第255話 連想

 倒れ込んだイルミナを抱きかかえるタシェルと、翼を大きく広げて、タシェル達を覆い隠そうとするアイオーン。


 そんなアイオーンの翼の内側から空を見上げたクリスは、天を貫かんばかりに聳え立っている氷柱を垣間見た。


 街に走っている氷柱とは比べ物にならないほどの大きさのそれは、見ている間にも大きさを増してゆく。


 そんな様子を見上げている自身の視界に、白い呼気が映り込んだことに気づいたクリスは、思いだしたかのようにその場にしゃがみ込んだ。


 急激に低下していく体温。


 時間が経つほどに、指先が言う事を聞かなくなってゆく。


 そんな手で自身のポケットを弄った彼は、幾つかの小瓶を取り出した。


 ザーランドで入手したリキッド。


 タシェルに言われて用意していたそれらを手にした彼は、貼られているラベルに目を通し、目的の物を見つけ出す。


 『火』と書かれたそれを掴んだ彼は、勢いよく小瓶の蓋を開けると、左手の籠手にある、小さな穴に注ぎ込んでゆく。


 カリオスの話では、この籠手はリキッドで動くのだと言う。


 正確な確証はなく、実際に確かめたことも無い状態ではあるが、そんなことを気にしている余裕は、この時の彼にはなかった。


「速く入れ!」


 思っていた以上に粘り気のあるリキッドを注ぎ込みながら、そんなことを叫んでしまう。


 叫んだ自身の声が思っていた以上に震えていることを耳にした彼は、余計に焦りを抱いた。


 氷漬けになる事だけは避けなければならない。


 その一心で、籠手にリキッドを注ぎ終えた彼は、空になった小瓶を投げ捨てると、勢いよく立ち上がり、空に向けて籠手を構える。


 アイオーンの翼の隙間から見える夜空に、狙いを定め、彼は躊躇することなく左の拳を握り込んだ。


 しかし、思い描いていたことは、一つも起こらない。


 カリオスの籠手と同じように、拳の先から光線のような物が飛び出て来るものと考えていたクリスは、変化することない光景を眺める。


「なんでなん!? どうして何も出て来んの? ちゃんとリキッドば入れたやん!」


 焦りと怒りのあまりに声を荒げたクリスが、もう一度空に向けて左の拳を握り込もうとしたその時。


 彼の左腕に激痛が走った。


 握り込んだ状態の中指の先から、ジワジワと広がってゆくその痛みは、掌と甲、手首、肘へと登ってゆく。


 左腕の神経全てを針で刺されるような痛みに耐えきれる訳もなく、クリスはその場に崩れ落ちると、右手で左腕を握り締めた。


 咄嗟に籠手を外そうとしたが故のその行動は、彼に新たな焦りを抱かせる。


「外れん!! なんでなん!?」


 悶えながら必死に左腕に装着していた籠手を外そうと試みるが、成功することは無かった。


 まるで、左腕にくっついてしまったかのように、微動だにしないのだ。


「クリス君! 大丈夫!?」


 倒れ込んで悶えているクリスに気が付いたのだろう、タシェルがイルミナを抱きかかえたまま声を掛けてくる。


 その様子を目にしたクリスは、思わず目を見開いた。


 イルミナを抱きかかえているせいで動けない訳では無い。


 タシェルの体は、イルミナを抱きかかえた体勢のまま、腕や脚が凍り付き始めているのだ。


 その証拠に、彼女の体は白い霜で覆われ始めて居る。


 そんな状態で、クリスの心配をしている彼女の姿を見て、クリスは悔しさと自身への憤りを覚えた。


 未だに収まることの無い激痛に、悶えるしか出来ないクリスに、何が出来るのだろうか。


 せっかく手に入れたこの籠手も、全く役に立たないままに全てが終わってしまう。


 薄っすらと涙を浮かべたクリスが、一人そんなことを独白した時、アイオーンが語り掛けてきた。


「クリス君! 何をしたのか知らないけど、今すぐタシェルの傍に行ってあげて! じゃないと、二人が凍っちゃう! 僕の力じゃ、冷気と風を弱めることしかできないから! 早く!」


