異種混合草野球頂上決戦6

 その後の戦いは熾烈を極めた。

 というより最早野球としての体を成していなかった。投げられた糞は分身するわ物理法則を無視した三次元機動を見せるわ、対するフィアは人間達を ― 人間の気持ちなどお構いなしに ― 遠慮なく投入しこれを向かい打つ。やがて糞は尽きたが、フィアとゴリラはまだまだ争い足りない。普通のボールに戻ってからも、激戦は数十分にも渡り繰り広げられた。

 しかしそれすらも長くは続かない。普通のボールやバットの強度では、フィアの(人間を使った)打法は勿論、ゴリラの能力投球にも耐えられない。投げる度にボールやバットは破損し、次々と予備が消費されていく。そしてそれらは限りある備品である。ついでに人間も限りある命である。

 ついにはボールもバットも予備が尽きた。残りはどちらもたった一つのみ。

「つまりこれがラストという訳ですか……こちらとしても望むところです。そろそろ決着を付けたいと思っていましたからね」

「ホォウオウッ! ウホホッ、ウホッ!」

 それはこっちの台詞だ! 返り討ちにしてくれるわ! ――――とでも言っているかのように、ゴリラは握り拳を作りながらフィアに言い返す。在庫に反し、二匹の闘争心はまだまだ尽きそうにない。

 尤も、ずっと観客状態だったミリオンとミィは既に飽きていて、二匹はベンチで他愛ない話をだらだらとしていた。

 そして人間達はといえば、死屍累々。

 フィアに文字通り粗雑に扱われる事一人当たりきっちり三回。口からエクトプラズム……はオカルトなので流石に出ていないが、幻視出来るほどに疲弊している。体力に難がありそうなインテリのみならず、巨躯を誇る大柄さえもぴくりとも動かず地面に突っ伏す。彼等の目がぐるぐると回り、寝息よりもずっと静かな呼吸をしている事に気付かなければ、一見して死体がそこらに転がっていると勘違いしかねない。

 そんな状況下で、一人もぞもぞも動いたなら?

「ふふん最後はやはり万全を期さねばなりません。という訳でそこのあなたバッターになりなさい」

「うひぃっ!?」

 逃げ出す事で頭がいっぱいになっていたのだろうか。動いてしまったリーダーはフィアに髪を鷲掴みにされ、その粗暴な見た目に見合わない……いや、今なら同情するほどにお似合いな、情けない悲鳴を上げる。

 しかしフィア、耳は良いので聞こえているのにこれを無視。弱りながらも手足をばたつかせて抵抗するリーダーを片手でずるずると引き摺り、バッターボックスまで連れて行く。無論彼はバッターになる気などないので立つ事すら拒むように脱力していたが、フィアが操る『糸』は彼の身体に巻き付き、無理矢理にその身体を起立させた。腕も彼の意志を無視して動かされ、フィアが持っていた『木製バット』を握らされる。

 そしてフィアはリーダーの背後に回ると、きゅっと密着して彼の腕を掴んだ。人間の感触を正確に再現しているその身は年頃の女子のように柔らかく、リーダーの背中には偽物ながらたわわに実った二つの山がふにょりと押し当てられる。年頃の男子なら起きた事象の衝撃により、心不全を起こしてもおかしくないだろう。例え大の大人であっても、鼻の下がだらしなく伸びるに違いない。

 だが、今のリーダーは顔を赤どころか真っ青にして、生まれたての子鹿よりも弱々しく震えるばかり。彼は既にその身に三度も叩き込まれているのだ……バッターとして対峙させるためならフィアはどんな手でも使う事を。例え相手の身も心も壊れたとしても。

「お、お願いだ……助けて……助けてくれ……」

 リーダーは、ついに恥も外聞もなく命乞いした。ところがフィアはリーダーの言葉に目をぱちくりさせるばかり。首まで傾げている。

 もしもフィアが彼の懇願を拒んだなら、諦めが付くという意味では彼にとって幾ばくかの救いにはなっただろう。

「あなた何か勘違いしていませんか? 別に私はあなたを襲ってなどいないでしょう? 助けを求められても困ります」

 だが、そもそも相手にこちらを虐げているという自覚すらなかったら?

