第179話 回収

 トリーヌの全身から赤いラインが消えて行く様を見たタシェルは、安堵する。


 つい先ほどまでのトリーヌは、明らかに通常の状態では無かった。


 飛行速度に加え、打ち上げた石を操るなど、普通ではない。


 その現象に何らかの理由があるのだとすれば、全身に張り巡らされた赤いラインが見るからに怪しい。


「やけに素直ですね」


 抵抗する素振りも見せず、その場に座り込んだトリーヌを見て、イルミナが告げる。


「まぁ、こうなってしまっては勝ち目など無いからな」


 脚を崩して座り込んだトリーヌが、ぶっきらぼうに言い放った。


 そこでタシェルは、改めて周囲を見渡す。


 意識を失っているカリオスと、軽傷を負ったタシェル。そして、突如として変貌を遂げたオルタ。


 この三人だけであれば、トリーヌは諦めを抱かなかったかもしれない。


 少なくとも、逃げることは可能だろう。


 しかし、イルミナの存在がそれを許さない。


 見た限りではこれと言って怪我を負っている様子の無い彼女は、もう一人の刺客だと思われる男を捕まえている。


 それほどまでに圧倒的な力量の差があったのだろう。


 感嘆の意を抱くタシェルの視線に気が付いたイルミナは、軽く微笑むと、握っていたロープをオルタに手渡しながら馬を降りた。


「さて、それでは念のため、あなたにも凍ってもらいます」


 その言葉を皮切りに、周囲の温度が冷え上がってゆく。


 澄んだ空の下、冷えた空気の中を颯爽と歩いたイルミナは、無造作にレイピアを構えると、間髪入れずにトリーヌへと切りかかった。


 切っ先がトリーヌの胸元を打ち付け、乾いた音が響き渡る。


 その音を皮切りに、トリーヌの胸元を覆う羽毛が一瞬で凍り付き、その氷は瞬く間に全身へと広がってゆく。


「なにが……!?」


 まるで、受けた衝撃をきっかけに氷が広がって行くその様子を見て、タシェルは目を奪われた。


 それはトリーヌも同じようで、驚愕のこもった目で凍ってゆく自身の体を見つめていた。


「なるほど、これではレイガスが負けたのも頷ける」


 すっかりレイガスと同じように首から下を氷漬けにされたトリーヌが、呆れた様子で呟いた。


 その言葉を、イルミナは否定した。


「彼は頑張っていましたよ? ただ、相性が悪かっただけですね」


「相性か……」


 トリーヌがそう呟いた時、タシェルは背後で慌てるオルタの声を聞いた。


「……な!? ま……て……!」


 その声を聞いたタシェルとイルミナが振り返ると、オルタが地面を掘り返そうとしている。


 何をしているのか、と一瞬考えたタシェルは、すぐさま異変に気が付いた。


「あの男は!?」


「待ちなさい!」


 同時に叫んだイルミナの声を聞き、タシェルはトリーヌの方へと目を向ける。


 凍らされたまま身動きの取れないはずのトリーヌが、静かに地面へと吸い込まれてゆく。


 目を閉じ、ただ沈むのを待っている様子のトリーヌにイルミナが切りかかったが、切っ先が彼に届くことは無かった。


 そこでようやく、彼女は理解する。


「もう一人仲間がいる……? それも、ミノーラと同じように、影に入り込める仲間が……。イルミナさん! 気を付けてください!」


「……。いえ、恐らく、襲ってはこないでしょう」


 警戒を促したタシェルの言葉をイルミナは否定した。


 そして、おもむろにカリオスの元へと歩み寄ると、彼の様子を伺っている。


「カリオスさんが無事でいるということは、影の中の仲間にとって、彼はそれほど重要ではない。それ以上に、二人の回収を優先した。つまり、トリーヌとレイガスは、もう一人の仲間の指示で動いていると考えると、筋が通りますね」


「……どういう事ですか?」


 イルミナの言葉を聞いたタシェルは、聞き返しながらもおおかたの予想を付けた。


 トリーヌとレイガスが影の中の仲間に命令を出す立場にあった場合、こうなってしまう前にカリオスを捕らえさせるだろう。


 しかし、そうはならなかった。


「あくまでも仮説ですが。トリーヌとレイガスの二人がカリオスさんを狙っていたのは間違いないです。そして、影の中の人物は、いつでもカリオスさんを攫うことが出来たはず。ですが、しなかった。実際は二人の回収を行っただけ。まるで、自身の駒が奪われるのを防ぐように……」


 そこで言葉を切ったイルミナは、薄暗い平原を見渡して告げる。


「今はミノーラさんとクリス君の救出を優先しましょう。さぁ、タシェルさん。案内してください」


 そう声を掛けられたタシェルは、目的を忘れかけていたことを思い出し、慌てて声を上げる。


「シルフィ! ミノーラの場所まで案内して!」


 今までどこに行っていたのか、少しフラフラと飛びながら近寄ってきたシルフィが、タシェルの肩にちょこんと座りこむ。


「シルフィ、大丈夫?」


「うん、大丈夫。ちょっとびっくりした。それだけ」


 先程トリーヌから受けた目くらましでびっくりしたのだろう、少ししょんぼりとしている様子のシルフィを励ましたタシェルは、指示通りに平原を歩く。


 しばらく歩くと平原の真ん中に少し大きめの茂みが現れた。


「ここ! この石の下!」


 明らかにタシェルでは動かせそうにない岩を指差したシルフィ。


 その岩を見たタシェルは、間髪入れずにオルタへと目を向けた。


「オルタさん、お願いできますか?」


 その言葉で察したのか、オルタはぎこちない動きで岩を押しのける。


 まるで何かを隠すように岩の下に敷かれていた雑草をどかすと、地下へと通じている扉が現れる。


「こんなところに……」


 驚きを通り越して呆れを感じさせる呟きが、イルミナの口から零れたのだった。

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