余談壱 女子は幻想にあらず
燦々と太陽が輝く、夏のある日の事。
「生理で、辛い……」
放課後を迎えた教室にて立花晴海が零したぼやきに、花中はどう反応すべきか分からなかった。
「……えっと、今、なんて……」
「だから、生理で辛いの……」
「は、はぁ……」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
上の空気味に返事をしながら、花中は辺りをキョロキョロと見渡す。放課後とはいえ教室内にはまだ男子生徒の姿がある。デリケートな話題だけに、このまま話に乗ってしまって良いものなのか。愚痴っちただけで、膨らませてほしい話題ではないのではなかろうか。
「晴ちゃん、毎月それ言ってるよねー」
そんな花中の考えなどお構いなしとばかりに話に乗っかったのは、花中の隣の席に座る加奈子。
加奈子からの言葉に、晴海は顰め面を浮かべたまま頷いた。
「もうね、ほんとしんどい……お腹だけじゃなくて頭も痛くなるし、それにあたし長い方だし……」
「そっかー。私は痛みの方はそんな酷くないけど、量が多いんだよねぇ」
「あー……それも大変よね」
「ほんとほんと。ナプキンじゃちょっと心許なくてさぁ。だから今はタンポン使ってるんだー」
「え? アンタ、タンポン派なの?」
「うん。量が多いと入れるの楽になるし、漏れないから快適だよ」
「ふーん、あたしもチャレンジしてみようかなぁ」
晴海の顔は相変わらず顰め面だが、会話自体は楽しげに交わしている。どうやら乗って良い話だったらしい。加奈子が居てくれて助かったとホッとするのと同時に、みんな苦労しているんだと花中は思った。
花中も、身体が小さいからか、生理周期が不規則という悩みがある。お陰でお気に入りの下着を汚してしまった事も、一度や二度ではない。晴海や加奈子とは種類が違うが、生理の辛さは分かるつもりだ。
ひっそり頷きながら花中は続きそうな二人の話に耳を傾けようとして、ふと、教室の戸が動いた時のカラカラという音が聞こえた。振り向いた花中の目に映ったのは、教室に入ってくる三つの影。
やってきたのはフィアとミリオンとミィ、花中の友達である三体の人外であった。フィアとミリオンは兎も角、超重量級であるミィは居るだけで校内 ― 主に床とか ― を破壊しそうなのだが、疑問に思う花中の脳内に「今回は番外編だから細かい事は気にするなー」との天の声が。とりあえず、気にしない事とした。
「どうもー放課後になったので花中さんを迎えに来ましたよー」
「あら? なんか盛り上がってる感じ?」
「あー、盛り上がってるというか……生理が辛いって話よ」
「せいり?」
キョトンと首を傾げるフィア。そのまま考え込み、ややあってからポンッと手を叩いた。
「ああそう言えば人間には生理なるものがあるそうですね。大変ですね毎月血がダラダラと出てくるなんて」
「血が出るだけならこんな喚かないわよ。もう、痛いし怠いしイライラするし」
「痛いってどのぐらいなのです?」
「子宮の内側から針を何十本も刺されるような感じ」
痛みを訴えるように、晴海は顔を顰める。体質によって生理痛の強さは違う。人によっては朝起き上がれないぐらい辛いらしい。花中の場合軽い腹痛程度で済んでいるが、痛みを感じない訳ではない。その苦しさの片鱗ぐらいは理解出来る。
が、フィアは魚。生理とは不要な胎盤を排出するためのシステムなので、胎盤を持たない魚に生理は起こらない。
「はぁ。人間の身体には面倒な仕組みがあるのですねぇ」
あまり興味なさそうに、フィアはなんとも適当な相槌を打った。晴海はムッとした表情を浮かべるも、すぐに諦めたようなため息を漏らす。
「アンタは良いわよねー……生理痛と無縁で。卵生だもんね」
「でもさー、産卵期とかはあるんじゃない?」
ひょっこり横入りしてきた加奈子からの意見に、フィアは肩を竦める。あたかも他人事のように。
