見る見る間に、憤怒の感情が表に出てきた。あれ? と花中が戸惑う間もなく玲二は立ち上がり、サナを置いて花中の下へとやって来る。

「花中ちゃん……何処に行っていたんだ! 心配したんだぞ!」

「ひぅっ!?」

 そして飛ばされる喝に、花中は仰け反り、縮こまった。

 同時に、玲二への申し訳なさで心がいっぱいになる。

 海が荒れ、島が砕かれるほどの戦いが繰り広げられていたのだ。如何に数十キロ離れた位置とはいえ、モサニマノーマの住人達もアナシスや『あれ』の存在には気付いただろう。彼女達の争いがどれほど危険で、自分達の暮らす島の平穏が脅かされている事にも。

 彼からしたら、そんな異常時にも拘わらず娘と親戚の子が何処に居るかも分からない状態だったのだ。親の心を未だ知らぬ身である花中には、彼の心境は察するに余りある。今はただ、ひたすらに謝る事しか出来ない。

「……ごめんなさい」

「本当に……無事で良かった……」

 小さくなりながら謝る花中を、優しい笑みに戻った玲二はそっと抱き締めた。人肌の暖かさに、花中の目にも涙が浮かぶ。

「んーっ。ようやっと休めますねぇ」

 ……尤も、緊迫感のないこの言葉一つで、花中の涙は止まってしまうが。

 フィアである。彼女は背伸びをしながら、危機感など欠片もない顔で花中達の下へとやってきた。ミリオンとミィも乗船しており、ミリオンは軍人と何かしらの話をし、ミィは足下が不安なのかそろそろとした歩みで花中の方へと向かっている。

 あまりにも能天気なフィア達に、玲二の顔が再び険しくなる。彼はきっとフィア達の身も心配していただろうに、この態度なのだ。苛立ちの一つ二つも覚えたくなるだろう。

 そんな玲二の気持ちがこもった視線を向けられ、気付いたフィアは肩を竦めるだけだった。

「おっと花中さんだけでなく私にもお説教ですか? 面倒なのでそれは勘弁願いたいところですしむしろ感謝してほしいぐらいですけどね。これでもあなたの娘と花中さんを守っていたのは我々なのですから」

「……一体何処で守っていたんだい?」

「あなた達が知るどんな場所よりも安全なところです」

 はぐらかすようなフィアの物言いに、玲二は一層顔を顰める。娘であるサナや親戚である花中は兎も角、フィア達は玲二にとって『赤の他人』だ。あくまで花中の友人という立場でしかない。怪しい言動を取れば、猜疑心を抱くのは当然だった。

 勿論フィアは噓を吐いている訳ではない。彼女が花中達を守った事も事実である。フィアがそれを正直に話さないのは、花中が日頃から頼んでいる、自分が人間でない事を隠してほしいという約束を果たそうとしているだけだ。彼女は噓が下手 ― というよりそのための能力に欠ける ― であり、結果はぐらかすような言い方になっているに過ぎない。花中でもフィア達の力を隠したまま、島に居なかった状況への言い訳など思い付かないのだから、そこを責めるのは酷というものである。

 いっそ本当の事を全て話してしまうのも、相手が相手なので悪くはないだろうが……此処は軍人がたくさん歩いている。サナの暴挙は見逃してくれた彼等だが、流石に『何処の馬の骨とも知れぬ輩』である花中達の監視を怠ってはいないだろう。自分達の話に聞き耳を立てている可能性は高く、迂闊にフィアの正体を明かせば聞かれる恐れがある。叔父に全てを打ち明けるとしても、それは今ではない。

「あ、あの、ところで、おじさん達は、どうやって、助かったのですか? 島の、他の人は?」

 花中が選んだ対応は、一旦話を逸らす事だった。

 とはいえ何も適当な話を振ったのではない。アナシス達の激戦をどうやって切り抜けたのか、この軍艦はなんなのか、島で暮らしていた人達は全員無事なのか……どれも知りたい事には違いなかった。教えてもらえるなら、今のうちに知っておきたい。

