第14話
「これでいいでしょ」
燃えて消えてしまった、物々しい文書。かまどの中。記憶の彼方で封印されてた、かみやせんせいの言葉があの時の古文書といっしょに耳の奥で鼓動し始める。しかし保育園をやめさせられてたかもしれない自分は、あの古文書もろとも灰になって闇に葬られたからこそ、こうやって無事にこられたのではなかったのか。今さら自分の幼少期を丸裸にして何になるというのか。あの時、「ぼくをやめさせないでよ」と言った。それでよかったのだ。
遠くの方から車内アナウンスが祝詞のような、男の低い声で聞こえてくる。
「ここは奈良県の葛城(かつらぎ)古道です・・」
「えっ?今さらなぜ奈良に戻るの?」
「いえ、あなたの記憶をほぐしているだけです」
「記憶?」
「かまどに葬られたその古文書には何てかいてありますか」
見れば、かまどの中にはまっさらな白い紙片が新たにひとつ、突っ立て入る。まるで燃え尽きた灰をかき集めて紙片に仕立て上げたように見える。見覚えがあった。「一言主神社」と書いてあるではないか。ああ、これ、おふだだ。間違いなく今年のお正月に自分が買ったもの。たしか神代の時代に、神々の系譜からなぜか外されてしまった、葛城族の神様の名前だ。
「逆上コースの終点は、出雲の斐伊川中流に位置する三澤郷です。その終点で降りられるあなたは、葛城古道での記憶が大事なのです」
「みさわごう?」
「そうです。古事記の物言わぬホムチワケ伝承にそっくりな逸文が、実は出雲国の風土記にも存在するのです。名前も父親も、古事記のそれとはとは違いますが」
「ホムチワケ伝承?そのような神話は聞いたことがないな。それと葛城族と、どういう関係があったのですか」
「説明するのには一日かかってしまいます」
「簡単に要約して教えてください」
「このバスは逆上行きのバスですよね。だから、行けばわかります」
「・・葛城古道は日本の黎明期の道でして・・」アナウンスがまたぽつりと聞こえた。一旦寸断したと思ったマイク音のスイッチがガシャッと鳴って入り、今度は別の声が音声として流れた。聞いたことのある声。ああ、これは私の声だ。
・・・そう、奈良県の葛城(かつらぎ)古道を私は歩いています。このあたりは大和朝廷成立の前夜の、ちょうど神々と天皇との間の、もやもやしててよく見えないところです。でもこうして遠くを見遣ると、田圃に包まれた大和三山は、今見てもとても美しいです。
古事記にしるされた、葛城一族の神話を夢想しながら私はてくてくと歩いています。初詣客で駐車もままならないかと思っていたのになぜかお正月の賑わいは全くなく、このように古道の往来はがらがらです。道端でひっそり佇む石仏や柱を、時々立ち止まっては撫でたりたりして歩いてます。目の前の吐く息が白いです。冬の澄み切った冷たい空気と一緒に、いにしえの人たちの息吹をこうやって大きく吸い込みます。そして大きく吐きだします。すると大和朝廷の王である雄略天皇こと、オオハツセが、自分たちと同じように紅紐つけた青摺りの衣の官人たちを従えてた見知らぬ者を問いただします。
「この大和の国に、われのほかに王はいないはず。おまえは何者だ!」
すると見知らぬ者も、お前こそ誰だ、王はおれだと、応酬してきました。
それを聞いて激怒したオオハツセは矢をもって言いました。
「名をなのれ!」
「我は悪事も一言、善事も一言、一言で解決してしまう葛城の一言主の大神であるぞ」
「これは畏れ多いことでした」
オオハツセは、うやうやしく葛城の神に拝礼しました。
しかしなぜかその後、この一言主の神様は時の経過とともに、遠くの地に「流刑」されてしまったのだ。神の流刑などというものは、長い年月の神代の時代を通して、この前にも後にも金輪際、一度もなかった出来事だった。
・・・
私はそろりそろりと、一言主神社本殿の脇で今も立派にそそり立つ、樹齢1200年の巨大なご神木に近づいた。そこのめくれ上がった根方の古びた空洞には、夥しい乳房がぶらさがっている。丸裸の自分のからだ。
「一言主の神よ。何か一言、私に教えてください」
「・・・・・」
私はおもむろに両手を伸ばした。そして大きな乳房をわしづかみにした。するとその柔らかな乳房がにょきにょきと這うようにして私の手の中で動き出したのだ・・。
・・・
「ただいまこのバスは出雲の斐伊川をのぼっています」
バスのアナウンスで目を覚ました。長い眠りだった。カーテンの隙間から微かにうす明かりが漏れていた。もう夜明けなのだろうか。ふと横をのぞいてみた。アメノウズメさんはまだ夢の中のようだ。小さくいびきをかいていた。
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