 投げ掛けられた言葉を聞き、何を言っているんだと思った彼は、ふと翼の隙間から見える空を見た。


 先程見えていた巨大な氷柱の先端が、まるで花弁のように広がっている。


 そして、表面から大量の冷気を放っているのだった。


 おまけに、気温の変化のせいだろうか、強い風も吹き荒れている。


 恐らく、アイオーンの翼が無ければ、クリスを含め、全員が瞬く間に凍ってしまっているだろう。


 その考えに至った瞬間、クリスは大きな違和感を覚えた。


「凍ってない……」


 痛みで悶えることに精いっぱいで、状況を把握できていなかったクリスは、そこで初めて、自身の体を目にする。


 全身を走る痛みと一緒に、熱い何かが駆け巡る。


 それは、まるで血液のように全身を巡ると、全ての元凶と思われる左腕へと戻って行く。


 仄かに赤い光を放っている籠手を目にしたクリスは、なんとなく、この籠手の力を理解した。


 初めに比べればだいぶ弱くなった痛みに引きずられながら、彼は立ち上がると、駆け足でタシェルの傍に向かう。


「タシェル! 大丈夫か!?」


 座りこんだ状態のタシェルに寄り添ったクリスは、冷たくなっている彼女の両腕を握り締める。


 すると、凍っていたタシェルの手が激しく湯気を上げ始めた。


「氷が溶けてる……それに、少し暖かい。クリス君、もしかして、その籠手の力?」


「多分……ばってん、そんな事言っとる場合じゃなかよ! イルミナばなんとかせんと! もう死にそうやん!」


 顔面蒼白になっているイルミナを見ながら、クリスはタシェルに告げた。


 その言葉を聞き、顔を曇らせたタシェルが小さく溢す。


「……イルミナさんは、もう……」


「なっ!?」


 微動だにしないイルミナに今一度目を向けたクリスが、悪態を吐こうとしたその時、再びアイオーンが語り掛けてくる。


「大丈夫! 僕に任せて! クリス君、少しの間タシェルとイルミナのことを任せても良いかな? 多分、僕ならなんとかできるから」


「なんとかって! どうするん!?」


「セーラを食べて来るよ! 彼女とセーラのつながりを切れば、多分収まるし、イルミナも助けることが出来るから。大丈夫、仲間を守るためだからね!」


 自信満々に言ってのけるアイオーンの言葉を聞いたクリスとタシェルは、ホッと胸をなでおろした。


「アイオーン! 頼んだぜ!」


 不意に舞い降りた朗報を聞き、自然と気分が上がってしまったのか、クリスは立ち上がり、腕を上げてアイオーンを鼓舞した。


 そんなクリスの言葉を聞いたアイオーンは、一つ笑いを溢すと、勢いよく飛び立つ。


 途端に、周囲の気温が下がり、風も強くなったことを感じたクリスは、タシェルとイルミナを抱き寄せる。


 小さな腕なので、完全に二人を抱えることは出来ないことに微妙な羞恥心を抱いた時、彼はタシェルがボソッと呟いた言葉を耳にした。


「……え、ちょっと待って……セーラを食べちゃったら……」


「どうしたん?」


 クリスの問いかけに応えるためか、それとも、気づいたことの重大さを知らしめるためだろうか、タシェルは夜空に向けて叫び出した。


「アイオーン! 戻って! 今すぐ戻って! セーラを食べちゃダメ!」


 突然叫び出したタシェルに驚いたクリスは、彼女が涙を浮かべながら放った言葉を聞き、耳を疑った。


「そんなことしたら! アイオーンが死んじゃう!」


 タシェルの言葉を理解した途端に、クリスの頭の中で先程アイオーンが告げた言葉がグルグルと回り始めた。


『大丈夫、仲間を守るためだからね!』


 その言葉で、彼はアイオーンの語った過去の話を連想する。


 どこかの国の、皇女が放った言葉。


 その言葉が意味していることを考え、クリスは先程自身が放った言葉とアイオーンの笑いを思い出し、悔いたのだった。

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