シザンサスのせい


   ~ 三月十九日(月)  二 ~


   シザンサスの花言葉  あなたと一緒に



 本日は主役ですから。

 かるい、縦ロールにしてあげました。

 女性は幸せになればなるほど、髪が縦にロールするといいますからね。


 最初はそんなバカなと思っていましたが。

 あの母ちゃんですら、結婚式のときには縦ロールになったのですから間違いなし。


 君の髪を、次にこうして結ってあげるのはいつになるのだろう。

 今朝は、そんな思いを胸に抱きながら。

 目頭を熱くさせながらヘアメイクしてあげたのですが。

 どうして君は、いつもいつもいつもいつも。


「ほんと、イラっとします」

「カルシウムが足りてないの。目玉焼きの殻を食べると良いの」

「目玉焼きに殻はないでしょうに」


 卵を割ったら、中から目玉焼きとか。

 怖くて逃げだしますよ。


「その髪、おばさんの足元にも及ばないけどさ。会心の出来だったんだよ」

「うん。なかなか見事な出来栄えだったの」

「それがだいなしなんですけど」

「そんなことないの。素敵なの」


 あれだけ、頭にお花を咲かせることを嫌がっていた子が。

 お姫様風ゴージャスヘアに、これでもかと自分で挿したシザンサス。

 派手な、ピンクのお花が縦ロールの幸せを台無しにして。

 カラフルアフロなピエロのようになっていますけど。


「何事も、多すぎるのはよくありません」

「多いことはいいことなの」

「ほどほどが一番です。シャワー付きトイレから噴水並みに水が吹き出したら困るでしょうに」

「…………体が浮いちゃうの」

「そう。個室の上から、外のみんなにこんにちはです」

「よくわかったの。これからはほどほどにするの」


 そうつぶやきながら鏡をのぞき、頭に咲いたお花を間引き始めたのは。

 本日の主役、藍川あいかわ穂咲ほさき


 ……俺の、幼馴染です。



 一年生の終業式、その前日だというのに。

 穂咲のさよなら会が催されることになりまして。


 人気者の穂咲ですから。

 放課後の教室は、他のクラスからも、校外からも人が押し寄せて。

 たいへんな騒ぎになってしまいました。


「……こんな時でも変わらないのね、あなたたちは」


 何となく喧騒から抜け出して。

 いつもの席に着いた俺たちの元に。

 渡さんが、六本木君を伴って声をかけてきました。


 いつもと変わらない。

 それはそうでしょう。


 確かにお別れは悲しいですけど。

 だからと言って、なにも特別なことなどないわけで。


「ちょっとは残念ですけど、いつかは離れ離れになるものですし」


 俺の返事に、溜息などついた二人なのですが。

 お二人とも、勘違いなさっていませんか?

