第136話 不屈
男が集会所に入って行く様子を眺めていたオルタは、同様に意識を建物へと向けている男達の様子に気が付き、今がチャンスだと思い至る。
すぐさま両腕に力を籠め、勢いよく立ち上がった彼は、左腕に突き刺さっているナイフを抜き取り、捨て去った。
「な!?てめぇ!」
当然オルタの背中に足を乗せていた男は、その行動に気が付き、体勢を崩しながらも彼の後頭部に向けて蹴りを放つ。
傍に立っていた女も、オルタの腹部に向けてハンマーを振りかざした。
前後から襲い来る攻撃を、彼は同時に処理することなどできない。だからこそ、目の前だけに集中した。
雨粒が風圧で押し退けられているのが見える程に、勢いが乗っているハンマーを、オルタは両の掌で受け止めた。
ハンマーの表面を覆いつくすかのような水滴で、手が滑りそうになる。
同時に、ぬかるんだ地面にめり込みつつある両足も、オルタにとって不利に働く。
体勢を崩しかけたオルタに、さらなる追い打ちが加えられる。
「おらぁ!」
ハンマーの衝撃で、後ろに吹っ飛びそうになっているオルタの後頭部に、男の蹴りが叩き込まれる。
途端、鈍い痛みが、頭に響く。
しかし、先ほどの膝蹴りほどではない。
「効かねぇ!」
あらかじめ頭髪を固めておいたおかげだろう。蹴りのダメージが軽減され、反動で、男の脚にダメージを与える。
「痛ってえぇ!」
背後から聞こえる声をよそに、オルタは前に注目する。
「やっぱり、あんたの攻撃の方が重いな。」
「重っ……」
オルタの言葉を聞いた女は、一瞬目を見開き、愕然としている。
さぞかし重たいと言われるのが嫌なのか、次の瞬間には驚きを隠した女の眼が、深く、そして重たく据わっていた。
「アナタの罪は重いわよ。」
そんな言葉を吐いた女が、ハンマーを片手で振り回しながら突進して来る。
体勢を低くして身構えるオルタは、横薙ぎに軌道を描くハンマーを、後ろに飛んで躱す。
空振りした女のハンマーは、そのまま一回転し、再び横薙ぎの攻撃へと転化された。
少しずつ速度が速くなりつつあるその回転に、オルタは追い付くことが出来ない。
二発目も同様に後ろへと飛んで避ける。しかし、彼が着地したタイミングで既に三発目が迫りつつある。
このままでは腰に直撃を受けてしまうと感じた彼は、左手を腰に添え、勢いよく右へと飛びこんだ。
左から叩き込まれたハンマーに押されるように、飛び出したオルタは、地面を転がる。
全身を泥まみれにしながら片膝で立ち、呼吸を整えていたオルタは、女の背後に違和感を覚える。
そこには海と集落を隔てる林が広がっていて、木立の間には多くの植物が茂っている。
その茂みに隠れていれば、よほど探し回らない限り、見つかることは無いだろう。
それなのに、茂みの外に、一人の少女が駆け出してきた。
「なっ!?」
建物の中にいると思っていた少女が、女の背後の茂みからひょっこりと顔を出し、一つ、大きく息を吸った。
その様子は、酷く焦っているように見える。
そんなことを考えたオルタの耳が、少女の、クラリスの言葉を理解するのに、左程の時間は必要なかった。
「危ない!後ろ!」
少女のその叫びを聞いたオルタは、すぐさま地面を蹴り、前方へと大きく転がった。
足先を何かが掠ったような感覚を覚えながら、彼は焦燥する。
クラリスのお陰で、恐らく男の攻撃をかわすことが出来た。しかし、それで安心していい訳が無い。
「あら?可愛いお嬢ちゃん。ウチと遊んでく?」
オルタとクラリスの間にいる女が、茂みから現れた一人の少女に気づかない訳も無く、ニタァと浮かべた笑みを見せびらかすように、こちらへと一瞥を投げかけてくる。
「やめろ!」
「こっちにもいるんだぜ?」
背後から聞こえた声には目もくれず、オルタは全力で駆け出す。
途中、背中に激痛を感じ、右の膝が悲鳴をあげ、思わずその場に崩れ落ちそうになった。
それでも、彼が走りを止めないのは、ひとえに、目の前で危機に陥りつつある少女の姿を目の当たりにしているからだ。
ハンマーを振り上げた女が、今にもそれを振り下ろそうと、重心を動かす。
クラリスはというと、怯えた表情で涙を流しながら、目の前でハンマーを振り上げている女を凝視している。
間に合わない。
心のどこかで、声が響く。
ぬかるむ泥が足を掬い、吹き荒れる向かい風が肩を押す。
前に前に前に、進むために全力で両腕を振り、脚を振り下ろす。
重たい体に鞭を打った彼は、心の中の声に負けないほど、体を軋ませた。
それは、一度体感したことのある感覚。あの時は、目の前の分厚い壁が、左程の障害に思えなかった。
なぜ?