 無垢なる狂気の理不尽さが達観すら許さず、リーダーはこの世の終わりを目の当たりにしたかのように顔を引き攣らせた。無論これでフィアがリーダーの気持ちを察するなら、今頃こんな事にはなっていない。

 リーダーを間に挟み、フィアとゴリラは対峙する。双方共にふてぶてしい笑みを浮かべつつも、全身に闘志を滾らせ、張り詰めた緊迫感を纏っていた。友愛の意思など微塵もない。狂気、敵意、闘志、歓喜……溢れ出す感情が混ざり、混沌とした感情がぶつかり合い、二匹の間に弾ける火花を幻視させる。

 さながら草原でライバルと鉢合わせした雄の獅子同士のような、激しい闘争を予期させる光景だった。そしてその闘争が、獅子二匹では到底足りぬほどに激しくなる事は言うまでもない。

 挙句地面がパキパキと不気味な音を立てれば、最早神話の決闘をも彷彿させる。

「ん? ――――っ!? ちょ、さかなちゃん!? それは……!」

 ここでミリオンが異常の原因に気付き慌てるが、一手遅かった。

 ゴリラとフィアに挟まれた『一般人』の理性が、ここで悲鳴を上げたから。

「ち、畜生! こうなったらテメェら纏めて」

 何もかも開き直ったリーダーは、二匹に罵声を浴びせようとした。

 皮肉にもそれが合図として機能してしまった。

「ウッホオオオアァァァァッ!」

 ゴリラは渾身の力を込め、ボールをぶん投げる!

 彼の能力により、ボールはある特殊な速度と向きで回転していた。その回転は通常の投球よりも大きな抵抗を発生させ、空気の流れを操作。流れた分だけ前方の空気は薄く、後方の空気は密度が高くなり、結果前方向への推進力を生み出す。推進力は新たな抵抗の源となり、次の流れでより大きなエネルギーを発生させる。

 既知の物理学をべろべろばーで嘲笑うようなトンデモメカニズムにより、ボールはゴリラの手を離れてからも加速し、ついに音速の壁すらもぶち破った! 爆音を轟かせ、周囲数十センチ圏内の大気を赤く染め上げながら、大地を巻き上げつつフィア達に迫る!

 常人ならば脇目も振らずに逃げ出す……否、目視すら出来まい。フィアにとっても剛速球であり、如何に野性的反応速度を以てしても、まともに打とうとすれば空振りもあり得ただろう。

 だが、フィアは既に対策していた。

 無数の細い『糸』を展開していたのだ。ただしこれは障害物として設置したものではない。無論壁として使おうと思えば使えるが……そんなの、興醒めではないか。ピッチャーとして最大の敗北は、相手に打たれる事。ならば打たねば、どんな勝利も意味がない。

 『糸』はセンサーだ。ボールがどの程度の位置を、どんな速さで、何処を通るかを見極めるための。

「っしゃあぁっ!」

 ボールを投げたのとほぼ同時に、フィアも哮り声を上げる。センサーである『糸』が切れると、フィアがコントロールする水が連鎖的に稼働。水を染み込ませていた木製バットの側面からはロケットエンジンかの如く勢いで水が噴き出し、強力な推進力を生み出してバットを動かす。合わせてリーダーを束縛する『糸』も動き、リーダーの身体は本人の意思を無視した華麗なフォームでスイングを繰り出す!

 豪速球と爆裂スイングは寸分違わずぶつかり――――轟音と水煙を撒き散らした!

