第107話 振出(追憶)
サムは森の中を歩きながら、周囲の状況を注意深く観察した。この森に棲んでいる生物の生態や種類を知る為である。
完全に孤立してしまっている状態で、危険な猛獣と遭遇してしまえば、一巻の終わりだ。そんなことを回避するためにも、まずは状況を把握することに努めた。
「まぁ、こんな孤島に巨大な猛獣はいないと思うけどな。だが、油断は禁物だ、いつどこから何が飛び出してくるか分からないからな!分かったか?キューム。」
「……分かってる。もう何回もおんなじこと聞いた。この状況も何度目か覚えてない。」
「フッ……既にお前も熟練者の域まで達しているようだな。」
「……サムはもう少し、遭難しないように熟練してほしい。」
「な、俺だって遭難したくて遭難したわけじゃないんだぞ?そもそもだ、遭難しないような熟練ってなんだよ?そんな方法があるなら、教えてみろってんだ。」
「……故郷の街で仕事をして暮らすとか、決して船に乗らないとか、いくらでも方法はある。」
「そんな方法は認めんぞ!?だいたいな、そんな生活をしている人間が、人として熟したり、洗練されるわけが無いだろう?俺は、俺の生き方を、精一杯熟練させてぇんだよ。そのためにはなぁ!知らないものを見に行かなくちゃいけねぇ、聞きにいかなくちゃいけねぇ、そうでないと、俺の目も耳も鼻も口も頭も、熟れることは無いんだよ。親父みたいな、敗退的な人間になっちまう。キュームはそうは思わないのか?」
「……知ってる。だから着いてきた。」
思いっきり力説したサムが息を切らしながら肩に座るキュームに目を向けると、彼女は悪戯っぽく笑みを浮かべ、脚をフラフラと揺らしている。
中々彼女の意図を読めないサムは、それ以上考えることをやめ、キュームの言葉を信じることにした。
「分かってるなら、まぁ良いさ。お、川があるぞ!取り敢えず水は確保できそうだな。」
目の前の茂みをかき分けた先に、小川が現れる。それほど大きな川ではないが、サム一人分の飲み水を確保するのには充分だ。
すぐに水を飲みたいと言う逸る気持ちを抑えつけた彼は、茂みに身を隠して、しばらく川の様子を眺めてみる。
今のところ、川沿いに他の獣の気配は無い。水のせせらぎと木立の揺れる音が辺りに響いているだけだ。
「キューム、この辺に猛獣とかいないよな。」
「……大丈夫。今は何もいない。」
「よし。」
そこまで確認が取れたサムは、すぐさま茂みから飛び出して、小川へと駆けた。流れの傍に膝を付き、両腕の袖をまくり上げると、手で水をすくって勢いよく飲み干していく。
「ぷはぁ!うめぇ!最高だぁ!」
冷たい水が喉を通り、全身へと浸透していく。そんな感触を味わった彼は、続けて水をすくい、顔を洗った。
「……サム。」
「なんだ?ちょっと待ってくれ、今取り込み中だ。」
キュームの声を軽くあしらった彼は、再び水をすくい、今度は頭を濡らした。両手でわしゃわしゃと頭を洗いながら、ようやくキュームに目を向ける。
彼のすぐ傍でフワフワと浮かんでいるキュームが、サムの座り込んでいる場所の対岸を指差し、声を発した。
「……猛獣。」
「なに!?」
咄嗟に前方を確認すると、一匹の小柄な獣が、こちらを凝視している。ぴんと立った耳と、鋭い眼光、細い鼻先に、フワフワとした尻尾。
「狼か?一匹?いや、この近くに群れがあるって事か。」
小さな声を発しながら分析したサムは、濡れた髪に構うことなく、すぐさま腰のナイフに手を掛けながらゆっくりと立ち上がる。
そんな彼の様子を、狼はじっと見つめているだけだった。
「キューム、合図をしたら逃げるぞ。周りにヤツの仲間がいないか確認してくれ。」
「……分かった。」
キュームに指示を出した彼は、ジワジワと後ろに下がりながら、狼の様子を伺った。ただ突っ立ってこちらの様子を伺っているその狼の様子は、全く警戒などしていないように見て取れる。
「……サム。後ろは大丈夫。でも、向こうから狼の群れが来てるみたい。」
「よし、後ろに逃げるぞ。」
キュームの報告を聞いたサムが合図を出し、走り出そうとした時、対岸の狼が突然遠吠えを上げた。
「やべっ!」
踵を返し、全力で茂みを飛び越えたサムは、元来た道を戻るように駆けた。途中でキュームの声が聞こえたような気がしたが、反応している暇はない。
「走って勝てるわけねぇよなぁ!隠れる場所!隠れる場所!どっか無いか!?」
細かな枝で顔や腕に傷を作りながらも走り続けたサムは、気が付くと、元居た砂浜へと戻っていた。
咄嗟に森の方を振り返り、荒れた呼吸を鎮めることに専念する。
どうやら狼の群れは諦めたようだ。全く音沙汰の無い森の様子を観察し、サムがそう結論づけた時、キュームが声を掛けてくる。
「……群れはこっちに来てない。さっきの狼が引き連れていった。」
「は?え、なに、つまりあの狼に救われたって事なのか?なにはともあれ助かった。助かったんだが、振り出しに戻ったな。なぁ、キューム。この辺に洞穴とかないか?今夜は降りそうだ。」
「わかった。探してくる。」
飛び去ってゆくキュームの姿を見届けたサムは、一人砂浜に腰を下ろして海を眺める。
打ち寄せる波が、飛沫となって消えていく様をしばらく見ていると、波間にお椀をひっくり返したような何かが浮いていることに気が付いた。
「お?亀か?」
立ち上がることもせず、両足を広げた状態で座ったまま独り言をつぶやく。そんなサムには気が付いていないのか、海亀は砂浜に到着したかと思うと、そのままサムのすぐ傍へと這い寄ってくる。
サムはそんな亀の様子を眺めるだけで、微動だにしない。というより、動かないように徹していた。
しばらく様子を見ていると、海亀が穴を掘りだした。
「産卵か。」
ボソリと呟いたサムの言葉に、亀が反応することはなく、黙々と穴を掘り進めている。
ただただそんな様子を眺めていると、目の前にキュームがゆっくりと降りてきた。
「……洞穴。あった。」
キュームも海亀の様子に気が付いたのだろう。心なしか小声で話しているように聞こえる。そんな彼女の言葉に、サムはゆっくりと頷いて答えるのだった。
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