第2項22話 ベルグ攻防戦 南門Ⅰ

 山吹色、朝焼けの余韻が去り。

 森林地域の都市ベルグの街並みに、眩い向日葵色の日差しが降り注ぐ。

 その都市ベルグ南門前には、日差しを照り返す幾つもの鈍色の輝きが並んでいた。


「……ふぅ、これで終わりか。なんともまあ、張り合いが無いなぁ」


 呟くように、魔物の素材と鉱石で作られた鎧を身に纏う、初老の眉白びせつが声を発した。

 彼は軽く手を上げ、後ろの兵士に指示を出す。

 南門前で隊列を組んでいた、鉄の全身鎧フルプレートメイルを纏った数十の兵士が、一様に音を立てて剣を鞘に納刀した。


「数を報告せよ!!」


 老兵は、抜刀していた鉄の直剣を左手に持つ大盾の内側――抜き身の剣を保持ホールドできる機構が備わっている――に納めながら、背後の兵士一人に殲滅した屍人リビングデットの数を問う。


「……計、35匹であります!!」


「はー、そうか。済まなんだ、ほとんど儂が相手をしてしまったようで」


 彼はぐるりと一周辺りを見回して、屍人の遺骸が自分の周りだけに散乱していることに気づいた様子だ。

 屍人の中には剣による切創のほかにも、大盾の盾攻撃シールドバッシュで与えられたのであろう、体の一部が抉り取られたような痕がある個体もいる。

 兵士達もヅィーオの動く視線に合わせて、屍の状態を視界の端で確認した。


「いえいえ、ヅィーオ様は噂に違わぬ剛健ごうけんさで在らせられますね……!! 我々ベルグ兵の出る幕も無く」


「はっはは、これからいくらでも鍛えてやるわ!! それにしても、リセリルカ様にも困ったものだなぁ。隊の長を全員解任させるとは……いくら軟弱だったとはいえ」


 ヅィーオは、苦笑を滲ませながら空を見上げ、目を細める。

 屍人が襲って来ていたとは思えない程の、穏やかな青と日差しが彼の老いた目を焼いた。


「はは……自分もあの場――第一兵舎で見ておりました。あれほど強いと感じていた第三部隊までの隊長が全員、『都市台』様と五合も打ち合わない内にされるとは……」


「はっはは!! リセリルカ様はあの後、相当ぼやいておられたぞぉ。『いくら何でも弱すぎでしょう、私に雷魔法を使わせた盗賊の長の方が、まだ手ごたえがあったわよ』ってな感じでな」


 ヅィーオの主人、第五王女のリセリルカは内政だけでなく、ベルグの兵力強化にも苦心していた。

 かく言うヅィーオも、旧隊長の三名と同時に戦おうが勝利は固いと確信している。


(あの隊長達は、錬気レンキが使えるかどうか以前の問題だったからなぁ。剣が冴えてなさすぎる。齢八の少女であるリセリルカ様でも、雷魔法による身体強化無しで勝ててしまえる位だ)


「どうなるのでしょう? 私どもとしては、ヅィーオ様に隊長になって欲しいのですが……」


「ん……? どうだかなぁ。儂はリセリルカ様直属の家臣だからな、有事に指揮を執ることはあろうが、役職を持つかは分からん。恐らくだが、ベルグ中を上げて武闘会でも開かれるのではないか?」