 半径十数メートルを覆い尽くさんとする莫大な水は破壊的な威力を伴い、辺りを囲うフェンスは余さず薙ぎ倒され、観客席は衝撃波で捲れ上がるように崩壊していく。最早爆発としかいえない現象に、観戦していたミィは思わず仰け反り、ミリオンも抱きかかえた花中が吹き飛ばされぬよう必死に踏ん張っていた。

「ぐわああああっ!?」

「げこーっ!?」

「あ。ミリオーン、なんかアイツらどっか行っちゃうんだけどー」

「あー……私、はなちゃんを抱えるのでいっぱいいっぱいだから、拾って適当に纏めて置いといてー」

「あいあいさー」

 それどころかダウンしていた大人の男達はごろごろと地面を転がり、人外達が助けに向かう始末である。

 最早野球どころかケンカですらない。人間からすれば『災厄』そのものだ。

 では、そのど真ん中に居た人間は?

「あばごぽぽぽぽぽぽっ!?」

 威勢の良い言葉を吐き切る前にリーダーは、バットから噴出して地面にぶつかり無造作に散乱する、膨大な水によって溺れかけていた。水に押し退けられ、顔がなんだか愉快な形に歪んでいる。

 これが一瞬だったなら、リーダーは振り絞った勇気を抱いたまま夢の世界への小旅行に向かえた。しかし水は何時までも何時までも、リーダーの顔に叩き付けられる。高圧高密度の水量は彼の意識を現実につなぎ止め、延々と苦悶 ― 具体的には呼吸困難と痛み ― を与え続ける。水責めの拷問でも、ここまでダイナミックで粗雑なものは近年稀であろう。

 では、何故噴き出す水は止まらないのか?

 答えは簡単だ。未だフィアとゴリラの勝負は終わっていないからである。

 バットからは滝すら見劣りするほどの水が噴出し続けている。この莫大な水はフィアが能力によってグラウンドの土から吸い上げたものであり、そして地面に落ちた水はフィアが素早く回収して再利用。完璧な循環系が出来上がっており、フィアの体力が尽きるまでバットは止まる事を知らない。

 ゴリラが投げたボールもまた同じ。空気の流れにより推進力を作り出す投球は、ボール自身が推進力の発生源となっている。ボールが存在する限り、ボールは前に進み続ける……哲学的思考を語るかのような事象により、ボールは止まる事を知らない。

 前に進むしかない両者がぶつかった結果、バットとボールのつばぜり合いが起きたのだ。プロ野球でも見られぬ激戦は、例え野球に無関心な者でもその心を躍らせるに違いない。尤も、バットから噴き出す水が辺りを白い水飛沫で埋め尽くしており、外野から観戦する事は出来ないが。

 莫大なエネルギーを撒き散らし、周囲を破壊しながら拮抗する超常現象……しかしその均衡は、数秒と経たずに崩れる。

 フィアが無理やり振るわせたバットは、フィアが操る水が浸透し、バット全体をさながら骨格のように支えている。でなければ、噴出する莫大な水量に耐えられずへし折れるからだ。対してボールは、自身が生み出す空気の流れによって直接的な打撃は避けたが、内側から支えられている訳ではない。更に水によって冷却されているバットと異なり、空気抵抗による熱の蓄積も深刻である。

 バチバチとボールから火花が飛び散り始めた時、フィアは勝利を確信したふてぶてしい笑みを浮かべた。

 ――――まるで、その瞬間を狙っていたかのように。

 フィアの正面を埋め尽くしていた瀑布を切り裂き、三つの影が飛来する!

「なっ!? これは……!」

 突然の襲撃に驚くフィアだったが、驚愕の表情はすぐに苦虫を噛み潰したようなものへと移り変わった。

 襲来したのは、新たなボール。

 どうやらゴリラはこの勝負に備え、前以て何処かにボールを隠し持っていたらしい。そして最初に投げた球の耐久が尽きるのを見越して新たな手を打ったのだ! 三つのボールはバットにめり込み、一つ一つが巨大なパワーを以てバットを押し返そうとしてくる。最初に投げられたボールは直後に燃え尽きたが、先と比べて球の数は三倍。その威力は周囲に巻き散らされる水を吹き飛ばし、覆い隠されていたフィア達の姿を露わにするほど。なんとかバットはその体勢を保ち続ける事が出来たものの、フィアとバット(とついでにリーダー)は足元の大地がえぐれるほどの勢いで後退し続けてしまう!