「あるんじゃないですかね? 花中さんと会う前の記憶は殆どありませんから自身が体験済みかどうかも定かじゃありませんけど」
「じゃあ、実質未経験だねー。いざ迎えたらどうするつもり?」
「どうもこうも産み落とすしかないのでは? とりあえず故郷の池に戻り適当なオスに受精させてもらって済ませるつもりですよ」
「あ、一応受精はさせるんだ」
「だって未受精卵としてそのまま腐らせるのも勿体ないですし」
あっけらかんと答えるフィア。受精し、生まれる事になる命に全く関心を向けていない。人間ならば、なんと酷い母親なのかと糾弾されるだろう。
しかし彼女はフナであり、子育てなんて概念すら持たない種だ。子供への愛情は、本能レベルで有していない。何時か産卵期を迎えても、恐らくお腹の中に溜まったものを排出する……トイレに駆け込むぐらいの軽さで済ませるだろう。
「アンタは気楽で良いわねぇ……この魚類が」
生理で余程イライラが溜まっているのか、晴海の口から信じられないような悪態が飛び出していた。晴海の悪態など興味もないのかフィアは反応すらしなかったが、花中は一瞬肝が冷える。
このまま何度も悪態をぶつけられたら、ふとした切っ掛けでフィアも怒るかも知れない。
「あ、あの、ミリオンさんは……」
そう思った花中は場の雰囲気を逸らそうと、ミリオンに話の矛先を向ける。
が、すぐに言葉を詰まらせた。
何しろミリオンはウィルス――――単独では繁殖すら出来ない『非生物的存在』てある。繁殖期どころか、繁殖の概念すらあやふやに違いない。話題を振るのに、フィア以上に適さない相手。関心を持ってくれたかも怪しい。
「晴海ちゃん!」
等々の懸念を花中は抱いていたが、ところがどういう訳か。ミリオンは熱を帯びた声を上げて晴海の肩に掴み掛かった。
「な、何よいきなり!?」
ミリオンの唐突な行動に驚いたのか、晴海は動揺を露わにする。生理中で機嫌が悪いのもあってか、声は荒く、事の程度に不釣り合いな感情の昂ぶりも見せていた。
しかしミリオン、気に留めた様子なし。
「生理が辛いって言うけど、世の中には生理がなくて辛い想いをしたヒトがいるのよ! 具体的には私とか!」
「は、はぁ!? いや、何を言って」
「生理があれば……排卵期があれば……あの人の遺伝情報を取り出して、私の卵子に組み込んで、二人の子供が作れたのにぃぃぃ……作ってみせたのにぃぃぃぃ……!」
「え」
「うふふふふふふ。子供って良いわよ。だって愛する人と自分の分身なんだもの。その子が生きてる限りその子が血を繋ぐ限り私とあの人はずっと一緒……ずっと、ずぅっと……うふふふふふふふふふふふふ」
乾いた言葉をブツブツと呟きながら、焦点の合わない目で、光悦とした表情をミリオンは浮かべる。
ヤバい。
一目でヤバいと分かる。あの虚ろな眼差しで何を見ているのだろうか。平行世界の可能性辺りでも見えているのか。とりあえず、触れて得があるとは思えない。
「お、大桐さ」
「あ、ミィさんは、どうなの、ですか」
すかさず花中はミリオンから目を背け、ミィに話を振った。自分が口を開く前に顔面蒼白の晴海が何か言っていた気がするが、それは気のせいという事にしておいた。
ミィはジト目で花中を見ていたが、ミリオンに触れる事はなし。ため息を吐いてから、軽い口振りで語る。
「あたしはそこの二人と違って哺乳類だからね。生理はあるよ。でも発情期の後にくるから、年二回だけ。その二回も左程辛くないし。ま、股が痒くなるから不快だけど」
「そうなのですか……」
「ってぇー事は、猫ちゃんは発情とか経験しちゃったり? 子供作ったりしてたりするの?」
ずずいと、加奈子が話に入ってくる。それもかなりプライベートな話題を持ち込んで。
話を振られた途端ミィは顔を顰めたので、あまり触れてほしくない話題だったかと心配する花中。ミィの表情が腹立たしげなのも不安を煽る。
