第2項26話 ベルグ攻防戦 南門Ⅲ
闇魔法――それは、ヒト種の間で未だ体系化されていない魔法。
ミゥ・ツィリンダーの白魔法、リセリルカ・ケーニッヒの雷魔法と同様に、
そして森林地域だけでなく、他地域でも盛んに闇魔法の研究が行われているが、魔法が発現する原理は解明されていない。
その魔法の作用は、光魔法と対極だ。光魔法は、修道女兼冒険者のクララ・アルクプレスが所属している『教会』という組織によって体系化され――回復や支援といった他者を助けるものであるのに対して。闇魔法は、他者の能力を下げたりといった、妨害効果を与える。
そしてその魔法は、こと一対多数において絶大な効力を発揮するのだ。
『
「……うっ、うわあ゛あぁぁッ!?!?」「ああ゛っ??」
その
哄笑を聞いたものは、等しく狂乱に陥った。
ある者は地に頭を擦りつけ、ある者は遮二無二剣を振りまわす。それはおよそヒト種という知性体ではなく、純粋な獣の怒りの様だ。
「――な……なンなの、こレは!?」
隣でデヴォルの哄笑をまともに聞いたにも関わらず、桃花髪の冒険者ラファーレは狂乱状態に陥っていない。
それもそのはず。魔族デヴォルにとって、屍人の体液に侵された彼女はすでに意のままに操れる手駒と化しているのだ。
故に相対しているヅィーオを除き、この場で一番戦力になるのはラファーレである。魔法でわざわざ手駒の戦力を下げる真似など、賢しい魔族がするはずもない。
「『ほう……? まともに立っていられるとは思わなかったな、音に溶かした魔力を、『
デヴォルの魔法を至近距離で受けたヅィーオはしかし、盾を構えたまま不動の姿勢で立っていた。
だがいくらヅィーオの『
盾を構えた正面から飛んでくるものは防げても、音に溶かされ、乱反射した魔法はどう防いでもその耳へと入り込む。
しかし、そこはヅィーオとて歴戦の英傑だ。
まともに受けたのならまだしも、威力の弱まった魔法などには膝を折りはしない。
――ヅィーオが、体の前に構えていた大盾をゆっくりと退かす。
「……なるほどなぁ、こりゃあ門の内には入れられんわ。頭がガンガンするわい」
退けられた盾の向こう側。
言葉とは裏腹に、老兵はにいぃと不敵に口角を割いた。
その口元から顎にかけてを、一筋の赤い血液が流れ落ちている。
眠気、眩暈、衝撃――意識が飛びそうになったときに重要なのは、視界が閉ざされる前に
その様を見るに。ヅィーオの取った手法は、痛みによるアプローチ。
「『ははは……なるほど、舌を噛んだかッ!! それでどうにかできてしまう君も大概化け物だ、だが……!!』」
魔族は老兵の取った行動と意味を認め、愉快そうに笑う。
無論、彼の魔法は根性でどうにかできるほど甘くない。だが、現実としてヅィーオは何事もなかったかのように立っている。
『練気』によるものか、はたまた加護でも持っているのか。
骸骨は、眼前の老兵の評価を数段上げた。
デヴォルは両腕を大きく開き、
『降リヨ降リヨ、生魂ヲ求メシ霊王ヨ――』
魔族の体から、先ほどと同様に紫色の靄が発生する。
――その魔法発動の兆候を、老兵は二度とは見逃さない。
盾に纏った『練気』は、デヴォルの魔法『
「悠長なことだ!!!! ――『
利き手に握られた鉄剣――透明な『練気』を纏ったそれが、今度は強く
鋭く吐き出される短い呼気と共に。
――上段から袈裟斬り、返す刃で逆袈裟に中段まで振り上げ、横薙ぎの都合三閃。
流れるように片手で振るわれた剣の太刀筋に沿い、飛翔する斬撃が生まれる。
剣を横薙ぎを振り切った勢いを殺さず、ヅィーオは手早く大盾と剣を持ちかえ――脚に纏った『練気』を発進力に変え、斬撃の後ろから突貫を始動した。
「そんナ――いヤだッ……!!」
死霊へ向けて、ヒト種には聞き取れない言語で祈りを紡ぐデヴォルの眼前。
その桃花色の髪を棚引かせて、バッ!! とラファーレが間に割り入った。
魔族によって操られ、勝手に動く自身の体。だが感情と思考力までは奪われていない。
ヅィーオが放つ剣技の威力は、先に屍人を斬ったときに証明されている。彼女はそんな絶命の威力を孕んだ斬撃の前に、強制的に肉盾として引っ張り出されたのだ。
ラファーレの顔半分が恐怖に彩られ、目尻に涙が溜まっている。
「すまん、嬢さん――!!」
自らの体を盾にするラファーレに、ヅィーオが小さく謝罪する。
――次の瞬間。助走をつける
延ばし、鍛えられた鉄塊が、弾丸の如き勢いで鈍色の斬撃を追い抜き。
「――うぐッあ……っ!!」
体を張り、仁王立ちをするラファーレの皮鎧の腹を、大盾の縁が貫く。
錬気を用いた『衝撃盾』のように、大きく後ろへノックバックさせることは出来ないが、膝を崩れさせるのには十分だ。
ラファーレの体が崩れ落ちる。空を翻り舞っていた桃花色の髪が一房、空を翔ける鈍色の軌跡に刈り取られた。
『汝ガ眷属タル、
ラファーレが膝を折ったことによって、魔族デヴォルへの射線が通る。
魔力操作に神経を使う『祈り』の最中。顕現する魔法が強大であればあるほど、その構成難度は比例して高まってゆく。
すなわち――魔法使いは、原則として詠唱中には動けない。
もし魔力の制御を止めてしまえば、良くて不完全な魔法に、下手をすると暴走を起こして自身の魔法に殺されることになる。
制御を手放すか、攻撃を受けるか――魔族の判断は、後者だった。
――ヅィーオの放った斬撃が、骸骨デヴォルの左
ガラガラと音を立て、その体は呆気なく草の上に骨の山を作る。
中身を失った
――その様子を見て、ヅィーオが素早くラファーレの様子を確認する。
後ろで狂乱状態に陥っている幾人ものベルグ兵とは異なり、ラファーレはデヴォルが手ずから操作していた。
そして操られている時といない時の区別は――体から紫色の靄が滲みだしているか、否かだ。
「やはりまだ――っ!!」
果たして。彼女の体表を纏う紫色の靄は、未だ健在だった。
『――闇ノ誘イヨリ夜遊ブ御魂ヲ、ドウカ優シクソノ手デ堕トシ給ヘ』
白骨の山の下から、人体の骨格が音を立てて組みあがってゆく。
脚、骨盤、背骨と正しく重なり――同時にできていた両腕と上半身が連結される。
最後に残った頭蓋骨を、骨の体が両手を使って拾い上げた。
「『さあ。共に死者として
デヴォルの落ちた
日差しに影が差すように――悍ましい屍人の病が、大波となって顕現した。
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