異種混合草野球頂上決戦4
市民の憩いの場であるグラウンドの傍に、とある野球場がある。
野球場と言っても立派なものではなく、所謂草野球場だ。グラウンドと隣接するように位置し、簡易的な観客席や選手が座る屋根なしベンチ席、フェンスなどの野球場に欠かせない物は一通り揃っている。ただあまり整備はされていないようで、ベンチ席は塗装が剥げているし、フェンスには錆も目立つ。そもそも観客席には人っ子一人居やしない。茜色の空と目に優しい夕陽が、景色に散りばめられた寂しさを一層引き立てていた。
普段なら近所の草野球チームなどが使っているらしいが、今日は偶々誰も使っていないし、明日までは使う予定もない……と、この野球場の管理人らしき人物は語っていた。『らしき人物』なので彼が本当に管理人なのかは分からないが、実際誰も使っておらず、夕方になった今から使う予定があるとも考え難い。道具の使用も許してくれた。
絶対に、とは言えなくても、野球目的で使用する分には問題なだろう。
「ちっ……なんで野球なんか……」
故に此処で野球をしようという話になった訳だが、その参加チームの片方――――酔っぱらった男達のチームにて、一般男性の倍近い肩幅を誇る男 ― チームで一番の大柄なので、『大柄』と呼ぶとしよう ― が小さくぼやいた。
大柄のぼやきに反応したのは、髪を金色に染めた、花中のフリスビーが直撃した男 ― こちらはリーダー格のようなので、リーダーとする ― 。鋭い目付きで彼は大柄を睨み付ける。
「なんだ? なんか文句あんのかよ」
「文句じゃねぇよ。ただ、こんな面倒なやり方しないで、あの場でやっちまえば良かったじゃねぇか」
「馬鹿。あんな人の多い場所でなんかしたら、警察とか呼ばれるかも知れねぇだろ。むしろ結果的に手間が省けたじゃねぇか……わざわざこんな、人気のない場所に連れ込んでくれてよ。積極的な女どもだと思わねぇか?」
「……ああ、成程な」
ニタリと笑ったリーダーを見て、大柄もまたニヤリと笑う。その笑みは正しくゲスとしか言いようがなく、邪な心が滲み出ていた。悪道と無縁な一般人でも、一目で彼等の邪悪さが分かるほどに。
彼等は、表向きただのヤンキーである。
だがその実、裏では相当の悪事を働いた悪党でもあった。それも法に反する、大きな悪事を幾つもこなした大悪党。そして彼等が捕まらないのは、『目撃者』を出さず、そして『被害者』は通報出来ぬよう念入りに脅していたからだ。表沙汰にさえならなければ、事件というものは存在しないのと変わらない。事件とは、被害者が警察に駆け込む事でようやく確立される……彼等はそれをよく知っていた。
今回のように人気がない場所は、彼等にとって願ったり叶ったりのシチュエーションである。勝敗など関係ない。太陽が完全に沈み、辺りから人が完全に失せる……その時こそ、彼等は本性を露わにする。
彼等は酔っていたがために挑発に乗ったのではない。酔わずとも外道であるが故に、このケンカを買ったのだ。
「もうすぐ夜になる……とんだ馬鹿女達だ。夜道は危ないって教わらなかったんかねぇ?」
「だな……へっへっ。わくわくしてきたぜ。どうやって遊んでやろうか……」
「単純な奴だ。言っとくが、あの金髪は俺が最初だからな」
「わーってるよ。人の獲物を横取りするほど飢えちゃいねぇからな……この前食ったばかりだしよ」
ゲラゲラと、男二人が笑う。釣られるように、他の男達も笑う。
笑ってから、一斉に、ちらりと視線を向けた。
ゴリラっぽい、大男の方に。
「……ところであのゴリラっぽい奴って、まさかだと思うけど……」
「いや、ありゃ……アレだろ。コスプレとか特殊メイクとかだろ、うん」
「そ、そうだよなぁ……なんか獣臭いけど……うん」
まさか、本当のゴリラが居るとは思いもせずに……
一方その頃、そんな男達の本性など知らぬ花中達はといえば。
「あの、野球のルールは、知ってる、よね……?」
花中のこの疑問が示すように、そもそも野球が出来るのか? という段階から始めていた。
しかしながら、あまりにも初歩的過ぎる質問である。訊かれたフィアは不満げにぷっくりと頬を膨らませた。
「……花中さん。いくらなんでもそれは酷い質問ではありませんか?」
「は、はぅ……ごめん。でも、あの……」
「まぁ心配になる気持ちは分かります。負けたらなんでも言う事を聞くと約束してしまいましたからね」
フィアの言葉に花中はこくんと頷く。頷くが、「違うそうじゃない」とも思っていた。
花中は、フィア達が負けるだなんて微塵も思っていない。彼女達のパワーは人間など容易く引き裂き、スピードは人の目に追えない。基本的なスペックが違い過ぎるのだ。人間とミュータントの対決は、例えるならアリがクジラ相手に何かしらの勝負を挑もうとするのに等しい。手加減しても負ける方が難しいだろう。
しかし『負けない』事と『問題ない』事は全然別だ。もしルールを知らなければ、果たして彼女達はまともなプレイが出来るのか? もしかしたら、相手に怪我をさせてしまうのでは……
相手の事をよく知らぬが故に、純粋に相手の身を心配していた花中は俯いてしまう。と、その頭をポンポンと優しく撫でられた。
顔を上げれば、フィアの優しくて、自信に満ちた笑みが視界を埋める。
