第80話 端緒
ゴソゴソと誰かが身じろぎをする音で眼が覚めたミノーラは、音の主に目をやる。どうやら、隣のベッドで眠っているカリオスが、寝返りを打ったようだ。
布団の上で丸くなって眠っていたミノーラは、全身の筋肉が緩くなっている気がした。柔らかすぎるベッドもあまり体には良くないのかもしれない。のそのそとベッドから床に降りると、全身を振ってほぐしていく。
心なしか、四肢に血液が流れ込んでいくのを感じながら、窓から見える青空を眺めた。時折小鳥が横切っていく様が見て取れる。そのたびに視線を奪われてしまうのは、野生の性だろう。
「今日は出発の日でしたね。カリオスさん!起きてください。そろそろ準備しましょう!」
鼻先をペロッと舐めた彼女はカリオスの眠るベッドに飛び乗りながら声を掛けた。それに応えるように、彼は上半身を起こし、半目を向けてくる。
「目が覚めないですか?なんだったら、顔中嘗め回してもいいんですよ?」
しかめっ面で顔を横に振るカリオスの様子は、どこか面白い。すぐにベッドを出て立ち上がったカリオスが、顔を洗っている間、ミノーラは再び窓の外を眺めていた。
外では既に沢山の人が活動を始めたようだ。それほど日は高くないはずだが、彼女の耳はいろんな声や音を拾う。
「今日は南の城門に朝一に集合でしたよね。速く準備して一番に待ちましょう!」
さっぱりとした顔で戻って来たカリオスに向かって声を掛ける。その言葉を聞いた彼は、ミノーラの頭に帽子をかぶせ、小さなリュックも背負わせてくれた。中にはカリオス用のメモとペンや少額のお金が入っている。これでミノーラは準備万端だ。
一方のカリオスは、ミノーラの手伝いをした後、自身の衣服を着替え、腰のポーチを整理しているようだった。
「終わりましたか?」
準備が出来た様子のカリオスに確認をし、彼が頷いたのを見て、ミノーラは出発しようとする。しかし、結局扉は彼に開けてもらう他ないことに気が付き、すぐにカリオスを振り返った。
若干恥ずかしさを覚えながら、開けられた扉からそそくさと廊下に飛び出し、階段を駆け下りる。
いつものように受付で待機している人に向けて挨拶をした彼女は、帰って来た挨拶と笑顔で少し心が晴れたのを感じると、再び玄関ロビーでカリオスを待つ。
何やら受付の人と話しをしているカリオスが、話を切り上げてこちらへと向かってきた。何も言わずに玄関を開けたカリオスの後に続き、ミノーラは外へと踏み出す。
今日も今日とて賑やかな街だ。しかし、初めに感じた賑やかさとは、一風変わっている。なぜなら、聞こえてくる話の中に、ミノーラ自身の話題が含まれているのだ。
そんな話を聞いていると、ついには声を掛けられる。
「おはようミノーラ。今日出発なんだって?次にここに寄る時は、ウチに寄っておくれよ!飛び切りの肉を食わせてあげるからね!」
「ミノーラ!昨日はうちの子供たちと遊んでくれてありがとう。もし帰ってくることがあれば、また会いましょう!」
街を歩く女性が、悉く話しかけてくる。発端は三日前の温泉だ。話しが出来る狼がいると温泉で騒ぎになり、あっという間に噂は街中に広がった。そして、昨日と一昨日に関しては、ミノーラが自発的に街を歩き回り、色々な人々と会話をして回ったのだ。
特に目的があったわけでは無い。ただ、楽しかったからそうしただけなのだが、おかげで有名になってしまったらしい。
「はい!必ず戻ってきます!また今度会いましょう!」
声を掛けてくる人々に元気よく返事をしながら、街を歩く。そうして徐々に城壁へと近付いていくと、少しずつ閑散とした街並みに変化していった。
自然と、道を歩く人の数も減ってゆく。
そんな中で、彼女は知っている人の香りを嗅ぎつける。少し前方、甘い香りを漂わせているドクターファーナスとタシェルだ。
「おはようございます!ドクターファーナス。タシェル。」
「おはよう、ミノーラちゃん。カリオスさん。」
「おはようミノーラ。おはようございます、カリオスさん。なんだか、すごいことになってるわね。気づいたら、みんなミノーラの話をしてるんだもん。カリオスさんも少し噂になってますよ?ミノーラの飼い主だって。知ってました?」
それはミノーラも知らないし、気が付かなかった。当の本人も首を振っているので知らないようだ。
「まぁ、もう今日で街を出るから、みんな寂しいのかもね。」
そんなことを言うタシェルに、ミノーラは声を掛ける。
「また来れば良いじゃないですか。戻って来れない訳じゃないですし。」
「そうね。速く終わらせて、なるべく早く帰ってきましょう。」
意気投合したミノーラとタシェルは、お互いに笑みを浮かべながら、足を進める。今彼女たちが向かっているのは、南の城門。そこからまっすぐに続く道を進めば、南の港町『マリルタ』に辿り着くらしい。
「あぁ、速く噂の亀さんに会ってみたいです。」
ぼそりと呟いたミノーラの言葉を聞いたのか、タシェルがクスリと笑う。
「そうね、早く会ってみたいわね。」
「むぅ?なんだか馬鹿にされた気がします。」
「そんなことないわよ。」
そう言っているタシェルがいたずらっぽく笑っているように見えたので、ミノーラは少しだけ脅しておくことにする。
「……タシェルさん、覚悟しておいてくださいね。寝ている間に顔中が私のヨダレ塗れになってても、知りませんから。」
「え!?ちょ、それは止めて!?お願い謝るからぁ。」
そうやって縋りついて来ようとするタシェルを躱し、少し先に見える城門に向けてミノーラは駆けた。再び覚えのある香りを掴んだ彼女は、タシェルが追っていることも忘れ、どんどん加速する。
何故だろう。とても楽しい。今の彼女はこれから始まる旅がどれだけ大変なのだとしても、そんなものは跳ねのけてしまえるような気がしていた。
全身の体毛を風が撫でていくのを感じる。空高く飛ぶ鳥が、新たな朝を歌っているのが聞こえる。少し先でこちらに手を振っている仲間が見える。この短い期間で、ありとあらゆる物事が、目まぐるしく変わっていく。それを彼女は自覚しており、楽しんでもいた。
少なくとも、この時の彼女は、そう思っていた。
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