第2項29話 目覚め

 空間魔法『視界モノクローム』に映った白黒の景色が、恐ろしい程の速度で俺の認識の外へと流れてゆく。

 『飛翔フライ』の魔法で空を飛べるエリーさんに抱えられながら、変わらぬ森の景色に俺は焦っていた。

 一刻も早く、ベルグ南門へと到着しなければ。

 背後に感じる、大勢の屍人の気配。それに押されるように、俺は口を開く。


「エリーさん、今どのあたりですか!?」


 早朝からほぼ半日ほどだろうか。俺は屍人リビングデットと呼ばれる、魔族の眷属との戦闘を幾度か行った。

 その特異な気配。今までは盗賊なんかのヒト種と戦ってきたが、その時とは違う、感じたことの無い感覚が俺の中に生まれている。

 『視界モノクローム』で彼らの姿を捉える度、五感が研ぎ澄まされてゆく様な感じだ。

 ヒト種の死体から生まれる、忌まわしい存在。そのはずだ。

 でも、東門で直接戦闘をしたとき。剣で死肉を裂き、拳で打ったとき――不思議と何の嫌悪感も抱かなかった。

 そればかりか、やけに体の調子が良くなって。同時に、屍人の気配とでもいうものが分かるようになってきている。


「ケルン様、もう南門は目と鼻の先です!!」


 健常者の視界を持つエリーさんは、使用人メイド服を風に揺らしながら俺にそう返した。

 ここは上空50Mメルト程度。恐らくエリーさんの目には、都市ベルグの外壁や街並みが見えているのだろう。


「よし、森は抜け――なっ、何がどうなっているのですか!?」


 整えられた髪の下。

 エリーさんの目が驚愕に見開かれるのを、俺の『視界』が捉えた。


 ――「何を見たのか」そう問おうとした俺の口はしかし、動かなかった。


「……?」


 ――何かが居るのだ、感じる。

 すぐそこに、気配がある。屍人リビングデットのそれを何百倍も濃縮したような、気配が。

 ふわりと漂ってくるのは、鼻腔をくすぐる濃密な食べ物・・・の香り。

 見てもいないのに、触ってもいないのに、口に運んでもいないのに。それが食べ物であるのだと分かる。


「――なんだ、これ……?」


 眠りから覚めている途中のような、覚醒の感覚。

 ごうごうとうるさい自身が風を切る音の中。複数の足音、鉄がこすれる音が混じっているのが分かる。

 俺の体を叩く、風の圧力に、周囲の温度。

 『視界モノクローム』の認識範囲が、限界寸前の半径100Mメルトを超えてかつてない程に伸びてゆく。魔法処理負荷による、頭痛の一切もない。

 全ての感覚が、鋭敏に研ぎ澄まされてゆく。


 ――でも、そんなことどうでもいいと思える位に、何より。


「っ……う゛ッ!!」


 乾く。吐き気すら伴う酷い空腹感が、俺を苛んでいる。

 ――普通の食べ物じゃダメだ、絶対にこの渇きは癒せないという確信がある。

 漂ってくる匂いの正体、ソレを口いっぱいに頬張りたい、食べ尽くしたい。


「ッ――!!!!」


 広がり続ける俺の『視界』に、ベルグ南門前の風景が映し出された。

 森林の終わり。一際大きい大樹の根元。

 足元から組みあがってゆく、ヒトならざるソイツの姿を認めた瞬間――音を立てて、俺の理性が崩れ去った。


***


「――な、何が!? 南門前が荒れ果てて……!?」


 短く切りそろえられた栗色の髪が、吹き付ける風を受けて跳ね上がる。

 使用人メイドのエリーは、上級風魔法『飛翔フライ』で最高速で空を翔ける中、大きくその目を見開いた。


 空から見える地上の景色が、一変している。

 木々と低草で構成された緑色の絨毯は、不毛の赤黒い焦土へと姿を変えていた。