「大丈夫です。私に全てお任せください」
そして発せられる言葉の頼もしさに、花中は思わず笑みを浮かべ、
「相手はたかが人間ですからね! この私の投げた球によって一人残さず頭蓋骨をかち割ってやりますよ!」
続くこの言葉で、花中は勢いよくずっこけた。地面に打ち付けて、頭蓋骨をかち割りそうな勢いで。
「? どうしましたか花中さんヘッドバットの練習ですか?」
「そんな訳ないでしょ! そうじゃなくて、な、なんでそんな、頭を割ろうなんて、怖い事しようとしてるの!?」
「え? 野球ってそういう遊びじゃないのですか? テレビではやたら人に向かって投げていたと思うのですが」
「なんでハプニング特集の、で、出来事を、さもルールのように、認識してるの!? あれはハプニング! 起こっちゃダメな事なの!」
「なんですって!? ではどうやって相手を倒せば……」
「野球は相手を倒さないの! 相手より、多く点を入れれば勝ちなの!」
スポーツマンシップ以前の問題であるフィアに、花中は必死に基礎的知識を叩き込む。付け焼き刃同然だが、やらないよりはマシ……というより、やらないと何が起きるか分かったもんじゃない。
そこでふと、花中は気付く。いや、気付かないよう、無意識に避けていたのかも知れない。
フィアは極端な例だとしても……他の友達が、ルールを把握している保障はないではないか。
「あ、あの、皆さんは、野球のルールは……」
恐る恐る花中が尋ねると、のびのびと準備していた友達二匹――――ミリオンとミィが振り向く。
ついでに、この野球対決の提案者であるゴリラも。
「……詳しくは知らないけど、まぁ、常識的な範疇でやらせてもらうわ」
ミリオンの答えは、つまりはよく知らないという事。
「あたしもさっぱり。でもバットでボールを叩いて遠くに飛ばせば良いんだよね? 五キロぐらい飛ばせばホームランになるのかな?」
ミィもまた、合ってるようで明らかに間違っている認識を晒す。
残る最後の一匹であるゴリラは、仁王立ちし、腰に両手を当てながら胸を張る。
「ウホッ!」
そして誇らしげに首を大きく横に振りながら、吠えた。
……何を言っているのかは、全く分からない。分からないが、霊長類的直感曰く「さっぱり分からん!」と言ってる気がする。花中はどさりと膝を付き、力なく項垂れた。
「知らないなら、なんで野球対決なんか、勧めたのですか……というか、あの野球道具は、何処から……」
「ああ、アレ私が用意したやつよ。さかなちゃんとアイツらが言い争ってる時に、どうやって遊ぶものか知りたがってる様子だったから、彼等なら知ってるって教えてあげたの」
「……何さらっと唆してるんですか……」
「いや、唆したつもりなんかないのよ? 連中がゴリラ男の姿を見てビビるなりうざがるなりして帰ってくれれば、って思ってたんだけど」
中々上手くいかないものねぇ、と悪びれる様子もなく打ち明けるミリオン。花中はますます深く項垂れる。
知識なし。常識なし。反省なし。
ないない尽くしを思い知らされ、花中は頭を抱える。一体このチーム、どうやって纏めれば良いのか。そもそも纏める方法なんてあるのだろうか? いや、それよりも警戒すべきは、彼女達が人間ではないとあの男性達に知られてしまう事。彼等の見た目年齢から推察するに、SNSを使っていてもおかしくない。彼等に疑念を待たれたら、ネットの世界にフィア達の情報が流れる可能性があるのだ。そしてフィア達人智を超える生物の存在は、確実に人間社会を混乱に陥れる。
なんとかしてフィア達の正体は秘密して、それでいて怪我人を出さないようにしなければ。
「おーい! まだ準備は終わらねぇのか!?」
どっと押し寄せる課題にせめて三日は悩み抜きたいところだが、対戦チームからの催促が三分も経たずに飛んできた。「問題ありませんよー」と勝手に答えるフィアに続き、ぞろぞろと友達三匹+ゴリラは歩き出す。置いていかれた事に気付き、花中も慌ててみんなの後を追った。
何も起こらないと良いなぁ……
期待はすれど、どうせ叶わないと自分自身思う願いを抱きながら――――
男達の呼び掛けにより、野球場の中央に集まった花中達。本来なら、ここで選手宣誓なりをすべきなのだろうが……生憎花中以外の誰もがそういった事に無頓着らしく、早速試合を始めようとの運びになった。
最初に基本的なルールを確認した後、どちらのチームが先攻かを決める。代表として花中達のチームからはフィアが、男達のチームからはリーダーが出て、じゃんけん勝負。勝ったのはフィアで、彼女は誰とも相談せずに先攻を選んだ。男達は何故かにやにやと笑いながら、大人しく後攻を受け入れる。
かくして始まる、野球対決。
「ふっふーん腕が鳴りますねぇ」
待機席である屋根なしベンチの側で、フィアは金属バットを振り回していた。やる気があるのは結構だが、しかし彼女は相変わらずルールを理解しているとは言い難い状態である。
いや、フィアだけではない。ミリオンもミィもゴリラも、いまいち分かっていない様子だ。もうこの際多少ルールが分からないのは良いとして、騒ぎを起こすのだけは阻止しなければならない。
