第120話 あなたは神を信じますか?
信用するからには裏切られる覚悟が必要だ
人間関係のトラブルの根本は「期待」にあると僕は思っています
でも、まぁ、どうしたって人は他人に期待をしてしまう
そしてそうであるべきだと僕は思うのです
なぜなら人はおぎゃーと生まれた瞬間から、他人に期待をしなければ生きていけないのです
複雑で高度な知能を手に入れた人間は、母親の体内から生まれ出た瞬間から、誰かの助けを受けなければ移動することも何かを食べることもできやしない
そんな原体験があるのだから、生きていく上では「鍛えなければ」人はずっと誰かに頼って生きるしかない
この”鍛える”というのは、実は社会の期待に”応える”ことによって育まれるというのが人間社会の特徴なわけなのだけれども、そこにはまず、信用や信頼といった相手に身を任すシーンが不可欠なのです
なぜなら、教育や食い扶持を稼ぐまでに衣食住の面倒をみるという”投資”の行為は、必ずしも見返りが約束されたものではないのです
良く言えば無償の愛と言うのですが、機能的に言えば、そのような愛という言葉で言い表せる感情も生きるための術として手に入れた物で、それがなければ、おぎゃーと生まれた瞬間に、面倒だから放り投げてしまうでしょう
ここまで、僕は何一つ良い事を言っていないというか、酷い事しか言っていないですが、つまりはこれが現実的な人間の姿なんですよね
そしてだからこそ、信用するからには裏切られる覚悟が必要なわけです
それでも裏切られたくないのであれば、方法はいくつかあります
相手をだますか、力でねじ伏せるか、それらの複合的な方法か、そして強制力のあるルールに落とし込むか――すなわち法律や契約ということになります
どんどん話が殺伐としてきましたが、生きるということは、どうやったって美しくはならない
それが真理だと僕は思っています
そしてだからこそ――いや、でもだからこそと言うべきか
人には心があるのだと思います
心は高度な知能を持った我々人類が、滅びないように作り出された安全装置である
そう考えなければ、人間だけが神を持つことの説明がつきません
天に祈りを捧げるために鳥は翼を持っているわけではありません
海の底に祈りを捧げるために魚は尾ひれがついているわけではありません
四本足の獣は、大地の神に祈りを捧げるために頭を垂れているわけではありません
二本足の我々人類だけが、すべての生き物には魂があるとか、万物の創生を司るやんごとなき存在を感じたり、信じたり、崇拝したりするのです
あなたは神を信じますか?
それはすなわち、人を信じることに他ならない
人というよりは人類や人間という生物が手に入れた”心”という機能を信じて用いると言い換えてもいい
つまり心の正しき使い方は、よりよく生きるための王道と成るわけなのだけれども、心ここに非ず、心を大事にしないで、俗世で生き残ることに必死になったり、或いは、生きる価値を心とは離れたところ、物質や名誉や権威に求めることを良しとする風潮が、僕にはどうにも息苦しくてならない
なんて、そんなことを言ってしまうのは、それこそ、心が弱っているせいなのかもしれませんがね
心をないがしろにするような生き方をするくらいなら、何かに心を奪われるような生き方を選びたい
人を好きなるということは、すなわち、もっともシンプルな”心の働き”ではないだろうか
故に誰かに嫌われることを怖がったり、避けようとしたりする
”心を強く持つ”とは、故に難しく、尊ばれ、そのために人は神に頼るのでしょうね
さぁ、振出しに戻りました
あなたは神を信じますか?
僕は神を恐れはしませんが、カミさんは怖いです・・・御あとがよろしいようで
ではまた、自戒・・・いえ、次回
虚実交えて問わず語り
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