第183話 善悪

 ようやくカリオスやタシェル、オルタ達と合流できて、今からエーシュタルへと戻ろうとしていた時。


 どんな経緯かは知らないが、ミノーラ達のことを助けに来てくれたイルミナが、ミノーラに向けて告げた言葉。


「ミノーラさん。この中に入ってください」


 彼女は足元に置いた檻の扉を開きながらそう告げた。


 短い声が思わず漏れる。


 困惑や戸惑い、そんな気持ちを抑え込むために、ミノーラは黙り込んだのだった。


 その様子を見たイルミナが、まっすぐにミノーラの目を見つめながら話し始める。


「申し訳ありませんが、あなたを自由の身のままに街の中へと入れることは出来ません。この檻の中に自主的に入って頂けるのであれば、認めます。もし、街の中で許可なく檻から出た場合、私はあなたを拘束しなければなりません」


 紛れもなくミノーラに向けて放たれたその言葉を聞き、ミノーラの思考は停止した。


「なんでそんなことになるん!? ミノーラが何をしたん!?」


 すぐ隣に立っているクリスが、そのような事を言っているが、イルミナもミノーラも、反応しなかった。


 淡々と突き付けられる視線に居心地の悪さを覚えながら、ミノーラはふと思い抱く。


 イルミナは何故、そのような事を言うのだろうか。


 自由の身のままに街の中へと入れることは出来ない。


 つまりは、ミノーラのことを信用できないという事だ。


 確かに、初対面の相手のことを完全に信用できるとは、流石のミノーラでも言えない。


 だとするならば、なぜミノーラだけが制約を受けなければいけないのか。


 先程馬車に乗せられていた人々やカリオス達も、イルミナにとって信頼が出来るという程の関係ではないだろう。


「……狼だから、ですか?」


 ふと抱いた疑問を、そのままぶつけてみる。


「……狼である、ということはこの件には全く関わりがありません。少なくとも、私があなたのことを一介の獣だと認識しているなら、このような確認を行うこともありません」


 帰って来た答えを聞き、ミノーラは密かな憤りを感じた。


 不意に突きつけられた要望と、はぐらかすような応えに心が乱されたのか、ほんのりと熱い何かが、彼女の体を駆け巡る。


「……私がなぜ、このようなことを言っているのか分からないのですか?」


 イルミナの瞳はミノーラのことを見透かしているのか、考えを読んだような質問を投げ掛けてくる。


 その質問を聞いたミノーラは、動揺を隠すことが出来ず、思わず視線を落としてしまった。


 そのまま、何が原因なのかを考え込む。


 彼女がミノーラに対して不信を抱いたのには、何かしらの原因があるはずだ。


 イルミナと初めて会ったのは、檻のあった場所。


 その時交わした言葉を思い出したミノーラは、確信は持てないままに、問い返してみる。


「人を殺したから……ですか?」


「簡単に言えば、そうですね」


 機嫌を伺うように問いかけたミノーラは、自身の予想が当たっていたことと、不当な疑いを晴らせることに安堵する。


「ビックリしました。だったら、安心してください。あの人たちは凄く悪い人達なんですよ? あの場所には血の臭いが染み込んでましたし、女性を殴っているところもみました。だから、殺したんです。別に悪い事じゃないですよ」


 これでイルミナの抱いている不信を拭うことが出来ると考えていたミノーラは、ハキハキ言葉を並べた。


 しかし、言葉を並べ終えても尚、相変わらず冷たいイルミナの視線に気が付き、困惑する。


「えっと、まだ他に何かあるんですか?」


「……ミノーラさん。今のあなたにこれを言うのは、非常に申し訳ないのですが」


 そこで言葉を区切ったイルミナは、一度小さく息を吐いた後、決心したように告げた。


「私からすれば、ミノーラさんの言っていることは、悪人のそれと同じです。少なくとも、分別をわきまえている者の言動ではないと思います」


 悪人のそれと同じ?


 どうしてそうなるのか、ミノーラには分からなかった。


 悪い人間を殺して、良い人達を助け出した。


 全く悪い事をしていないのに、なぜイルミナはそんなことを言うのだろう。


 理解できない状況で混乱していたミノーラは、不意に声を出したクリスの方へと目を向ける。


「なんば言いようとや! ミノーラは俺のことも助けてくれたし! 他の人も助けたやんか! あいつらは死んでも当然なクソ野郎たい! 俺、目の前で見たんや! なんで何もしてないお前に、そんなこと言われないけんのよ!」


 ミノーラの隣で叫んだクリスは、こみあげるものがあったのか涙をこぼし始める。


 彼の握り込まれた拳を見て、ミノーラが小さな自信を取り戻しかけた時、イルミナが言った。


「助けるために、殺す必要があったのですか?」


 問われて思い返した彼女は、その疑問への答えを見つけ出したにも拘らず、口に出すことは出来なかった。


 それを口に出してしまえば、何かが大きく壊れてしまう気がした。


 沈黙で応えたミノーラを見て、イルミナがため息を吐いた時、ミノーラは頭を撫でる優しい手の感触に気が付いた。


 重たい顔を上げ、右隣を見上げると、カリオスと目が合う。


「……カリオスさん……あの、私……」


 自身から発せられた声が掠れていることに気が付いたミノーラは、ゆっくりと頷くカリオスの顔を見て、黙り込む。


 あふれ出しそうな何かが、胸の内ではじけ、ゆっくりと消えていったような気がした。


 そんなミノーラの横を通り過ぎたカリオスは、メモを取り出して何かを書きながら、イルミナへと歩み寄って行く。


 そうして、メモを手渡されたイルミナは、無言でそれを読み始めた。


 カリオスはと言うと、イルミナにメモを渡すと同時に踵を返し、再びミノーラの隣に戻って来る。


「……分かりました。今のところはカリオスさんの言葉を信じましょう。その代わり、今夜皆さんには軍で聴取を受けて頂きます」


 そう言うと、イルミナは檻を持ち上げ、馬車へと戻し始める。


 カリオスが何を伝えたのか気になったミノーラだったが、深く聞き出すことはしなかった。


 涙の収まっていないクリスをタシェルが宥め、オルタがなんとも言えない表情で馬車の方を見ている。


 少し鬱屈な気分を抱きながら、ミノーラは馬車へと向けて歩き出したのだった。

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