「い、良い? ぜっ……たいに、大事になるような、派手な事とか、おかしな事は、しちゃダメだからね? 人間じゃないって、バレないように、しないと……」
「分かってますって。それじゃあ行ってきますね」
念押しする花中であったが、フィアは何処吹く風。そそくさとグラウンドに出てしまう。花中はそれを止められず、ぽつんと立ち尽くしてしまった。
「だ、大丈夫かな……」
「別に平気でしょ、とりあえず人に怪我させちゃいけないって事は分かったみたいだし」
「だよねー」
「ウホ。ホウホウホ」
不安を言葉にする花中に、隣に立つミリオン、ミィ、そしてゴリラがそれぞれ自分の考えを述べる。ゴリラについては何を言ってるかさっぱりだが、心配するな、とでも言っているのだろう。
「ふん、調子に乗れるのも今のうちだぜ」
そんな彼女等の心遣いを台なしにするように、横から嫌味な言葉が飛んでくる。
言葉の発信源は、数メートル離れた位置にあるベンチに座るリーダー。彼の周りでは取り巻きの男達が、余っていたのか何本か持っていたお酒を呑み、品のない笑みを浮かべている。
罪悪感と恐怖心から怯えてしまった花中はミリオンの裾を無意識に掴み、掴まれたミリオンは肩を竦めながら花中達の代表として答えた。
「あら、私達が調子に乗ってると? そんなつもりはないし、仮にそうだとしても、真剣勝負の最中にお酒を楽しむあなた達ほどではないと思うのだけれど」
「それが調子に乗ってるんだよ。ほれ」
あそこを見ろ、とばかりにリーダーは顎で方角を示す。
彼が示した方を見たところ、一人の男性の姿が目に入った。
その人物は既にマウンドに立っており、男達の中で最も整った筋肉を持った、如何にもスポーツが得意そうな人物 ― スポーツマン、と呼ぶとしよう ― を花中達に魅せる。彼は感触を確かめるように左手に嵌めたグラブ目掛けボールを投げており、その手慣れた動きから、彼がそれなりに野球を嗜んでいた事が察せられた。
「アイツは昔野球部だったからな。それも、地元じゃちょっとは名の知れた名選手。これがどういう事か、分かるよな?」
「井の中の蛙って事ね。手加減してあげなきゃ、また心が折れちゃうかも」
「……ふん」
ミリオンの煽りに苛立ちを露わにしながら、リーダーはベンチに置いていた缶ビールを飲み干す。ミリオンはくすくすと笑うだけ。花中はおどおどしながら、ミリオンの代わりにリーダーに向けて頭を下げた。
さて、ここで今回のルールについて確認しよう。
本来野球とは、九対九で行うものだ。しかし此度の試合はどちらも五人ずつしか居ないので、五対五で行う。ここまでは良いのだが……重大な問題が横たわっていた。
審判の不在である。
野球は多くの判定を求められる。ストライクかボールか、盗塁に成功したか否か、打った球はファールになっていないか……言うまでもないが、双方どちらかのメンバーが審判をやった場合、当然自軍有利の判定をしたのではと不正を疑われるだろう。逐一反論するのは非効率であり、何より不毛だ。どうせ納得のいく結論など出ないのだから。
そこでルールをとことん簡略化。盗塁だとかファールやホームランなど、細かいものは全部省いた。残ったルールもよりシンプルな、そして時間の掛からない形に変えた。
こうして出来上がった新ルール――――投げられたボールをバント以外の方法で打てれば一点。キャッチャーが取れなかったら相手の得点。三回打てなかったらアウト。一人アウトになったら攻守を交代する。ピッチャー・キャッチャーは都度自由に変えても良い。
これを九回繰り返し、最終得点が高かったチームの勝利とする……以上の事を基本的なルールとして、この試合は進行する。
「ふっふーん。さくっと片付けてやりますよー」
「が、頑張ってぇ、フィアちゃーん……その、そこそこに……」
最初のバッターはフィア。花中が応援及び忠告をしたところ俄然やる気になったようで、バットを片手でぶん回し、何時でも来いとばかりに好戦的な眼差しを投手に送る。
対する、マウンドに立つ男。彼の眼差しはフィアではなく、仲間であるキャッチャー ― ニタニタと薄笑いを浮かべた、如何にも軽薄そうな男なので『優男』と命名する ― へと向けられていた。まるで、それ以外を見る必要などないと言わんげに。
「……運のない女だ」
「あん?」
ぽつりとぼやいたスポーツマンの言葉に、フィアは怪訝そうに訊き返す。
それはほんの僅かではあったが、明白な隙。
その隙をスポーツマンは逃さず――――力強く、腕を振り抜いた!
スポーツマンは中学生時代、地元では有名な野球少年であった。
高校でも野球を続けていれば、恐らくは全国的に有名な投手と育っていただろう。だが、複雑にして粗悪な家庭環境が、そしてその時を狙っていたかのように近付いてきた人間が彼の人生を狂わせた。正道から外れて外道を進み、今では取り返しの付かない場所にまで来ている。今までの生き方を後悔した事はないが……彼にとって野球は、純朴だった頃から特別なものであり、今でも彼の心の奥底に根付いている唯一の『正道』だった。
素直に好きだとは、もう言えない。リーダーの『真意』を知っている以上、この試合の勝ち負けだってどうでも良い。だけど……大人しく負けるつもりも毛頭ない。
ましてや自信と過信の区別も付かない馬鹿女に打たれて堪るか!