それは決めたからだ。とオルタは思う。
彼女のことを守りたいと。
目の前の幼い少女ではない。今はこの場にいない女性。
そんな彼女のことを信じて待つしかできないオルタにとって、これだけは譲れない。
歯を食いしばり、振り下ろされ始めた女のハンマーに向けて腕を伸ばす。
少しでも衝撃を抑えよう。
少女の間に割り込んででも助けようとした彼の思惑は、急激に軌道を変えたハンマーによって打ち砕かれる。
「詰めが甘いわねぇ!」
直上から振り下ろされていたハンマーは、女の肩の高さまで振り下ろされたかと思うと、左回転の横振りへと軌道を変えた。
その一撃は、女の真後ろに位置していたオルタの左側頭部に直撃する。
視界が赤く染めあがり、伸ばしていた右手が、霞んで見える。
体勢が右へと傾きかけ、同時に意識も倒れかける。
そんな彼の視界に、クラリスの顔が映り込む。
恐怖、絶望、悲しみ、驚き。そんな感情が綯い交ぜになった彼女の表情は、容易にあの時のタシェルを連想させた。
傾く彼の頭を、これでもかと打ち付けたハンマー。左側頭部にあるそれを、彼は左手でガッシリと掴み込んだ。
「離しなさい!」
女の焦った声が一瞬聞こえるが、どうでも良い。
掴んだハンマーを握り込んだオルタは、右へと倒れ込みつつある体と一緒に、地面へと叩きつける。
鈍い振動が、ハンマーを抑え込んでいる腕から伝わってくる。
そうして、女の動きを止めたオルタは、ハンマーを動かそうとしている女に向けて、言葉を放つ。
「……軽いな。重さじゃ負ける気がしねぇ。」
「へっ?」
「すかしたこと言ってんじゃ……おわっ!」
背後から追撃してきた男が、何か言うが、オルタは良く聞き取れないまま、状況の変化を目の当たりにする。
気が付けば、クラリスが居なくなっており、その代わりと言って良いのか、多くの男たちが銛などを手にオルタと女を囲み始めていた。
「ちっ……」
小さく舌打ちした女は、おもむろにオルタへと蹴りを入れる。
流石に体勢を崩していたオルタは、蹴りの勢いのままにハンマーを離してしまう。
そんな隙を見逃すはずも無く、女はハンマーを手に、少し後退した。
オルタの両脇に並ぶ男達。そんな彼らと対峙するのは男と女の二人だけ。
しかし、実力で言えば明らかにあちらの方が上だろう。
朦朧とする意識の中、自身の限界を感じ始めていた彼は、低く響く音に気を取られ、地面に転がる男へと目を向ける。
それは、短刀を持っていた男だった。
ふと、集会場の方へ目をやった彼は、妙に湧き上がる元気を感じ、思わず声を掛ける。
「カリオス!無事か!」
どう見ても無事では無いカリオスを見ながら、オルタは闘志が湧き上がるのを感じたのだった。
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