「……別にさ、作ろうと思えば作れるんだけどね」
ただ、ミィは促された訳でもないのに話し始めた。
加奈子は更に近寄り、わくわく顔で何度も頷く。
「うんうん、それで?」
「子供が嫌いって訳じゃない。むしろ好き。雄が嫌いって訳でもない。むしろ発情期は気になって仕方ない。子供を育てられない気もしない。むしろ誰よりも上手くやれる自信がある」
「うんうん」
「でも、自分が目を離した隙に子供達が保健所送りになったりする事もあるんだろうなぁって思うと、なんか一気に萎えるんだよね」
「……………」
重かった。物凄く重かった。あまりに重くて、何時もニコニコ空気を読まない加奈子が表情を引き攣らせるぐらい。
繁殖期を腹痛ぐらいの軽さでしか考えていないフィア、繁殖期はないが病んでるミリオン、育児にトラウマ持ちのミィ……三匹の意見は、生理に苦しむ晴海の助けにはならなかった。
「はぁ……やっぱり人間の悩みは人間にしか分からないのかしら」
「? 逆に何故分かってもらえると思ったのです? 人間だって我々の悩みなんか露ほども知らず知ったところで理解なんてしないでしょう?」
「……まぁ、それもそうか」
首を傾げるフィアからの問い掛けに、晴海は納得したのか深く頷く。なんやかんや、お互い様という事だ。
沈黙する晴海。表情は憂鬱そうだ。賛同者が加奈子だけで、些か不安なのかも知れない。
――――ならばここは、人間である自分も力になろう。
「立花さん。わたしも、相談に、乗ります……よ」
花中はにっこりと微笑みながら、晴海に声を掛けた。
「……え?」
「えと、わたしも、周期が、不規則で……立花さんほど、辛くは、ないです、けど。でも、少しは、気持ちは分かります、から……」
いきなり話し掛けられて驚いたのか、目を丸くしている晴海に、花中は力説する。
身体の事を話すのは恥ずかしい。
だけど、辛そうな友達の助けになりたい。具体的に何か出来るという訳ではなくとも、一人でも多くの仲間がいると伝えられたなら、ほんの少しでも気持ちを軽く出来るのでは……
そう思っての行動だったが、ふと、晴海の表情が困惑したものへと変わっている事に気付く。少なからず笑顔になってくれると期待していた花中にとって、これは想定外の事態。花中もまた困惑してしまう。
もしかして……安い同情なんていらないという、拒絶の意思?
「あ、ご、ごめんなさいっ! わ、わたし、立花さんが、どれだけ辛いかも、知らず、軽率な、事を……」
「え? あ、いや、そうじゃなくて……」
すぐに謝る花中だったが、晴海はその言葉を遮った。遮って、何時までも黙っている。中々続きを話そうとしない。
どうしたのだろう?
不思議に思いながら、花中は晴海の言葉を待つ。やがて晴海は諦めたように口を開き、
「……大桐さん、生理来てたのね」
とても正直に答えてくれた。
あまりにも正直な答えなもので、一瞬花中はキョトンとなり、次いで顔を真っ赤に染め上げる。
「……………!?」
「あ、いや、悪い意味じゃないのよ!? その、見た目小さいから、もしかしたらーって、だから、あの」
言葉を失う花中に、晴海は必死な口振りで説明する……いや、説明というよりも言い訳。事実はどうあれ、花中にはそうとしか聞こえない。
確かに、花中は小柄である。小学生にも間違われる。それは花中も認めよう。
だけど。
だからって。
大桐花中も、女子高生である!
「む、むぅーっ! わたし、そんなに子供じゃないですーっ!」
ぷっくりとむくれて、花中は不平を叫ぶ。あまり愉快な話じゃない。
だけど、悪い話でもない。
怒る自分の姿を前にして笑みを浮かべる友達の姿を見ると、不思議とそんな気持ちになる花中であった。
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