「ほいっ」
なんて背景を背負っている事など露知らず、フィアは問答無用で一発目から打った。弾丸にすら対応可能な反応速度でボールの軌道を正確に測定、大型トラックを平然と受け止める怪力でぶん殴る……言葉にすると最早不条理でしかない才覚は、人間の想いなど簡単に嘲笑う。かきーん、と小気味よい音が辺りに響き、ボールは遥か彼方へとすっ飛んでいってしまった。
「……うぬ?」
「いえーい花中さんやりましたよー!」
呆気に取られるスポーツマン。そんな彼の事など眼中にないフィアはスキップ混じりで花中達が待つベンチ席へと帰る。花中は初っ端からお見舞いした特大ホームランに頬を引き攣らせたが、なんとか拍手で出迎えた。
「はははっ! いきなり打たれてやんの! 元野球部だろー?」
「……あ、ああ。少し、ブランクがあっただけだ。次は問題ない」
優男に煽られ、スポーツマンは動揺を少なからず滲ませつつも、新しいボールをもらうとグラブを嵌め直す。大きな深呼吸をし、気持ちも改めているようだ。
「よーし、やってやんよー」
次にバッターボックスに立ったのは、フィアと同じぐらい自信満々なミィ。片手でバットを振り回す姿は、野球をやっていた人間からすれば腹立たしいものだろう。
「み、ミィさん、あの、あまり本気は……」
「んー? 花中なんか言ったー?」
ましてやベンチ席の花中の掠れた声に反応して、ピッチャーから目を逸らせば嘗めていると思われても仕方ない。
「このっ……!」
ミィが花中を見ている間に、彼はフィアの時以上の力でボールを投げ、
投げられたボールを、ミィはそっぽを向いたまま、『片手』で弾いた。バットではなく、バッドを握ってない片手で。
ボールはそのまま彼方へと飛んでいき、これまた数秒で見えなくなってしまう。
「……は?」
「……あ、ヤバ。つい素手で叩いちゃった。もー、いきなり来るからビックリしたじゃん。あ、でもこれヒットだよね? やったー」
『ヒット』が出たのだから一点。無意識に点を獲得したミィは、退屈そうにバットを投げ捨ててベンチに戻ってきた。
「いえーやりましたねー」
「やったよー、いえーい」
ベンチに戻ったミィはフィアとハイタッチ。ミリオンともハイタッチ。ゴリラともする。
「花中ぁ、やったよー」
そして最後に花中の前まで来て、
「な、なんで素手でボール飛ばしてるんですかぁっ!?」
小声で花中に怒られ、キョトンとしたミィは首を傾げた。
「え? なんでって……つい?」
「ついじゃないです! 普通の人は、野球のボールが当たったら、大怪我、しちゃうんです! 骨が折れるんです!」
「えぇー……あんなので怪我って、ちょっと人間って脆過ぎない?」
「にに人間とか、迂闊に言わないでくださいっ!? 人間じゃないって、い、言ってるようなものじゃ、ないですかぁ!」
気にしてるようで全く気にしてないミィに、花中は心臓がバクバクと脈動するのを感じる。いや、ミィについてこれ以上構ってはいられない。なんとかして男達に、彼女の起こした現象が『人間でも可能』と認識させなければ。
ああ、しかし一体どうやって誤魔化せば良いのか――――妙案も愚策も浮かばないまま、ただただ焦りに突き動かされて花中は男達の方へと振り返り、
「……は、ははは! 中々やるじゃねぇか!」
「だな! 少しは歯応えがないと面白くないからな!」
まるで気にも留めてない男達を見て、ベンチから転がり落ちて前転を繰り出してしまった。傍から見たら奇行でしかないリアクションにフィアから「花中さんどうしました?」と声を掛けられてしまう。
確かに彼等はアルコールを摂取していたので、平時より些か知能指数が落ちるのは仕方ないだろうが……だとしてもここまで酷くなるのか? 大人になってもお酒は控えようと、花中はこっそり心に誓う。
……なんにせよ、人外だとはバレていない。これに安堵して良いかは微妙だが、一先ずはやり過ごせたと花中は少しだけ安心する。
「お、俺の球……素手で、弾かれ……」
尚、スポーツマンは見た目か弱い美少女であるミィに怪我一つ負わせられなかった事がショックだったようで、跪いて項垂れていた。彼もまたミィが人外とは思っていないようだが、花中的にはある意味一番心配である。
それでも立ち上がり、再び前を見据えようとする姿に、一人の『野球選手』としての意地と誇りを花中は感じ取った。
「さんかんおー」
尤もその意地と誇りを、三人目の打者であるミリオンは腑抜けた掛け声と共に放った特大ホームランを以てして容易くへし折ったが。ちょっとは空気を読んでください……花中の心の声は、誰の耳にも届かない。
「おいおい、いい加減真面目にやれよ!」
「さっさと本気出せよ!」
あっという間に三得点。数字だけで見れば散々な結果に、ついにはスポーツマンの仲間からブーイングが上がる。勝敗など気にしていない彼等だが、嘗められるのは癪なのだ。不当な評価に襲われるスポーツマンだが、しかしフィア達が人外だと知らぬ彼に弁明の言葉などある筈もない。悔しそうに、唇を噛むだけ。
そんな彼に追い討ちを掛けるように、花中達が座るベンチ席から一体の巨躯が動き出す。
ゴリラである。
動物園育ちとはいえ、彼もまた『猛獣』の一種である。例えばその握力は並の個体でも五百キロを超えるとされ、成人男性の平均である四十~五十キロの十倍に達する。単純なパワーからして、肉体的対決では人間はゴリラを倒せない。振るったバットがボールに当たれば、人間など足元にも及ばない飛距離を叩き出す筈だ。