 判断は一瞬――エリーは地上の異変にも構わずに着地体勢を取る。


「ケルン様!! 急制動を掛けます、衝撃に備えて――」


 目だけをケルンに向け、エリーは衝撃への忠告を発しようとした。


「大丈夫、一人で降りれる・・・・


 抑揚の一切ない声が、叩きつける風の中で微かにエリーの耳を打つ。

 瞬間――黒髪の少年に掛かっていた『飛翔フライ』の魔法が、硝子が砕ける様な音と共に弾け飛んだ。


「――ケルン様ぁッ!!!!」


 自身が構成していた魔法が破壊された事を理解したエリーは、咄嗟にケルンに向けて手を伸ばす。

 『飛翔フライ』は浮くための浮力、空を翔けるための推進力、襲い来る風への防御、全てをその魔法陣構成に加えた上級風魔法だ。

 その最高速度の最中、魔法が解ける――それは、巨大な空気という名のハンマーに全身を打ち付けられることと等しい。


 ――バチィンッッ!!!! と、無防備なケルンの体を空気抵抗が蹂躙する。

 いかに元宮廷魔術師のエリーと言えど、上級魔法ともなれば瞬時の構成など不可能だ。

 叩きつけられ、急激に速度を落としたケルンの方を振り返り、最悪を想定していたエリーは瞠目した。


「あ、貴方は一体、何者なのですか……!?」


 いっぱいに見開かれたエリーの鋭利な瞳に映るのは、風に衣服を裂かれた少年だったモノ・・・・・・・の姿。

 ――白い鱗で覆われた体表に、線が細く鋭さを感じさせる蜥蜴獣人リザビトーのような体の形、伸びた爪。

 彼がケルン・ツィリンダーであるという証明は、色の変わらぬその黒髪だけだった。


***


 魔族デヴォルと相対しているケルンの母、白魔法研究者ミゥは空を見上げて微笑んだ。

 その視線の先には、息子である変わり果てたケルンの姿がある。


「髪色はまだ黒のまま、かあ――まだ寝ぼけまなこみたいだけど。おはよう、ケルン」


『どこを見ている、ミゥ・ツィリンダー!!!!』


 骨の山から自身の体を構成し終えたデヴォルは、声に怒りを滲ませた。

 闘争の最中に、自分を追いつめている相手が余所見をしている。魔族である自身に対して、舐めた態度を取るミゥに向かい、彼は新たに魔法を紡ぎあげていった。


 ――おどろおどろしい深緋こきひ色の魔力が、デヴォルの足元から這い上がってゆく。

 魔法が組みあがっていくに比例して、「アァァァ――」と怨念が込められた声のようなものがベルグ南門前に響いて。


『『深緋の杭シュナイジ・パイル』!!』


 デヴォルの頭上に描かれた巨大な魔法陣と共に。その数、優に数百。

 長さ30CMセルチメルト程の、先端の鋭利な杭が浮かび上がった。


 杭一本一本から伝わってくる、異様な圧力。

 それを最前線で受けているはずのミゥはしかし、視線すらデヴォルの方へ向けない。

 空中に固定された杭数百本が、微かに後ろに下がる。

 ――発射前の溜めから解放され、緋色の杭がミゥに殺到せんとする寸前。


「あなたは、私を相手にしてる場合じゃないと思うなあ――ほら、うかうかしてたら」


 ――ドォォォォン!!!! という凄まじい音と共に、デヴォルの魔法により赤黒く変色した砂が巻き上がった。

 ゆらり、砂ぼこりに隠れた小さい影が微かに動き。

 直後。踏み込みの音さえ置き去りにして、真白の弾丸が驀進を始める。


「食べられるよ、私の息子に」


 ミゥは、獰猛に口端を裂いて笑った。

 ――砂ぼこりを押しのけて獲物を目指す、ケルンと全く同じ顔で。

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