 俺がこいつの事をどうとも思ってないのはホントです。


「ウソなの。実は泣きそうなのに我慢している道久君なの」

「勝手なことを言いなさんな」

「それが証拠に、あたしにお代わりのジュースを注いでくれないの」

「ん? …………ああ、そういう意味か。図々しいやつだな」


 ジュースを注がないのは、泣きそうなのを我慢している証拠。

 そんな話は聞いたことがありませんけど。

 でも、きみがそう宣言してしまった以上、注がないと俺が泣きそうになっていることにされてしまう。


 実にめちゃくちゃな、巧妙な手段でオレンジジュースを獲得したこいつは。

 自分の席をなでなでしながら、さらにめちゃくちゃを重ねていきます。


「あとは、東京にこの机を持っていきたいの」

「持ってっちゃダメです」

「……じゃあ、黒板ならいい?」

「余計ダメです。どうやって電車に乗る気?」

「ドアが開いたところを、こう、ななめって……」


 両手で黒板を抱える仕草をしながら身をよじる穂咲を。

 みんなで、笑いながら見ていたら。


 懐かしい事を思い出しました。


「そう言えば昔、穂咲だけが電車に乗り遅れたことあったよね」

「なんのことなの?」

「ほら、小さな頃。東京に行ったとき」

「…………あったの! あたしあの時、王子様だったの!」

「その記憶はどうかと思うけど」


 この、とんちんかんな発言に。

 何の話か聞かせろと。

 にわかに盛り上がるギャラリーのみなさん。


 仕方ないかと肩をすくめて。

 念のために穂咲をうかがうと、一つうなづいたので。


 話を聞かせてあげました。



 ――それは藍川家に連れられて、東京に行った時の事。

 現地でお友達になった、意地悪なお姉さんに。

 帰りの電車のドアが閉まる直前に腕を引っ張られて。

 俺はホームに、しりもちをついたのです。


 発車のベルが鳴り響き、今にもドアが閉まりそう。

 車内では、驚いた顔をしたおじさんとおばさん。


 でも、そんな二人の間から。


 いつも繋いでいた手が。

 繋いでいるのが当たり前だった手が、電車から飛び出してきて。


 俺を引っ張り上げて。


 そして。


 背中をドンと押して、閉まり始めたドアの隙間から俺の体を車内にいれてくれたのです。


 もう、二度とお家へ帰れなくなる。

 そんな恐怖を感じていた俺を救ってくれた穂咲へ振り返ると。



 そこには、閉じた扉しかなくて。



 ほっちゃん!

 ほっちゃん!



 ドアが閉じてしまった。

 このままじゃ大変なことになる。



 俺が、扉を叩きながら大声で叫ぶと。


 灰色の視界がまっぷたつに割れて。

 光の中から、穂咲が現れてくれたのです。



 にっこりと微笑みながら。

 もう、離しちゃダメだよと、手を差し伸べながら。



 ……

 …………

 ………………



「道久君。……なんで?」


 穂咲の声に顔を上げると。

 涙と鼻水で、ぐちゃぐちゃになった顔が待っていたのですが。


 周りの皆も。

 なぜか涙ぐんでいるのですが。


 俺が悲しむなら分りますが。

 今の話、泣くところなんか無かったでしょうに。


 …………困ったな。

 どうしてそんなに泣いているのです?



「……ダメなの。お別れ会の間、泣かないって約束なの」



 ええ。

 分かってます。



「それを決めたの、道久君なの」



 分かってますって。



「その道久君が、最初に泣いたらダメなの」



 ……………………。



 違います。

 確かに話しながら、感極まるといった心地になりましたが。

 我慢してますから。


 俺のあご先から、ぼったぼったと雫が落ちていますけど。

 こんな勢いで流れるの、涙なわけないじゃないですか。



 ……そんな、湿っぽくなってしまった教室に。


 携帯の音が鳴り響きます。



 これは、お別れ会の最初に話していた、お開きの合図。


 東京からの、合格通知。



 なんと声をかけたらいいのか。

 思い付くことも出来ません。



 ただ、揺れる視界の中で。

 十五センチだけ離れた、席と席の狭間が。



 ……永遠に、この距離が埋まることは無くなったと。

 そう宣告しているような気がしました。



「穂咲。……おめでとう」



 現実によって引き裂かれたことを知って。

 ようやく口から零れた言葉は。

 思いのほか流暢で、落ち着いていて。


 でも、穂咲は俺の言葉にかぶりを振ると。


「……なんでそんなこと言うの?」


 ぼろぼろに泣きながら、力なく俺の胸を叩くのです。



 おめでとうと、言って欲しくなかったんだね。

 君の、その気持ちが。


 そして、軽々と十五センチの距離を飛び越えて、俺を咎める君が。



 ようやく。

 答えを教えてくれました。



「やっと分かった。……決心したよ。俺は……」



 穂咲の顔をまっすぐに見つめて。

 最後に一つ、大きく深呼吸して。


「俺はやっぱり。君と…………」

「道久君は、やっぱり意地悪な道久君なの」

「一緒…………、なにが?」


 一世一代のセリフを遮って。

 べそをかきつつ突き出してきた穂咲の携帯。


 そこに書かれたメッセージ。


 思わず、大声を上げてしまいました。


「おばさん! 採用試験落ちたぁ!?」


 俺の叫び声のせいで。

 水を打ったように静まった教室から。

 せーので。


『ええええええええええ!?』


 ちょっと。

 いやいやいやいや!


 じゃあいったいどうなるの!?


 呆然とした俺の耳に、再び届いたメールの着信音。

 携帯を見た穂咲は、今度は、ああやっぱりと呟いてから。


「あたしも落ちたの。どうせ東京に行くなら名門校がいいと思ったけど、やっぱ無理だったの」



『ええええええええええ!?』


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