第285話 無様

 吹き荒れる暴風に弾き飛ばされたカリオスは、着地と同時に横に転がった。


 滑らかな樹木の上は、決して足場が良い状態とは言えない。


 立ち上がろうと付いた右腕を、危うく滑らせそうになったカリオスは、背中に冷や汗を感じながらも、眼下に目をやる。


 落ちてしまえばひとたまりもない。


 思わず固唾をのんだ彼は、背後から迫る翼の音を聞き、咄嗟に立ち上がった。


 通り抜けざまに、左の翼を打ち付けようとするトリーヌの攻撃を、身を屈めて躱す。


 右脚を軸にして回転しながら身を翻したカリオスは、その流れの中で右腕の籠手をスライドさせると、やみくもに発射した。


 恐らくトリーヌが居るであろう方向へ向けて放たれた暴風は、しかし、枝葉を鳴らすことしかできなかった。


 再び姿を見失ってしまったカリオスは、焦りの中で周囲に注意を向けている。


 いたるところに張り巡らされた枝葉や、それらの枝葉から垂れ下がっている無数の蔓。


 視界を遮るそれらの物影に注意を払うカリオスは、縦横無尽に飛び回るトリーヌの攻撃に苦戦しているのだった。


『クソッ! 次はどこからくる?』


 足場の狭いカリオスとは違い、トリーヌにとってこの場所に制限は無いと言えるだろう。


 前後左右だけでなく、上下の空間すら思いのままに飛び回ることが出来るのだ。


 その上、同時に身を隠すことも可能となっている。


 それら全ての方向を、カリオスの二つの目だけで確認することなど、到底不可能な話であって、トリーヌもそれを熟知しているのだった。


「こちらだ!」


『なっ!?』


 突然背後から聞こえた声に振り返ったカリオスは、それが罠であると理解すると同時に、強烈な浮遊感を抱いた。


 左肩越しに背後を見たカリオスの右わき腹に、鈍い痛みが走る。


 吹き飛ばされたカリオスは、視界の端で物陰に飛び去るトリーヌの姿を見つけたが、反撃する余裕はない。


 背中から盛大に着地した彼は、不意に背中の感触が無くなったことに気が付き、慌てて両腕を動かした。


 曲線を描いている巨大な枝の上から、今にも落下してしまいそうな不安定な体勢で、何とか蔦を掴む。


 両の腕を精一杯伸ばし掴んだ蔦は、思っていたよりも貧弱で、今にも亀裂が入りそうだ。


 何とか枝の上に登ろうと脚を動かしてみるも、宙ぶらりんの足先を固定できるような場所は見当たらない。


 思い切り右足を上げようとしてみるが、ツルツルと滑る枝の表面にひっかけることは出来なかった。


「どうだ? 怖いか? 貴様には私の同胞と同じ痛みを味わってもらおう」


 不意に掛けられた声を聞き、嫌な予感を抱いたカリオスは、咄嗟に周囲を見渡す。


 左脚のさらに下方に、比較的安定していそうな枝と、その枝の上に垂れ下がっている蔦を見つけた彼は、躊躇することなく両手を離した。


 それと同時に、籠手を何度かスライドさせると、そのまま右に腕を伸ばし、思い切り握り込む。


 発射された風圧で、カリオスの身体は勢いよく左の方へ押し出される。


 落下しながらもそれだけのことをやってのけたカリオスは、目の前に迫った蔦を何本もつかみ取り、全身を委ねることに成功した。


 勢いのまま掴んだせいだろうか、右手と左手で握り締めた蔦がぶちぶちと音を立て始める。


 そんな音を聞きながら、ゆっくりと蔦を降り始めたカリオスは、再び翼の音を耳にする。


 咄嗟に音のする方を見あげたカリオスは、彼の掴まっている蔦目掛けて、突っ込んできているトリーヌの姿を見るや否や、歯を喰いしばった。


 途端、トリーヌの翼が複数の蔦を切り裂いて行く。


 当然、カリオスの体重を支えきれなくなった蔦は、勢いよく落下を始めた。


『ヤバいっ!』


 ゆっくり蔦を降りていたとはいえ、このまま落ちてしまうのは危険だ。


 そんなことを考えるまでも無く、カリオスは急いで籠手をスライドすると、半ばヤケクソ気味に、着地地点に向けて放った。


 一瞬、落下速度が軽減されたように感じたカリオスは、次の瞬間、両足に激痛を覚える。


『ぐああああああああ!』


 痛みのあまり、そのまま仰向けに転がってしまったカリオスは、恐る恐る自分の脚に目をやった。


 それは、失敗だったと言えるだろう。


 彼の心拍に合わせて、ドクドクとあふれ出す血液が、見る見るうちに血だまりを作り上げて行く。


 そんな様子を目の当たりにしたカリオスは、文字通り、血の気の引ける感覚を抱いた。


 これ以上逃げることは出来ないだろう。


 そう確信したカリオスは、一つ、観念したように、ミスルトゥの上層を仰ぎ見る。


『ミノーラ達は、上手くやってるよな……』


 心の中でそんなことを考えたカリオスは、ゆっくりと降り立ってくるトリーヌの姿を見つけ、ため息を吐いた。


「無様だな」


 そんなことを語りかけて来るトリーヌに向けて、届かないと分かっていながらも、カリオスは声を掛ける。


『なぁ、トリーヌ。本当にすまなかった』


 思いながら、カリオスは左腕で腰のポーチから二つのクラミウム鉱石を取り出した。


 その様子に気づいたのだろう、トリーヌは警戒を顕わにしつつも、ゆっくりとカリオスに近づいて来る。


「まだ抵抗するつもりか?」


 まるで、カリオスのことを憐れむように告げたトリーヌ。


 そんなトリーヌに向けて左腕を前に伸ばしたカリオスは、おもむろに、二つの鉱石を打ち合わせる。


 途端、眩い光が周囲を包み込む。


『お前だけじゃないよな。俺は大勢の命を奪ってしまった。本当は、その全員に詫びるべきなんだろうが……それには、命が足りないみたいだ……』


 眩い光のせいで身動きが取れないトリーヌを目の前に、カリオスは今しがた打ち合わせた鉱石の内、一つを口に運ぶ。


 そうして、その大きな塊を、一思いに飲み込んだのだった。


 喉をゴリゴリと削って行くような痛みに悶えながら、カリオスはもう一つ握り締めていた鉱石を放り投げる。


 そこでようやく視界を取り戻したのだろう、トリーヌがいら立ちをあらわにしながら、カリオスの傍に立った。


「悪あがきのつもりか? それとも、鉱石を間違えたのか? あの程度で、私をどうにか出来ると思うな」


 カリオスは目先に突き付けられたトリーヌの翼を見つめると、ゆっくりと目を閉じた。


 激痛と出血で思考が定まらない。


 もう一つ、何かトリーヌに対して、やらなければならないことがあったはずだ。


 ぼやけ始めている意識の中で、抱いた疑問の答えを探したカリオスは、トリーヌの声を耳にしたことで、答えを見つけ出す。


「これが最後だ、何か言い残すことはあるか? ……メモを書く時間があるなら、聞いてやる」


 そんな問い掛けに対して、カリオスは自身の胸ポケットに手を伸ばすと、一つ折りしていたメモを取り出した。


 何とかメモをトリーヌに手渡そうとするが、既に力が入らず、彼の指先はそのメモを落としてしまう。


 落ちてしまったメモを拾い上げようとするトリーヌの姿を見て、カリオスは完全に意識を失ったのだった。

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