第160話 半目

 笑う仔犬亭を出たオルタは、人通りのない道の真ん中に立ち、空を見上げてみた。


 雲一つない勝色の空に、無数の星が散らばっている。


 澄んだ空気を肺一杯に吸い込んだ彼は、軽く息を吐くと、そのまま受付へと向かう。


 噴水広場や精霊協会を通り過ぎて、さらに街の中心へと向かったところに、目的の建物はあった。


 まさに街の中心に建っているのだろうか、巨大な闘技場が異彩を放っている。


「やっぱりでけぇよな。しかも、この闘技場がすっぽり入るほどの街があるってんだから、驚きだぜ。」


 石造りの闘技場を見上げながら歩いていたオルタは、闘技場の前で立ち尽くしている男を見つけた。


 昨日受付をしてくれた係の人と同じような格好をしているため、恐らく武闘会の関係者だろう。


 そんな男に近づいたオルタは、軽く会釈しながら挨拶する。


「おはようございます。目が覚めたから思わず来ちまったんだが、早すぎたりするのか?」


「おはようございます。既に受け入れの準備は出来ていますので、問題はありません。見たところ素手のようですが、武具は不要とのことで良かったでしょうか?」


「ん?あぁ。素手で挑んでみたくてな。やっぱりきついのか?」


「いえ、まぁ、殆どの方は武具を準備されていますが、素手でも問題はありません。何しろ、現チャンピオンであるノルディス長官も、一度目の優勝を果たした時は素手でしたので。」


