決意のドレス



 魔呪盛装マギックドレスを仕立てるというのは、それ自体が一種の魔法儀式であるとも言われている。



 それは、魔法を呼ぶための魔法。

 魔女たちには使うことは出来ず、仕立て師にのみ使える魔法なのだと。




 下宿の自室で、緋野ひの蒼司郎そうじろうはそんなことを思い出しながら、針に糸を通す。

 もう布地の裁断は済ませている。

 次は、魔呪刺繍を入れる作業だ。この作業があって、初めてドレスは魔呪盛装マギックドレスとなる。

 ただの布が、魔法のドレスとなるための大事な作業……いや、儀式だ。


「……」

 まさに水の色のような、透明感のある薄い青色の絹地。それに刺繍針を刺しこんで、くぐらせる。何度も、何度も、同じ動きを繰り返す。

 刺繍糸は布よりもほんの少しだけ濃いめの青。

 皇御国生まれの友禅の布に、ヨーロッパ式の魔呪刺繍が施されていく。


「はぁ……」

 肩が重たくなってきて、手を動かすのがつらくなってきた頃、なんとなく愛用の懐中時計に手を伸ばす。

「一時過ぎ、か」

 もうとっくに深夜といえる時間となっている。

 蒼司郎は、眠るか作業を続けるか、ほんの少しだけ迷った。

 けれど、フェリシィにからかいまじりに目のクマが酷い、ということを指摘されていたことを思い出して、今日はもう休もうと思った。


 明かりを落とした部屋で、夏物毛布にくるまりながら、蒼司郎は長いまつげが生えたまぶたを伏せた。


 ……勝ちたい。

 だけど、勝つための努力というのは、一体何をすれば良いのだろうか?