 籠手に覆われた手の甲を顎に当て、ニヤリと口角を上げながらヅィーオは言う。

 それとは対称に、兵士は不安げな声を上げた。


「大丈夫でしょうか……どこの馬の骨とも知れないヒト種が隊長になることもあるということですよね」


「ああ、だが少なくとも弱くはない。リセリルカ様にとっては、それが一番なのだろう――よし、火魔法を使える者は前へ。とっとと屍を焼かんとな」


 剣を主に扱う兵士とは言え、初級の魔法程度ならば扱える者は存在する。

 魔法とは、何も限られた者だけ扱うことができる特別なものではない。

 魔力を持ち、魔法の概念を理解できる生物ならば、その者の適正に合った魔法を行使することができる。

 だが一般に『魔法使い』と呼ばれるのは、習得自体が難しい稀有な魔法を除き、中級以上の魔法を扱える者の事を指す。

 初級魔法とは、『点火イグニッション』や『水滴ウォータドロップ』といった日常生活の手助けになる程度の水準で、攻撃に用いるにはあまりに頼りない。


 ヅィーオは兵士を魔法を使える者とそうでない者とに分け、後者には木々の枝等の薪を集めさせた。

 幸いにも、ここは森林地域である。

 木材には事欠かず、小さな種火でも大火に転じさせて屍人を焼き尽くすことが可能だった。


***


 二人の冒険者がベルグ南門へ向けて、森林地域の浅部をゆったりとした速度で移動していた。

 桃花ももはな色の髪を持つ女性冒険者が、濃ゆい藍色のフード付き外套ローブを目深に被る男性冒険者に、肩を貸しながら歩く。


「オルガン、シッカリして……!!」


「……」


 声を掛けられた男は、女性冒険者にぐったりともたれかかるだけで返答はない。

 桃花髪の女性の首に掛かる陶磁とうじ級の階級章ドックタグが揺れ、一つ上の階級である黒曜こくよう級の男のそれと軽くぶつかり音を立てる。

 陶磁製のものには森林言語で『ラファーレ・ラクターダ』という固有名詞が、黒曜製のそれには『オルガン・アソート』と彫り込みがされていた。


「モウ……口も上手ク回らナい。急ガないト……!!」


 美しい桃花髪から覗くラファーレの顔は、左半分が赤黒く変色している。

 それによって口が半分動かず、発声が片言のようになってしまっているようだ。

 また首から服の襟にかけて、素肌の見える部分も同様に赤黒く変色しており、彼女の左半身は屍人の体液に侵されているとみていいだろう。

 全身を外套と装備で覆っているオルガンに関しては、外側から状況を観測できない。ぐったりしていることと、ラファーレの言葉に反応を示さないことを鑑みれば、のっぴきならない窮地であろうことは確かだ。


 ――必死に片足を動かすラファーレを嘲笑うかのように、彼女の背後から数匹の屍人が追いすがってくる。

 装備を身に纏う男冒険者に肩を貸し、片足しか動かない状況では、いかに屍人の移動速度が遅かろうと追いつかれるのは必至だ。


「アぁっダメ、追いつカれル……っ!!」


 せめてもの抵抗と、ラファーレがオルガンの得物である槍を片手で持ち、反転して不格好な構えを取る。

 軽い音を立て、支えを失ったオルガンが地面に倒れ。

 ――果たして屍人達は、二人の冒険者の前で揃ってピタリと動きを止めた。


「なんデ……襲っテ来なイの?」

 

