恋草の調べ
学年末試験初日。
ふたりきりの狭い更衣室。
クロエはソウジロウの手で、丁寧に
色は、薄いピンク。まるで春に見たさくらんぼの花のような、白に近いはかなく美しいピンク。そしてもう少し濃い目の紫がかったピンクでちいさな花模様が描かれている。
クロエが、自分で似合わないと決めつけていた色。
「去年のリベンジというわけでもないけどな」
ソウジロウが作ったピンクのドレスは、バッスルスタイル。
ただ、去年は袖が短くデコルテを見せる夜会用のものだったが、今年は昼用――デイドレスと呼ばれるような、袖が長く襟は詰まっている清楚なデザインだった。
斜めに縫い付けられたレースがふわりとなびく細めの身頃。肩のあたりがわずかに膨らんだ袖と、レースのカフス。きゅっと絞られたウエストには濃い赤の細ベルト。そして、上スカートの前面はたくし上げられて華麗なドレープがいくつも作り出されている。濃いピンクの布花がそこかしこに飾り付けられていた。
それから、バッスルスタイルドレスの真骨頂である、後ろ腰部分だ。
前や横へのボリュームを抑えた分、後ろへ広がりはこれでもかとばかりに強調されている。もちろん、ただ膨らませただけではない。上スカート布をあえてランダムに折りたたむことで不規則なドレープを作り、さらにその上にリボンや布花をたっぷりと飾り付けている。
綺麗で、可愛くて、清楚なのに、でもなんだかドキドキする、素敵なドレス。
「ドレスは火精、小物は風精、下着は肉体強化、と」
ドレスの腰リボンの角度を調整しながら、ソウジロウが呟く。
火精魔法はクロエが一番扱い方を勉強し続けてきて、使い慣れた系統だ。何しろ、最初の
彼は、それも計算に入れた上でこのドレスを作ってくれたのだろう。
ソウジロウが植物の刺繍のある白いストールを広げる。これも
「腕」
「はい」
彼のごく短い指示に、クロエは両の腕を少し広げる。そこに、軽いストールがふんわりと掛けられた。
「……どうだ、クロエ」
着付けが終わったソウジロウは、三歩ほど離れたところからクロエを眺めながら尋ねてくる。
「そうだね、着心地はすごくいいよ。下着のシュミーズもさらさらしてて気持ちがいいし。コルセットでウエストを絞っているけどあまり苦しくはないね。むしろ背がしゃんとする感覚。裾も動きづらくはない程度だし、動きにくさはない」
「そう、か」
「そしてね、大事なことがある。このドレスはとても綺麗で、着ていてすごくどきどきする。私、このドレス大好き」
そう言ってクロエがにっこり、心から笑う。すると、ソウジロウもつられたのか笑顔になった。
「ねぇ、このドレスの銘はどんな?」
その質問に、ソウジロウはしばし黙っていた。考えていなかった、というわけではなく、ちょっと言いにくいといった沈黙。
「……“恋草の調べ”という銘なんだ」
「恋の……草?」
恋はまだわかる。純粋な愛らしい恋心から連想される色といえばピンクだろう。だが、その後に草という言葉。花ならわかりやすいが、草とは。
「あぁ、恋草というのは……恋の思いが燃え上がるようすを、草の生い茂る様にたとえた言葉だなんだ。それに、その……お前は新緑の髪の色だから、その」
彼は、頬をわずかに紅潮させて、目をそらして、後半部分を恥ずかしそうに言う。
……可愛い。ソウジロウ、とっても可愛い。
「ねぇ、ソウジロウ。この試験が終わったらね」
「あ……あぁ」
「二人きりで、話したいことが私からもあるの」
「わかった」
頷きあって、二人は更衣室でしばし見つめ合っていた。
そして。
「じゃあ、そろそろ時間だろうし、行かなくちゃ」
「あぁ。クロエの戦いを、俺は見守ってる」
「それなら百人力だよ」
ふわり、とストールを羽織り直し、クロエはソウジロウと共に更衣室を出る。
太陽が眩しかったが、涼やかな風が吹いていた。
まっすぐに闘技場へとクロエたちは向かう。
……途中、木陰から「にゃん!」と愛らしい啼き声が聞こえた。
振り向くと、ずいぶんと威厳を増した……やや太ましくなった白猫がちょこんと座っている。
白猫に小さく手を振ると、彼女はもう一声「にゃん!」と啼いた。
まるで、力一杯戦ってこいとでも言うように。
クロエが闘技場の円形舞台に登るのは、入学してからこれで四度目。
しっかりとした石畳を踏みしめると、気分が引き締まる。
最初の相手は、席次五十位ぐらいの学生。
席次七位という格上のクロエを相手に、戦う前から明らかに腰が引けているようだった。
「始め!!」
審判役の教師が、魔女の戦いの始まりを告げる。
クロエはすぐさま詠唱を開始する。
相手も、震える声で詠唱しているが、明らかに遅い。
「風の踊り子はサーベルを構えて、舞い踊る。彼女の右手には嵐の剣を、彼女の左手には竜巻の剣を」
ストールの両端をそれぞれしっかりと握り、ふわりと振るえばそれは風をはらむ。切り裂く風の刃を。
だが、クロエはさらにもう一つ詠唱した。
「焔の子らよ、小さき火種よ。されど汝らが風を得て舞えば、瞬く間にうねり広がる大火となる――」
風のストールに、ちらちらちらりと揺らめく炎がまとわりつく。
火精魔法をあらかじめ用意してあった風精魔法で支えることで、喚び出した炎はより大きなちからとなるのだ。
「我が足に、天翔ける旅神の祝福を。さぁ、そなたは雌獅子よりも鹿よりも早く駆けぬけるだろう!」
走り、駆け抜け、相手から飛んでくる氷の礫を避け、ときに薙ぎ払いながら詠唱し、さらに魔法を重ねる。
脚力強化の魔法を得て、クロエは円形舞台の上を滑るように移動する。
こうなればもはや相手に為す術はなかった。
「勝者、クロエ・ノイライ!」
観客席からは歓声があがる。
盛り上がる観客席から、たった一人の愛しい人の姿を見つける。
「……クロエ、よくやってくれた」
とても小さな声だったのに、この歓声の中でクロエの耳に届いた言葉。
若き魔女クロエ・ノイライはそれに応え、相棒たるソウジロウ・ヒノに向かって、大きく手を振ってみせたのだった。
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