 勝ちたい。

 心からそう思うのに、そのための方法がわからない。


 ぐるぐるとそんなことを考えながら、蒼司郎は安らかとはいえない眠りについた。





 あくる朝のアルストロメリア学園。

 一学年はなんだかざわざわしていた。何事だろうと思っていたが、理由はすぐにわかった。

 掲示板に、試験の詳細――トーナメント表が発表されていたのだ。

 蒼司郎も自分たちの名前を探す。

 ……名前が見つかるまでには、少し時間がかかった。

 ソウジロウ・ヒノとクロエ・ノイライの名前は、表の真ん中近くに書かれていたからだ。

 すぐに隣に書かれている名前、最初の対戦相手の名前を確認する。

 そして、目を軽く見開いた。体中から血の気の引く感覚……多分、顔は真っ青だろう。


 最初の対戦相手は リオルド・アシュクロフトとレベッカ・ルヴェリエ。

 席次第四位という格上であり、友人でもあるという、この……悪条件というしかない状況。

『最悪だな』

 蒼司郎は口の中だけでその皇御国語を呟く。


 寝不足の体を引きずるように、掲示板前のひとごみを抜ける。

「よう」

「おはようございます」

 そこにいたのは、体格の良い金髪の男子学生と、小柄で赤紫色の瞳が印象的な女子学生。

 リオルドとレベッカだ。


「俺たちは全力で行くからな。恨むなよ」

「えぇ。今だけは、まったくリオルドに同意ですね。手加減はしません」

 気が合わないようで実は息ぴったりのペアだ。

 蒼司郎は深くため息をついてから、彼らを精一杯にらみながらこう返してやった。

「手加減なんぞされてたまるかよ、この馬鹿ペアが」



 勝てるのだろうか。

 いや、勝たなければいけない。


 そんなことを考えながら、掲示板前から移動する。

 人気の無い階段の踊り場に、目立つ緑髪の少女がいた。

「……ソウジロウ」

「クロエか、トーナメント表はお前も見たか?」

 クロエはこくんと一度うなづいた。


「そうか」

「ソウジロウ、あのね」

 震える不安そうな声で、クロエは尋ねる。

「あのね、ソウジロウは最近ちゃんと眠れている?」

 蒼司郎は無言で目をそらした。健康面を考えれば、あまり褒められるような睡眠時間とは言えない。

「……ソウジロウ、あの」

「勝てるのか、とかそういうのじゃない。俺たちは勝たなければいけないんだ。相手が誰であっても、だ」


 蒼司郎はそれ以上クロエの姿を、その緑色の瞳を見ていられなくて、後ろを向いてしまった。

魔呪盛装マギックドレスはちゃんと期日には間に合わせる。お前は何も心配しなくていいんだ」


 それだけ言って、振り切るように切り捨てるように、蒼司郎は階段を上がる。





 勝たなければ、いけない。



 学年末試験はいよいよ明日にせまっていた。

 今日の夕方ぐらいまでは雨が降り続いていたが、今は止んでいる。

 明日は良い天気だというから、円形闘技場での『魔女の戦い』を執り行うのには何の問題もないだろう。


 勝たなければ、いけない。

 そうでなければ意味がない。

 ……かつて切り捨てた存在のためにも、だ。


 蒼司郎は、自室で最後の調整にあたっていた。

 トルソーに着せた友禅のバッスルドレスを眺めて、ドレープのバランスや飾りリボンの位置などを少しずつ直していく。


 ちくたく、ちくたく。

 懐中時計の針は、すさまじい速度で動き続けた。

 窓から見える空は、次第に濃い紺色から、薄い紫を帯びて、そして、青空がしだいにみえてくる。


 ちくたく、ちくたく。

 蒼司郎は針を動かし続ける。

 なぜ、自分はこんなことをしているのだろうと、時々思う。

 ……そうだ、本当は、やりたかったのはこれじゃない。


 本当は、自分は、魔女になりたかったのだ。

 だけどなれないのだと、知ってしまった。

 蒼司郎は、自分で自分のことは恵まれていると思っている。けれど、この一点だけ。……魔女になれない男に生まれたというそれだけのことで、幼い蒼司郎は両親を恨んだ。世界を恨んだ。 

 魔女になりたかった。

 だけど、なれないのだとつきつけられて。


『ならば、今の自分が出来ることをしなさい。死に物狂いでね』


 そう言ったのは、剣のお師匠様だ。

 とても小柄で細身の、ともすれば女性にも見えるような儚い姿のお方。

 彼のふわりと舞うような軽やかな剣捌きは、美しくて、誰もが見惚れるほどだ。


 そんな彼が、内緒ですよと教えてくれたことがある。

 お師匠様は本当はもっともっと剛たる強靱な剣が振るいたくて、だけど自分の体型と体格ではとても無理だと言われて、今のような剣にたどり着いたのだと。


 なりたくて、でもなれなくて、あきらめきれなくて、死に物狂いで近づこうとして。


 だから蒼司郎も、少しでも近づきたくて、仕立て師という道を選んだ。

 シィグ・アルカンナのような天才じゃないけれど、それでも必死にあがいてきた。


「……できた……のか?」

 それでも、天才じゃなくてもドレスは作れる。

 なりたかったものに、魔女という存在に、近づくことは出来るのだ。


 蒼司郎はドレスを見つめ、呆然と呟いた。

 少し後ろに下がってバランスを見ようとしたが、足がもつれて――ベッドに座り込んでしまう。


 友禅のバッスルドレスは、朝日に照らされて誇らしげに存在している。


 これは、肉体強化系の魔法が使えるようになるドレスだった。

 小物の扇子は風精系。

 クロエが纏えば、風に乗りながら舞うように戦うことだろう。


 ドレスの銘は“貫き通すもの”と決めていた。

「思いを貫く、そのために存在するドレスだ」


 願ったものになれなくても、それでも少しでも近づこうとする思いを、貫く。

 これはそのためのドレス。




 戦いの朝は訪れた。

 彼は決意のドレスを手に、その場に向かう。



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