第2項2話 ミゥ先生の空間魔法学基礎

「あれ……なんか、頭が痛い」


 それは、『視界モノクローム』が発現して数分のこと。

 見える世界の膨張は一旦止まり、ケルンは自分を中心に、安定して半径100Mメルト白黒の世界を見続けていた。

 床に刻まれた木目、庭の草地に隠れた小さな虫、通りを行き交うヒトの動きの細部に至るまで、そのすべてを事細かに。

 健常者が何かを見続けると目が疲れてくるのと同じように、ケルンにはその疲れが頭痛となって表れて来た。


「――思った通り、空間魔法は負荷が重いんだね」


 ケルンの言葉を聞き、ミゥは顎に手を当てて思考した後に言う。


「……負荷?」


 ケルンは痛む頭を押さえながら、ミゥの言葉に疑問を返した。


「ケルン、いい? 空間魔法:『視界モノクローム』は、常時発動型パッシブなの。普通の魔法と違って、一日中ずっと使い続ける必要がある」


 ぴしりと人差し指を上げ、ミゥは説明を始め。

 痛む頭で、ケルンは母親が動く様を注視する。


「魔法の発動によって脳に負荷がかかることを、"魔法処理負荷"と呼ぶ。そして、『視界モノクローム』はたぶん、それが尋常じゃなく大きいの」


 ――「普通の、属性魔法とかなら問題にならない程度だけど。魔法構造が複雑になるにつれて、掛かる負荷も相対的に上がっていくからね」と補足を交えつつ、ミゥは空間魔法の特殊性を指摘した。


「『視界モノクローム』は消費魔力量も尋常じゃないみたいけど、そこはたぶん大丈夫。ケルンは私の血を継いでるから、今でも相当の魔力量があるはず」


 豊満な胸をえへんと張って、ミゥは自分を指さす。

 ケルンとしては、母親の身振り手振りが少し面白く、難しい説明もすんなり頭に入っていた。


「こほん、"魔法処理負荷"を軽減するには、脳が魔法を処理する速度である"魔法処理速度"を高めないといけない。ここまで、いい?」


 二つ指を立て、ミゥがケルンに確認を取る。

 ケルンは暫く頬を掻きながら考え、言った。


「……えっと、『視界モノクローム』はずっと使ってるとすごく疲れるから、鍛えて慣れて、疲れない様にしようってこと?」


「うんうん、そんな感じだけど……用語もきちんと覚えようね? 母さん頑張ってケルンに叩き込むから!!」


 ローブの下で、ミゥは力こぶを作る。

 ただでさえ、一日2千振りの剣術訓練に空間魔法習得と、いっぱいいっぱいなケルンにとって、これ以上やる気を出されると困るというものだ。

 ケルンは苦笑する余裕もなく、苦虫を嚙み潰したように舌を出す。


「うえぇぇ、難しい言葉はあんまり好きじゃないよ……そうだ、俺もう、本が読めるのかも」


「……うーん、どうだろう? とりあえずそれは後回しで、一旦『視界モノクローム』を解かないと。明日は頭痛で動けなくなるよ?」


 そわそわと体を動かし、目を輝かせるケルンに微笑みかけながら、ミゥが指摘する。

 母はそのしなやかな手を、ケルンの額に当てた。


「解くっていっても……」


 魔法の発動はミゥの手助けによるもので、維持は意識して行っているものではないので、ケルンは『視界モノクローム』の解除方法が分からない。


「魔法陣に流れてる魔力を、遮断するイメージだよ。要領は『魔力変換マジックコンバート』を止める時と同じ。急に魔力をせき止めるんじゃなくて、ゆっくり流れを少なくしていくの」


 『視界モノクローム』発動前の、魔力を空間認識できるように変換する工程で、ケルンは魔法の解除をすでに体験していた。

 その時の感覚を呼び起こし、黒髪の少年は魔力の出力を絞ってゆく。


 ――魔法陣に流れる魔力量を絞ると、不思議なことが起きた。


「……あ、なるほど。流す魔力量に応じて、見える視界は狭まるんだ――っと、これぐらいなら、ずっと見てても頭痛くないや」


 ケルンが見ている視界が、縮小を始める。

 魔法具店に面する通りをも通り越して、他人の家まで見えていたものが、魔力を絞るごとに狭まって。

 最終的に魔法具店が一望できる範囲で、ケルンの頭痛は消え去った。


「……ケルンが世界をどんな風に見てるか、教えてくれる? もしかしたらケルンはもう――」


 集中する息子の様子を見ていたミゥは、はっと息を飲んで問いかける。

 視界の範囲を定着――流す魔力の適当な量を見つけたケルンは、自分が見ている景色の説明を始めた。


「うん? 背景が黒に……多分、白色で視界が構成されてるかな。俺の裁量で、上から、下から、横から、みたいにいろんな方向から世界を見れる。どこから見てても、常に視界内の全体が手に取るように分かるよ」