 尚、当然ながらこの投球、完全なルール違反 ― 投球は打者が十分な構えを取っている時にのみ許される。あとついでに危険球 ― である。しかしミリオン達が声を上げて指摘したところで、フィアが操る水の轟音とボールが奏でる爆音に飲まれて消えるのがオチ。

 ましてやボールの奇襲を受けたフィア自身が、楽しむように口元を歪めているのだ。

「ふっはははははははははっ! こうでなくては面白くないっ! 正面から叩き潰してあげますよォ!」

「ぶはぁ!? あばごぽぽぽぽぽぽ!?」

 機嫌は損ねるどころか上々。高らかに笑うや、フィアはバットから噴出する水を一層強める! ボールとの再衝突により水煙が晴れた事でリーダーは息継ぎが出来たが、至福の時は一瞬で終わり。彼は再び理不尽な拷問へと引き戻された。

 再び拮抗する両者の対決。しかしフィアにとって現状は限りなく『本気』に近かった。直球勝負を好む性格もあって、策なども持ち合わせていない。

 ならば、そこにゴリラが『一手』が加えられたなら?

「ホォアッ!」

 吹き荒れる水煙の中で、ゴリラは渾身の言葉と共に投げる動作を見せる。だが、彼の手には何も握られていない。傍目には、彼がただ投げる『動作』をしただけだ。

 なのに、フィアが操るバットに拳で殴られるような重みが加わった。

「んぎっ!? 何をぐうっ!?」

 驚く間もなく衝撃は次々と襲い掛かり、フィアに呻きを上げさせる。

 不思議なのは、衝撃波あるが『実体』が見えない事。

 それも当然である。何しろゴリラが投げたのは『大気』なのだ。ふわりと構えた手を振り下ろし、空気の流れを構築。『投擲』行為そのものが能力である彼にとって、小さな空気弾を投げる事など造作もない。

 無論、言っては難だがたかが空気である。音速で飛来する『声』の直撃を受けてもダメージなどないように、小さな質量しか持たない空気の威力など些末な威力しか生み出せない。ミュータントの能力を用いても、フィアの操るバットにそこそこの衝撃を与えるのが精々だ。

 だが如何せん数が多い。一発では貧弱でも、十発二十発となればそこそこの力となる。少なくとも、フィア達を少しずつ後退させる程度には。

 このままではいずれバランスを崩して転倒、奴の『勝利』となる。

「図に……乗るんじゃあないですよおおおおおおっ!」

 故にフィアも『奥の手』を用いる!

 奥の手といっても、やる事はなんら変わらない。水を操り、その水でバットをコーティングして、バットから水を噴出する……それだけ。非常にシンプルだ。

 シンプルであるがために、強くする方法も単純明快。使う水の量を増やせば良い。そして水などいくらでも溢れている。

 足下を中心に何処までも広がる大地から、根こそぎ奪い取ってしまえば!

「うおオアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 フィアは咆哮を上げながら能力をフル発動! 急激に水分を奪われた大地はみるみる白化していき、地割れと地響きを起こしながら崩落。次々と巨大な陥没が生じ、観客席やフェンスの残骸を飲み込んでいく!

「ホアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 ゴリラも勇猛果敢な雄叫びを放ちながら対抗。球の残数はゼロなのだろう、ひたすらに投げる動作を取るだけ。しかしそれは無数の空気弾を生み出す行為に他ならない。増大するフィアのパワーを押さえ込まんと、こちらもがむしゃらに投げ続ける!

