第10話
そのアメノウズメの視線から目をそらした。これまで、この女性と面識などないはず。なのに応援してくれると言う。未だに何の見通しもたっていない俺の逆上。その目論見を見透かしているのだろうか。
沈黙が両者の間を流れる。まるで大きな転機を突き付けられているような気持ちになる。意味不明なこの状況に呑み込まれていくのだろうか。ソファに座って対面してる華奢な輪郭を目でなぞる。細い首から肩を滑り、やや小さめなバストを撫で、くびれた腰のその場所へとたどり着く。つややかなラインと安息の居場所。しかし固視できずに、眼球がすとんと一気に床へと落ちていった。過去から未来に起こった数知れない憤りと無念が、床に散らばる。砕けていく自分の姿。いつもの姿だ。
うろたえるな!俯瞰するのだ!床に散らばったもろもろを、一番手っ取り早い色欲で組み立ててばいけば、あるひとつの世界が形作られるはず。
「アメノウズメさん」
「はいっ?」
「あのぉ。あなたって、あめの岩屋戸の前で、踊られた人でしたよねえ」
「それがなにか?」
「アマテラスを隠れた岩屋戸から引き出すために、オモイカネが考えた、あのような作戦をわざわざ引き受けたの?」
「サルタヒコさん、あなた、ふらちなことを、そうぞうしてるのでしょ」
「いえ、というか、わかってしまった?」
「たしかにあれはいきすぎてたのかもしれないけど、いろいろとかんたんにはせつめいできない、おとなのじじょうというものがあったのよ。ねえ、おねがいだからそんなにわたしをじろじろ、みないで。はずかしいから」
「うん」
おとなの事情?アマテラスが岩屋戸に身を隠したことで、天の国も地の国も暗闇に閉ざされた。そんなアマテラスを引き出すため、あなたは天の香具山の葛をタスキにかけたり髪に巻きつけたりのエキセントリックないで立ちで、伏せた桶のうえで踊られた。やおろずの神々の面前で、笹の葉を手に持ち、見るもおかしな足拍子を踏み鳴らし、まるで神がかりのように乳房も露わ、腰に巻いた裳を押し下げて、大事なところもみえかくれさせている。まさに非日常のカーニバルだ。そこにいた誰もが、ドーパミンをばんばん空中に飛ばし、変身した自らの姿へとベクトルを解放してる・・。そうか、神話の中で、俺は別物へ解放されることができるのかもしれねえぞ。
「ねえ、これから、いずものくにまでいかない?」
「はっ?いずも?あんな遠いところまで?」
「そうよ」
「スサノオか、オオクニヌシにでも会いに行くというのかい?」
「そうね、もしかしたらオオクニヌシにあえるのかもしれない。だけど、わたしたちがいくもくてきは、カミムスビにあうことなの」
「カミムスビ?そんな神様、いたっけ?」
「あなた、こじきをよんだでしょ。しろうさぎをたすけたオオクニヌシは、やそガミたちにだまされて、しゃくねつのいわを、あかいいのししとおもいこんでうけとめ、やけて、しんじゃったよね。おぼえてるかしら?」
「ああ、因幡の白うさぎの段がおわってから、そんな筋書があったような気もする。」
「でもアカガイとハマグリのしまいカミが、ふたりのおかあさまであったところのカミムスビのおっぱいのしるをオオクニヌシにぬって、いきかえらさせたわ」
「それって、青木繁の絵画にあったやつだな」
「そのとおりです。だからあなた、カミムスビにあってみたらどうかなあとおもうの」
「母性の癒しか?」
「ううん、それだけじゃないはず」
「・・しかしだなあ。俺は登山をするために、今朝、家を出たんだよ」
「しってる」
「多分だけど、まだ俺、登山の途上にいる。だからあんまり寄り道はしたくない」
「それはそうだけど・・」
その時だった。ふたりの会話を遮断するかのようにドアの激しく叩かれる音が部屋中をとどろかせた。アメノウズメの瞳に怯えの影が走った。誰かがしきりと、なにか怒鳴っているようだ。ドアを強打する音の狭間に耳を傾ける。キャバクラの店員さんが時間オーバーだと言って、激しく警告しているのか?いやそうでないようだ。高層ホテルの高い天井の下で、順番待ちの客たちの誰か彼かが怒鳴ってるのだ。きっと指名の客たちだ。目の前の美女とずいぶん長いこと話していたからな。おまえひとりだけがいい思いをしてずるいぞと、ひょっとしたらドアの外では暴動が巻き起こってるのかもしれないな。
ソファからアメノウズメが立ち上がってドアの方へ歩み寄っていく。ライトパープルの小さなカーテンを掴むと、隠してあった覗き窓が見えるようにゆっくりと持ち上げた。ドアの向こう側で、先ほど見た教授らしき初老の男の顔が、ひとりこちらをにらんでいた。
「おまえら、自分らの都合のよい神話で物語などつくろうとするな!」
「あのう、もっとおだやかにいってくださいませんか」
「穏やかだと?お前らの考えてるような、おぼつかないストーリーには、いらいらするから言うんだ。そうだとも、この狭い覗き窓からコメントを無理矢理にでもぶち込んでやるからな。矛だ!」
「ほこ?」
「矛でも槍でも何でもいいさ。ああそうだ、劔の刃がちょうどいい。おまえらの空想物語に、あのタケミカズチをぶち込ませてやったからな」
「タケミカズチですか。くにゆずりを、ちからずくでおこなったやつだわ。いずもこくのふどきの、どこにもでてこないはずなのに、かれは、こじきのなかで、こつぜんとでてきて、ものがたりのなりゆきをひっくりかえしていったわ。こまったやつ」
「しょうがねえだろう。それがねつ造だろうが真実だろうが、現に残された古事記の文章であるのだから。」
「おじさん。次元が、それぞれ違うから比較はできないと思うけど」
「何だてめえは!偽善のツラをしやがって!昔も今も、槍や劔などの、尖ったきっ先こそが、現実と幻想との、先頭に立ってる。誰だって一目瞭然の理ではないか」
「・・・・」
「おまえら、目を覚ませやい!」
「もうやめて」
怒号を遮断するかのように内側のカーテンをさっと閉じた。そしてアメノウズメは俺の方を振り返った。「やってられない」と一言こぼしてから、ソファにすわった。
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