第138話 落着
背後に迫る崩壊音を聞きながら、ミノーラは走った。
少し先に見える洞穴の入口に、二人の人影を見つけた彼女は、声を張り上げた。
「タシェル!ハイドさん!逃げてください!この洞穴も、崩れそうです!」
四方八方から聞こえる、岩の擦れる音と、地響き。それらが内包する可能性は、少し考えれば誰でも同じ答えへと行き着くだろう。
目の前に転がり落ちて来る岩を躱すために、時には壁や天井を駆けながら、全力で二人の待っている場所へと向かう。
「ミノーラ!急いで!」
小舟へと乗り込んでいる二人が、大きく手を振りながら声を張り上げている。
しかし、船を漕ぐスピードで崩壊する洞穴から逃げ出せるだろうか。
まだ少しばかりある距離を鑑みたミノーラは、船を漕ぎ出すように促した。
「船を出してください!私は、天井を走りますので!なんとかなります!」
二人が船を漕ぎ出すことを確認しないまま、ミノーラは走りながら道筋を確認した。大きな障害になりうる凹凸が少ない壁、そして天井を目で確認しながら、駆ける。
崩落の影響で飛び散った小石や砂埃が、既に彼女の尾を掠めるところまで迫っている。
「急がなきゃ!」
自分を鼓舞しながら、脚を動かし、まるで風になったかのように壁を走る。
徐々に地面からの高度が増して行き、気が付けば、彼女の真上に地面が位置している。
身体を引っ張り落そうとする重力に負けないように、四肢を影にひっかける。
先ほどのように影の中に入ることが出来ればいいのだが、やり方がよく分かっていないため、彼女は断念した。
少なくとも、地面に向けて引っ張られている現状で、簡単に影の中に入ることは出来そうにない。
すこしずつ近付きつつある海面に、二人の乗っている船を確認した彼女は安心しつつも、この後のことを思案する。
「やっぱり、海に飛び込むしかないですね。」
キラキラと日光を反射している海面に目を向けた彼女は、少し見惚れそうになるも、足元の揺れに気が付き、加速する。
天井の亀裂が広がりつつあることを確認した彼女は、そのまま、洞穴の入口に辿り着いた。
今にも落下し始めそうな岩盤を蹴り、空中へと身を投じる。
全身に水を浴びたかのように広がった光が、彼女を包んだ。
海に吸い込まれるように落下しながら、先ほど見た青空と、広大な海を目の当たりにし、ミノーラは息を呑む。
途端、海面へと着水した彼女は、全身を海に揉まれながらも、海面へと浮かび上がった。
「ぷはっ!」
沈まないように四肢を動かして泳ぎながら、視界に入る全ての物に目を配る。
今まで幾度も見てきたはずの空も、海水も、羽ばたく鳥も、砂浜も、岩も。ありとあらゆるものが鮮やかで、見たことの無い物へと変貌している。
そうして周囲を眺めていたミノーラは、二人の乗った小舟が近づいて来ていることに気づいた。
「タシェル!無事ですか?」
そんな声を掛けた彼女は、不意に、足元に陸地が現れたような錯覚を覚える。
それは錯覚などでは無く、彼女の足場になるように、硬い甲羅が下に下に潜り込んできたのだった。
「カメさん!無事でしたか!」
「ミノーラ、何が起きてるんだい?ものすっごい音が、海底まで響いて来て、おいらビックリしちゃったよぅ。」
ミノーラの心配もよそに、カメは相変わらずのんきだ。そんなカメの上に立った彼女は、改めて島の全形を眺める。
「何が起きたのかな……。凄く、世界が綺麗になっちゃいました。」
上手く説明できない彼女が呆けていると、カメの傍に辿り着いた船から、タシェルが声を掛けてくる。
「ミノーラ。大丈夫?ケガはないの?キュームはどうなったの?」
「あ、タシェル。えっと、私は大丈夫ですよ。ただ、キュームさんは、私が食べちゃいました。」
「え?食べた?キュームさんを?」
聞き返されたミノーラは、どことなく咎められている気がして、バツの悪さを感じながらタシェルに応える。
「サムさんを返せと、そればかり言うので、話が出来なかったんです。できれば、話し合いで解決したかったんですけど。」
「そっか……。」
「キュームって、精霊なんだろ?ミノーラは精霊を喰えるのか?ってか、朝から何が起きてんだよ。見たところ、嵐は収まったけん、俺としちゃありがたいんやけど。結局、キュームが原因やったってことで良いんか?」
「多分、そうです。もうキュームさんはいなくなったので、嵐が頻発することは無くなると思いますよ。」
ミノーラはカメの上から小舟へと乗り移ると、二人の顔をまじまじと見た。
今までにないほどにじっくりと見たせいだろうか、二人はミノーラの様子を伺った後、顔を見合わせる。
「どうしたの?ミノーラ。」
「あ、いえ、その、タシェルとハイドさんってそんな顔だったんだなぁと思いまして。」
「は?なんば言いようとや?昨日となんも変わっとらんやろ。」
「まぁ、色々とありまして。」
どのように説明すればいいのか分からなかったミノーラは、軽く流してしまう。しかし、興奮を隠すことが出来るわけも無く、尻尾が言う事を聞かない。
それから少しの間談笑したミノーラ達が、これからどうしようかと話し合いを始めようとした時、遠くの方から、雷の音が響いてきた。
「陸の方は、まだ嵐が続いてるみたいですね。」
「そうね……でもなんか、いや、気のせいかな。」
「なぁ、さっきのって本当に雷か?」
てっきり雷だと思っていたミノーラは、ハイドの言葉を聞いて、陸の方へと目を向ける。
ぼんやりと見える陸地の輪郭に目を凝らしてみた彼女だったが、それで何かが分かるわけでは無い。
「どうして雷じゃないと思うの?」
タシェルがハイドに向かって尋ねている。ハイドはというと、少しばかり肩をすくめながら、短く答えた。
「光ってない気がしたけん。なんか、違和感があった。そんだけたい。」
「光ってなかった……。」
タシェルの呟きと共に、ミノーラは再び陸地へと目を向ける。
ぼんやりと眺めながら、考えていたミノーラとは違い、何かしら考えていたらしいタシェルが、ポツリと言葉を漏らす。
「……カリオスさん?」
「なんでそこでカリオスが出てくるんだ?」
「あ、いや、なんというか、ハイドさんを丸太に乗せて打ち出した時の音と似てたような……そんな気がしたので。」
彼女の言葉に、三人はしばらく考え込んだ。
沈黙が続く中、ミノーらもまた、思い出す。
ミスルトゥで何度か感じていた下からの振動。それがもし、カリオスの発していたものだとしたら、確かに似ていたかもしれない。
それが何を意味するのか、確信は持てないが、予感は出来る。
それも、嫌な予感。
「急いで戻りませんか?」
そう告げたミノーラの言葉を、否定するものはいなかった。
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