 ラファーレが不思議そうに、ひび割れた片言の独り言を零す。

 屍人は彼女達に興味を失った様子では無く、視力があるかないか定かではないが、顔をラファーレとオルガンの方にじっと向けている。


「なんデかハ、分からないケど……逃げルなラ今しかなイ。ベルグへ、早ク……!!」


 ラファーレは倒れたオルガンを何とか起こし、その肩を持つ。

 ピクリと、男の微かな動きの振動が彼女の体に伝わった。


「……っ!! まダ、間に合ウ、キっと……!!」


 希望と呼ぶにはあまりにか細い線を、オルガンが助かるかもしれないという万に一つを信じて、ラファーレは必死に足を動かす。


***


「お願イ……助ケてッ!!!!」


 ベルグ南門前、森が開けるかどうかの場所でひび割れた女声が響く。

 ――足を引きずり男の冒険者に肩を貸しながら、必死の表情でラファーレは叫んだ。

 彼女達の背後から現れるのは、数匹の屍人。

 ラファーレとオルガンは襲われることはなかったが、ずっと背後をピタリと付けられていた。


「――相分かった、お前らは回復薬ポーション解毒薬アンチドーテの用意をしておけ!!」


 現状を瞬時に把握したヅィーオが、背後の兵士に命令を出す。

 同時に地を蹴り、鎧を纏っているとは考えられない程の俊敏さでラファーレ達の元へ足を向けた。


 ――ヅィーオの脚の周囲に、ゆらりと陽炎のような揺らめきが生まれる。

 瞬間、老兵が地を蹴った衝撃で地面が陥没。

 ラファーレ達までの50Mメルトの距離を駆ける最中、ヅィーオは盾の内側から鉄の長剣を抜剣する。

 脚を覆っていた揺らめきが、次第にヅィーオの持つ盾と剣の輪郭を覆い――彼は屍人から10Mメルトは離れているだろう地点から、おもむろに剣を振り払った。


「――『飛刃ヒジン』!!」


 鉄剣の輪郭を覆う陽炎が、ヅィーオの振り払いと共に放たれる。

 棒立ちになっている二匹の屍人の腹から背を、そよ風が通り抜けるように何の抵抗もなく陽炎が追い抜いて。

 ――揺らめく不可視の斬撃が、二匹の屍人の胴から上と下を間二つに割った。


「ナっ……!? 何が起きタの……?」


 振り向いたラファーレの視界に映ったのは、体液を迸らせる二匹の屍人。

 ヅィーオが行った知覚できない攻撃に、彼女はその紫色の瞳を見開いた。

 ラファーレが視線をヅィーオに戻せば、老兵は彼女の目と鼻の先にまですでに到達している。


「よう頑張ったな、嬢さん。後は儂に任せい――『衝撃盾』」


 好戦的に口角を上げて鉄の直剣を肩に担いだまま、ヅィーオは向かってくる屍人に対して、無造作に大盾を押し出す。

 瞬間――バチィン!!!! と皮膚を力の限り平手で叩いたような衝撃音が辺りに轟き、屍人をすさまじい勢いで後方へ吹き飛ばす。


 吹き飛んだ二匹の屍人は、大木の幹に音高く体を打ち付けられ、生前と比べ脆くなった赤黒い体を弾けさせた。

 屍人の処理を兵士数名に任せ、ヅィーオは冒険者二人を南門前の平たい草地に運び出し。

 兵士に準備させておいた解毒薬を、ラファーレに飲ませた。


「やはり……低級の解毒薬アンチドーテではダメか。屍人化を一刻も早く解くために、お前さんは教会に行かにゃならんな」


「あたシのコとはどウでもいイんです!! オルガンを!!」


 ラファーレは顔の片方だけをくしゃくしゃに歪めて、ヅィーオに詰め寄る。

 老兵はその声には答えず、オルガンのフードを少し摘まみ、中を見た。

 次いで、そっと首に掛かる階級章ドックタグを手に取る。


「……黒曜級の冒険者か。嬢さん、よくぞここまで送り届けたな。こやつも辱められることが無く、救われただろうて」


「何ヲ、言っテ……?」


 苛立ちを声に滲ませるラファーレに対し、ヅィーオは目を伏せ、オルガンの外套を静かに剥ぎ取って見せる。


「――そん、ナ……ぁ」


 彼女の目に飛び込んできたのは、骸骨となった彼の姿。

 ラファーレが零した言葉は、オルガンのスカスカの体を空虚に通り抜けた。


***


「南門を開けい!!」


 ヅィーオの言葉で、ベルグ南門が重厚な音を立てて開き出す。

 兵士に抱えられたオルガンの骸と、うつむきながら辛うじてその場に立っているラファーレ。

 ひとまずは彼らを教会に送り届けるため、ヅィーオはリセリルカ経由で馬車を回してもらおうと『拾音器』と『集音器』を取り出した。


『リセリルカ様、今よろしいですかな?』


『ええ、丁度魔法貴族への情報伝達ならびに都市内に外出禁止令を出したところよ』


 ヅィーオが『拾音器』に向かって話しかけると、『集音器』の向こうから環境音が聞こえ、主の声が再生された。


『実は、外で屍人に襲われた冒険者が二人ほど南門に。一人は死亡、もう一人は半屍人化していて、低級の解毒薬アンチドーテでは治せない状態で……馬車をお願いしたいのです』


『……なるほど。ようやく繋がったわ、ほんっとうに紙一重ね』


 ヅィーオの話を聞き、暫く返答をしなかったリセリルカが、ポツリと苦笑の気配を零す。

 直後、王女らしくない切羽詰まった声が『集音器』から放たれた。


『――ヅィーオ、その二人を決してベルグの中に入れてはダメよ!!!! 今そこで、完全に息の根を止めなさい!!!!』


 その言葉を聞き終わる前に、ヅィーオは大盾から素早く鉄剣を抜き放ち、兵士に抱えられているオルガンへ向けて斬り込んだ。

 瞬間――オルガンを抱えていた兵士が、紫色のもやに包まれたかと思えば、ヅィーオの剣を仁王立ちでその身に受ける。

 一太刀目を防がれたヅィーオは、舌打ちと共に声を荒げた。


「正体を表せ、この不心得者がァ!! ヒトの情に付け込むことの恥を知らんかァ!!」


「『はは……いきなりご挨拶だな。初めましてだね、私はデヴォル・アンダーリッチーと言うんだ……どうして感づいたのか、後学のために教えてくれると嬉しいんだが』」


 くぐもったような声が、骸骨の存在しない喉から放たれる。

 死んでいたはずのオルガン――骸骨は、兵士の肉盾の向こうで愉快そうにカタカタと顎骨を鳴らした。

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