第63話

魔鎧の森で魔力を補充し、軽く翁と組手をして私が家に戻ったのは翌日の日の出前だった。

そっと、寝室の扉を開くとベットの上ではラミナがまだ気持ち良さそうに夢の中を散策しているようだった。

静かに扉を閉め、私はいつもの日課に取り掛かった。

現在の我が家はそこそこ広い。掃除に洗濯、朝食の用意とやっているうちに気づけば日は東の空から地表を赤く照らし始めていた。

国王が厚意でメイドを付けてくれようとしたが、正体がばれる危険があるため、そこは丁重に辞退した。

時間はかかるが安全には変えられない。


キッチンで3人の朝食の皿を配膳していると、いつもはラミナが一番に朝食の匂いにつられて現れるが、今日は珍しく最初に現れたのはソアレだった。


『おはよう』


「おはよう、父さん」


私とソアレは互いに微笑みながら挨拶を交わすと近くの椅子に腰掛けた。


『冷める前に先に食べてしまいな』


出来立ての鳥肉と葉野菜のクリームパスタの入った器をソアレに勧めるとソアレは取り皿に適量乗せると「いただきます」と手を合わせ食べ始めた。

毎朝のことだが、美味しそうに食べているその姿を見ているだけでも私は幸せだった。

食べ終わる頃に暖かいお茶をカップに注ぎソアレに手渡す。


「ありがとう」


受け取り冷ましながら2,3口お茶を含むとソアレはそっとカップを置き、私に尋ねた。


「父さん、父さんは勇者と話してどうだった?」


『うーん、悪い人ではないな。ちょっと押しが強くて面倒なところもあるけどな』


苦笑しながら私が率直な感想を述べるとソアレも苦笑しながら「僕もそう思った」と頷いた。


「その勇者から一緒に魔王に会いに行かないかって誘われたらどうする?」


『え?誘われた?』


私は勇者が魔王に会いたい理由は知っていたが、ソアレを誘う理由は分からなかった。


「僕は魔王と会わなきゃいけないんだって」


『理由は聞かなかったのか?』


「教えてくれなかった。君なら知ろうと思えばそれくらい直ぐに答えに行き着くだろうって」


『そうか…』


暫く考えた後に私の出した答えは


『ソアレが会いたいなら、会いに行けばいい。私は…ラミナもかな、我が子が望むならその願いをかなえるために最大限の助力は惜しまないよ』


「ありがとう、父さん。それじゃあ、僕、学校の用意してくるよ」


笑顔で席を立ち自室に戻るソアレの背中を私は笑顔で見送った。


この時はまだこのままずっと変わらない平穏な生活が続くと私は思っていた。

しかし、この日を境に平穏な日々は少しずつ遠ざかり残酷な運命へと流され始めていた。



勇者が私の家を訪れてから3日がたった。

あれからソアレも学校があったり、私も冒険者としての依頼を受けたりとでまともに顔を会わせる機会もなかったが、ラミナからも言伝もないところを見ると元気に過ごしているようだ。

今日も依頼を片付け、自宅に戻ったのは夜もかなり更けた時刻になっていた。

そっと、寝室の扉を少しだけ開け中を伺うと部屋の明かりは落とされ、ラミナの静かな寝息が聞こえる。

さっと、自身を見てみると泥やら樹木の汁やら遭遇した魔獣の血やらなにやらでこのまま布団に入るのにはまずい状態だった。


『洗い流してくるか』


ため息を吐きながら私は浴室へと向かった。

熱い湯をかけ、石鹸で身体を撫でるとみるみる汚れは落ちていき、もとの金属の輝きが蘇った。

身体についた水滴を布でふき取り、乾いたところに錆止めの油を塗る。

新品までとはいかないがまあまあ見れる状態にはなったかな。

身体がさっぱりすると心もスッキリする。丁度良いタイミングで眠気も訪れてきた。ふわぁと欠伸をかみ殺しながら寝室の扉に手をかけたところで背後のソアレの部屋の扉が開いた。


『ごめん。起こしてしまったかな?』


振り返ると今にも泣きだ出しそうな顔をしたソアレの姿。


『どうしたソアレ』


慌てて駆け寄り片膝を折ってソアレをぎゅっと抱きしめた。


『怖い夢でも見たのか?』


私の問いにソアレは小さく首を横に振った。


『ひとまず、部屋に入ろう。ここは寒いから』


まだ、凍えるような寒さではないが季節は秋。朝晩は肌寒いくらいの気温。薄手の寝巻きを着ただけのソアレには廊下は寒いはずだ。一緒に部屋に入り、ソアレをベットに座らせ冷えた身体に毛布をかけた。


『どうした?何か学校であったのか?』


ソアレの答えは違うと首を横に振るだけだった。

何がこの子をこんなに悲しそうな顔にするのだろう。分かればソアレの憂いを晴らしてやれるのに。


『教えてはくれないのか?』


そっとソアレの頬に触れながら尋ねるとソアレは私の手をぎゅっと握り、大粒の涙を流し始めた。

どうしよう、どうすれば良い?

