港区の休日
本日は休日。天気はやや風があるがきれいな晴れ。
そして、蒼司郎にもクロエにも予定が特にない。となれば、まさに絶好のデート日和である。
夏の間に自分で仕立てていたスーツに、秋物のコート。それに手にはいつもの仕込み杖。もともと護身用にと、こちらに来る前に剣の師匠から頂いた品なのだが、すっかり手に馴染んでいて、今ではもう外出時にはないと落ち着かない。
「ソウジロウ!」
今日の待ち合わせ場所――時計塔の正面で、クロエがこちらに向かって手を振ってくれている。あまりにも元気よく手を振っているので、他の待ち合わせの人々が驚いているほどだ。……クロエがいつものように可愛いのはいいが、正直ちょっとだけ恥ずかしい。
「クロエ、おはよう……その、お待たせ」
「おはよう、ソウジロウ。ふふ、今来たところだもん」
そうやって、二人で最新流行の若者向け雑誌に掲載されている『思いあっている男女の会話一例』のような会話をしてみせてから、おかしくておかしくて噴き出して笑ってしまう。
クロエといると、本当にこんな――なんでもないようなことだって面白くて楽しくて仕方がないのだ。
「風があるからちょっと寒いし、手を繋ごうか。ソウジロウ手袋してないから片手だけでもあっためたげる」
おずおずと手を差し出しながら彼女が申し出ると、蒼司郎は無言で手を取った。
クロエはちゃんとした手袋を持っているのに、わざわざ蒼司郎と繋ぐ方の手だけは、手袋をつけていないのだ。……恋人というのは、どこまで素敵な生き物なんだろうか。
もちろん、今日は風があって寒いから、なんてのも口実だ。つまりは自分たちはちょっとでもお互いに触れ合いたいが、まだ恥ずかしくてそんなこと真っ直ぐに言えない微妙な状態なのだ。
本音としては、真夏のカンカン照りの日でも手を繋ぎたい!
「今日はどんな品物が入ってるかなぁ」
「アンティークのボタンがあればいいんだが」
「ソウジロウ、ボタン集めてるもんね」
話をしたりしなかったりしながら、港区への道を行く。
港区は世界中からの船がやってくるので、様々な輸入品を扱う商店が集まっているのだ。
あちこちの店を見て回り、クロエは文房具やこまごまとした雑貨をいくつか購入していた。それに、特徴的な模様のティーカップなども見ている。なんでも、彼女の母が北欧デザインの食器が好きなのだという。
蒼司郎は、レースやボタンといったドレス作りに使う品を中心に見る。ボタンは単純に綺麗なものを集めるのが好きだから購入する。だが、部屋に荷物を増やしたくないのでそれ以外はあまり見ないようにした。買い物が嫌いなわけではないが、下宿部屋の広さが限られている留学生である以上、あれこれむやみに買う訳にはいかない。消え物ならまだしも、残ってしまうものは困る。
とあるアンティークショップで、青い硝子製のボタンを買うか買わないか悩んでいるときに、その声は聞こえてきた。
「さぁさぁ! 絹の道の終着点、そのまた海の向こうにある、神秘の国スメラミクニから入った品物だよ! 今日限りだよ!」
その呼び込みの声に、硝子製のボタンをのぞき込んでいたクロエがぱっと顔をあげてこちらを見た。
「ソウジロウ、スメラミクニからの品だって! 行ってみようよ!」
「あ、あぁ。そうだな」
二人が手をつないで駆け足で向かうと、そこには広場にシートが敷かれてさまざまな品物が置かれていた。売り子をしているのは船乗りらしき格好をした人々だ。
商品は、小さめのタンスなどの家具、壺や皿や茶碗などの焼き物、派手な染めの絹織物、それに絵画や、漆器のたぐい。
どれもこれも、
『どれも、輸出用に作られたものだな』
やりきれない気持ちを、皇御国語にして吐き出すと、案の定というかなんというか隣のクロエがきょとんとした顔をしている。
「どうしたの、ソウジロウ」
「いや、その……」
ちらりと、売り子役の船員達が近くにいないことを確認してから、そのことをクロエに教える。
「ここにある品は、ヨーロッパや合衆国との貿易用に作られたものだ。デザインも装飾も、ちょっとわざとらしいぐらいに『彼ら』が喜びそうなものばかりで、俺が見るとやや違和感を覚えるぐらいだ」
「そ、そう……なの」
クロエが、少ししょんぼりとした顔をしている。
……もしかして、言い過ぎただろうか。こちらを見に来ようといい出したのは彼女なのだから。
「……だが、これらの品が俺の故郷で作られたということは変わりないからな」
はるばるこの地にまで、懐かしい故郷の風を運んできた品々。
……妹はちゃんと勉強しているだろうか。
兄はお見合いがうまくいっているだろうか。
母は、この季節ならあの紅葉柄の着物を纏っているのだろうか。
父は、そろそろ神経痛に悩まされているというが大丈夫だろうか。
そして。
あの日蒼司郎に、泣いてすがりついて外国になど行かないでと懇願してきた娘は、嫁入り先できちんと振る舞えているのだろうか。いじめられていないだろうか。
……あの時はあんなにも飽き飽きしていたはずなのに、今となっては故郷の何もかもが懐かしい。
アトランティスに来て、もう二年以上になるのだ。
「……」
「ソウジロウ」
クロエが、緑色のおさげ髪を揺らして顔をのぞき込んできている。
「……すまない、少しぼんやりしていた」
「そっか」
今は、気にしないほうがいいだろう。
そうだ。今は精一杯学んで、心からクロエと向き合うのだ。
……それだけだ。
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