第48話 裏切

 クロムとの約束通り、精霊協会前に着いたオルタはしばらくクロムの到着を待つことにした。


 精霊協会の職員が彼の横を通り過ぎていく際に、少し視線を投げられるくらいで、他に変わったところは見当たらない。


 いつもならば、そろそろ朝礼が始まり、作業の準備をしている頃だろう。


「遅いなぁ。朝って言ってたから、いつも出勤するときの時間に合わせて出て来たけど、早すぎたか?」


 腕組みをし、空を飛び交う鳥を眺めながら立ち尽くす。


「……通らなかったな。」


 そんな言葉が口をついて出てくる。途端に、自身の行動が危険な方面に向かっている気がして、彼は両の頬を叩いた。


 協会の職員は既に出勤してきているはずなのだが、例の女性は未だに姿を見せていない。そんなことを考えていた折に出てきた言葉である。


 これではまるで、女性に付きまとう変態ではないか。


「そうだ、きっと休みを取ってるんだろう。俺と同じように。たぶんそうだ。」


 何の根拠もないのだが、自身を納得させるのに十分な説得力があった。


「すまない、少し遅れた。」


 そう言いながらクロムが現れる。


「急に別件が入って、その対応をしていた。その別件もついでに頼みたいんだが、ここで話すのもあれだから、着いて来てくれ。」


 そう言うと、クロムはオルタに一言も口を開かせないまま、街の外れへと向けて歩き始めた。


 なにやら忙しない雰囲気を感じたオルタは、何も言わずに着いて行く。


 しばらく街の中を歩いた二人は、旧採掘場へと続く坑道の入口へと辿り着いた。今は使われていないはずなのだが、こんなところに何の用があるのだろう。


「ところで、一昨日渡した薬は持ってきたか?」


「薬?何の話だ?」


 突然話を振られたオルタは、あまり深く考えることもせずに答える。そんな彼の応えに、クロムが怒りを顕わにした。


「何の話だ?じゃないだろう?一昨日話した時に小瓶に入った薬を渡したはずだ。大事なものなんだぞ?失くしたのか?」


「すまん。ちょっと待ってくれ。えーっと……」


 クロムの突然の変化に動揺したオルタは、自身のポケットなどを探してみるが、当然持っているわけもなく、気まずい思いを視線に乗せて、クロムを見る。


「……はぁ。分かった。取り敢えず、その話は後にしよう。ついて来てくれ。」


 半ばイライラを隠せていないクロムは、地下へと続く坑道の扉を開けると、そのまま奥へと進み始めた。


 これ以上話しかけても余計に怒らせてしまいそうだったので、無言でついて行く。しかし、すぐ後ろをついて行けるほど、オルタの胆は据わっていない。


 若干の距離を開けた状態で坑道を進んでいく。


 今は使われていない坑道なので、足元は非常に荒れていた。おまけに、どんな経路を辿ったのか、分からない。帰りは、クロムについて行くしかないだろう。


 そんな坑道を、クロムは迷いなく進んでいく。


 そうして辿り着いたのは、牢屋だった。左右に三部屋ずつ、全部で六つの牢屋が並んでいる。


「牢屋?こんなところに?」


 思わず呟いたオルタは、すぐさま口を噤む。


 しかし、クロムは何の反応も見せずに、奥の方へと歩いて行った。すぐに、彼もついて行こうとするが、ふと見た左手前の牢屋の中に目が釘付けになってしまい、足が自然と止まる。


「どうかしましたか?」


 口調は丁寧だが、未だにいら立ちを抑えられていない様子のクロムが、立ち尽くすオルタの視線を追い、「あぁ」と小さく呟いた後、言葉を紡いだ。


「その女性は特殊な病気に掛かっていて、貴方に渡した薬が必要だったのですが……。まぁ、それは後にしましょう。こちらに来てください。」


 そんなことを言うクロムだったが、オルタはその説明に納得できなかった。


「病気なのか?ならなぜ、両手を縛って、猿轡をしているんだ?まるで、拉致監禁されているように見えるぞ?ベッドも無いし。」


 両手を後ろ手に縛られ、猿轡をした状態で床に転がっている女性。意識は無いようだが、息はしているようだ。


 そして、その女性は、オルタが帰路でよく見る女性その人だった。


 最後に見たのは一昨日だろうか。いつも通り、寮のベランダで元気に話している様子を見た。


 しかし、昨日は姿を見ていない。オルタの帰宅が遅くなってしまったというのが大きな理由だと思っていたのだが、病気だったのだろうか?


 それにしても、彼女の状態はどう見ても病人のそれとは大きくかけ離れている。


 そんなオルタの疑念に応えるように、クロムが言葉を発する。


「だから、特殊な病気なんです。暴れて危害を加える可能性があるので、縛っています。そんなことはどうでも良いので、こちらへ来てください。」


 クロムがあまりに強く断言するため、彼はとりあえず信じることにする。そうして、奥へ向かう途中、他の牢屋にも目をやると、同じように拘束された人間が何人も入れられていた。


 彼らも同じ病気なのだろうか。


「なぁ、クロム。その特殊な病気は、いつから流行っているんだ?全くそんな話聞いたことないぞ?それに、こんなところで治療ができるのか?普通病院に連れていくだろ?」


「オルタ。それを聞いて何になるんだ?既に治療薬は完成している。それがあれば、治すことが出来るんですがね。」


 オルタが薬を紛失してしまったことを皮肉るように、棘のある言い方をするクロム。後ろめたさがあるオルタは、あまり強く出ることが出来ず、ただ聞いているしかなかった。


「それはまぁ、良いです。薬は作れる。それよりも、こちらへ来てください。」


 そう促されたオルタがクロムへ近づく。と同時に彼は強烈な眩暈を感じた。


 何が起きたか分からない。両足から感覚が抜けていき、体を支えることが出来ずに倒れ込んでしまう。思考もうまくできず、ただ床の冷たくて硬い感触を頬に感じるだけだった。


 そんな彼にクロムが言葉をかけている。


 しかし、その言葉の意味を理解することが出来ない。


 そのまま、意識が暗転していく。

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