ましてや彼はミュータントである。その身には人智の及ばない、恐るべき能力が宿っているに違いない。しかし花中は未だその能力をハッキリとは見ていない。もしかすると争いには役立たない能力という可能性もなきにしもあらず。
果たして彼はスポーツマンの剛速球を止められるのだろうか? 疑問に思った花中はゴリラの顔色を窺おうとし、
ぞわりと、背筋が震えた。
立ち上がったゴリラの姿は、恐ろしいほどの自然体だった。表情だけでなく四肢もリラックスしており、心理的緊張を見ている側に何一つ感じさせない。バッターボックスに立ち、金属バットを構える姿にも恐れや不安はない様子。
フィア達は打ってみせたが、スポーツマンの球は決して遅くはない。むしろ素人である花中には、十分に速い球だと思えた。ゴリラだってスポーツマンの投げた球は少なくとも三度は見ている。何故こうもリラックスしていられるのか。
仮に、花中がここまで落ち着ける時があるとすれば……何があろうと負けないという『確信』がある時、か。
「……っ」
スポーツマンは表情を強張らせながら、念入りに自身のフォームを微調整する。一見ただの美少女であるフィア達にすらバッコンバッコン打たれたのだ。見た目からして屈強であるゴリラを警戒しない筈がない。
睨み合う両者。広がる緊迫感に花中は思わず息を飲み、
まるでそれが合図だったかのように、スポーツマンは球を投げた! 迫り来る豪速球。ところが相対するゴリラ、これにも動揺する素振りすらなし。むしろ勝利を確信したようにバットを力強く握り締め、
ばすん。
ばすん。
ばすん。
「って振りもせずに三振してどうするんですかっ!?」
「ウホホウ、ホウホウ」
いやー、やっぱ速くて無理だったわぁ。
そう言っているかは定かではないが、そう言っているようにしか見えないジェスチャーと共にゴリラはあっさり戻ってきた。あまりの呆気なさに花中もずっこける。どうやらあのリラックスさの理由は、単に諦めていたから、らしい。
ともあれゴリラがアウトとなった事で、ここでようやく攻守が入れ替わる。一回目から三得点は幸先が良い……人外である事を隠す、という意味では先が思いやられるが。
「ちっ……ようやくこっちの番か」
「……………」
成果を上げられずに戻ってきたスポーツマンを、リーダーは舌打ちという形で出迎える。スポーツマンは俯き、言葉を返せぬまま、ドカッ! と音を立ててベンチに座った。
スポーツマンと入れ替わるように、今度は大柄がグラウンドに出てくる。向かうは当然バッターボックス。ボックスに立った丸太のように立派な腕で金属バットを軽々と振り、意気込みを見せる。スポーツマンのような引き締まった肢体ではないが、巨大で屈強な肉体から放たれるパワーは相当なものだろう。
さて、バッターが出てきたのだからピッチャーとキャッチャーが必要だ。
キャッチャー役を名乗り出たのはフィア。既に三点のリードを付けて勝った気になっているのか、上機嫌な鼻歌交じりでポジションに着く。しゃがみ込んだ事で金髪が地面を引き摺るが、全くのお構いなしである。
そしてピッチャー役を担うのは、ゴリラだ。
自分がやりたい、と言葉では言ってない ― 言っても理解出来ない ― が、ボールを持って子供のようにウホウホとアピールすれば誰だってその意図を理解出来る。やりたい奴がやれば良いという方針の下、今回は彼が投手となった。
……腕をぷらぷらさせ、肩を怒らせるような歩き方でマウンドへと向かう姿は正しくゴリラである。純白のスーツ姿はある意味人間らしいが、それ以外が全く人間らしくない。マウンドに立つ姿にも違和感しかない。
「だ、大丈夫かなぁ……」
「大丈夫でしょ、ルールは一応分かったみたいだし」
「つーか、アイツちゃんと投げられるのかな? キャッチャーが取れなかったら、点取られちゃうのに」
果たして最後まで本物だとバレずに登板出来るのか、と思いながら独りごちる花中に、ちゃんとプレイ出来るだろうとミリオンは語る。ミィに至っては勝ち負けしか気にしていないらしい。花中の不安はこれっぽっちも和らがなかった。
そんな花中の不安を他所に、大柄もフィアもゴリラも、『相手』の事しか見ていない。しかしチリチリとした緊張感を放つのは大柄だけ。グラブを構えるフィアも、ボールを握るゴリラも、緊張などしていない。
「そんなゴリラ野郎なんかに負けんじゃねぇぞーっ!」
「ゴリラだからってびびんなよ!」
尚、隣のベンチ席の粗暴な応援が聞こえて、花中はガチガチに緊張していたが。あんな目立つところで、目立つ行動をしたら、あのゴリラがゴリラだとバレてしまうのではないか。いや既にゴリラだと言われてる訳だからゴリラだとバレてるようなものかも知れないが、しかし彼等の言うゴリラとは蔑称としてのゴリラであり、自分が危惧しているのはゴリラが生物学的にゴリラである事、つまり彼がGorilla gorilla gorilla であるとバレる事だ。そしてあのゴリラには自分が Gorilla gorilla gorilla である事を人間に知られてはならないとの自覚があるとは――――
「……はなちゃん、顔色悪いけどどうしたの?」
「いえ、ちょっとゴリラ酔いを……」
「は?」
頭の中をゴリラが駆け回り、花中は謎の気持ち悪さでダウンしてしまった。個人名と種名を区別するために、ニシローランドゴリラの学名である Gorilla gorilla gorilla を使ったのが間違いだったか。
無論そんな花中の体調不良で、試合が止まる訳もなく。
しばらく続いた睨み合いを終わらせたのは、ゴリラ。彼はおもむろに腕を大きく振りかぶると、その大振りに見合った速球をついに放った!
