第2項29話 目覚め
空間魔法『
『
一刻も早く、ベルグ南門へと到着しなければ。
背後に感じる、大勢の屍人の気配。それに押されるように、俺は口を開く。
「エリーさん、今どのあたりですか!?」
早朝からほぼ半日ほどだろうか。俺は
その特異な気配。今までは盗賊なんかのヒト種と戦ってきたが、その時とは違う、感じたことの無い感覚が俺の中に生まれている。
『
ヒト種の死体から生まれる、忌まわしい存在。そのはずだ。
でも、東門で直接戦闘をしたとき。剣で死肉を裂き、拳で打ったとき――不思議と何の嫌悪感も抱かなかった。
そればかりか、やけに体の調子が良くなって。同時に、屍人の気配とでもいうものが分かるようになってきている。
「ケルン様、もう南門は目と鼻の先です!!」
健常者の視界を持つエリーさんは、
ここは上空50
「よし、森は抜け――なっ、何がどうなっているのですか!?」
整えられた髪の下。
エリーさんの目が驚愕に見開かれるのを、俺の『視界』が捉えた。
――「何を見たのか」そう問おうとした俺の口はしかし、動かなかった。
「……?」
――何かが居るのだ、感じる。
すぐそこに、気配がある。
ふわりと漂ってくるのは、鼻腔をくすぐる濃密な
見てもいないのに、触ってもいないのに、口に運んでもいないのに。それが食べ物であるのだと分かる。
「――なんだ、これ……?」
眠りから覚めている途中のような、覚醒の感覚。
ごうごうとうるさい自身が風を切る音の中。複数の足音、鉄がこすれる音が混じっているのが分かる。
俺の体を叩く、風の圧力に、周囲の温度。
『
全ての感覚が、鋭敏に研ぎ澄まされてゆく。
――でも、そんなことどうでもいいと思える位に、何より。
「っ……う゛ッ!!」
乾く。吐き気すら伴う酷い空腹感が、俺を苛んでいる。
――普通の食べ物じゃダメだ、絶対にこの渇きは癒せないという確信がある。
漂ってくる匂いの正体、ソレを口いっぱいに頬張りたい、食べ尽くしたい。
「ッ――!!!!」
広がり続ける俺の『視界』に、ベルグ南門前の風景が映し出された。
森林の終わり。一際大きい大樹の根元。
足元から組みあがってゆく、ヒトならざるソイツの姿を認めた瞬間――音を立てて、俺の理性が崩れ去った。
***
「――な、何が!? 南門前が荒れ果てて……!?」
短く切りそろえられた栗色の髪が、吹き付ける風を受けて跳ね上がる。
空から見える地上の景色が、一変している。
木々と低草で構成された緑色の絨毯は、不毛の赤黒い焦土へと姿を変えていた。
判断は一瞬――エリーは地上の異変にも構わずに着地体勢を取る。
「ケルン様!! 急制動を掛けます、衝撃に備えて――」
目だけをケルンに向け、エリーは衝撃への忠告を発しようとした。
「大丈夫、一人で
抑揚の一切ない声が、叩きつける風の中で微かにエリーの耳を打つ。
瞬間――黒髪の少年に掛かっていた『
「――ケルン様ぁッ!!!!」
自身が構成していた魔法が破壊された事を理解したエリーは、咄嗟にケルンに向けて手を伸ばす。
『
その最高速度の最中、魔法が解ける――それは、巨大な空気という名の
――バチィンッッ!!!! と、無防備なケルンの体を空気抵抗が蹂躙する。
いかに元宮廷魔術師のエリーと言えど、上級魔法ともなれば瞬時の構成など不可能だ。
叩きつけられ、急激に速度を落としたケルンの方を振り返り、最悪を想定していたエリーは瞠目した。
「あ、貴方は一体、何者なのですか……!?」
いっぱいに見開かれたエリーの鋭利な瞳に映るのは、風に衣服を裂かれた
――白い鱗で覆われた体表に、線が細く鋭さを感じさせる
彼がケルン・ツィリンダーであるという証明は、色の変わらぬその黒髪だけだった。
***
魔族デヴォルと相対しているケルンの母、白魔法研究者ミゥは空を見上げて微笑んだ。
その視線の先には、息子である変わり果てたケルンの姿がある。
「髪色はまだ黒のまま、かあ――まだ寝ぼけ
『どこを見ている、ミゥ・ツィリンダー!!!!』
骨の山から自身の体を構成し終えたデヴォルは、声に怒りを滲ませた。
闘争の最中に、自分を追いつめている相手が余所見をしている。魔族である自身に対して、舐めた態度を取るミゥに向かい、彼は新たに魔法を紡ぎあげていった。
――おどろおどろしい
魔法が組みあがっていくに比例して、「アァァァ――」と怨念が込められた声のようなものがベルグ南門前に響いて。
『『
デヴォルの頭上に描かれた巨大な魔法陣と共に。その数、優に数百。
長さ30
杭一本一本から伝わってくる、異様な圧力。
それを最前線で受けているはずのミゥはしかし、視線すらデヴォルの方へ向けない。
空中に固定された杭数百本が、微かに後ろに下がる。
――発射前の溜めから解放され、緋色の杭がミゥに殺到せんとする寸前。
「あなたは、私を相手にしてる場合じゃないと思うなあ――ほら、うかうかしてたら」
――ドォォォォン!!!! という凄まじい音と共に、デヴォルの魔法により赤黒く変色した砂が巻き上がった。
ゆらり、砂ぼこりに隠れた小さい影が微かに動き。
直後。踏み込みの音さえ置き去りにして、真白の弾丸が驀進を始める。
「食べられるよ、私の息子に」
ミゥは、獰猛に口端を裂いて笑った。
――砂ぼこりを押しのけて獲物を目指す、ケルンと全く同じ顔で。
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