 玲二としても、此処でフィアを問い詰めても無意味だと思ったのだろうか。彼は微かに眉を顰めたが、諦めたように肩を竦めると、花中の疑問に答えてくれた。

「……島民は全員無事だよ。あの怪物達が現れてすぐに、この船が助けに来てくれたんだ。私財なんてろくに持っていない文化だったから、避難はスムーズに進んだよ」

「怪物が現れて、すぐに? あの、この船って……」

「なんでもアメリカ軍の駆逐艦らしい。まぁ、あくまで彼等が自称しているってだけではあるが」

「アメリカ軍……」

 玲二の補足を聞いた上で、花中は辺りを見回してみる。しっかりと観察してみれば、軍人達の肌は白や黒、黄色系など非常に多様だ。顔立ちも西洋系からアジア風、ラテン系など様々。国家の成り立ちと今までの移民政策故に『人種のるつぼ』とまで呼ばれるほど人種が多様なのはアメリカの特徴の一つだ。無論あくまで特徴に過ぎず、アメリカ関連である事の証明とまではいかないが。

 何より、解せない。

 確かにモサニマノーマはアメリカ領だが、巨大生物達が暴れ始めた時、偶々近くを軍艦が航海していたなど都合が良過ぎるのではないか? モサニマノーマは太平洋のど真ん中、アメリカ本土から七千キロも離れた位置に浮かぶ島だ。仮にこの近くを通る軍艦があるとすれば、何かしらの作戦行動をこなしている最中だと思われる。形式上は『自国民』の危機とはいえ、軍事的機密がたっぷり詰まった作戦行動中の戦闘艦に一般人を乗せてくれるものだろうか?

 きっと玲二も花中と同じ疑問を抱いたのだろう。先の話に含みがあった事からもそれが窺い知れる。

 つまり彼の話を聞いていれば、花中達が抱いた疑念を察する事は第三者にも可能な訳で。

「何か説明が足りないところがありましたでしょうか? もし疑問点があれば、私の方から納得がいくまで説明致しますが」

 不意に投げ掛けられたこの言葉に、花中はビクリと身体を震わせた。

「……おっと、艦長さんじゃないですか。まさかと思いますが、私の娘をわざわざお出向かいに?」

 玲二が話し掛けた相手は、何時の間にか花中達の傍にやってきていた一人の男性。肩幅が立派な黒人男性で、年頃は四十代ぐらいだろうか。服装はやはり迷彩服なのだが、他の軍人と比べ小綺麗で、地位の高さを窺い知れる。彼は顎髭を伸ばしており、切り揃えられた髪と相まって荘厳な雰囲気を醸していた。しかし浮かべている笑みは朗らかで、年相応の威厳や軍人らしさのような強張ったイメージを薄れさせる。

 例えるなら、優しい『父親』のような雰囲気の人、だろうか。基本的に男性が怖くて萎縮しがちな花中であるが、彼となら幾らか落ち着いた会話が出来そうだと思える風体だった。

「そのまさかです。新たな生存者を確認し、救出したとの報告が上がったため、確認に来ました。後で軍医の診断を受けてもらいますが、見たところ無事なようで安心しましたよ」

 玲二からの問いに、艦長と呼ばれた男性は日本語で答えた。生まれも育ちも日本である花中からしても、彼の日本語はとても上手い。実は日本生まれの日本育ちなんだ、と言われたら信じてしまいそうである。

 世界に名立たるアメリカ海軍の艦長なのだからおバカという事はないとしても、こうも日本語に堪能なものなのか? 脳裏に浮かんだ疑問に花中は顔を顰めた――――そこを見計らったかのように艦長が花中の方を見たので、花中は飛び跳ねるほどに驚いてしまった。別段悪い事を考えていた訳ではないが、猜疑心は抱いていた訳で。おろおろもじもじ、一気に挙動不審な少女となってしまう。