 二匹に最早策はない。互いに全力で、正面から力をぶつけ合う。体力を著しく消耗する激戦だが、フィア達の気力は一向に衰えない。残す力の全てを絞り出すように、辺りを容赦なく破壊する余波はどんどん大きくなっていき――――

 ついに、臨界を迎えた。

 突如として大地を揺さぶるほどの轟音を響かせるや、フィア達を包み込んでいた水煙が急激に膨張したのだ! それは例えるなら爆発なのだが、最初のボールとバットの衝突時に起きたものとは比較にならない。まるで海上で水爆が起動したのかと錯覚するほどの、巨大なキノコ雲状の水柱を吹き上げた。

「どごぼっ」

「うぐぇ!?」

「おかえりー」

 尚、バットを掴まされていたリーダーはようやく解放されたようで、山盛りになっていた仲間の上に落ちてきた。ミィもミリオンも診断に向かわないが、呻き声を上げてので一応は生きている……筈。

 キノコ雲と化した水煙はやがて地面に落ち、少しずつ視界が晴れていく。水滴はミリオン達が座るベンチ席でも振り、まるで雨のよう。ダウンしていた男達も次々と目を覚ます……リーダーだけは水がすっかりトラウマになったようで、跳び起き、頭を抱えて蹲っていたが。

 その天候の中で、マウンドにはびしょ濡れになりながらも立ち続けるゴリラが居て、バッターボックスの傍には濡れているようには見えないフィアも佇んでいる。ゴリラは背筋を丸めながらだらんと腕を垂らし、フィアは片膝を付きながらバットを杖代わりにしていた。力を出しきったようで、二匹とも今にも倒れそうだ。しかしどちらも相手を睨むのを止めず、それどころか自らのポジションから一歩たりとも動こうとしない。

 いや、戻れないのだ。何故なら『勝負』はまだ終わっていないのだから。

 それを察したのだろう。ミリオンは誰に言われるまでもなくベンチから立ち上がり、静かに片手を挙げる。

 そして、彼女は告げた。

「ボールが消し飛んだから、今回は引き分けね」

 あまりにも呆気ない結末を。

 実のところ、ミリオンはフィア達の対決の結果など見えていない。フィアがスイングのために放出していた水により、辺りは水煙に飲まれて見えなくなっていたのだから。しかし水爆染みたモノを生み出すほどのエネルギーが生じていた事は確か。ボールなんて跡形も残っていないに決まっている。打ったかも知れないし、打ててないかも知れない。結果は闇の中、だ。

 故に引き分けと称した。

 勝ちとも負けとも言われなかったフィアとゴリラは、どちらも脱力するようにその場に座り込んだ。ついに最後まで勝てなかった……同じ事を考えていた両者は、同時にその口元を緩める。

 そして息ぴったりに、二匹は大笑いした。

「はーっはっはっはっ! そうですかボールが消し飛びましたか! でしたら引き分けでも仕方ありませんね」

「ウホ! ホホホホ! ホウオホホオホホウ!」

「ふふん何を言っているか分かりませんが次こそはボコボコにしてやりますよ」

「ウホ!」

 不遜な態度を崩さないフィアに、ゴリラは立てた親指を下方向へと向けて応える。煽り合いこそ続けるも、二匹の間に敵意の感情は飛び交っていない。全く同時に立ち上がると二匹は警戒感なく近付き、自然と肩を組んで、心から笑い合う。まるで揺らぎない友情で結ばれた仲のように。

 どうやら全力を出しきった事でスッキリし、意地の張り合いなどどーでも良くなってしまったらしい。

 あまりにも簡単に仲直りする二匹に、ミリオンは肩を竦めて呆れる。確かに仲直りしたが、恐らく絆が深まった訳ではない。こんな調子じゃ、どうせまたつまんない事でケンカするわね……目はそう語っていたが、ミリオンの口元には優しく穏やかな笑みが浮かんでいた。さながら小さな娘達を見守る母親のように。ミィも呆れているようだが、うずうずと身体を揺れ動かすのは、さて、どんな想いからか。