泣かないで。虚ろな胸の奥を悲しみが締め付ける。

愛しい我が子が悲しみに暮れているのに私は何をしてあげれば良い?何が出来る?

戸惑う私にソアレは小さく震える声で「ごめんなさい」と呟いた。


『何を謝る?ソアレは謝る様なことはしていないだろ』


ソアレが私に謝ることなど何もない。むしろこんなに優しく賢い子に育ってくれたことに感謝するくらいだ。

なだめようとかけた言葉もソアレには効果はなかった。


「だって、だって、…僕は……僕が父さんを殺しちゃったんだ」


はっ?ソアレが私を殺した?

ソアレが生まれた時とほぼ同時に私も生まれた。

それに赤子だったソアレが私を殺せるわけがない。


『何を言ってるんだ。ソアレが私を殺せるわけないだろ?』


「僕が生まれたから父さんは死んじゃったんだ」


ソアレが生まれたから私が死んだ?

あれ?…ソアレと拾ったあの時、私はどうしてあの森にいたんだ?

魔鎧の森には多くの戦士の亡骸があった。あそこで戦があった?いや、戦があったという話は聴いたことがない。それでは、何故あんなにも多くの戦士の亡骸が存在する?

ない記憶を必死に手繰る。何か、何でも良い思い出せないのか。


記憶を手繰っていくとほんの一瞬、艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、宝石のように澄んだ紫の瞳を持ち、竜の角を生やした美しい少女が私に向かって優しげに微笑む姿が見えた。

少女の姿を見たとたん全身が総毛立つような畏怖の念に襲われた。魔物になった今なら分かる。この御方こそ我らの主だ。


涙を流し私を見つめるソアレの瞳はあの御方と同じ透き通った鮮やかな紫色だった。

この世界の住人は様々な色の瞳と毛色をもつ。その中に1つだけ例外があった。

紫色の瞳を持つものはこの世界にはただ1人を除いて存在しないといわれていた。

魔王。魔国の王にして魔物たちを統べる頂上の御方。ソアレはその息子だった。


事実に気づき呆然とする私にソアレは涙ながらに語った。


「僕が生まれる為に多くの人の魂が必要だった。その捧げられた魂の中に父さんもいた。僕が生まれさえしなければ父さんも多くの人も死なないで済んだんだ」


そうかもしれない…


ソアレが生まれなければ私は死ななくてすんだかもしれない。けれど、今の私には私が人として生きてソアレがいない世界など想像がつかなかった。

生まれなければ良かったなんで言わないでくれ。

私が死んでソアレが生まれた。確かに私は殺されたのだろう。それでも…


『生まれてくれて、元気に育ってくれてありがとう』


両手でソアレの頭を包み抱きしめた私の目にもガラス玉の涙が溢れていた。


「父さんは僕を恨まないの?」


キラキラと砕けたガラス玉の光に包まれ、目の周りを腫らしながらソアレが私に尋ねた。


『恨んでなんかないよ』


この気持ちに嘘偽りはない。


「じゃあ、ずっとずーっと僕の父さんでいてくれる?」


『勿論』


私が微笑み、答えるとやっとソアレの顔に笑みが戻った。


「ずっとずっと僕の父さんでいてね。約束だよ」


『ああ、約束だ。この身に誓って』


胸に手を当て誓いを立てていると一瞬。ソアレの瞳がきらりと光った気がした。






〔〔いかなる時も主の父としてあることを主命とする〕〕







私とソアレは顔を見合わせついて出た私の言葉は


『お互い酷い顔だな』


「そうだね」


私は外見的な変化はなかったが、ソアレのほうは目の周りがかなり腫れぼったくなっていた。


『そんな顔で人前に出るのはあれだろ?今日はサボるか』


私が苦笑しながら提案すると


「サボっちゃおうか」


とソアレは笑顔で返した。


『じゃあ、どこに遊びに行こうか?』


「そうだなー僕は…」


こうして私とソアレはラミナに書置きを残して男2人で遊び歩いた。

夕飯前に家に戻った私達はラミナに叱られるのではと恐る恐る玄関の扉を開け家の中を覗くと穏やかな微笑みを浮べたラミナが私達の帰りを待っていた。

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