「お!そうなのか。それは腕が鳴るな。」


 そんなオルタの様子を見ながら何かをメモした男は、思いだしたように問いを投げ掛けてきた。


「お名前は?」


「あぁ、オルタだ。」


「オルタ様ですね……確認できました。それでは、中へとお進みください。」


 促されるままに入口の巨大な門をくぐったオルタは、振り返ることなく暗い通路を進んだ。


 申し訳程度に設置されている松明の灯りが照らす床や壁、そして天井を見回しながら、通路の突き当りに辿り着く。


 そこから見えた景色は、なんとも言えない威圧感をオルタに押し付けてくる。


 通路の突き当りにある手すりにもたれ掛かったオルタは、息を呑みながら眼下に広がっている闘技場の舞台を食い入るように眺めた。


 まるで街の外の平原を模したような舞台。


 巨大な岩や瓦礫、数本の樹木がいたるところに点在している。まるで、戦場を模しているようだ。


 そんな光景を眺めていたオルタは、背後から何者かが近付いて来る気配を感じ、振り返る。


 オルタと同じくらいかそれ以上の体格のウルハ族の男が、こちらへと向けて歩いてくる。


 かき上げられたぼさぼさの長髪と、値の張りそうな装備に身を包んだその男は巨大なハンマーを肩に担いだままオルタのすぐ傍で一度立ち止まる。


 そして、こちらの様子を一瞥した後、大きな失笑を溢した。


 瞬間的に怒りが湧き上がりそうになったオルタだったが、改めて自身の格好を思い返す。


 確かに、場違いだと思われてもしょうがないかもしれない。


 自身とは明らかに気合の入り具合が違う男の後ろ姿を目で追いながら、オルタは小さな後悔を抱き始めた。


「もう少し、準備するべきだったな。」


 男の後を追うように観客席脇の通路に踏み込む。


 少し進むと一つだけ扉があり、その扉にはプレートが提げられていた。


「出場者控室……か。」


 取り敢えず、他に行く場所は無い。躊躇する理由が見当たらないままに、彼は扉を開け放つ。


 中には先程のウルハ族の男以外にもう一人、フードを被った女性が座り込んでいる。


 なにやら毛皮で出来た防具を着込んでいるその女性は、壁に背中を預けた状態で座り込み、目を閉じていた。


 脇には大きな麻袋が一つ置かれている。


 そんな女性の様子を見ながらそーっと扉を閉めたオルタは、誰とも視線を交わさないように歩き、一番奥の壁に背中を預けた。


 腰を下ろし、このまましばらくはゆっくりできそうだ。


 そんなことを考えたオルタは、すぐさま自身の考えの甘さを知る。


「おいおい、お前、まさか出場者なのか?」


 野太い声が響いたかと思うと、先ほどのウルハ族の男がオルタの元へと歩み寄ってくる。


 放っておいてくれと思ったオルタだったが、口には出さなかった。


 今はくだらない事で体力を使う気になれない。モメるなど、以ての外だ。


「おい、無視する気か?なぁ!!」


 無視を決め込もうとしたオルタの様子に機嫌を損ねたのだろう。


 男は肩に担いでいたハンマーを勢いよく持ち上げると、地面に激しく打ち付けた。


 当然、部屋中にとてつもない衝撃が響き渡る。


 幸い命中はしていないのだが、これ以上機嫌を損ねるのは得策ではないだろう。そう考えたオルタは、ため息を吐くと口を開く。


「出場しちゃ悪いのか?」


「そういう話をしてるんじゃねぇんだよ。馬鹿かテメェは。」


「……じゃあ、何なんだ。」


 男の言葉にイラついてしまうのは良くない。頭では分かっていても、オルタは自分の頭に血が上り始めていることに気が付く。


 そんな彼の様子を見抜いているのか、男は挑発を止めるつもりは無いらしい。


「出場者のようには見えねぇって言ってんだ。ナメてんのか?死にてぇのか?」


「殺しはルール違反だったはずだ。」


「おいおい、半殺しって言葉を知らないのか?息の根を止めねぇ限り、何をしてもお咎めなしなんだぜ?テメェ、ムカつくな。それと、テメェもな!聞いてんだろ!女!」


 男の言葉にイラつきを募らせていたオルタは、突然話題の中に先程の女性が入って来たことによって、冷静になることが出来た。


 目の前にいる男の注目が、少し離れた位置で座り込んでいる女性に向いている。


 しかし、結構な声量で怒鳴り散らかされているというのに、その女性は微動だにしなかった。


 微かな呼吸に合わせて、体が上下に動くだけだ。


「なんだ?テメェも死にてぇのか?」


 この男は無視されるのがとことん嫌いなのだろう。反応のない女性を睨みつけているその表情は、妙に引き攣っているように見えた。


「おい!テメェに言ってんだ!ぶっ殺されてぇのか!」


 地面に打ち付けていたハンマーを振り上げながら女性の方へと向かった男は、先ほどと同じように女性のすぐ傍の床にハンマーを振り下ろす。


 再び、強烈な振動が部屋中を駆け巡った。


 そんな衝撃を間近で感じているはずの女性は、しかし、目を開けることは無い。


「ふざけてんのか?死にてぇんだな?あぁ、分かった。殺してやるぜ。」


 反応しない女性の様子をみた男は何を思ったのかもう一度ハンマーを持ち上げ始める。


 その様子を見たオルタは、なんとなく嫌な予感がした。


「本気かよ!」


 振り上げられたハンマーの軌道上に女性の頭部があることを視認したオルタは、思わず駆け出す。


 今にも振り下ろされそうなハンマーに手を伸ばし、柄を両手でつかんだ。


 突然動かなくなったハンマーを見上げた男は、すぐさまオルタの存在に気が付き、鋭い睨みを飛ばしてくる。


「邪魔すんじゃねぇ。ぶっ殺すぞ。」


 そんな男の言葉と殺気は、一つの物音でかき消される。


 カチャリと部屋の扉が開き、闘技場の入口で待機していた男が姿を現した。


「また貴方でしたか。キルデン様。先程から酷い音が鳴り響いていたので、様子を見に来ましたが。良いですか。次にあなたが問題を起こしているところが確認された場合、即刻失格としますので、ご注意を。」


 深いため息を吐いたその受付の男は、早口でそう言うと、部屋を後にした。


「クソッ!」


 キルデンと言われた男は、ハンマーを降ろしながらオルタを払いのけると、そのまま初めに座っていた位置に戻る。


 そんな様子を眺めたオルタは、足元で何かがもぞもぞと動いたことに気が付いた。


 半目を開けて寝ぼけた様子の女性が、座ったままこちらを見上げている。


 そして、しゃがれた声で言ったのだった。


「ん?もう始まるのか?」

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