 フィアはふう、と小さなため息を吐く。野良猫との対決も面白そうだ。機会があれば是非とも手合わせ願いたい。

 だけど今日はもうくたくただ。

「……今日はいっぱい遊びましたしそろそろ眠くなってきましたね……家に帰るとしますか」

 それだけ言うと、フィアはすたすたと歩き出す。ゴリラもその後を追い、ミィも後ろに続く。

 月明かりが、仲良く歩く三匹の姿を照らす。

 こうして、ミュータント達の野球対決はなんの後腐れもなく終わったのであった――――






















「はい、それじゃあちゅーもーく」

 等と能天気に帰ろうとしたフィア達だが、それをミリオンの声が邪魔をした。

「あん? なんですか折角良い気分で帰ろうとしていたのに」

「……やっぱり、帰っちゃダメ?」

「ウホゥ……」

 苛立つフィアだったが、ミィとゴリラの心当たりのありそうな反応に首を傾げる。と、ミリオンは辺りを見渡せと言いたげに顎をくいっと動かした。言う事を聞くのも癪だが、本当に分からないのでその指示に従いフィアは周囲を見渡す。

 あの穏やかな草野球場は、もう何処にもなかった。

 グラウンドの地面は捲れ上がり、フェンスは根こそぎ倒れ、観客席はその七割近くを損壊している。ベンチ席は何処かに吹っ飛んだのか跡形もなく、球場を照らすライトも全滅状態。挙句至る所が陥没し、観客席などの一部が地面の下に沈んでいた。これよりも小さな損害であれば、草野球場の外にも被害は及んでいるだろう。

 無論言うまでもなく、この原因は魚類と哺乳類によるものである。

「……そういえばちょっとはしゃぎ過ぎたかも知れません。花中さんがこの景色を見たら怒り……いえ気絶しそうですしさっさと逃げた方が良さそうですね」

 尤も、フィアにとって人間社会がどんな被害を受けようと興味の対象外。それより花中に嫌われる方が問題なので、隠蔽に走ろうとしていた。ミリオンは呆れるように肩を竦めるが、彼女も決して人間の味方ではない。野球場が崩落した事についてはさして気にしていないようだ。

「ああ、まぁ、そうね。そっちも大事なんだけど、何か忘れてない?」

「忘れてる?」

 しかしそれ以外のところは気にしているらしく、これまたなんの話か分からずフィアはキョトンとなる。

「つまりここで試合は終わりなのだけれど、こいつを見てどう思う?」

 ついには見かねたとばかりに、ミリオンは何処からともなく巨大な『板』を取り出し、フィア達の前に置いた。

 板に書かれていたのは、数字と記号。『18:24』だ。はて、これは一体? フィアはその数字をまじまじと眺め、ゴリラも顎を擦りながら首を傾げる。

「これ、この試合の結果だから」

 何時までも悩む二匹に、ミリオンは面倒臭いと言わんげにあっさりと答えを教えてくれた。教えてくれたが、フィアもゴリラも目をパチクリさせるばかり。

 それからしばらくして、二匹は同時にハッとした。

 そう、途中からフィアとゴリラの決闘になっていたが、実際のところ彼女達が争っていたこの回は男達の攻撃回。そして定めたルールによって、ピッチャーとキャッチャーの失敗は相手の得点となる。

 つまり仲間割れした結果、相手にぽんぽこ点数が入りまくったのである。勿論フィア達の実力なら、ここから逆転する事は難しくない。しかしながら試合をするには道具が必要で、その道具は全部壊してしまった訳で。

 もう、試合続行は不可能。ならばここまでの結果で勝敗を決めるべきである。

 そして、そもそもこの試合は――――

「へへ……ようやく気付いたか……」

「何奴!?」

「いやさっきまで試合していただろ!?」

 フィアが状況を理解した時、すっかり忘れ去られていた男達がその存在感を露わにした。五人全員ボロボロの状態だったが、一応立っていて、なんとか生きている。

 彼等が何者だったか。数秒後に思い出したフィアは渋い顔を浮かべた。

 この勝負、元々花中の失態を許すかどうかで始めたものだった。そしてフィアはその際、負けたら彼等の言う事を何でも聞くと明言してしまっている。無論約束を破ろうと思えばそれを押し通せる力はあるし、破る事に罪悪感などないが……負けたからといってキレるのはあまりにも惨めである。負けるのは嫌いだが、負けをなしにするなどそれ以上にみっともない。