ハッキリ言ってしまえば、花中はゴリラを見くびっていた。
今まで彼は、これといって能力らしいものを見せていなかった。故に花中は今まで彼の能力など知らなかったのだが……一度だけ、その力を推測するチャンスがあった。
それはこの野球対決の発端となった、フリスビーで遊んでいた時の事。
一回だけだが、ゴリラがフィア目掛けて投げたフリスビーが『奇妙』な急浮上をしていた。考える暇があったなら、あの動きは妙だと花中なら気付けただろう。いや、そもそも類人猿の中で、投擲に最も適した肉体をしているのは人間である。例えば成体のチンパンジーは人間を引き裂くほどのパワーを持つが、彼等がボールを投げても十歳前後の子供ほどの記録も出せない。骨格と筋肉の付き方の所為で、投擲が出来ないからだ。正確性・射程・速度において、人間は類人猿最強……いや、生物界最強の投手と謳っても決して過言ではない種なのである。
にも拘わらず、あのゴリラはフリスビーでの遊びを難なくこなしていた。人間と相似した『肉体』を作れるフィア達ならいざ知らず、彼は外見からしてゴリラの肉体をしている。パワーは圧倒的としても、肉体的にコントロールとスピードは遥かに劣る筈なのに、人間らしくプレイ出来ていた。
ここまで思い至れば、答えを導き出すのは容易い。
あのゴリラの能力は『優れた投擲技術』である、と。
そしてミュータントの能力が、人間程度のレベルで済む筈もない。
「ここだっ!」
速球ではあったが常識的速さの球を、大柄は逃さない。高速かつ正確な軌跡でバットを振るい、飛んでくるボールを的確に捉えた。
普通のボールであったなら、間違いなくここで打たれ、中々の飛距離を叩き出したに違いない。しかし此度のボールは普通ではない。
何しろバットが迫るや、ボールはふわりと浮かび上がって回避したのだから。
「よっしゃ――――えっ!?」
「はいキャッチ。あと二回ですよー」
間違いなく打ったと思ったのか勝利の雄叫びを上げようとして、空振りに終わった大柄は呆気に取られる。正面から見据えている彼には、ボールがどのような動きをしたのか分からなかったようだ。
だが花中達外野は、ベンチ席に居る事でボールの軌跡を横から眺める事が出来る。運動音痴で動体視力もあまり良くない花中でも、ボールの不自然な動きはしっかりと網膜に焼き付いていた。普通の男性なら容易に視認出来た筈。ざわざわと隣のベンチ席が騒がしくなる。額から溢れ出る冷や汗で、身体が一気に冷めていくのを花中は感じた。
このままでは不味い。ゴリラが人間ではないとバレてしまう……文言にすると全く意味不明な状況に首を傾げる余裕すら今の花中にはない。
「あ、あの、も、もっと、ふ、普通に、投げてください……!」
なんとか自重してもらわねばと、花中はゴリラに声を送る。尤も周りに聞かれるのを気にして小さな、風で掠れるほどの声しか出せなかったが……ゴリラは花中の方へと振り向くと、こくりと頷き、ビシッと親指を立てた。任しとけ、と言わんげに。流石は動物、人間以上の五感を備えているようだ。
人間である大柄には花中の声は届かなかったのか、彼は花中に一瞥もなくバットを構え直す。ゴリラも改めて前を見据え、呼吸を整えた。
そして放つ、第二球。
飛んでいく球の速さは、中々の速さだが常識の範疇。一見して普通のボールに花中は安堵の息を吐こうとした
のも束の間、ボールが三つに増えた。
……冗談抜きに、いきなりボールが三つに増えていた。分身魔球であった。恐らく漫画だったなら、今頃花中の目玉は数十センチほど飛び出し、視神経が外気に晒されている事だろう。
こんな非常識ボールを前にしたら、打てる打てない以前にそもそも身体が動かない。大柄はあどけなさすら感じるほどキョトンとした顔を浮かべたまま棒立ちし、ボールはフィアの手前で一つに戻り、構えられたグラブにすぽんと収まる。
そしてゴリラは花中の方を見て、親指を立てながらカッコ良くウインク。「どうだい? これなら文句ないだろう?」と言いたげな清々しい笑顔も添えてきた。
「(って、そうじゃないですぅぅぅぅぅ!?)」
当然花中の反応は、顔を真っ青にしながら高速で横に振るものだったが。
どうやら先の花中の小声は、ゴリラに全く届いていなかったらしい。それどころか花中の掠れた声を応援と誤解し、一層頑張ってしまったようだ。完全な薮蛇。お陰で二投目も大柄は手も足も出ずにストライク。魔球なんて投げられたら、ただの人間にどうこう出来る筈もない。