 そんな花中の態度を見て、艦長は快活に笑った。笑われている事は花中もすぐに気付いたが、あまりにも明るく笑うものだから嫌な気がしない。むしろ照れ臭くなってきて、花中の方も笑みが零れる。

 花中の心が弛みきっていると、艦長はそっと近付いて耳打ち。

「後で迎えの者を送りますので、別室でお話しませんか? 『人間じゃないお友達』も是非ご一緒に」

 その一言で、花中の解れた笑みは一瞬で凍り付いた。

 艦長は花中の耳元から離れると、先程までと変わらない ― しかし最早人の良さなど感じられない ― 笑みを浮かべる。そして花中の横をわざとらしく通り過ぎ、この場を後にした。

「おやおやすっかり見透かされてますねぇ……なんでですかね?」

 花中の隣に居たフィアには先の話が聞こえていたようで、しかし理由が分からず首を傾げる。玲二に至っては聞こえていなかったようで怪訝そうな顔をしていたが、艦長が耳打ちした際の言葉に原因があるのは察したようで、遠ざかる艦長の背中を睨み付けていた。

 そして花中は一人縮こまりながら震え……やがて、大きなため息を漏らした。自分の頬をぺちんと叩き、先程まで胸中で淀んでいた感情を一掃。身体に残骸一つ残すまいと荒々しく鼻息を吐く。

「あ、おじさん。えと、わたし、ちょっとこの船を、見て回りますね」

 気持ちを切り替えた花中は、玲二にそう話を切り出した。

「む……それは」

「大丈夫です。近くをうろうろするぐらい、ですし……それより、おじさんは、今はサナちゃんの傍に、居てあげてください。わたしが、言えた事じゃない、ですけど、サナちゃん、すごく、心配していましたから」

「……………すまない」

 引き留めようとする玲二だったが、娘の名前を出すと押し黙った末に頭を下げる。それからすぐに彼は未だ母と抱き合っている愛娘の下に駆け足で戻って行った。

 叔父がサナの下に戻ったのを確かめ、花中も歩き出す。フィアも花中の後を追う。

 周りから『人』が居なくなった花中の傍に一人の軍人がやって来るまで、さして時間は掛からなかった。

 ……………

 ………

 …

「ようこそ、駆逐艦ロックフェラーの艦長室へ。思っていたよりも狭い部屋だろうが、我慢してくれ」

 若い女性軍人に連れられ、花中とフィアが訪れた部屋には、ほんの数分前に花中と接触した黒人男性こと艦長の姿があった。

 彼は腰掛けていたデスクの椅子から立ち上がると、花中達の下へと歩み寄り、友好を示すように手を伸ばしてくる。敵対の意思はない、と言いたいのだろうか。花中としてもケンカ目的で来た訳ではない。勇気を出して手を伸ばし、花中からも友好を示す。

 花中がぎこちなく握手を交わす最中、艦長は案内してくれた女性軍人に離席しても良い旨を英語で伝える。女性軍人は敬礼をし、速やかに部屋から退出していった。

 艦長は花中から手を放し、自分のデスクに戻る。それからデスクの向かいにある高級感のあるソファーに手を差し向け、座るよう促してきた。花中は逡巡した後、恐る恐るソファーに腰を下ろした。フィアは警戒心なく、花中の隣にぽふんっと座る。何時もらしいフィアの態度に僅かながら緊張が解れた花中は、辺りを見渡す余裕が出来た。

 艦長が言っていた通り、お世辞にも広いとは言えない部屋だった。花中の自室よりは広いが、自宅のリビングと比べると狭い……ぐらいか。花中達が座るソファーの前には小さなテーブルがあり、飲み物などを置くのに丁度良さそうである。壁の一部にテレビのようなものが備え付けられているが、本当にテレビなのか、艦内を映すモニターなのかは分からない。壁には他にも数枚の絵が掛けられており、ささやかな娯楽となっている事が窺い知れた。軍人の部屋なのでもっと無骨なものをイメージしていたが、意外とお洒落である。花中的には、クマのぬいぐるみなどがあるとベストなのだが。