 しばらく悔しさに身悶えするフィアだったが、やがて深いため息を一つ。

「ええい分かりました! 負けを認めましょう! さぁなんでも言う事を聞いてやりますからさっさと言いなさい!」

 覚悟を決めるように声を張り上げながら、フィアは男達にそう宣言した。

 フィアの言葉を受け、男達は揃って下種な笑みを浮かべる。するとリーダーは自然と前に出てきて、フィアの前に立った。ニタニタとした笑みに、フィアは僅かに眉を顰める。

 正直、気持ち悪い顔だ。何より、どんな事を言ってくるか分かったもんじゃない。

 不安、というよりも嫌悪を覚えるフィア。しかしリーダーの表情は変わらない。ねちゃりと嫌らしく、その口を開いて

「い、命ばかりは、お助けくだせぇ……!」

 迷いなくそう告げた。清々しいほどに必死な土下座も付け加えて。

 迷いなくそう告げた。清々しいほどに必死な土下座も付け加えて。

 ……予想していなかった光景に、フィアは目をしばたたかせた。何度瞬きしても、リーダーの体勢が変わる事はなかった。

「……はい?」

「命ばかりは、お、お助けを! これからは真面目に生きますから!」

「いえ命とか言われましても」

 首を傾げるフィアだが、リーダーの懇願は一方通行。まるでこちらの言葉が届いていない。

「実家に帰って、親孝行させてください……!」

「勝手にすればよろしいのでは?」

 それどころか大柄までもが同様の言動に走り、

「悪事から足は洗います! お金も返します!」

「さいですか」

 優男は懺悔までして、

「もう詐欺はしませんから……しませんからぁ!」

「そうですか」

 インテリは自らの犯罪歴をカミングアウトする有り様。

「何時かまたあのゴリラさんと再戦したいです。あの頃の青春をまた体験したいです」

「やりたいならやれば良いでしょう」

 尚、スポーツマンだけおかしさのベクトルが違っていたが。

 ともあれ男四人に命乞いされ、フィアとしても戸惑う。戸惑うが……変な要求をされないならそれに越した事はない。向こうがそれで良いと言うのなら、少なくともフィアに断る理由などなかった。

「……まぁ見逃せと言うのなら見逃しますが」

 全く得心のいかぬまま、男達に懇願された願いを受け入れる。

「「「「「ありがとうございます! では我々はこれにて! サラバデス!」」」」」

 すると五人は息ぴったりに立ち上がり、深々と頭を下げ――――バラバラの方向に走り出した。猫に追われるネズミのように、必死な走り方で。

「……なんだったのですかねぇあの人達」

「さて、なんだったのかしらね」

「なんだったのかねー」

 最後の最後でよく分からない状況に、フィアは首を傾げる。しかし聞き出そうにも彼等はもう遥か彼方。ミリオンとミィは何か分かっている様子だが……彼女達に頼んで教えてもらいたいほどかといえば、ぶっちゃけそこまで興味もない。

「それじゃあ帰りますか今度こそ」

「帰りましょうか、今度こそね」

「あ、花中はあたしが背負っておくねー」

「……まぁ今日は疲れましたしそれで良いでしょう」

 男達に続き、フィア達もまた帰路に付くのだった。







「おや? そういえばゴリラの姿がありませんが?」

「あの子なら帰ったわよ。私があげたオモチャを持ってね」

「あー。そういやアイツ、子供のオモチャを探してたんだっけ……で? 何を持っていたの?」

「そりゃ、一番面白かった遊びよ。我を忘れるほどの、ね」

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