というより、人間に投げられる訳がない。
隣のベンチに座る男達にざわめきが広がる。当然その視線は、自然と花中達の方へと向けられた。花中は全力で目を逸らすが、逸らしたところで後頭部にぐさぐさと視線が突き刺さる。この頭の痛みは視線が刺さっているから、ではないだろうが。
大柄もベンチ席の仲間達と同じく目の前の現象に戸惑っていたが、試合を放棄するのも癪なのか、或いはあまりに非常識な光景に言葉を失ったのか。そのままバッターボックスに立ち続けたが、三投目のボールは『横』にジグザグ飛行をする有り様。あり得ないボールの姿に今度もバットすら振れず、三振となってしまう。大柄はその場にバットを叩き付けて帰還。フィアとゴリラはハイタッチをしてから戻ってきて、頭を抱えて項垂れる花中を見て揃って首を傾げた。
ワンアウトで攻守は交代。男達の攻撃回は呆気なく終わり、二回表となる。
――――どうせ、いくら注意しても、ホームラン連発するんだろうなぁ……ああ、もうどーでもいいや。どうせ総理大臣がなんとかしてくれるし。怪我人さえ出なければ、それで……
「はい、それじゃあ次ははなちゃんの番ね」
等々諦めの感情に支配されていた花中は、ミリオンから言葉を掛けられるまで俯いていた。
尤も、掛けられた後も動かず、こてんと首を傾げるだけだったが。
「……はい?」
「いや、はい? じゃないでしょ。はなちゃんが打席に立つ番でしょ、順番的に」
ミリオンが指差した場所は、空席となっているバッターボックス。
ポカンと口を開けっ放しにした間抜け面を晒しながら、花中は考え込む。一回表で打席に立ったのは、フィア、ミィ、ミリオン、ゴリラの四匹。そうなると、成程確かに残るは自分だけなのだから、今回打席に立つのは自分だろう。
「わ、わたしぃ!?」
と、ここまで考えて、やっと自分の番がやってきたのだと花中は理解した。すっかりその事が頭から抜けていた花中は右往左往するが、周りはそんな事情はお構いなし。頑張れー、と大手を振って応援する姿を見せられたら断れない。
おどおどとした足取りで、バッターボックスに向かう花中。今度のキャッチャー役も優男がやるようで、男の人が近くに居る事に慄いた花中はつい目を逸らしてしまう。
その拍子にマウンドを見て、身体を一層強張らせた。
マウンドに立っていたのは、フィア達の時と同じくスポーツマン。だが今の彼は、先程までとは別人のような顔付きになっていた。例えるなら修羅か、或いは鬼か。最早おどろおどろしいという言葉が相応しい表情に、花中は思わず縮こまってしまう。それでも、スポーツマンの表情が変わる事はない。
一体何故そこまで本気なのか?
疑問の答えに、花中はすぐに辿り着いた。スポーツマンは元野球部所属という話である。今はその分野から離れているにしても、ど素人と比べれば腕前は雲泥の差の筈。今回の対決で、仲間達から多大な期待を寄せられたに違いない。ところがいざ試合をしてみれば、いきなり三点先取される有様。仲間から失望の声を告げられ、自分自身のプライドも大きく傷付いたに違いない。
……実際のところ彼等は勝ち負けなどどうでも良くて、この本気はスポーツマンの純粋なプライドから来ているのだが、男達の本性を知らぬ花中に知る由もない。真剣な眼差しに花中はすっかり委縮してしまう。
「花中さーん楽しんでいきましょー」
「別に気張らなくて良いよー、もう三点取ってるしー」
そんな花中の身体を解したのは、ベンチ席から送られる友人達の声援だった。
そうだ。自分は最初から戦力外である。打てなくて当然であり、最初から期待なんてされていないし、求められてもいない。プレッシャーに押し潰される必要などないのだ……自分で言って悲しくなってきて、花中はちょっぴり目に涙を浮かべてしまうが。
しかし悲しみが緊張を上塗りし、身体が少しずつだが柔らかさを取り戻せた。痛いぐらいに強張っていた指も動かせる。肩だって回せる筈だ。これなら遊べる。
「……むんっ」
バットを構え直し、花中は改めて前を見据える。相変わらずスポーツマンの眼差しは鬼気迫るものがあり、簡単に花中はビビってしまうが、なんとか逃げ出さずに留まり続ける。
ようやく実現する、人間対人間の勝負。
この勝負で最初に動いたのは、勿論投手であるスポーツマン。フィア達の時よりも気迫を感じさせる、力強いフォームで第一投を放つ!
