第131話 偽を以て善を為すもの
自分が正しいと思ったり、良かれと思ってすることには、どこか無意識的に”本当にそうなのか”という抱くべき疑問と、論理的な回答を自分で出さないままに慣習的に進めてしまっていることがある
この”どこか無意識的”というふんわりぼんやりな表現には完全な無意識ではなく、たとえば効率や優先順位や空気を読んだ感を自己の中に認めつつも、それを無視しているという”作為的な無意識状態”を差すのだけれども、ほとんどの場合は、時間の経過と次から次へと訪れる案件を処理する中で忘れされていく
そしてそうしたことが積み重なった時、その”作為的な無意識”のツケを払う時がやってくるのである
多くの成功体験が一つの大きな失敗に繋がるという、サッカーで言うところの早い時間帯で2対0のスコアのときに、1点返されると慌ててしまい、2点目をとられ、立て直す前に3点目を許して勝利を失うというストーリーがこれにあたるのだけれども、それは印象が大きいだけで、実のところ2点差以上つけた試合がひっくり返される確率は非常に低いそうである
なるほど、しかしそれを調べたくなるくらいに、勝っていた試合を落としたときのダメージは大きいということなのだろうか
さて、僕は善行よりも思いやりよりも、それを偽善として行うことを良しとする
なぜなら善を偽るには、意図的に善をなさねば成らず、それは思い込みや当て込みではない、善行の対象物だけではなくそれを観察している第三者に向けても、それが善行であることを見せて、似せて、偽であることを行うのである
つまり意識的な善行とは即ち、偽善であり、無意識の善行よりもより、好意に対する意識が高いと、僕は考えるのです
しかしながら、偽善はその性質上、ロジカルに傾き欺瞞に対する抵抗をなくし、マキャベリズムに陥りやすくなったり、自己正当化を図るあまりにファシズムに傾向することもあるかもしれません
だれもが空に浮かぶ中秋の満月に酔いしれ、そこに嘘はないでしょう
しかし、打ち上げられた花火はそもそも人を喜ばせるために作られたものであり、満月のありがたみにはかないませんが、見て楽しいのは派手な花火の方なのです
ではなぜ、満月はありがたいのか
それは満月は誰のためにあるわけでもなく、ただ、満月であるがゆえに誰にも媚を売らず、機嫌を伺わず、遠慮もせずにそこにあり、そしてあり続けるからなのです
花火の良さは一瞬の儚さであり、そこに人の思い――楽しませたいという”思いと行為”があるからこそ
夜空に輝く星々や煌々と輝く月に人は憧れ、それに似せて花火を打ち上げる
良き偽善とは、すなわち、無償で与えられる自然の恵みがごときものに似せてなろうという行いであるのではないだろうか
”偽を持って善を為すもの、偽を正と思い込んだとき、それは悪となる”
だから人は時々、空を見上げるべきなのです
太陽を、流れる雲を、降り注ぐ雨を、闇を照らす月を、瞬く星々を、漆黒の闇を
答えはいつも、そばにある
ではまた次回
虚実交えて問わず語り
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