「私の部屋は気に入ってもらえたかな?」

 一通り部屋を見渡したところで、艦長はフランクに話を切り出してきた。花中はお部屋観察を止めて艦長に注目する。

「改めて、自己紹介から始めよう。私はこの船の艦長を務める、アイク・マクスウェルだ。祖父が日本人でね、その関係で日本語は少しだけなら話せる。気兼ねなく日本語で話してくれ」

 艦長ことアイクは、朗らかな笑みを浮かべながら自分の名を打ち明ける。花中も自分の名を伝えながら、ぺこりと一礼。フィアは興味もないのか無視していたが、アイクはさして気にした様子もなかった。

 まるで、予想通りと言わんばかりに。

「……あの、一つ質問を、しても、良いですか?」

「ああ、構わないよ。ただ機密情報は答えられないから、そこは了承してくれ」

「はい。じゃあ……あなたは、人間ですか? それとも……『動物』?」

 花中が単刀直入に尋ねてみると、アイクは口を閉ざした。

 一瞬、これは機密なのか、と考え緊張する花中だったが、アイクの口元は相変わらず微笑んだまま。拒絶の意思も感じられない。

「……人間さ。生粋のね」

 やや間を開けた後、アイクは中年らしからぬ軽い口調でそう答えた。どうやら思わせぶりな沈黙を挟んだだけらしい。おちょくっているのか、本心を見破らせないためか……なんにせよ疲れそうな相手なのは間違いないと花中は確信する。

 しかし、話を聞かない、という選択肢はない。彼には聞きたい事が山ほどあるのだ……先の質問も含めて。

「……本当、ですよね?」

「さぁ、どうかな? そっちも隠し事はしないというのなら、こちらも誠意は示そう。そうだね、具体的には盗み聞きは止めてほしいな」

 アイクが虚空に向けて声を掛けたところ、部屋の隅に黒い靄が現れた。靄はやがて人の形を取り、質量を纏い、色を飾る。

 やがて靄は、ミリオンとなった。

 盗み聞きを見破られたミリオンであるが、その顔に浮かぶのは余裕の笑み。特段堪えた様子もない。恐らく見抜かれる事は最初から予想していたのだろう。

「あらあら、私の事も知っていたの」

「はっはっはっ。アメリカ軍の情報収集能力を見くびらないでくれ。世界中を監視しているのは人間だって同じさ。『連中』ほどではないにしても、ね」

 惚けた反応を示すミリオンに、アイクは誇らしげな笑いの中に自虐的な言葉を混ぜる。談笑する一人と一匹の姿は一見仲睦まじく、さながら談笑するよう。対してフィアはもう飽きてきたのか、脚をパタパタと動かして退屈そうにしている。

 唯一花中だけが、息を飲んだ。

 アイクは、自身を人間だと語った。これが嘘でないなら、彼は『世界の支配者』……タヌキのミュータントではない事を意味する。生粋のアメリカ人であり、正規の米軍兵士という訳だ。にも拘わらず彼はフィア達の正体、そしてミリオンの『能力』について知っていた。軍人である彼がフィア達の正体を知っていて、『祖国』にその情報がないとは考えられない。

 即ち、米国の『人間』はミュータントの存在を把握している。

 タヌキ達のような『秘密結社』がフィア達の正体を知っていたのではない。表にこそ出ていないが、正規の『国家』がミュータントを知っているのだ。フィア達の力は控えめに見ても人類にとって脅威。そしてアメリカはここ数十年で何度も戦争を起こしている、必要があれば戦う国家である。