「きゃあっ!?」
初っ端から厳しい洗礼に、花中は怯んでしまいバットすら振れずに終わる。バスンッ! と重々しい音がキャッチャーのグラブから鳴り、投げられた球の球速と威力を物語っていた。
怖がりな花中は思わず顔を引き攣らせる、が、頭を振りかぶって気持ちを切り替える。別に、この球をぶつけられる訳ではない。というよりぶつけたら反則だ。恐れる必要はない。
「ふんっ!」
おどおどしつつも花中が改めてバットを構えると、スポーツマンはすぐさま次の球を投げてくる。
どんな球が来るか、一度見た事で理解した花中は今度こそバットを振れた。が、空振り。ボールは花中を素通りし、再びキャッチャーのグラブに収まる。キャッチャーが取った時点でストライク扱いというルール。残すチャンスは、あと一回。
気負う必要などないが、それでも緊張してくる。バットを握っている手に、汗が滲んできた。
「ウホッ! ウホホホーウホウホウホ! ホウオウオウオウ!」
「五月蝿いですねぇこの野獣は。叫ぶぐらいなら花中さんを応援なさい」
「ホッ!?」
なお、ベンチ席ではゴリラとフィアがコントをやっていた。どう考えても今の咆哮はわたしの応援だよぅ……思った事を言うと集中力が抜けそうで、しかし言わないともやもやが消えそうにない。何故味方に邪魔されるのか。
邪念を振り払うために、花中は頭を力いっぱい横に振る。万全とは言い難い心理状態であるが、落ち着くまで待ってほしいなんて言えっこない。
後はもう、気合と根性でどうにかするだけ。
「これで……止めだっ!」
スポーツマンが止めとして投げた球は、今までで一番速く見えた。
最後のチャンスが迫った時、花中の脳裏にほんの一時間ちょっと前の記憶が蘇る。そう、ミリオンに教えてもらった、テニスのやり方。
テニスと野球は全く違うスポーツである。しかしそれでも、『球技』という括りからは外れていない。なら、基本的な技術であれば応用可能なものもある筈。
例えば、最後まで目を閉じないようにする、とか。
「ぅ、ううっ……!」
怖くて閉じそうになる目をギッと堪え、花中は最後までボールを目で追い続ける。先の二回で、タイミングはなんとなく掴んでいる。多少球速が上がったならそれに合わせれば良い。
タイミングが分かったなら、後は振るだけ。
「いっけぇぇぇぇぇぇっ!」
渾身の力を載せて、花中はバットを振り上げた!
―――― 一般的に、ここはバッチリ決める場面である。
が、現実はそうは問屋が卸さない。テニスの時はミリオンが『打てる球』でやってくれたから打ち返せたのであって、普通に速い球を打てるほど花中の運動神経は良くない。ましてや元野球部であるスポーツマンの球は、明らかに一般男性の球速を超えていた。
結果、渾身の力を込めたバットは空振り。タイミングどころか、振る軌道もてんでなっていない。ボールは易々と花中の前を通り過ぎた
直後、ごちん! と重々しい音が鳴り、
「ばごす!?」
花中の悲鳴がその音と重なる。
「いや、いくらなんでも……」
「流石にそれは……」
「ないわー……」
次いでその様を見ていた友達三匹が、呆れ果てた。
何しろ花中の頭を、花中の振ったバットが、直撃していたから。
つまり、力いっぱい振り過ぎた所為で止められず、勢い余って自らの後頭部をぶっ叩いてしまったのである。自分の後頭部を自分でぶっ叩いたのである。あまりにもマヌケな姿なので、二回言わねば信じてもらえまい。
「……ふきゅう」
ましてやそのままぶっ倒れたとなれば、映像をテレビ局に送れば数万円で買い取ってくれそうなぐらいの珍事であろう。
「かかかかっかかか花中さぁぁぁぁぁぁん!?」
「うわー……もう、本当に何やってんのさぁ……」
フィアが慌ててベンチから立ち上がり、ミィも花中の傍へと向かう。ミリオンとゴリラもフィア達の後を追い、四匹は花中を取り囲んだ。男達は掛け寄りこそしなかったが、予想外の展開に誰もが呆気に取られている。
花中を抱えて診断するミリオンは呆れ顔を浮かべていたが、花中の頭に手を翳し念入りに調べる。血管、骨格、脳組織、神経……細胞よりも小さなミリオンが花中の身体中を駆け巡り、どんな些細な異常も見逃すまいとしていた。
やがて、ミリオンはゆっくりと手を下ろし、肩を竦める。
「単に気絶してるだけね。頭の骨も折れてないわ……金属バットで頭を思いっきり叩いておきながら骨にヒビすら入らないって、頑丈なんだか貧弱なんだか」
そして下した診断に、フィア達は胸を撫で下ろした。
「そうですか……いやはや驚きましたよ全く」
「ほんとだよ。もー、花中ったら心配ばかりさせるんだから」
「ウホホ、ウホッ、ウホ」
「あなたウホウホ五月蝿いですよ」
「ホゥッ!?」
わいわいがやがや。一先ず命に別状はないと分かり、四匹は安堵から口を弛ませ、楽しげな言葉を出していく。
しかしこの会話も長くは続かない。
「……アイツらよくも花中さんをこんな目に遭わせてくれましたね! 百倍にしてお返ししなければ!」
両拳を力強く握り締めながら、フィアが怒りを剥き出しにしたのだから。尤も怒りに震えるのはフィアだけで、ミィ達は呆れ果てていたが。
「えぇー……それは流石に八つ当たりでしょ。どう考えても今のは花中の自爆じゃん」
「花中さんが貧弱で動きも愚鈍なのは見れば分かるでしょう! なのに気を遣わなかったのですからあちらの責任です!」
「アンタ、ほんと悪気なく花中をディスるよね……まぁ、なんだって良いけどさ。あたしも別に、試合を止めたいって訳じゃないし」
「私も続行で良いわよ。遊ぶんだったら最後まで楽しまないとねー」
「ウホッ!」
ビシリと親指を立てるゴリラを最後に、全員の意見が出揃う。反論なし。試合はこのまま続ける事となり、フィア達は花中の離脱もなんのそのとばかりに一層のやる気を見せる。
――――そう、やる気は十分。
しかし彼女達は失念していた……いや、決して忘れていた訳ではない。自覚はしていたし、『それ』が自分達の足を引っ張るものだと理解もしていた。ただちょっとばかし過小評価していただけなのだ。
右往左往しつつも必死になって自分達の仲立ちをしていた花中が、如何に大切な存在であるか。
そして自分達の『チームワーク』が、どれだけ壊滅的であるかを……
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