 ――『あ、今、義姉さんが父さんに指導を受けてる』と、開いた白磁の双眸を床に向けながら言うケルンに、ミゥは呆れたように言う。


「あーケルン、それきっと。中級空間魔法の、『空間掌握パーフェクト・パーセプト』だよ。おめでとう……って、私、何もしてないけど」


 『空間掌握パーフェクト・パーセプト』という単語を聞いて、ケルンがピクリと反応する。

 何かを思い起こすように、とんとん、と自分のこめかみのあたりを叩いて。


「あ、思い出した。それ、空間魔法を習い始めた最初に母さんが言ってたね。確か、"可視空間内に存在する物質全ての観測"と、"動体の過不足ない観測"だったっけ」


 ――「二つ目の、過不足ないってどういう意味だろう?」と、ケルンは母の言葉を追想して問うた。


「うーん。ちょっと難しいよ? さっき言ってた、"魔法処理速度"の話と関係するんだけど。"魔法処理速度"を上げるって、要は思考の速度を上げるってことなの」


「思考の、速度??」


 ああ、藪蛇だった、と。

 また新しいことを叩き込まれると予感したケルンは、顔を歪めた。

 ――「そんな顔しないの!!」と、ミゥはケルンを軽く叱る。

 少し考えて、ミゥは気色の違う問いを返した。


「ケルン。昨日の晩御飯、何だったっけ?」


「え、兎肉のシチュー」


 難しい話が来ると予想していたケルンは、きょとんとしつつも言い当てる。


「じゃあ、10日前の晩御飯は?」


「えぇ……何だったっけ? ……あ、干し肉と野菜のパンばさみサンドイッチ


 目が見えなかった分、味を思い出していきながら、ケルンはこれもなんとか答えた。

 ――「よく覚えてたね」と、自分も大概な記憶力を誇るでなく、ミゥがケルンを褒める。

 ここからが本題だぞ、と、ミゥは少し真面目な顔になった。


「多分ケルンは、一日ずつ遡って晩御飯を考えたよね。思考の速度が速まれば、その答えも一瞬で出せる。魔法を使う時も、魔力を意識しながら常に思考してるから……」


「あー、なるほど。早く考えることができればできるほど、魔法も使いやすくなるって事かぁ」


 砕けた言い方だが、ケルンの言っていることは本質を外していない。

 ミゥは、両手で丸印を作った。


「うん、正解。だからこれからは、"並列思考"を訓練していこう!! 分かりやすく言うと、いくつかの事を同時に考えることね」


 ――「一つの大きな事を考えるより、それを二つに分割して同時に考えれば、半分の時間で答えが出るよね」と、補足も交えつつ、手短に話題を切り離す。


「さて、話を戻すよ? 私も禁書の筆者の意を、完璧に汲めるわけじゃないけど。たぶん、"動体の過不足ない観測"は、思考の速度に合った物体の動きを見る、って事じゃないかな」


「……うーん? 良く分からないかも」


 ケルンの答えに、ミゥはうぅんと唸る。

 ――説明よりも実感しなければ、こればかりは。

 そう考えたミゥは、彼女の実体験の表面上だけ攫って、息子に教えておくことにした。


「多分、ケルンが誰かと戦ってるとき、実感するんじゃないかな? 戦ってる極限状態で、相手と動きの読み合いをしてるときは、相手の動きがゆっくりに見えるものだから。たぶん、体感速度的な意味だよ」


 この話は終わりとばかりに、パンパンと手を叩く母に、ケルンはニコニコ顔で問う。


「俺、中級まで使えるってことは、もしかして上級も使えたりするのかな!?」


「……ううん。上級空間魔法『歪みの握撃ディストーション』はたぶん、モノが違うよ。禁書には、空間を歪めるって説明しかなかったけど、書いてあるほど簡単じゃないと思う」


 母の深刻そうな顔に、ケルンはふぅと一つ息を吐く。

 一足跳びに空間魔法習得が進んだからといって、喜んでる場合じゃないぞ、と。

 憧憬に追いつくには、まだまだ先は長いのだから、と。

 勝って兜の緒を締める訳ではないが、ケルンは浮かれた気持ちを改めた。


「……いつか、出来る様になったら母さんにも見せてね? じゃあ、さっき言ってたみたいに、本が読めるか試してみよう?」


 浮かれすぎない我が子に、感心したようにミゥは言って立ち上がった。

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