 もしもアメリカがフィア達の排除を考えていたら……

 嫌な予感に、喉が干からびていくのを感じる。しかし花中はごくりと唾を飲み込むと、小さく息を吐いた。こう言っては難だが、本気で排除する気ならこそこそと不意打ちをかましてくる筈だ。わざわざ艦長室に案内などするまい。彼等の側に争う気はないと、信じても良いだろう。

「……あの、何時から、フィアちゃん達の、事を……?」

「ん? そうだな、我々が君達の事を感知したのは、ほんの五ヶ月ほど前か。衛星が綺麗に捉えてくれたよ」

「五ヶ月……」

 逆算すれば、今年の七月ぐらいか。その頃は、確か『世界の支配者』との大決戦をやっていた。当時花中は地中に居たので外の事は知らないが、なんでもミサイルやらなんやらが雨のように降り注ぎ、地平線を埋め尽くすほどのロボットと戦った、との話フィア達から聞いている。さぞかし派手などんちゃん騒ぎだった事だろう……他国の軍事衛星に見付かっても不思議ではない。或いはその時の戦いが原因で政治的・軍事的空白が生じ、タヌキ達がミュータントの存在を隠しきれなかったのか。なんにせよ、アメリカ以外の国にもミュータントの存在がバレている可能性は考えておいた方が良さそうだ。

 そしてフィア達の危険性を目撃しても手を出さないのは、『世界の支配者』が繰り出した兵器を易々と片付ける力故に、か。

「結論から言えば、我々は君達と戦う意思はない。我々の祖国に危害を加えない限りは、ね」

「ふふん賢明な判断ですね。アメリカが人間の中でどれだけ強いか知りませんがこの私相手では勝ち目などありませんからね」

「いやはや、そうかも知れないな。はっはっはっ」

 胸を張るフィアに、アイクは楽しげに笑い返す。だが、その目は笑っていない。少なくとも彼は、フィアとは『違う意見』を持っているようだ。

 争うつもりはない、という信頼は簡単に飛んでいってしまい、途端に花中は不安を抱く。よくよく考えると、自分達は何故此処に呼ばれたのかも知らないではないか。これではうっかり失礼な事をして、相手を怒らせてしまうかも知れない。一軍人である彼が米国の決断を自由に決められるとは思えないが、彼の進言が国家の決断を左右する事はあり得る。

「あ、ぁの、えと……なんで、わたし達を、呼んだの、でしょうか……?」

 おどおどと、縮こまりながら尋ねる花中を見てアイクは肩を竦める。「おっと、これは失礼。つい世間話に花を咲かせてしまった」……謝る口調と嫌味がない笑みは朗らかで、敵意を感じない。

 そんな彼だから、今まで花中は話が出来たのに。

 まるで人間がそっくり入れ替わったかのように、アイクの雰囲気が一瞬で切り替わった。笑みは消え、目から感情がなくなる。今までの『父親』っぽさは失せ、完全なる軍人と化していた。小心者な花中にはこれだけで十分怖くて、反射的にフィアにしがみつく。

 花中を怖がらせた事への抗議か、フィアはアイクを睨み返す。鬼のような、という言葉が生温く思えるほどの形相だ。少なくとも花中から見れば、アイクの顔よりフィアの目付きの方が怖いぐらい。されどアイクは怯みもせず堂々とフィアと向き合う。フィアの威嚇も虚しく、花中は恐怖から逃れられない。

「君を此処に呼んだ理由は一つ。ミスナムギーから立ち去った、あの生物を倒すための知恵を借りたいからだ」

 花中が怯えるのを止めたのは、アイクが明かした『本題』への疑問で無意識に首を傾げてからだった。

 あの生物? 恐らく、アナシスと戦った『あれ』の事だろう。しかし知恵を借りたいとは? アメリカ軍には優秀な人材など山ほどいる筈だ。自分のような凡才がアドバイザーを担うなど、役者不足にも程がある。何か、裏があるのだろうか?

