第39話 8月6日(金)ノンビリいこう①

 今日だけは僕の為の日。

 それは、今日は僕が希望した物に乗れるからだ。僕が希望した物、それは『日本一遅い列車』だ。

 単に『遅い』と言っても色々ある。例えば「日本一遅い時間に発車する終電」「日本一遅い時間に到着する終電」「日本一遅い始発列車」「日本一遅い特急列車」「日本一遅い普通列車」など色々ある。まあ、遅いという意味が時間なのか速度なのか、あるいは表定速度なのか、定義があると思うのだが、今回、僕が希望したのは釧網本線を走る「くしろ湿原ノロッコ号だ」

 『遅い』を意味する「鈍い」と、トコッロ列車を掛け合わせて作られた造語ではあるが、謳い文句が『日本一遅い列車』であり、特に細岡ほそおか駅と塘路とおろ駅の間は釧路湿原の中を突っ切るような区間、蛇行する釧路川の畔を走る区間があり、観光客に人気がある列車だ。

 僕は以前からこの列車に乗ってみたいと思っていたのだが、今までは父さんの休みの都合に合わせて美紀の家に行っていた事もあってこの列車に乗る機会が得られなかったのだ。でも、今回は父さんはいないから、ようやく希望が叶った。それに、僕だけでなく、母さんも姉さんも、それに美紀も乗った事がないからOKしてくれたのだ。

 昨夜のドラゴンファイナルクエストのオンライン版で結構いい事があったので熟睡(?)した僕は、摩周に来て初めて姉さんよりも早く起きれた。しかも目覚まし時計が鳴るよりも早く起きてきたのだから、美紀の父さんから「明日は雨かも」と笑われた。それでも僕が起きるよりも早く搾乳の仕事は始まっている。今朝もゲンさんは一番乗りで牛乳を搾り取り、それを美紀のお婆ちゃんがヤカンで沸かしてくれたのを僕は飲んで元気百倍だ。もちろん、こんな早くからテンションが上がり過ぎると後で反動が来るかもしれないが、そんな事を気にしていたら今日を過ごせない。

「おっはよー!」

「うわっ!お、脅かすなよー、あたしは心臓が止まるかと思ったよ」

「たかが朝の挨拶をしただけじゃあないか」

「いつも一番最後に起きてくる人がこんな早くから起きてるから驚くんだよ」

「たまにはいいじゃないか」

「たまにだから驚くんだよ、ったくー」

 とまあ、美紀も驚くくらいの早起きをした僕だが、当然姉さんにも同じように驚かれて「明日は今年の初雪かもねえ」などと揶揄われたのは言うまでもない。

 姉さんや美紀の父さんの言葉で分かる通り、今朝はヒンヤリしているが晴天だ。しかも風も殆どない、まさに観光日和である。それ以上に今日は『夏らしい』気温になりそうだ。

 僕たちは普段よりは少し遅い朝食を「少な目に」食べた後に出掛けた。しかも今日だけは美紀の父さんと母さんも一緒だから6人だ。でも、いきなりノロッコ号に乗ったのではない。最初の目的地は細岡展望台だ。

 釧路湿原は日本最大の湿原で、国立公園として開発は厳しく制限されている。その釧路湿原と蛇行する釧路川を一望できる場所として名高いのが細岡展望台だ。ただ、ここへ行くには途中未舗装の道を走らねばならない。しかも場所によってはすれ違いが出来ず、対向車が来た時には待避所みたいな所で待ってないといけないところもある。

 僕たちが車を止めたのは展望台近くにある細岡ビジターズラウンジ下の駐車場だ。この時間でもかなりの車が止まっているけど、道外バンバーの車や『わ』『れ』の車も結構いる。時々、外国の言葉を喋っている人の声も聞こえる。英語なら少し分かるけど、中国語となるとほとんど分からない。中国語といっても広東語と北京語では違いがあるみたいだけど、そこまで来るとぜーんぜん分からないし、それに本当に中国語なのかどうかすら分からなーい。

 僕は真っ先に車から降りて三脚とカメラを持って走って・・・行こうとしたけど、母さんたちはノンビリ車から降りようとしている所だ。おいおい、この人たち、何をノンビリしてるんだあ!?

「おーい、美紀。何をノンビリしてるんだあ?」

「ったくー。いつもなら『おーい、待ってくれよお』と言ってる奴が今日に限っては先頭に立つってどういう風の吹き回しだあ?」

「そうよー。私だって猛の変わりようには別人かと思うくらいよー」

「ホントホント。母さんも同じよー。よっぽど昨夜の事で機嫌がいいのかしら?」

「そうかもねー」

「お母さーん、オタクの考えはあたしにはよく分からん」

「美紀ちゃーん、猛がオタクなら父さんはスーパーオタクになるし、本物の『撮り鉄』とか『乗り鉄』は神とか神以上の存在になるから、あんなのをオタク呼ばわりしたら失礼よ」

「あたしには大小の違いがよくわかりませーん」

「どうでもいいから早くいこうよー」

「「「「「はいはい」」」」」

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