第18話 笑顔

 小屋の上を見上げたミノーラが、何やら声をらしている。その様子を見てカリオスも同じように視線を上げた。


 その流れの中におかしな点などありはしない。


 ところが一転、彼の目を引き付けるものが、小屋の上にあった。


 こちらを見下ろす真っ白なトアリンク族。彼女が、トリーヌの言っていた“親様おやさま”なのだろう。


 その親様の背後。そこに、先日見たあの影の精が張り付いているのだ。


 例の黒い糸が親様の体中をいめぐり、包みこんでいる。


 まるで、あやつり人形のような風貌ふうぼうであるが、その動きはあまりになめらかだ。


 それに気が付いた彼は、小屋から遠ざかるように大きく飛び退いた。


 当然、たたかれしていない彼にできたのはそこまでだった。


 歴戦の兵士であれば、すぐさま臨戦態勢りんせんたいせいを取るために右手の籠手を構えるのだろう。


 飛び退いた先でただ茫然ぼうぜんと立ち尽くすカリオスに、周囲の視線が刺さる。


 ミノーラの心配そうな視線と、トアリンク族たちの鋭い視線。


 その視線のせいで、彼は痛感し、疑問をいだく。


 この場にいる“人間”がカリオス一人だけだという事実。


 だとするならば、あの兵士は誰から派遣はけんされて、誰に伝令をするつもりだったのか。


 この小屋に来るまでに、人間を見た覚えはない。かといって、トアリンク族が人間の伝令を使うだろうか。


 そもそも、なぜトアリンク族のおさともいえる親様に、影の精がいているのか。


「カリオスさん。大丈夫ですか?」


 やはり心配そうな視線でこちらを見るミノーラ。どうやら、彼女にはあれが見えていないようだ。


「カリオス殿……で合っていますね? わたくしに何か付いているのでしょうか?」


『背中に憑いてるだろ? ったく、どうなってんだ? まぁ良い。取りえずはミノーラに状況を説明しない事には始まらないな』


 言葉を発する事が出来なくなったにも関わらず、心の中に響く独白だけは止められないカリオス。


『おそらくミノーラはあれが見えていない。ってことはつまり、あの時も見えてなかったのか? いや、気づいていたはずなんだけどな。誰か事細ことこまかに説明してくれねぇかなぁ』


 そんな都合よく説明が届くはずもなく、ため息と共に肩を落とした彼がミノーラへと向けて一歩を踏み出した時。


「カリオス殿はお疲れのようですね。まずはミノーラさんだけ審問しんもんを執り行いましょう。それでは、ミノーラさん。こちらへ」


 小屋の上からそう告げる声があたりに響いた。


『なっ! 待てっ!』


 ミノーラへと追いすがろうと走り出したカリオスは、背後からの衝撃で地面に倒れ、そのまま体を地面にい付けられた。


 何事かと、肩越しに背後を確認すると、先ほどまで事の成り行きを見守っていたトリーヌが、立派なかぎ爪で彼を拘束している。


『クソッ! 離せ! 痛えっ! おい! 爪がわき腹に!』


 何とかもがいてかぎ爪の拘束をほどこうとするが、そのたびにジワジワとわき腹に食い込んでゆく。


 これでは為す術もない。意味はないが、右のこぶしを何度も地面にたたきつける。それで痛みが引くわけもなく、ただ、にぶい音が辺りに響いただけだった。


「トリーヌさん! やめてください!」


 ミノーラが叫びながらこちらへと走り寄ってくるが、二人の間に親様が舞い降り、行く手をはばんだ。


「落ち着いてください、ミノーラさん。あなたが私と来て下さるのであれば、彼を丁重ていちょうに扱うことを約束しましょう。わたくし達にはあまり時間が無いのです。トリーヌ。少し弱めてあげなさいな」


「申し訳ありません。少々やりすぎてしまいました」


 そういうと、拘束を弱めたトリーヌ。激痛が空気中に抜けていく感覚を覚えながら、カリオスは心配そうに見つめてくるミノーラに視線をやる。


 視線が合ったかと思うと、彼はゆっくりと首を横に振った。


 これで意図が伝わればいいと、本気で思ったわけでは無い。そもそも、伝わるわけがないのだ。


「大丈夫です。カリオスさん。私、親様とお話をしてきます。ちょっと待っててくださいね」


 そういうと、彼女は親様にうながされるまま歩み始めた。


 その様子をただ見つめるしかないカリオスは、ミノーラを導いている親様がゆっくりとこちらを振り向き始めたことに気が付く。


 真っ白な羽毛に包まれた、華やかで穏やかな笑顔。


 真っ黒なモヤに包まれた、陰鬱で怪しい笑顔。


 それを見た時、彼の背中に悪寒おかんが走った。真っ白な右半分の笑顔と真っ黒な左半分の笑顔。


 親様と影の精が入り混じったかのような風貌ふうぼうが彼の頭の中に焼き付く。


『クソォッ!』


 意味が無いのは分かっている。それでも彼は、固く握りしめた右のこぶしを、地面に叩きつけずにはいられなかった。

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