「あの、どういう、意味、ですか……?」

「そのままの意味だ。調べた限り、君達は過去に三度以上SDL……特殊危険生命体、君達がミュータントと呼ぶ生物と接触し、戦闘行為を起こしている。つまり我々米軍よりも、君達の方が『危険な生物』に対する経験は豊富という事だ。あの生物はSDLではないだろうが、人智を凌駕する存在なのは間違いない。もしかしたら我々には分からずとも君達なら気付ける事があり、そしてその知識があれば、兵士達の犠牲を最小限に抑えられるかも知れない。我々は米国のためなら命を賭す覚悟は出来ているが、犬死にを好みはしないのだよ」

「さらりと言ってますけど倒すつもりなんですね。人間ってこういう時はまず『あれ』がなんなのかを調べるものではないのですか? それとも既に正体とか目的をご存知とか?」

「いいや、全く。一応何処から来たのか、何時来たのかは分かっているが、それだけだ。だから本来なら、君が言うように調査をすべきだろう。しかし最早正規の手順を踏んでいる場合ではない。奴はその圧倒的な力で島を二つも破壊し、現在米国本土方向へと直進している。無論あちらが何かしらの呼び掛けをしてきたなら米国は応答するつもりだが、現状奴が何かしらのコミュニケーションを試みた形跡はない。君は直前まで大暴れしていた男が無表情でこちらに歩み寄ってきた時、真意が分からないからとじっとしているかね?」

「ご冗談を。問答無用で潰します。相手は既にこちらの縄張り内で好き勝手しているのですから文句など言わせません」

「その通り! 君とは話が合うね」

 フィアの意見に、アイクは嬉しそうに手を叩く。フィアも珍しく自分と同意見な人間と出会えて嬉しいのか、満面の笑みを浮かべながら胸を張った。

 その横で、花中は押し黙る。

 アイクの話を疑っている訳ではない。『あれ』の目的については花中も見当が付かないが、『あれ』は現れてからほんの数分で島を二つも破壊した恐るべき魔物である。しかもコミュニケーションが可能か以前に、そもそも知性があるかも分からない。研究には時間が掛かり、その間に『あれ』が更なる破壊を起こす事は十分にあり得る。既にモサニマノーマの住人が生活を奪われた以上、穏便な解決を図っている場合ではない。そして『あれ』は米国本土……三億以上の人々が暮らす地を目指しているという話だ。早急な『駆除』を行うべきであろう。

 そうなると当然戦いとなる。詳細不明だが、『あれ』はミュータント以上の力を持った存在だ。対抗するには人類最高の戦闘力を持った武器……つまり軍事兵器の使用、そのためのノウハウを持った職業軍人の投入は必須。しかし戦闘になれば兵士には生命を失う可能性が付き纏う。自国の軍人の生命を大事に思うのは何処の国でも同じだ。それに『人智を超えた生命体』に限れば、確かに米軍より花中の方が詳しいだろう。花中は米軍にアドバイス出来るかも知れないし、米軍がそれを期待する気持ちは自然かも知れない。故にそこに異論や疑問はない。

 花中が気にしたのは、アイクがさらりと語った言葉――――「何処から来たのか、何時地球に来たのか」、だ。

 もし『あれ』が自分の予想した通りの存在だったなら、自分達は……

 脳裏を駆け巡る、無数の『空論』。答えを訊かずにはいられなかった。

「……あの、あなたは、今……『あれ』が何処から現れたのか、知っていると、言いましたよ、ね?」

「ん? ああ、確かに言ったね」

「一体、何処から来たのですか? あなた達は、『あれ』をなんと呼んでいるの、ですか」

 花中の問いに、アイクは深く頷く。勿体ぶる事も、おどける事も、躊躇う事もしない。彼は淡々と、変わらぬ笑みを浮かべ続けるだけ。

 その笑みが微かに物悲しいものへと変わったのは、彼がゆっくりと口を開いた時。

「地球の外、宇宙からだ。故に我々は奴をこう呼んでいる……異星生命体、と」

 そして夢がつまった言葉を、忌々しげに語った時であった。

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