第214話 液体
階段を降りた二人は、身を隠しながら別の道を探すことにした。
少なくとも、先ほどの部屋から先に進むことは、難しいと判断したためだ。
とは言え、灯りの無い状態でクリスが周囲の状況を把握することは難しく、例の如く、ミノーラに任せるしか無い。
「こっちです!」
小声でそう告げるミノーラの後を追いながら、クリスは部屋の壁に沿って歩いていた。
なるべく東へと進めそうな扉を見つけては、周囲を警戒しつつ、部屋を移動する。
そうして、二つほどの部屋を通過した時、二人は長い廊下へと足を踏み入れた。
東西に伸びているその廊下には、一定間隔で松明が掛けられており、クリスでも様子を伺うことが出来る程度の明るさになっていた。
果てしなくまっすぐに続いているその廊下の様子を眺めたクリスは、安堵の溜め息を溢す。
取り敢えずは追手が居るわけでは無いことと、久しぶりに明るい場所で落ち着くことが出来たのだ。
安堵せざるを得ないだろう。
「とりあえず、この廊下を東に向かいましょう! 途中で上に上がる階段でもあればいいんですけど」
「絶対どっかにあるばい。それより、この建物はどこまで続いとるんやろ? もしかして、山脈の端まであったり……」
「それは流石に大きすぎる気がしますけど……見えてる範囲だけでも、かなり大きいですけどね」
そんな会話を交わした二人は、どちらが合図するわけでもなく、東に向けて歩き始めた。
走っている訳では無いため、それほど速度が出ている訳では無い。
代り映えのしないまっすぐな廊下を歩きながら、クリスは左右に並んでいる扉の様子を伺う。
それらの扉は、この建物の入口とは違い、通常の人間が使用するサイズで統一されている。
たったそれだけのことなのだが、彼は不思議と安心を抱いていた。
ここまで立て続けに、見たことの無い物を目の当たりにしてきたからだろう。
見慣れている物に気が付くだけで、彼は自身の常識を取り戻したような気になっていた。
そうして歩いていたクリスは、ふと一つの扉が半開きになっていることに気が付いた。
歩きながらその部屋の中を覗き込んだクリスは、薄暗い部屋の中に、とあるものを見つけた。
それが何なのか、即座に理解できなかった彼は、思わず足を止め、部屋の中を凝視する。
「何かあったんですか?」
そう尋ねながら、ミノーラも部屋の中へと目を向けている。
二人の視線が、その青白く光る物体を捉えた時、それは動き始めた。
部屋の中のテーブルの上にあるように見えたそれは、音もなく床へと落ちたかと思うと、這いずるように廊下の方へと近付いてくる。
その様子を見たクリス達は、その得体の知れない物体の挙動に恐怖を感じ、思わず駆け出していた。
扉が半開きになっていた部屋から、少しだけ距離を取ると、立ち止まって扉の様子を観察する。
出来ることなら、追いかけて来ないで欲しい。
そのような事を考えた二人だったが、その願いが聞き届けられることは無かった。
音もなく扉の隙間から姿を現したそれは、意志でもあるのか、まっすぐにクリス達の方へと這い寄ってくる。
「クリス君。あれは何ですか?」
「知らん。それより、なんかヤバそうやけん、はよ逃げるばい!」
まるで、水が形を得たとでも言うような物体が、近付いて来る。
そのまま見ている訳にもいかず、クリスとミノーラは堰を切ったように廊下を駆け始める。
先程までの様子から、動きは鈍そうだと考えていたクリスだったが、走りながら背後を確認した瞬間、間違いであることに気が付く。
部屋から出てきた時はクリスの頭と同じくらいの大きさだったのだが、少し目を離しただけで、廊下を埋め尽くすほどの大きさまで成長している。
そして、巨大化したそれは、沢山の触手を壁や床、天井へと這わせると、本体を引っ張りながら前進しているのだ。
「クリス君! 廊下が!」
背後に気を取られていたクリスは、ミノーラの言葉を聞き、最悪な状況を理解する。
十数メートル前方に、大きな穴が開いているのだ。
「どっかの部屋に入ろう!」
駆けながら提案したクリスは、手当たり次第に扉を開けようとしてみたが、どれも開かなかった。
少しだけ隙間を作ることが出来た扉もあったが、瓦礫などで塞がっていて、部屋に入ることが出来ない。
そんなところでもたついていては、すぐに追いつかれてしまうだろう。
そうこうしているうちに、穴の手前に辿り着いてしまったクリスは、穴の中を覗き込んでみる。
どうやら、初めの部屋で見た大穴と同じような物らしく、穴の奥から微かに聞き覚えのある寝息が聞こえてくる。
それを理解したクリスは、すぐに追いかけてきているそれに視線を移すと、弓矢を構えた。
廊下一杯を埋め尽くしているのだ、狙いを外す道理はない。
焦りで震える手を抑えながらも、目一杯に弦を引いたクリスは、間髪入れずに矢を放つ。
風を切り空を切った矢は、一直線に飛ぶと、見事それに命中した。
しかし、当たったは良いものの、全く効果はないようで、それの中に沈み込んでいった矢は、プカプカと浮かんでいる。
「クリス君、松明!」
矢が効かないことに落胆していたクリスは、ミノーラの声を聞いて、すぐさま動く。
近場の壁に掛けられていた松明を手に取ったクリスは、すぐ傍まで接近してきている水の化け物に向けて、突き付けた。
一瞬、水の化け物が松明を避けたように感じたクリスだったが、勘違いに終わる。
本体から伸びてきた無数の触手によって消火されてしまった松明を振り回し、クリスは後ずさる。
「ミノーラ! どうする?」
もうすぐそこまで迫っている化け物を前に、クリスはミノーラへと目配せした後、穴へと目を向けた。
その意図を汲み取ったのか、ミノーラは穴の中を覗き込むと、一つ頷いた。
「行きましょう!」
その掛け声と同時に、クリスとミノーラは背後に空いている大穴へと同時に飛び込んだのだった。
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