第42話 8月6日(金)ノンビリいこう④

 さすがにこの時間では誰もいない・・・と思ったら2人いた。まあ、もうすぐ目的の列車の到着時刻だから実際に乗ろうとしている人、あるいは列車を撮影しようとしている人がいてもおかしくはないな。

 姉さんと美紀は相変わらず二人でぺちゃくちゃ喋りながらあちこち歩きまわっているし、母さんたちは何かを懐かしむかのように見て回っている。そんな五人をフレーム超しに見ながら僕は駅の外や中、それにホームの様子を撮影している。

 僕は左腕の腕時計を見たけど、あと5分程でノロッコ号がくる時間だ。人の数も増え始めた。これらの人はノロッコ号がお目当てなんだなというのは僕にもわかる。当然ながら日本語に混じって外国語の会話も聞こえるが、僕には何を話しているのか全然わからない。姉さんも英語なら分かるだろうけど、他の言語となると理解できないと思う。

 僕はホームの一番北側の端にカメラを三脚にセットしてノロッコ号が来るのを待っていて母さんはビデオを片手に立っているが姉さんたちはその母さんの横に立っている。そろそろ来る頃だ、あのカーブを曲がって近づいてくるのが見える頃だ。

 その時、列車の汽笛が聞こえた!もうすぐ近くまで来ているんだ!!

この汽笛を聞いて大勢の人がホームに殺到した。誰もがノロッコ号を見ようとホームに集まってきてスマホやビデオ、カメラを構えて同じ方向を向いている。

 やがてノロッコ号の先頭に立つ専用のDE10型ディーゼル機関車1660号機が見えて来た。それと同時にみんな一斉にカメラやビデオを撮り始めた。母さんもビデオを撮っているが、僕はまだ撮ってない。今のレンズは望遠レンズではないから、あの位置ではまともな写真が撮れないから、もう少し引き付けてからだ。専用のヘッドマークを付けた機関車が減速しながらホームに入ってきた時から僕は撮影を始めた。レンズを少しずつ引きつつオートモードで撮影を続けている。

 やがて先頭の機関車が僕のすぐ前を少し過ぎたあたりで停車した。

 それと同時に何人かのお客さんが下りてきて、同時に乗り込む人もいた。僕たちは急いで機関車の横に並ぶと1枚だけ記念写真を撮り、そのまま3号車に乗り込んだ。ノロッコ号の1号車は普通の椅子席の車両で自由席だが、2号車以降は開放型の展望席車両で、こちらは指定席になっているからだ。この指定席券と乗車券は無人駅である釧路湿原駅で買う事は出来ないので事前に買ってあるから、乗り込んだ後に車掌に見せるだけだ。

 僕たちは3号車の進行方向左側の6人掛け席に座った。姉さんが進行方向側を向いた窓側に座り、美紀はその正面、つまり進行方向に背を向けた形で座っている。僕は姉さんの横に座り、母さんは美紀の横だ。城太郎おじさんが僕の横に座り、慶子伯母さんは母さんの横だ。もう既に他の席は全て埋まっていて、発車を待つだけになっている。

 この駅には発車ベルなどという野暮な物は存在しないから、車掌さんの笛の音がした所でノロッコ号はゆっくりと動き出した。ノロッコ号の展望車は進行方向左側は6人掛けの向い合せの席になっているが、進行方向右側の席は2人掛けの席が窓に向けて据え付けられている独特の車両だ。しかも右側の席の背もたれは動かす事が出来て、ほとんどの人は進行方向左側を向いて座っている。その理由は釧網本線は湿原の東側を縫うようにして走っているから、進行方向左側に湿原の雄大な眺めを見る事が出来るためだ。発車して間もなく車掌さんが検札にきたけど、その時に乗車証明書も合わせて渡してくれた。この乗車証明書も往路と復路では別の物になっているし、その年によって図柄も変わる貴重なものだ。それを受け取った後は湿原を眺めつつ、僕はカメラを、母さんがビデオを回し続けている。

 ノロッコ号は次の細岡駅を発車してすぐ左にカーブし、ここからは達古武たっこぶ沼の湿原を横切る形で進む。釧網本線の全線開通は1931年(昭和5年)だからまだ釧路湿原が国立公園になる前の事で、湿原の真ん中を突っ切る形で線路が引かれても規制前だから問題なかった時期だ。逆に言えば、ここから塘路とおろ駅までは湿原を間近に見る事が出来る区間であり、これが人気の秘密でもあるのだ。

 達古武沼を横切った後は右側は切り立った崖、左側は釧路川を間近に見ながら列車は進む。この区間は蛇行する釧路川を左に見ながら進むのだが、やがて列車は急減速し、殆ど歩く速度くらいにまで落ちた。でも、決して事故や故障ではなく、ここが一番の人気スポットでもあるからなのだ。

『ただ今皆さまに御覧頂いているこちらは、釧路川が一番間近に接近している見どころでございます。ここに生活する人たちは安らぎを与える釧路川を「母なる川」と呼んで親しんでおります。また、釧路川は全国の1級河川では唯一ダムの無い川として知られており、カヌーで川下りを楽しんでいる人も増えております。また、幻の魚イトウも生息しております』

 アナウンスにあった通り、釧路川にはカヌーがノロッコ号の到着に合わせて何艘もいて、みんなこっちに手を振っている。もちろん、僕たちを始めノロッコ号に乗っている人もカヌーの人たちに手を振りつつカメラやビデオを回している。窓を大きく開けられる解放型の車両ならではの光景で、車両から身を乗り出すようにして撮影している人もいるし、それにカヌーに乗っている人からの歓声もよく聞こえる。この近くに道路はないから湿原を蛇行している釧路川を間近に見れるのは釧網本線からだけだ。まさにノロッコ号でしか味わえない風景にしてノロッコ号最大のビューポイントでもある。

「「おーーーい!」」

美紀も姉さんも無邪気そのもので、立ち上がってカヌーの人たちに向かって両手を振り続けているし、母さんも手を振りつつビデオを回し続けている。そんな姉さんたちを僕はカメラで撮り続けている。乗って良かったなと思わせられる一時ひとときでもある。

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